スタートラインについたとき岩国の目にはすでに涙が浮かんでいた。
日も傾いた国立競技場。
「R」の絶対的なエースとして部を引っ張ってきた男が、最後のレースを迎える。
「まだゴールしたくない。もっと走っていたかった」。
レース後にそう振り返った岩国。
最後のレースを終えると、岩国はそのままトラックに倒れこんだ。
足掛け9年の選手生活。
時と共に染みついたものが一気に溢れ出す。
その涙は今までのさまざまな思いが溢れたものだった。
中学2年から陸上を始めた岩国は中学、高校と全国の舞台で輝かしい成績を収め、大学に入学。
内部進学ということもあり「ある程度予測した状態」で入部した岩国だが、実際の部の状況には衝撃を受けた。
納得のいかないことも多々あり、1年目は悔しい思いをする。
個人種目だと割り切ろうとしていた彼に転機が訪れたのは、2年目の春だった。
5月に行われた関東インカレ。
対校戦であるこの大会で、予選レース後に肉離れを起こしてしまう。
予選を通過したものの、本人は棄権するつもりでいた。
しかしチームとしては1点が欲しい。
「足を引きずってでもいいから出てくれ」と言われた。
決勝は翌日。
悩む間もなく走った。
結果は、なんと優勝。
「一人じゃないなって思った。(自分は)チームの為に走るような奴なんだ、って」
自分の身を削ってでも、もがきながらチームの為に1点を取りに行く。
そんな泥臭さを教えてくれる仲間の存在に気付かされた。
彼の中で、部の一員としての自覚が芽生えた瞬間だった。
恩師の離任や主将としての苦悩など、その後も壁に突き当たることは何度もあった。
だがその度に、「R」の誇りが彼を奮い立たせた。
正真正銘のエースに育った男に、最後の一年が訪れる。
「理由にしたくない」と本人は語るが、就職活動の為に練習時間が大幅に削られてしまう。
冬季の大切な時期に、十分な調整を行えないことで募る不安。
そんな彼を追い詰めるように後輩の調子は上がっていく。
エース、主将という立場を体現できないことが彼を苦しめる。
冬を越え、シーズンが始まってからも不安は消えなかった。
六大戦でも東京選手権でも調子は上がらず、厳しい結果が続く。
岩国はそこからいかにして立ち上がり、関東インカレで三連覇、MVP獲得という偉業を成し遂げたのだろうか?
「開き直った。これは懸けだ、って」
自分で自分の首を絞めるくらいの負担を、あえて掛けた。
エースとして、主将として――。
人一倍強い責任感を利用することで、自分を追い込んだ。
大会前の激励会では、1部昇格を宣言する。
言うだけの覚悟はもう決まっていた。
「自信はあった。9年間の経験があったから」。
それが伝説の始まりだった。
運命の関東インカレ初日。
400mの予選レースは、偶然にも立大選手の一番手となった。
結果は、余裕の予選通過。
「もう大丈夫だと思えるレースだった」
長く苦しい冬を越えて得たものは、本当の自信。
己にのしかかる重圧も責任も、すべて受け止めて覚悟を決めた。
彼の強さそのものが、栄光の裏付けだった。
自分が言ったことに責任を持ち、結果を出してそれを体現していくのは、予想以上に困難なことだ。
しかし、岩国は最後まで主将として自分自身を追い込み、それを実現しようと努力した。
そして、もがきながら泥臭くチームのために1点を取りに行った。
岩国が本学陸上部にもたらしたものは三連覇という功績以上に陸上に対する姿勢、1部昇格を実現させるための覚悟。
それらは確実に後輩の目に焼きつき、次代へと受け継がれていくだろう。
(2月2日・相馬、中村)
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