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2017.7.25(火)

【学内向け】2017年度スカラシップ採択結果詳細

審査結果

2017年度立教大学映像身体学科研究会スカラシップの採択結果は以下の通りです。

壷井  濯     映画『サクリファイス』
足立茉里奈    劇映画『傘を忘れた女』

審査経過

2017年度スカラシップには20名の応募がありました。
一次審査の書類審査は、研究部門と制作部門に分けて審査されました。
二次審査の面接審査も、研究部門と制作部門に分けて審査されました。
ただし、面接の前と部門別審査後に両部門で話し合いを行ない、最終的に両部門の結果を出しました。

【研究部門】
一次審査では、8名から7名が選ばれ、二次審査に進みました。
二次審査で7名を審査した結果、今年度は該当者なしとなりました。

[一次審査審査員]
江川隆男、田崎英明
[二次審査審査員]
江川隆男、田崎英明、中村秀之、日高優

【制作部門】
一次審査では、12名(うち1名辞退)から5名が選ばれ、二次審査に進みました。
二次審査では、5名から2名が選ばれました。

[一次審査審査員]
篠崎誠、松田正隆、万田邦敏
[二次審査審査員]
篠崎誠、相馬千秋、松田正隆、万田邦敏

講評

各審査員からの講評は以下の通りです。

【研究部門】

田崎英明

今回該当者なしとした理由は主に以下の二点である。
1.自分の現在の研究プロジェクトにおける位置づけ、必然性の曖昧さ。スカラシップが取れたなら実行してみたい計画というものが多く、どうしてもいま、このことを研究しなければならない必然性という点で説得力が弱かった。
2.年度内に成果を達成するための計画の具体性の欠如。年度内の残りの期間で研究計画を発表可能な形にまで仕上げるための具体性という点で説得力に欠けていた。
2018年度より、規定が改定されて自分の研究プロジェクト(具体的には大学院生における修論や博論)との関連づけや研究成果の発表に関わる制約も変わってくるので、今回の結果に気落ちせずに、積極的に応募していただきたい。

【制作部門】

相馬千秋

映画や演劇を制作するにはお金がかかります。そのお金を外部から調達するためには、まだ形なき作品の魅力や可能性について、言葉を尽くし、他者に納得してもらう必要があります。この作業は、規模の大小はあれど、映画や演劇を作り続けていくために、一生つきまとってくるものです。まだ形なき自分の作品を、どれだけ客観的に他者に伝えられるか。コンセプトの抽象化と、制作内容およびプロセスの具体化、その両方の作業が求められます。実現したいイメージを強く欲望することは作家として当然必要ですが、それを客観的に語る言葉、抽象化する技術が伴わないと、独りよがりな表現になってしまいます。スカラシップはその技術を鍛える場でもあります。今回の応募では、企画書でも面接においても、抽象化と具体化、両方の作業がまだまだ不十分なものが多かった印象です。もちろん作りながら考える、という柔軟さや失敗を恐れない態度は必要なので、企画書段階でゴチゴチに固めてしまうのもよくないのですが、少なくとも他者から資金を得る場合に必要とされる必要最低限の言語化、抽象化の作業を、これからスカラシップに挑戦する人には心がけて頂ければと思います。

松田正隆

私は、この人の企画が面白いというものには出会わなかった。それは、企画の良し悪しではなく、「企画を審査する」ということがこれからのことに関わることだったからかもしれない。企画書に添付された過去作品のうちのいくつかはとても面白かった。その面白さが次回の企画にどう生かされるのか、生かされるとしてそれをどのように信じていいのかを私自身はかりかねていたというのが正直なところである。企画書の書き方が上手ければいいというものでもないだろうし、言葉巧みな書きっぷりのものは眉唾物に決まっている。だから、結局、添付された過去の作品の記録を観て判断した。このような作品を作った人だったら、これからの企画も面白かろうということである。表現をするということは、理由もなく何かにひっつかまれて、その何かの差し出して来る問いをなんとかカタチにすることだろう。そのやり方は無数にある。にもかかわらずその問いに対してあらかじめ整ったやり方で解答をしめしている作品をいくつか見た。モチーフ(動機)に対して適切な距離感をつくり必然的に正しげな方法を選択したと思える作品である。こういう作品に私はまったく興味がない。他方、そういう道筋ではなく、理由のわからないモチーフをわけのわからないままに見事に表現のカタチにしている作品もいくつかあった。そのカタチの作り方を考え出すことこそが創造力だと私は思う。カタチと書いたが、それは霧の中の霧の輪郭のようなもので感覚的に感じ取られることで、単に視覚的なものに限ったものではない。助成作品に採択された足立さんの作品には、そのようなことを感じることができた。

万田邦敏

映像系に関しては、意識的にしろ無意識にしろ、企画の具体的な内容が他者との関係性に触れているかどうかを審査の第一基準にした。自主映画は、ともすれば他者が不在の一人称映画になりがちで、もちろん自分の金で好き勝手に作るのであればそれでいっこう構わないが、他人の金でとなると、しかも映像身体学科のスカラシップ作品なら、「私の思い」だけではなく、それを越える他者の存在が必要だと考えたからだ。もちろんここでいう一人称映画とは、登場人物がひとりだけとか、風景に個人的な語りがかぶるとか、そういうわかりやすい一人称映画だけのことではない。どんなに登場人物が多くても、その登場人物同士が他者としての関係を持たず、その関係の変化において登場人物の言動が検証されなければ、それは結局のところ一人称を越えない。以上から、唯一足立茉里奈の企画を推した。主人公の女性の存在の危うさが他者との関係の中で浮き彫りにされるばかりでなく、その関係の有り様と変化が独創的であることに感心した。身体表現系に関しては、文字どおり身体性がどれだけ表現される企画なのかを検討したが、残念ながら強く推したい企画に出会えなかった。