日本経済論2 13 日米構造協議・構造改革の帰結 2014/12/22

 

 

1 貿易摩擦から経済構造改革へ−別紙の日米経済協議年表(1970年以降)も参照のこと

 

 高度経済成長末期から、主に日米間で個別商品群ごとに貿易摩擦が発生し、アメリカの関係事業者を保護するために「輸出自主規制」をさせられてきた。次の年表に示すように、貿易摩擦は、繊維→鉄鋼→TV→通信機械→自動車→工作機械→半導体などと展開し、1985年からはMOSSMarket Oriented Sector Selective)となって多角化していった。他方、アメリカからの輸入を拡大するため、牛肉・オレンジなどの農産物や通信機器等の輸入枠設定・拡大、建設事業への参入も認めさせられていった。これらは、政府が関与する貿易カルテルとも言える。また、アメリカ政府は、金ドル交換停止以後、国際金融業務をニューヨーク(ウォール街)等に取り込むため金融自由化を推進(1972年以降の通貨先物取引拡大、74年の対外投資規制撤廃、81年のIBF創設)し、西側諸国にもその規制緩和を求めていった。

 1981年からのレーガン(Ronald Wilson Reagan)政権は、新自由主義的政策を明確化し、日本に対しては、為替管理の撤廃を含む金融自由化を要求して「金融摩擦」を引き起こし、円ドル委員会を通じて投機規制などを撤廃させた。また、宇宙軍拡などを進めるため、日本側の「武器輸出(禁止)三原則」にも関わらず日本の技術を兵器生産に取り入れる「武器技術供与」も認めさせていった(軍産複合体の日本への拡張)。さらに、新通商法・包括的貿易・競争力強化法による非自由貿易主義的な通商問題交渉力強化を図り、日本にも「市場開放」の圧力を加えていった。他方、1983年の商務省レポートなどでアメリカのハイテク部門の競争力復活方策を研究し、84年に国家共同研究法(→87年のSEMATCH結成)などによる研究開発、さらに共同生産(93年、国家共同生産法)を促進した。

 1989年からのブッシュ(George Herbert Walker Bush)政権は、包括的貿易・競争力強化法の圧力のもとに日米構造協議SII: Structural Impediments Initiativeを開始し、日本経済の構造的な変革を迫った。続く、1993年からのクリントン(William Clinton)政権は、これを引き継いで日米包括経済協議U.S.-Japan Framework Talksを開始し、さらに1997年からは日米規制緩和対話に発展させた。かくて、アメリカの国益に合わせて日本経済を新自由主義的に構造改革するルートが確立していった。これが進捗することにより、日米貿易の不均衡(表1)は継続しつつも貿易摩擦の時のような激しい日本非難は減っていった。

 なお、クリントン政権は、軍産複合体によって強大な競争力を構築した軍事技術と民需向けの大量生産・品質管理で向上した技術との融合、あるいは兼用できる技術(DUT : Dual - use Technologyの開発を基礎に、ICT部門での国際競争力を強化する政策を展開し、アメリカ国内のICT投資主導による経済成長(株式投機が絡みITバブルないし.com Bubbleと呼ばれた)を実現した。

 

 

2 小泉構造改革の内容

 小泉「構造改革」は、中曽根・レーガン間のMOSS協議(1985年〜)、とくに宮沢・クリントンのSII協議(1989年〜)以降の、新自由主義的な日米間経済構造調整(主として日本側の市場原理主義的改革)を推進するものであった。

 日本は、明治以来、資本主義化・帝国化のために政策立案・遂行能力を中央省庁に集中させてきたが、市場原理主義を徹底させるためには、政策立案機能を非官僚出身の政権政党代表を中核とする内閣に集中する必要があった。第二次橋本龍太郎内閣(自民党単独)は、「行政、経済構造、金融システム、財政構造、社会保障、教育」の「六つの改革」を掲げ、199611月に「行政改革会議」を設けてその報告に基づき、19986月に中央省庁等改革基本法を施行した。同法により、内閣機能の強化を柱にした112省庁再編が、2007年にかけて実施されていった。2001年に、中央行政府の中核となった内閣府に「民間有識者」を4割以上含む「経済財政諮問会議」を設け、大蔵省から予算編成基本方針の作成権も移管した。(民間有識者:[小泉政権時]牛尾治朗奥田硯本間正明吉川洋→[安倍・福田政権時]丹羽宇一郎御手洗富士夫伊藤隆俊八代尚宏→[麻生政権時]張富士夫三村明夫岩田一政・吉川洋。財界団体代表と経済学者)

