ももすけエッセー集

 

牛久のうなぎ

 

 田中 治彦 作        

最終更新 2002年8月12日 


住民基本台帳ネット

 

 竜ヶ崎市役所から住民基本台帳の番号が届いた。何かあると困るのでまずコピーをした。その上で、ハガキをもとに戻してホチキスで止めた。

 表に赤で「受取拒否・差出人戻し」と書き、下に「住基ネットに反対します」と書いてポストに投函した。

2002年8月7日


防災竜ヶ崎

 

「ピン・ポン・パン・ポン・・防災竜ヶ崎です!」

けたたましい音声が街頭のスピーカーからニュータウンに鳴り響く。

「今日は、リサイクルの日です。各役員の指示に従って行動してください。」

ガバッ、と起きて時計に目をやる。日曜日の午前7時半。

一体何を考えているのだ。2時間かけて東京まで通勤している労働者にとって日曜日の朝の眠りはどんなに貴重なことか!

「防災」竜ヶ崎などと言っているくせに、東海村の臨海事故のときになんにも情報を流さなかったではないか。けたたましい音声で流す情報といったら、「今日から交通安全週間」とか「たんぼの水位が上がっているので近寄らないように」とか。


 小生、音には敏感である。特に日曜の朝の音には。

 岡山に住んでいたときである。日曜日の9時に決まって、上空から音声が流れてくる。

「洋服のアオヤマ。本日特売・・・」

 毎週である。ただし、このアオヤマは全国チェーンの洋服の青山ではない。 たまらずにアオヤマに電話した。「飛行機で宣伝するのは止めてください。」

 すると、ある日大学に訪ねてきた人がいる。

「○○航空ですが、宣伝ではご迷惑おかけしています。」

「ええ、迷惑ですから止めてください。」

「そこのところをご理解いただきたくて参りました。」

「理解できません。」

 それでも宣伝は続いた。県庁の目安箱に投書したり、アオヤマに電話をしたり・・

2年くらいたって、上空からの宣伝がなくなった。やっと静寂な日曜日の朝が戻った。


 そのようなわけで、竜ヶ崎にひっこしてきてまず驚いたのがこの「防災竜ヶ崎」である。

 各町の辻々には市が設置したスピーカーがある。毎日のように放送があった。しかも、2回繰り返す。

「○○さんが行方不明になっています。」

 尋常ではない。徘徊僻がある老人なのだろう。同じ名前が出てくる。人の名前をすべての市民に知らせるのは人権上問題がある。

「水路で身元不明の死体が見つかりました。心当たりの方は・・」

というのもあった。その日一日気分が悪かった。

 ともかく、一度抗議のハガキを出した。

 すると、少しはおとなしくなった。最近は随分改善されたな、と思っていた矢先である。例の日曜朝7時半の放送は・・・

 今回はハガキではなく、電子メールで文句を言った。2週間ほどして返事がきたが何の変哲もないものであった。「防災竜ヶ崎は、防災を目的としております。市の広報も行っております。ご理解をお願いします・・・」

 それでも、最近はまた少し静かになった。いつまで続くことやら。

やれやれ・・・

 2002年6月2日


おそるべし夜の常磐線

 

 入試が終わって、気がゆるんで、ちょっとほろ酔いかげん。500円払って、10時30分上野発のフレッシュひたちに乗る。運良く席が空いている。

 我孫子駅を通過、次は佐貫である。ふっと意識がとぎれた・・

「フレッシュひたち65号、勝田行き。次の停車駅は石岡です・・」

「ん? い・し・お・か?」

「いしおか!?」

 事態を理解するのに数分かかった。満員だった車内にはほとんど人がいない。 石岡って、ひょっとすると土浦も過ぎたの?

 「わーお! どうする?」

 石岡にはいつ着くのだろう。上りは? おそるおそる携帯を取り出して「乗換案内」に入力する。

「石岡04:59→佐貫05:37」

始発だよ、始発。

 取りうる手段は3つしかない。1.タクシーで帰る。2.駅で始発を待つ、3.ホテルに止まる。

 タクシーは・・自慢ではないが私はこれまで隣の牛久までしか乗り越したことはない。それも4回しかない(自慢にならない(^^;)

 牛久からのタクシー代は2200円だった。でも土浦は1万円近くだろう。ましてや石岡! あきらめよう。

 次は始発で帰る方法。だめだ、極寒のこの時期、体力に自信がない。

 ホテルしかないではないか。となると石岡で降りるのは不安である。石岡だって立派な市だからホテルくらいあるだろうが、もうすぐ12時。土地感もない。

 えーい、水戸だ。水戸まで行ってやる。茨城大学に教えに行っていたこともあるからよく知ってるぞ。何しろ我らが茨城県の県庁所在地ではないか? たまには足を運ばねば申し訳ない(よくわからん?)

