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2022.7.12(火)

【学内向け】2022年度スカラシップ採択結果

審査結果

2022年度立教大学映像身体学科学生研究会スカラシップの採択結果は以下の通りです。

【研究部門】
採択なし

【制作部門】
『夢の塔』倉谷真由

審査経過

【研究部門】
■審査員
滝浪佑紀、田崎英明、長門洋平

▼一次審査
1件の応募があり、1件が二次審査に進みました。

▼二次審査
1件を審査した結果、採択なしとなりました。

【制作部門】
■審査員
砂連尾理、篠崎誠、松田正隆、横山太郎(一次審査のみ)

▼一次審査
5件の応募があり、2件が二次審査に進みました。

▼二次審査
2件を審査した結果、1件が採択となりました。

講評

各審査員からの講評は以下の通りです。

【制作部門】

砂連尾理

倉谷真由さんを今年度のスカラシップとして選んだ理由として、彼女から提出された映像資料、「ガンガー様の魚」が大変興味深く、可能性を感じさせる作品だったことがまず第一の理由です。京都の街を舞台に、主人公がインドのガンジス川に思いを馳せながら、「食べる」という行為を切り口に主人公と彼女の友人のやり取りや彼女らの周りで起こっている出来事、特に主人公の友人が飼っていたどじょうと主人公の祖母の死から、人間が避けては通れない「生老病死」といった普遍的なテーマをユーモラスに描きながら、現代に生きること、しいては死を想うこと、そしてそれをどのように受け入れ、迎えるかといったことを問いかける倉田さんの視点にユニークさを感じました。また、ユーモア溢れるトーンの中にも、2020年に起こり今なお継続しているコロナウィルスによるパンデミックや日本の高齢化社会で起こっている老いや介護問題など、今の社会が抱えている問題にもきちんと眼差し描いている点も良いなと思いました。
次回作も今回のテーマである「食べる」という行為に引き続き着目し、次回の作品では胃という臓器にフォーカスを当てた作品構想があると伺っています。胃といった、身体の表面からは窺い知れないものをどのように描いていくのか?身体の内部に倉田さんが潜り、そこを露わにすることで見えてくる世界観がどのように描かれるのか楽しみです。
そこで、ダンス、身体表現を専門とする私から今回のスカラシップで倉谷さんに是非とも考えて欲しいと思っていることがあります。それはカメラを前にした身体をどのように考え、演出するか?という点です。カメラを前にした演技は、舞台上で演技を行い、それを観客に届ける身体とは異なってくるように思います。映像を通して知覚される演技、身体とは一体どの様なものなのか?今回のスカラシップでは映像における身体の研究も是非進めてもらえたらと思います。また、これは演出面に少し立ち入ってしまう提案になってしまうかもしれませんが、「食べる」演技は身体を直に感じさせるインパクトのある身振りなので、そこにこだわった演技、演出を是非とも研究して欲しいなと思います。フランスの振付家、ボリス・シャルマッツの作品に「喰う(manger)」という作品があるのですが、「食べる」、また次作の映画に登場する、「吐く」といった身振りの描き方を研究する上では参考になるかもしれません(YouTubeではダイジェスト映像しかありませんが)。さらには、映像、ダンス、演劇作品だけでなく、障害を持った身体などのケアの文脈も参照しながら、これらの身振りを研究してみると良いのではないでしょうか。
その他にも様々な文脈を横断しながら、そして、もし出来るなら身体表現を研究している学生らとも協働して(巻き込んで)、映像における身体表現の可能性を是非とも追求してもらいたいなと思いますし、そうした多角的な研究、実践を通して、今持っている倉谷さんの映像世界を更に独特なものとし、より多くの人に届けられるような魅力ある作品が生まれることを期待しています。