 小泉内閣は、日米構造協議→規制緩和対話→経済パートナーシップ(規制改革イニシアティブ)という日米間の構造改革協議とも連動して、この経済財政諮問会議を制度的な基礎にして新自由主義的改革を推進した。

 この基本方針は、2001626日に閣議決定した「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」に端的に述べられている。とくに、その総論にあたる第1章の第1節で、次のようにSchumpeter流の「創造的破壊」をキーワードにして「構造改革」の方向性を説明している。

 

 いかなる経済においても生産性・需要の伸びが高い成長産業・商品と、逆に生産性・需要の停滞する産業・商品とが存在する。停滞する産業・商品に代わり新しい成長産業・商品が不断に登場する経済のダイナミズムを「創造的破壊」と呼ぶ。これが経済成長の源泉である。

 創造的破壊を通して労働や資本など経済資源は成長分野へ流れていく。こうした資源の移動は基本的には市場を通して行われる。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く。市場が失敗する場合にはそれを補完する。そして知恵を出し努力した者が報われる社会を作る。こうしたことを通して経済資源が速やかに成長分野へ流れていくようにすることが経済の「構造改革」にほかならない。

 創造的破壊としての構造改革はその過程で痛みを伴うが、それは経済の潜在的供給能力を高めるだけではなく、成長分野における潜在的需要を開花させ、新しい民間の消費や投資を生み出す。構造改革はイノベーションと需要の好循環を生み出す。構造改革なくして真の景気回復、すなわち持続的成長はない。

 

 第1章では、これ以下、

2.不良債権問題の抜本的解決−日本経済再生の第一歩−、

3.経済の再生((1) 科学技術立国・世界最先端のIT国家への足固め、(2) 人材大国の確立、(3) 民間活力が発揮される環境整備、(4) 規制改革にとどまらず制度改革に踏み込む、(5) 資産市場の構造改革、(6) 労働市場の構造改革、(7) 税制改革)、

4.財政構造改革、

の柱を説明している。これを基礎に、冒頭に7つの改革プログラムとして、

(1) 民営化・規制改革[特殊法人の見直し、郵政民営化、医療・介護・福祉・教育などへの競争原理導入、規制撤廃]、

(2) チャレンジャー支援[貯蓄から投資へ、公取強化、NTTへの非対称規制の前倒し実施、放送と通信の融合]、

(3) 保険機能強化[ITを利用した保険・年金・医療の透明化とコストダウン]、

(4) 知的財産倍増[生命科学、IT、環境、ナノテク・材料の4分野を中心に人材育成と民間資金の教育研究分野への流入促進]、

(5) 生活維新[多機能高層都市、男女共同参画、バリアフリー、ゼロエミッション、安全・治安の確保]、

(6) 地方自立・活性化[市町村再編、国庫補助負担金と地方交付税制度の見直し、公営企業への民間経営手法の導入、意欲と能力のある経営体に施策を集中して地域産業を活性化]、

(7) 財政改革[公共事業の特定財源見直し地域間配分の弾力化など]、

を掲げた。

 なお、この基本方針の発表に先立ち、サービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会が、「緊急報告」として、@個人・家庭向け、A社会人教育、B企業・団体向け、C住宅関連、D子育て、E高齢者ケア、F医療、Gリーガル、H環境を柱とするサービス部門でNPOを中心に500万人の雇用を創造するため、「雇用の流動化」を図ることを提言し、「その提言の多くはサービス分野以外の雇用創出にも資するもの」と付言している。これも基本方針(上記第1章3.(6) )にも盛り込まれた。

