「異質の」冤罪事件
弁護士 神山啓史
一、本件は、繰り返し言われているように、自白はあるものの被害者の遺体に残され
た精液・唾液・毛髪の血液型(AB型)が、少年らの血液型(B型とO型)と矛盾
するという証拠構造を持っています。
私は、このような証拠構造を持つ本件が、どうして有罪とされ冤罪事件として闘
うことを余儀なくされるのか理解できません。
無罪を主張して争っている冤罪事件は多くありますが、本件は他の冤罪事件と全
く質を異にしています。
本稿の目的は、そのことをしっかりと裁判官に理解してもらうことにあります。
二、通常の冤罪事件は、自白があり、被告人のものと矛盾しない痕跡が現場に残って
いる、という証拠構造を持っています。
冤罪の闘いの多くは、現場に残された痕跡は被告人と矛盾しないだけであって、
被告人と断定できるものではないとしつつ、自白内容が現場の客観的状況と矛盾す
る点を探し、自白の信用性を徹底的に弾劾するという活動になります。
「情況証拠の観点から見た事実認定」(司法研修所編一九九四年)は、情況証拠
の類型中「並存的事実」として「犯人が現場に残した肉体の痕跡等」を指摘し、
「指紋、足(靴)跡、歯型、掌紋、頭髪、陰毛、体臭、精液、唾液、血液等がここ
での検討の対象となる。これら現場に残された肉体の痕跡等は、犯行自体との関連
性が明らかならば、その推定力は極めて大きい。犯行自体と直ちに結びつかないも
のであっても、犯行の場所に被告人が存在していた(その時刻の点はひとまずお
く。)ことをうかがわせる被告人の肉体の痕跡等があることも、もとより具体的状
況にもよるが、概して推定力は高いということができる」、「いずれにしても、こ
の種の痕跡は、その推定力が概して大きいことが多く、しばしばその事案の証拠構
造の中で枢要の位置を占めるということができる」(四九頁)と述べています。
そのうえで、このような推定力の大きい痕跡でさえ、審理の結果、
1. 被告人と同一であるという鑑定の信頼性が崩れること
2. 痕跡の採取、保管の状況に疑問が生じること
3. 痕跡が犯行以外の行動により遺留された可能性が示されること
などがあるのであって、事実認定については慎重な考慮が必要であることを述べて
います。
三、私は、司法修習生に冤罪事件の一例として本件のことを話すことがあります。
すると、必ず次のようなやりとりが生じます。
修習生 「無罪をとるために、スカートに付着していた精液のDNA鑑定をやった
らどうですか。」
私 「なぜ?」
修習生 「DNA鑑定の結果、精液が少年らのものでないことになれば無罪になる
でしょう。」
私 「DNA鑑定以前に、精液の血液型が少年らと異っているのだけど」
修習生 「え!!」
発言した修習生は、本件についての私の説明をよく聞いていなかっただけのこと
ですが、私はこういう発言をする修習生を笑うことができません。
強姦・殺人の犯人とされた者の血液型が、遺留精液の血液型とちがうのに有罪に
なっているとは、誰も思わないのですから。
四、本件のおかしさは、次のような事態を考えれば一層明らかになります。
本件では、少年らはB型とO型ですが、これがAB型とO型だったとしたらどう
でしょうか。この場合には、自白があり、少年らと矛盾しない血液型の精液・唾液
・毛髪が被害者の遺体に残っていた、という証拠構造になります。
この時、弁護人が、「精液は犯行の機会に付着したとは限らない」という主張を
して、裁判所が、「その可能性も否定できない」と判断してくれるでしょうか。
少なくとも、原判決のような薄弱な根拠による主張では、裁判所は一顧だにしな
いでしょう。
また、弁護人が、「唾液のAB型は、被害者の体垢のA型とB型の唾液が混じっ
た可能性がある」と主張して、裁判所が、「真犯人はB型の第三者の可能性もあ
る」と判断してくれるでしょうか。
裁判所は、唾液の鑑定書がはっきりと「AB型」と判定していることを指摘する
でしょうし、裁判所が、混在の主張を真剣に受けとめ、当審で弁護人が提出したよ
うな実験をしてみようとは、絶対に考えないでしょう。
五、通常の冤罪事件であれば、なんとか現場に残されている痕跡が、被告人と矛盾し
ていることを示すために精力を傾けることになります。
再鑑定をして、鑑定の結果が誤っていることを立証しようとします。再鑑定の結
果、血液型が矛盾しているということになれば、証拠構造は崩壊し、無罪になりま
す。
ただ、多くの冤罪事件では、なかなか「矛盾する」というところまで至らないた
め、苦杯をなめることが続くのです。
本件は、そもそも血液型が矛盾しているのです。本件は、再鑑定の結果、血液型
が矛盾しているという結果が出た、冤罪事件の勝利の瞬間の証拠構造を現に得てい
るのです。
裁判の審理中に血液型の矛盾を示せば無罪、しかし、はじめから血液型が矛盾し
ていれば有罪、というのはおかしいでしょう。
翻って考えてみてください。
本件は少年事件ですが、成人事件とした時、検察官が起訴前に遺留精液等の血液
型が少年らの血液型と異なることをもし知っていたら、起訴したでしょうか。
私は絶対に起訴できなかったと確信します。本件において、警察官が検察官に対
し、遺留されていた精液・唾液・毛髪に関する証拠を送致しなかったことが、なに
よりそのことをはっきりと示しています。
さらに言えば、少年らが自白してしまう前に、少年らがB型とO型だけであるこ
とを取調警察官がきちんと把握していれば、果たして少年らを犯人として追及した
でしょうか。その意味で、本件は、取調べに対し容易に虚偽の自白をしてしまう少
年事件の問題点が、あまりにも深く影を落とした事件です。
六、本件で闘っていると、いっそ被害者の遺体に残された精液・唾液・毛髪の鑑定が
いいがげんであって、少年らと同じB型と判定されていたら、と考えてしまいま
す。
そうであれば、当初は、自白があり、少年らと一致する痕跡が現場に残されてい
るという、一見強い証拠構造の事件として苦しめられたでしょうが、結局は、再鑑
定の結果、精液等はAB型であり少年らと矛盾するとして、きれいに無罪になった
と夢想するからです。
本件のような、「奇妙な」冤罪事件は他にないことを理解してください。
以 上