 ・・・・

 水戸です。ぼちぼち降りる人がいます。皆乗り越しかな? でも足取りがしっかりしているね。電話ボックスを探そうか? いや、駅を出て回りを見回した方が早い。

 「ホテルメッツ」の文字が目につく。他にも何軒か駅前に。「メッツ」に飛び込む。

 「今晩泊めてもらえますか?」

 「はい、シングルは満室でございますが、ツインならご用意できます。」

 助かった。駅で凍えることはない。

 おそるべし常磐線。でも水戸までは大丈夫。(もうするな、って言うの!)

 2002年2月20日


東京勤めに のどかな家

 

 私が今住んでいる竜ヶ崎ニュータウンのキャッチ・コピーが「東京勤めに のどかな家」である。竜ヶ崎へは上野から常磐線で約60分、牛久沼のほとりにある佐貫駅で降りる。市内に行く人はここからたった2駅しかない関東鉄道竜ヶ崎線を利用するが、ニュータウンの住民の多くはバスを利用する。結局家から立教大学まではおよそ2時間を見なくてはならない。

 バブル崩壊で地価が下がったとはいえ、今時地面に足をつけた家に住もうとすればこの位の通勤は覚悟しなければならない。私は岡山時代に小さいながらも一戸建ての家に住んでいたので、引っ越しに当たってたとえ便利でもマンションに住む気にはなれなかった。

 岡山では山陽町という岡山市の北西にある「桃の里」で暮らしていた。四方を小高い山に囲まれていて、気候は温暖、桃とマスカットの産地でまさに日本の「桃源郷」であった。通勤は車で20分、旭川の河原を毎日ドライブする。春は菜の花、秋は彼岸花と季節ごとに河原に美しい花が咲く。 授業の30分前に家を出ればよかったし、帰りは時間を心配する必要がない。夏などは帰ってから子どもとキャッチボールができたくらいである。

 それが今は、青江美奈が歌った「夜の池袋」で飲んでいても終電を気にしながらである。しかも座って帰ろうとすれば上野駅に20分以上早く着かねばならぬ。「ホームライナー」という帰宅専用の急行が1便あり、310円払えば佐貫までわずか35分で帰れる。ところが、金曜日ときた日には座席指定キップは30分前に売り切れてしまう。

 それでも帰りは待てば座れるのだからまだよい。往路はまず座れない。土浦始発でも佐貫に着く前にぎゅうぎゅうになってしまう。1時間立っているのはなかなか辛いものがある。朝だというのに9割方の人は寝ている。皆通勤で疲れているのだ。

 ニュータウンのキャッチフレーズを書き換えたい。

  東京勤めに のどかな家 地獄の通勤 

  

                          (1998.4.1.)

牛久のうなぎ??      

 

 

さぬき駅のポストの口はなぜ大きいか?

 

  竜ヶ崎に住んでいると職場まで往復4時間かかりますから、ちょっと研究室に出るというわけにはいかなくなる。それに立教の研究室は2人1部屋ですから研究するという環境ではない。そこでいきおい自宅で研究やら仕事やらをしなければなりません。

  ここで困ったことが起こりました。郵便物です。自宅の近くにポストはあるのですが、口が小さくてA4の封筒がそのままでは入りません。仕方ないので2つ折りにするのですが、中には折れないものや折りたくないものがあります。今は公文書がB5からA4に変わったために多くの文書や冊子の類がA4になりつつあります。

  そこで竜ヶ崎郵便局に電話してA4がそのまま入るポストが近くにないかどうか聞きました。驚いたことに市内にはそんなポストはひとつもないとのすげない返事。郵便局の前のポストすらA4が入らないのです。そうするとA4の郵便物はわざわざ竜ヶ崎局まで車で運ぶか、さもなければ満員電車の中を東京まで運んでいって出さねばならないことになります。

  たまたま手許に郵便番号簿があり料金などを調べていると「郵便局からのお知らせ」というコラムが目につきました。なんと「最近郵便物が大きくなっていますので、ご自宅の郵便受けは受け口が25p以上のものにしてください」とあるではありませんか!

  田中治彦怒りました。各家の郵便受けをA4対応のものにと依頼しておきながら、市内のどこにもそれに対応できるポストがないとは!

  早速竜ヶ崎局長宛に「郵便局からのお知らせ」のコピーを添えて、A4対応のポストを新設するように丁重なお手紙を出しました(郵便物はどうせ竜ヶ崎局に行くので切手を貼りませんでした)。 どうせお役所仕事だろうからと思い、ホームページで郵政省を探して東京郵政局宛に同じものをメールで送りました。

  3週間ほどして「ピンポンー」となりました。「どなたですか」「郵政○○サービスのものです」。ギョギョッ。こんなに早く反応があるとは。玄関には「郵政何とかサービス」のおじさんが立っていました。「遅くなってすいません。ポストはどこにつけたらよいでしょうか」

  「どこに」って言われても、ポストは公共のものでしょう。まさか「うちの前に」とも言えないけれど、おじさんの口ぶりだとどこにでもつけてくれそうでした。いろいろ話した結果、佐貫駅の構内ならば利用者も多いし便利だからよいのではないか、ということになりました。