 以上のように、規制撤廃を推進して社会政策分野にまで競争原理を徹底させるものであり、財政赤字の下で基盤的な公共サービスを削減して営利企業ないしNPOで代替していくが、日米大企業の利潤獲得が見込まれるハイテク部門や金融などへは支援を強化するものといえる。これ以後、とくに「構造改革特区」や「郵政民営化」、地方制度の「三位一体改革」などを内政上での重点とし、政策課題の調整を図りつつ、強力に実施された。その経緯は、別紙の経済財政諮問会議審議年表のとおりである。

 

 

3 「構造改革」の評価

 小泉政権は、国民に対する政策宣伝では「構造改革」とは何かをあまり明確にせず、新自由主義とも唱えなかったし、最初の基本方針の閣議決定以後は適宜政策課題を調整していったので、国民の多くは「構造改革」を明確には理解しえなかった。この点を、財務省財務総合研究所のディスカッションペーパー(PRI Discussion Paper Series No.06A-28)で、渥美恭弘氏は「政治的スローガン・キャッチフレーズとして国民に対し、とにかく『構造改革』なる言葉を連呼し、その内容は漠たるものにして国民も十分に理解しているわけではないが、長期経済低迷の続く中、何か既存の殻(=構造)を破ってくれるのではないかとの国民の期待を集め、閉塞感を打破しようとしたことが、終始極めて高い内閣支持率を維持できた大きな要因であろう。」(p.34)と評している。また、政策の本質部分についても、「小泉首相・政権は、それまでの歴代政権や小沢一郎・民主党が唱えてきた『構造改革』路線を踏襲し、それを当初から、政権の旗印・金看板として、政策の基軸に据えた。その意味するところは、政治的な文脈では、最初の所信表明演説で彼自身が言っているように、経済のみならず社会、政治、外交等の分野も含めた極めて幅広い分野を対象とするものであったが、こと「経済」の次元に限って言えば、2001年の『骨太の方針』にかなり明確に見られるように、市場主義的な『官から民へ』という『小さな政府』の理念の改革であり、それは歴代政権等と同様の本来の『構造改革』のみを意味するものであった。」(p.33)と総括した。

 国民大衆の目線からの最大の問題は、自民党・民主党の「構造改革」の結果として「所得格差の拡大」と「失業・ワーキングプアの増大」が生じたことであろう。参議院調査室の調査結果「所得格差に関する現状と課題」(『立法と調査』No.2960, 2006/10)においても、「正規雇用と非正規雇用の間で賃金や待遇の格差があるが、非正規社員の採用による総人件費抑制の動きが今後も継続することになれば、2006年のOECD対日経済審査報告が指摘するように、労働市場の二極化が一層進むことになろう。実質的に正社員と同様の業務を行っている非正規社員も多いと言われているが、特にそのような労働者については、同一価値労働同一賃金の原則の導入等も含め、非正規雇用であるという理由だけで不利に扱われることがないようなルール作りを進めていくべきではないかと思われる。」(p.81)と問題を確認している。

※ OECDによると、所得格差は経済成長を損なう。より詳しくはOECD雇用労働社会政策局特集:格差と成長201412月を参照のこと。関連記事:東京新聞「筆洗

Ref. 雇用アウトルック2014−日本に関する分析

 日本の労働市場は、迅速な財政出動とその後の経済の成長により、着実に回復している。迫りくる労働力不足を回避するために女性の雇用を拡大する必要がある。男女差は大きく、正規と非正規労働者の雇用条件の違いを示している。日本の労働市場の制度は変革が必要である。スキルのミスマッチを軽減するため、仕事に関連した学習を拡充する必要がある。女性と若年者の就労機会を拡大するため継続的な取組が必要である。

 ついでに、2013年版OECD対日経済審査報告

 また、中谷巌氏は、小泉構造改革に先立って竹中平蔵氏とともに小渕内閣の経済戦略会議の中心メンバーとして「本来の『構造改革』」を推進してきたが、『資本主義は何故自壊したのか』を著して新自由主義の行き過ぎへの反省を表明した。

 政党の中で、歴代自民党・民主党系の「構造改革」をもっとも体系的に批判したのは日本共産党であろう。その総括的な主張「破たんした小泉『構造改革』 社会と国民に何をもたらした」を紹介しておく。

 最後に、2000年以後のマクロ経済的な効果を統計で確認しておこう。

 

