高畠プロジェクト

コミュニティ福祉学部は、教授会の承認を経て、2001年4月から、岡田徹教授(当時)をまとめ役として、山形県高畠町と様々な交流を重ねてきました。実習や演習(ゼミ)、あるいは農業体験や調査研究のフィールドとして、また、高畠高校での大学院生による特別授業の場として、教職員はもとより、たくさんの学生や院生が高畠町を訪れてきました。それらを記念し、今後も長い交流を続けていくことを目的に、2010年11月に町と学部との間で交流協定を結びました。
以下の文章は、2011年の5月18日に新座キャンパスにて開催されました記念講演会「高畠を語る」(講師─高畠町町長・寒河江信氏、農民詩人・星寛治氏)への参加呼びかけのお知らせから転載したものです。

高畠町を訪れる学生は、皆、町の魅力に取りつかれて(「高畠病」)、中には、
高畠町で就職する学生も出てきています。ではなぜ、高畠町は学生を魅了するのでしょうか。高畠町は「まほろばの里」と呼ばれています。「まほろば」とは、「周囲を山々で囲まれた、実り豊かな土地で美しく住みよいところ」という意味の古語です。実際、山形新幹線高畠駅を降りると、南に飯豊連山、西に朝日連峰、東を蔵王山に囲まれ、米、野菜、果物の豊かな土地を目にします。また、何回か高畠を訪れた人は、町民の親切さ、純朴さ、仲間意識の強さに加え、進取の精神やホスピタリティを感じるでしょう。

それでは、こうした町はどのように築かれてきたのでしょうか。
1960年代、日本は高度成長を続けてきましたが、農業も機械化を前提とし、農薬と化学肥料を大量に使用し、大量に生産する形態が主流となっていきました。そのなかで、「どうも、こうした農業はおかしい。農業はもっと、自然と向き合わなければいけない。」と感じた若い農業家たちが、1973年に「有機農業研究会」を結成します。そのリーダーが星寛治さんでした。以来40年近く、生産者と消費者がお互い顔の見える関係で「食」を考えてきました。また、高畠町の青年団のリーダーでもあった星さんは、その後、町の教育委員長を務め、人材の育成にも尽力してきました。今でも、星さんの薫陶を受けた多くの人が、町で活躍しています。  一方、町長の寒河江さんは現在2期目。高畠町の価値を発信する方法として、食や生活の豊かさを前面に出し、星さんの思想を政治に活かすべく、福祉・健康・安全・安心のまちづくりを進めてきています。

今回の東日本大震災は、これまで私たちが「当たり前」と思ってきた生活の基盤や暮らし方に対して、大きな疑問を投げかけました。自然に打ち勝つことを「最大の」目標にしてきた近代科学は、自然の猛威の前にもろくも崩れ去ってしまったといえます。それは、高度成長の時代の「近代化」された農業に対する星さん達の純朴な疑問とも共通したものではないかと思います。  「傲慢」から「謙虚」へ。いま、私たちは大きな岐路に立たされているのではないでしょうか。こうしたとき、すでに40年近く前に、「真に」豊かなまちづくりを選択した高畠町の英知を聞く機会を持つことは、とても大事なことに思えます。

「高畠プロジェクト」 の略史