【第15回】文化人類学から経済を考える

経済といえば、一般に、お金にまつわる現象である。
そして、経済を研究するのは経済学だとされる。

しかし、経済学は、じつは、経済をめぐる社会現象に対しては十分答えてくれていない面もある。

文化人類学をとおして経済を研究してみる。

いったい、どのようなことが見えてくるだろうか?
それが、今日の授業の目的である。 

経済学における<貨幣><交換><贈与>を順に取り上げて、
それぞれに、<石貨><クラ><ポトラッチ>を対置させてみよう。



貨幣


【貨幣とは何か?】

貨幣
とは、商品交換の媒介物で、
価値尺度流通手段価値貯蔵手
三機能をもつもの(『広辞苑』より)。



人間は、相互に有機的かつ複雑な関係を結んで社会を構成している。

社会では、生存のために必要となる食料など
生産物の生産と消費が行われているが、
生産力が高まると剰余生産物を巡る交換や分配が行われるようになる。

それらの活動がもたらす社会における相互の関係性が経済である。

現代経済においては、
交換には貨幣が伴っている

生産、流通、交換される物財は
商品と呼ばれ、
商品には、食料や衣服等の
の他に、
法律相談や郵便配達等の
サービスや、
証券等の
権利や、情報も含まれる・・・・

貨幣とは、価値の尺度であり、商品の流通手段であり、
それを蓄えることで、価値を所蔵する。



【私たちの経済活動のイメージ】

消費税増税



マネーゲーム



低価格競争



貨幣の歴史



悪い奴にゃ、銭を投げろ!
銭形平次





上に示した貨幣の見取り図を踏まえて、
ヤップ島の石貨について見てみよう。


【石貨(stone money)】

ヤップ島の石貨



大きいものは直径2メートル

・パラオまで出かけて、石を切り出して、丸く削って持ち帰った

・代々伝わる石貨には、
名前があるものもある。

・海に落としてしまった場合、場所が分かっていれば、貨幣として通用する。

・別の何かと交換する場合、
場所を移動しない
=名義だけ(誰某の所有)が移動する。

買い物には使わない

お礼やお詫びのさいに、相手に贈る。

石貨を動かす



(1)道端においても誰も持っていかない
(2)名前がついている
(3)買い物には使わない

石貨は、私たちが使用している
貨幣とは異なる。

はたして、それは、
貨幣なのだろうか?

ある意味で、わたしたちは、ヤップに
貨幣の多様なあり方を見ることができる。

私たちの貨幣は、経済学に偏った貨幣観ではないか?

ヤップ島の石貨は、この説明にあてはまらない。

*石貨は、必ずしも商品交換の媒介物ではない。(3)
*それは、流通手段ではない。(1)

そもそも貨幣とは何か?




交易


【交易とは何か?】

交易とは、
互いに品物を交換して商いすること。
(『広辞苑』より)

商い=商業
商業とは、商品の売買によって生産者と
消費者との財貨の転換の媒介をし、
利益を得ることを目的とする事業。

となると、
交易は、利益を得ることを目的として、
互いの品物を交換することとして理解されている

ことになる。


この点を踏まえて、トロブリアンド諸島で行われていた
クラ交易を見てみよう。


【クラ(kula)】


マリノフスキー
『西太平洋の遠洋航海者』(1922)



クラでは何が行なわれているのか?

・それは、

トロブリアンド諸島における
交換(交易)ネットワーク
のこと。

マリノフスキーとクラ



クラ航海のカヌー



・誰もがクラに参加できるわけではないし、勝手に交換してはいけない。

・隣の島の人びととクラを行うために、カヌーの船団を組織して、
危険な航海を成功させなければならない。

・出発の際には、安全祈願の呪術を行う。

・交換される財(ヴァイグア)は二種類。

白い貝の腕輪
(ムワリ)
時計と反対回り
赤い貝の首飾り
(ソウラヴァ)
時計回り



・特別なヴァイグアを所有することは名誉であり、
危険な航海をともなうクラに参加することが、英雄的な行為として認識されている。

・それは「交換のネットワーク」であると同時に、
信仰や儀礼、神話や物語、信頼や名誉などが埋め込まれた複雑な関係でもある。

・クラで交換されるヴァイグアは、貨幣のような働きをするが、
けっして貨幣ではない。

クラ交換(交易)は、
取引であっても、売買ではない。


クラは地理的広がりからいっても、その構成要素の多様性からいっても、
極度に大きく複雑な制度である。

それは多数の人びとを結びつけ、たがいに関係しあった諸活動の
巨大な合成物をその内容とし、こうして一つの有機的全体を形成する。

クラは、財の交換(交易)という経済活動
というだけでは捉えることができない。


それは、島と島を結ぶ社会秩序の形成と持続の機能も果たす制度でもあるのだ。




まとめ

トロブリアンドでは、交換(交易)は、
呪術、威信、冒険などの社会活動からは切り離されない。

それは、利益を得るために行われる独立した経済活動ではない




贈与


【贈与とは何か?】
贈与とは、金銭・物品などを贈り与えること。

(『広辞苑』より)