 

 

 GDPは、2000年から2003年にかけては減少したが、2004年から2007年にかけて増加し、「構造改革」の成果が上がったように見える。しかし、それは2003年から2007年にかけての輸出の増加により、総固定資本形成が増加し、さらに減少を続けた雇用者報酬も20052006年は若干回復して、物価下落により民間最終消費支出も2004年から2007年にかけて増加したためであるが、2007年に輸出の増加率に陰りがでると雇用者報酬は直ちに削減され、2008年のリーマンショックに始まる国際的な景気後退の影響を大きく受けることになった。他方、固定資本減耗(減価償却)は、若干の削減があっても基本的には増加を続け、総固定資本形成の停滞傾向によって、企業内部留保が積み増される傾向にある。完全失業率は、「第10講 経済大国化」図6で示したように、不安定就業やワーキングプアの増加を反映しないが、総数では2002年にピーク(5.4%)に達して後、2007年まで低下(3.9%)したが、2008年から再上昇している。ただし、1524歳の若者の失業率は2003年のピークで10.1%、ボトムの2008年で7.2%であり、総数の2倍も高いことが大きな問題である。さらに、「経済活動別」(産業別)の国内総生産を観れば、2004年から2007年にかけての「景気回復」期でも多くの産業が総生産を減らしており、一般・電気・輸送・精密の機械部門とサービス業を中心とする拡大であったことがわかる。つまり、産業構造上からは、高度経済成長後の輸出主導型成長構造の基本骨格(すでに国民経済の成長を推進できなくなっているが)は何ら変わっておらず、輸出産業大企業の資本蓄積を、低賃金の不安定就業者が多面的に支えてきたことが見て取れる。

 なお、共産党がデフレの原因となっている民間消費支出の低迷を追及して大企業の内部留保の取り崩しによる雇用者報酬の増加を要求したところ、安部政権は2012/06/15民・自・公三党合意による消費税増税を実施に移すため、それに応じて経団連に依頼し、経団連はまず賞与で対応するとし、続いて2014年のベースアップも容認するという姿勢を示した。しかし、3%の消費税増税と金融の量的緩和政策が円安に絡んだ物価上昇を進め、実質賃金は下がり続けている。なお、先に紹介したOECDの「格差と成長」報告では、いわゆる「トリクルダウン」による経済成長効果はないと分析している。

 

 

4 規制緩和とITを統合したビジネスモデルの破綻:電力卸売会社エンロン

 新自由主義政策の下で、規制緩和とIT、金融投機技術を駆使した新しいビジネスモデルの代表としてもてはやされたのがエンロン社である。しかし、2001年暮れに不正経理による赤字隠しが発覚して倒産した。その後の調査により、このモデルと会社の透明性を保証するアメリカ的システムのぜい弱性も明らかにされていった。倒産後間もない2002年に制作・放送された番組を紹介する。

 

NHKスペシャル(2002622

エンロン破綻(たん) 〜アメリカがおかしくなっている〜

史上最大規模の経営破たんとなったアメリカのエネルギー関連企業、エンロン社の倒産から半年、実態は今なお謎のままである。企業の経営判断の是非を、株式市場に委ねようというアメリカのマーケット経済。しかしエンロンは、自らの判断を放棄して、何をすれば市場が喜ぶか、言い換えればどうすれば株価が上がるかだけを考えようとした。しかし、株価が大きく変動するエネルギービジネスで、一方的に収益を拡大し続けることなど初めから不可能だった。株価を上げるためには市場をだますしかなくなっていった。新たな内部資料などをもとに、史上最大の破たんの深層に迫る。

 

エンロンに関する市販ビデオ

エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか? ENRON: THE SMARTEST GUYS IN THE ROOM(製作年度: 2005年)

歪んだエンロン 〜虚栄の崩壊〜 THE CROOKED E: THE UNSHREDDED TRUTH ABOUT ENRON(製作年度: 2003年)

 

 

