原子衝突サーキュラー No. 198 (2001.9.15号)に掲載

脇谷一義先生を偲んで

平山孝人

 本協会会員,脇谷一義先生が平成13年7月21日午後11時40分クモ膜下出血のため逝去されました.享年66歳でした.

 脇谷先生は1959年に東京理科大学物理学科をご卒業され,卒業後すぐに明治大学の小松八郎先生のもとの助手となられ,核磁気共鳴,特にスピンエコー法の装置の開発を中心に研究に携われました.脇谷先生は小さいころからキリスト教に大変関心を持たれ,東京理科大学在学中に上智大学のキリスト教講座に通われ,エルリン・ハーゲン神父様から洗礼を受けられました.東京理科大学にカトリック研究会を創られたほどの熱心な信者でありました.そのため,1962年設けられた上智大学理工学部でぜひ物理を教えたいとの希望を持たれ,鈴木洋先生,鈴木皇先生との縁もあって最初は明治大学と兼任で,1964年からは専任のスタッフとして上智大学理工学部物理学科に勤務され,昨年3月定年を迎えられるまでの36年間,上智大学で学生の指導と研究に努められました.

 上智大学においては,鈴木洋先生とともに原子・分子を標的とした電子分光の実験を行われました.我が国の原子衝突実験の初期の頃に書かれた電子分光についての解説(応用物理 36, 643 (1967),分光研究 19, (1970) 18,日本物理学会誌 28, 705 (1973) など)は今でも多くの文献で参照されています.1979年に酸素分子の電子励起状態の励起断面積測定の研究(J. Phys. B11, 3913 (1978), ibid 3931 (1978))で東京理科大学から理学博士の学位を与えられ,また1995年には東京理科大学卒業生のなかで,特に優れた研究により学術発展に貢献した方に贈られる伴記念学術奨励賞を受賞されています.上智大学における研究以外にも,名古屋大学プラズマ研究所(現・核融合科学研究所)や理化学研究所における共同研究に参加され,多くの成果をあげられました.また,ご自分の研究だけでなく,これから電子分光実験を始めようとされる方たちに装置のノウハウを快く教えられるなど,この研究分野全体の大きな発展につくされました.

 研究室での脇谷先生は,私にとって教員と学生という関係だけでなく,時には父親となり,時には兄として,公私にわたって指導して下さいました.脇谷先生はああしろこうしろと指導する先生ではなく,常に先頭に立って体を動かし,研究の楽しさ,実験の楽しさを学生にたいして身をもって示して下さいました.実験がうまくいって脇谷先生に報告すると,いつもあの暖かい笑顔で大変喜んで下さり,また,実験がうまくいかないときには毎日夜遅くまで一緒に実験に付き合って下さいました.きれいな実験データを見ることが何よりも大好きな先生でした.私は大学四年生の時に脇谷先生のご指導の元,交差ビーム法を用いた電子・イオン衝突実験装置を作り始め,大学院生の時にその装置で初めてのデータを出すことができました.その日は脇谷先生も徹夜で実験に付き合って下さいました。明け方近くに初めてのデータが取れ,二人で祝杯をあげたこと,脇谷先生が私の目を見てうれしそうににっこりと笑ってくれたこと,今も忘れられません.あの日のあの喜びがその後の私の一生を決めたのではないかと思っています.私たち卒業生は皆,そのような喜びを脇谷先生に与えていただきました.脇谷先生が与えて下さったこのような喜びは,私たち卒業生の人生において,一生忘れることのできない貴重な経験になっています.

 昨年3月の脇谷先生の退職記念パーティーは100名以上の参加者のもと,盛大に行われました.脇谷先生は退職後の自由な時間に何をしようか,ということを楽しそうに話されていたことを思い出します.その自由な時間もたった1年しかなく66歳という若さで生涯を閉じられたこと,大変残念でなりません.天にある脇谷先生の御霊が、今後も末長く私たちを見守って下さることを信じています。どうぞ安らかにお休み下さい。

平山孝人:立教大学理学部物理学科,hirayama@rikkyo.ac.jp