篠崎誠

何年もスカラシップの選考に関わってきて思うのは、みんなプレゼンがうまくないということだ。ことに応募が多い長編映画に関していうならば、企画(数行の概略しかないものは論外。脚本の形になっているのが理想だが、プロットだけだとしても、内容の面白さが具体的かつ端的に伝わる必要がある)だけが良くてもダメで(毎年企画だけでとびぬけたものはまずないが)、参考で提出する映像(15分)がとても重要だ。その参考映像を見て、仮にスカラシップの企画が実現した場合に、選ばれた監督が、その根幹となるべきシーンを果たして的確に、かつ想像力=創造力豊かに、演出できるかどうかがわかるものでないと意味がない。ただ、漫然と座って話している人を官僚主義的なカット割りで写しているだけでは、「映画」にならない。映画は写真と違って、ある空間の中で、時間と共に俳優の演技がどのように変化していくのか。登場人物たちの関係性が変わるのか。それが具体的な運動(俳優の一挙手一投足、視線、キャメラの動き)として捉えられていない限り、どんなに光と影にこだわって構図に凝ってみても単なる美しい映像の羅列に過ぎない。
倉谷さんの企画は、発想(奇想?)の面白さに留まらず、シーンの中で登場人物たちが変容し、シーンを重ねていくうちに、その関係性がダイナミックに変化することにある。学生の企画はえてして、モノローグに陥りがちだが、倉谷さんの企画は多声的だ。提出された参考映像の『ガンガー様の魚』の抜粋(抜粋の仕方は上手くないが)もそのことを示している(年配の俳優からもちゃんと段取りではない演技を引き出している)。
倉谷さんが演技に対してだけではなく、その演技を生かすにはどこにキャメラを置くべきかを考えているのがわかる。そこから生まれる悲劇性とユーモアの同居。これは後天的に学びとったものというよりは、倉谷さんが生来的に獲得している美質かも知れない。深刻な状況下であっても喜劇的な瞬間を撮れるということ。これまで見たことのない映画が生まれるのではないか。とても愉しみだ。

松田正隆

今回、映像資料として提出された倉谷さんの「ガンガー様の魚」を観て、作者独自の主題やドラマ展開、会話の面白さ、空間構成のあり方などいくつかの観点から判断して、かなり高い水準であると感じた。何よりも切実でユーモアがある。それは俳優の演技の問題が起因しているのだろうと思うのだが、きっと撮影現場で、倉谷さんがどういう演出をすれば、それが引き出せるかを知っているからなんだろうなと推測した。つまり、スタッフも含め、撮影現場の環境とどのように関係を結ぶのかがわかっている人という印象を持った。それは、なんというか、技術的に習得できるようなものではなく、やはり、身もフタもない言い方だけど、センスの問題なのだと思う。倉谷さんのユニークなセンスが映画に表れているし、センスがあるから映画にそれは表れる。こういう人に面白い映画を作ってもらいたいと強く思った。面白い映画というのはユニークでユーモアがあって、あらためて考えてみないと理解できないような映画のことである。私たちの価値観が変更を強いられる映画を期待している。

横山太郎

私が倉谷真由さんの制作計画を推したのは、(1)「食べる」というテーマが明確かつ魅力的であり、(2)それにアプローチするための超現実的な物語の設定に面白味があり、(3)参考資料として提出された映像成果物にそうしたアプローチを実現するだけの能力を示すクオリティが備わっていた、という三つの理由からです。特に成果物として出された作品『ガンガー様の魚』は、それ自体が食べることをめぐる物語であり、倉谷さんがこのテーマに映像作品の形を与えることができるということを十分に示すものでした。さらに私がこの作品について評価したいのは、会話の場面でショットを積極的に切り替えていたことです。良い意味での通俗的わかりやすさとユーモアが生まれていましたし、空間と俳優だけに頼らずに映像で会話のシークエンスを構成しようとする意志を感じました。このような撮り方に伴い、録音もそれなりに手間を要したと推測します。倉谷さんは、おそらく作品の制作にあたってそうした手間を惜しまず、楽をせずに取り組んでくれる方なのであろうという印象を、私は受けました。以上により、今年度のスカラシップの対象者として倉谷さんが適格だと判断しました。