* 201412月第47回衆議院議員選挙の投票結果

 上記のような小泉「構造改革」が雇用者や地方を犠牲にして輸出・多国籍大企業の利益を追求した結果、自民党・公明党連合政権は、二大政党制化(自民・民主)のキャンペーンを張ったマスコミもあって小選挙区制によって20098月末の総選挙で大敗し、鳩山由紀夫氏を党首とする民主党に政権を譲った。しかし、民主党は、全体としてはリベラル保守派であるが右翼から旧社会党系までの議員の寄り合い所帯であって党の綱領も決められず、政策も揺れ動き、欧米の経済危機による大幅円高や東日本大震災・福島第一原発事故への対応でも不手際が目立ち、201211月の第46回選挙では大きく右傾化した自民党の復活を許した。第二次安倍政権は、19世紀の「脱亜入欧(帝国主義)」のような理念を持って満州事変以後の戦争拡大を推進した日本帝国の責任の承認を拒否しつつ、巨額の政党助成金(国民1人当り250円、2013年度は総額約320億円のほぼ半分の150億円、2014年度は173億円)を受け取った上で経団連などから政治献金を集め、基本的には大企業の要求に沿った政策をとっており、その経済政策の破たんが明確になりつつあった本年秋に衆議院を解散した。その結果、1214日に投票が行われたので、その開票結果を下表に示す。

 上記のように、与党の得票は、比例で若干伸び小選挙区で若干減り、議席は、自民党が沖縄県の4議席を失って3議席の減となったが公明党が4議席増やし、1議席だけ増えたにとどまった。なお、公明党は、比例で14%の支持を得ているが、自民党に協力して独自候補を立てた小選挙区は北海道・東京・神奈川・大阪・兵庫だけで、その得票率は1.5%である。よって、自民党の小選挙区の正味の支持率は、48.1%から公明党の協力分12%を差し引いた36%程度で、比例の33.1%に近い。これが議席で60%以上を占めたのはひとえに相対的大政党だけに有利に作用する小選挙区制度によるものである。中間派の民主党は、小選挙区で大きく得票を減らしたものの比例では若干は得票数・率を延ばして、議席数を公示前から11議席増やすことに成功した。右傾化した自民党よりさらに右寄りの維新の党(前回は維新の会)や次世代の党は、比例でも小選挙区でも大きく得票を減らし、議席数も現状を守れなかった。これに対して、比例でも小選挙区でも得票数・率を大きく伸ばし、議席数を2倍以上に増やしたのが、日本共産党である。毎日新聞は、18日に「自民党の高村正彦副総裁は17日、衆院選を振り返り、『(安倍政権に)唯一、ファイティングポーズを取った共産党だけが伸びた』と述べ、議席を倍増させた共産党を称賛した」と報じ、Wall Street Journal16日に、Yasunori Sone, a political-science professor at Keio University, said Mr. Abe’s gambit to call a snap election paid off. A lack of clear choices for voters and a record-low turnout meant Mr. Abe effectively won by default, he said.  “It’s not really LDP’s victory. The problem lies in how the opposition couldn’t present itself as an alternative for voters critical of the LDP or Abenomics. Instead, The Japanese Communist Party took the hard-core protest votes,” he said.  Indeed, the JCP was a surprise winner in Sunday’s polls, more than doubling its seats in the lower house to 21 from eight, and clearing the 20-seat threshold necessary for a party to submit legislation on its own. “I vote for the JCP because there’s no one else,” said Yutaka Sato, 37.”.と報じた。つまり、共産党だけが自民・公明政権に対して明確な批判的対案を提示して選挙の「勝利者」となったという評価である。

 

本日の課題

 復習をしなさい。

 前回、質問を出すように指示したが10数名しか提出がない。講義時間の制約で十分に説明できていないところも多く、質問があって当然である。それが出ないということは、予習も復習もしていない者が多いということであろう。このままでは、期末試験をパスできる履修者が少なくなる可能性が高い。次回が最終回となるので「まとめ」はするが、経済成長や景気変動の要因、それらを把握する国民経済計算の仕組み、日本の国内外の経済状況とその変化などを掴んでいなければ、それも理解できないだろう。よって、日本経済論2(必要なら日本経済論1も)のホームページに掲載している講義ノートを通して読み直して、この講義の目的や成績評価方法を再確認し、日本の経済発展について一貫した理解を得にくいところを見つけ出しておきなさい。