 それからさらに1か月くらいして出勤途上の奥さんが電話してきました。「あなた、見てちょうだい。駅のポスト変わっていたわよ。私笑っちゃったわよ。」 私は郵便物を持って見に行きましたよ。あるある、横長のいかにも新しい感じのポストが。おお、口はひとつしかないが大きいぞ。郵便物を入れようとしたらあまりに大きいので手を食べられてしまいそうでした。これならA4だろうがB4だろうが十分入りそうです。

 文句を言ってから約2か月、お役所にしては迅速な対応と言えましょう。ちょうど国会で郵政省民営化の論議が佳境に入っていたことも幸いしたかもしれません。竜ヶ崎郵便局長さん、郵政なんとかサービスのおじさん、どうもありがとう。 皆さん、常磐線佐貫駅前のポスト利用してあげてくださいね。

 「さぬきの駅の郵便ポストさん、あなたの口はどうしてそんにな大きいの?」「それはね、それは・・・・・」

 

 

 

空から飛行機が降ってきた

  

 昨年の8月、私たちが岡山の山陽団地から竜ヶ崎ニュータウンに引っ越してきた数日後のことである。 お盆も過ぎてやや気温は下がったもののそれでもけだるい午後だった。私は家の前の空き地に伸びに伸びきった雑草を鎌で刈っていた。 するとけたたましいサイレンの音が近づいてくる。消防車が血相を変えて飛んでいった。あたりをながめたが煙が立っている様子はない。その5分後くらいにもまた一台。その頃になると遠くの方でもあちらこちらでサイレンが走っている。

 私はどうもおかしい、と思いもう一度あたりを見回したがやはり煙は見えない。その内収まるだろうと思いながら鎌を取り上げて再び動かした。家の中から声がした、「あなた、岡山からFAXよ。竜ヶ崎で飛行機が墜落したんだって。テレビでやっているらしいわ」

 急いでテレビを付けると一局だけ5時のニュースをやっていて現場が写し出された。テロップには「茨城県竜ヶ崎ニュータウン」とある。アナウンサーは「民間機と自衛隊機が衝突して墜落、乗員は全員死亡したもよう」と報じる。ニュータウンのどこだろう。再度テロップに「蛇沼」の文字が見える。ニュータウンの西北の端の方だ。これは急いで駆けつけねばならぬ。それにしてもわずか4キロ程しか離れていない事故を岡山から知らされるとは。

 小学校5年生が空き地で遊んでいた。「健太郎、飛行機が落ちた。自転車で行くぞ」「よしっ!」 2人はそれぞれ自転車にまたがり現場と思われる方向に走り出す。その頃には上空にはマスコミのヘリコプターが何機も南から北に向かって飛んでいく。引っ越してきたばかりで道が分からない。ともかくヘリが旋回している方向へとばす。大通りを抜けて住宅地に入ると突然ニュータウンを抜けてしまった。目の前は沼である。その上空でヘリが10機ほど旋回している。映画の1シーンを見ているようだ。しかし、この先進めない。

 「お父さん、道間違ったよ」「間違ったわけじゃない。道がないだけだ」 ともかく本道に引き返し現場を目指す。ある通りに入ると人と車が一杯だ。この近くに違いない。人と車をかき分けて進むが、ついに自転車すら通れないくらい人があふれた。「お父さん、自転車を乗り捨てよう」「おお、そうしよう」 近くの空き地に自転車を移動し、2人で小走りに駆け出す。

 集合住宅の団地が立ち並ぶエリアに出た。大変な人である。公園があり、その入り口にはロープが張ってある。警官も見張っていて入れない。しまった遅かった。大きな公園なのでともかく公園のへりに沿ってしばし歩いた。他の入り口が見つかり、門は閉まっているが、監視は立っていない。ここにも数人のやじ馬が中をのぞいている。「健太郎、柵を乗り越えて入るぞ。」「お父さん、それはよくないと思うよ。」 なかなか常識的なやつである。「親戚が巻き込まれた、とか何とか言えばいいんだよ。」「うーん、だめだと思うな。」 これ以上この子を説得するわけにも行かない。

気がつくとあたりはもう真っ暗である。お盆を過ぎると日が沈むのが早い。仕方ない引き上げよう。私設救援隊、何もできずにすごすごと帰っていく。

 この事故で、自分が新しく住む地域が見えてきた。西に1時間程行けば成田空港、北に30分で昔の予科練、今の自衛隊基地、市内には民間飛行場。 首都東京から50キロ、住民にとってやっかいな飛行場はこの辺に集中しているのだ。 かつてはこのあたりは林と畑だけの土地だった。 ニュータウンの自治会は一致して市長に対して、飛行機は住宅地の上空を飛ばないように申し入れた。これに対してはあいまいな返事しか返ってこない。飛行場にしてみれば、自分たちの方が先住民だと言いたいだろう。後から家を建てたのはあなたたちだ、と。

 ここからさらに北北東に50キロ行くと鹿島灘に出る。そこには原発が密集している。飛行場も原発もその受益者のほとんどは東京の人々である。東京にとってやっかいな施設を茨城に押し付けているのである。

 この事故では民間機の1人と自衛隊機の4人の命が失われた。合掌。

(1998.4.14.)

 


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