ここでは、北米インディアンのポトラッチ
の習慣を取り上げて、人間心理の複雑さに迫ってみよう。



【ポトラッチ】


・アメリカ北西太平洋岸のトリンギット、
ハイダ、チムシアン、クワクワカワク
などの集団



クワキウトル(クワクワカワク)の舞踊



トーテミズム

クワキウトルのポトラッチ





・ポトラッチとは、
子どもの誕生、首長の就任、葬儀などで、
近隣部族を招いて大量の財をふるまう習慣
 =競覇的贈与

・贈与をおこなうさいのモットー
気前のよさ、寛大さ

・食料や毛布などを提供することで、贈り手の威信が高まる。

贈り物を受け取った相手もうかうかしていられない。

受け取ったもの以上のものを送り返して、
自分の威信や面子を保たなくてはならない。

・人びとは、威信や面子を高めるためにより大量の財を贈る。

受け取った相手はまた贈り返す。

贈り返された相手はまた・・・

そのうち、お返しを期待していないことを示すために、
持っている財を破壊する。

すると、相手は、より以上の財を破壊する。

それを見た相手はまた・・・


ヒマラヤスギの皮から作った強力な糸で織ったブランケット、沢山の飾りをつけた篭、毛皮、服を贈ったり、破壊した。

貴重な魚油を燃やして、豊かさをひけらかすこともあった。

棒で奴隷をなぐり殺して、その数を競い合ったことも合った。

一人の女性が何ヶ月もかかって織り上げるブランケット4000枚以上の値打ちがある、所有者を守護する銅版を破壊し、海に放り込むこともあった。

それを見た者たちは、
「おお、あの首長はなんて気前がいいんだ!」と感動した。




ポトラッチ
を行うような
人間の心性とはどのようなものか?
 




ジョルジュ・バタイユ



エミリー・ブロンテ、ボードレール、
ミシュレ、ウィリアム・ブレイク、
サド、プルースト、カフカ、ジュネを
取り上げて、文学作品とは、邪悪の極限に
迫ることだと論じる。




 『呪われた部分』

経済活動を人間の生命活動の一環とみなして、
人間は過剰なエネルギーを
「蕩尽」する、熱狂的な動物であると考えた。

蕩尽(consumation)とは、エネルギーを溜め込んでおいてから、
あるときに一気に破壊して、目くるめく陶酔を味わうこと


  
セックス、死、戦争、経済・・・は、その意味で、
人間の「呪われた部分(la part maudite)」という本性から湧き上がる活動
なのである。

贈与は、たんに、金銭・物品などを贈り与えるだけの行為ではない。

そうした行為を含む経済行為は、人間の本性と関わる行動なのである。




まとめ


(1)石貨

それは、わたしたちが慣れ親しんでいる貨幣とは大きく異なっていた。

持ち運べないし、買い物には使えない。

このことによって、わたしたちの貨幣観は
相対化される。

貨幣とは、いったい何なのか?
そのことから考えてみなければならない。



(2)クラ

それは、儀礼、呪術、威信、冒険などの複雑な活動のなかに
埋め込まれた活動であり、たんなる交換・交易ではない。

交易とは、たんに、利益を得るために行われる活動ではない。

交換・交易について、考え直してみる必要がありそうだ。



(3)ポトラッチ

それは、贈与の極限的な形態である。

競覇的に贈り物をし合い、あるとき、それが破壊や殺戮へと転換する。

溜め込んだものを一気に放出して陶酔や快楽を得るという、
人間の根源的な部分が現れたものであり、それは、たんなる贈与というような
経済的行為の枠組みでは捉えることができない。

贈与を、バタイユ的な観点から捉え直すことは、
人間とは何かを考えてみることにつながるだろう。



貨幣、交易、贈与・・・などの経済学用語
として知られる領域は、いまだにその全容が解明されない
人間世界の不思議を秘めている。

わたしたちが、経済学の外部へとはみ出して、
「経済行為」を考えるならば、人間の探究へとたどり着く。


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