【第20回】通過儀礼とは何か?


今日は、儀礼で何が行われているのかに立ち返って、
とりわけ、通過(移行)という点に焦点を当てて、儀礼について考えてみよう。

第一に、ヴァン・ジェネップの通過儀礼論(三局面説)を紹介する。

第二に、具体的な儀礼の諸事例のなかに、儀礼の三局面を確認する。

第三に、通過儀礼の人間にとっての意義について考えてみる。


【儀礼論】



アーノルド・ヴァン・ジェネップ
(1873-1957)



『通過儀礼』
A・ジェネップ著
秋山さと子・彌永信美訳
新思索社


儀礼の三局面








【通過儀礼の諸事例】


成人儀礼

オーストラリア・
アボリジニの成人儀礼

● 男

(S) bull-roarerという楽器の音とともに少年が母親から引き離される。
(T) 超人間的な存在によって殺されるかもしれない恐怖とともに森の中に数ヶ月から数年隔離され、神話や儀礼の手順を教わる。
(I) 再び村に戻って、一人前の男として認められる。

● 女


(S)
初潮後、数日間隔離される。
(T) タブーを課せられ、女性の領域の知識を授かる
(I)
村に戻る。

そのような儀礼を経て、

分離 過渡 統合
男の子 大人の男
女の子 大人の女

へと(再)統合される。



オーストラリアの
アボリジニの成人(男)儀礼

Young Yanyuwa "daru" or initiates are
slowly walked by a group of men
to a place where they will be "smoked",
a few days after their circumcision in Borroloola,
near the south coast of the Gulf of Carpentaria
in the Northern Territory.

The initiates have to stand in the smoke of a fire,
made with green leaves.

Their sisters are present,
but are not allowed to look at them,
so they cover themselves.




ニューギニア島
セピック川流域の成人儀礼


少年たちは悪霊と闘い、打ち倒す

グレゴリー・ベイトソン
"Naven"







アメリカ先住民の女になるための儀礼





成人儀礼には、成人するための精神的・
肉体的な鍛錬が必要とされていた。
(cf バンジージャンプ)

現代の日本の「成人式」は、
参加するだけのたんなる行事になってしまって、
儀礼の持つ本来の意味が失われているのでは?

成人式で模造刀所持の
少年の逮捕について。
2011.01.09






じゃ、死の儀礼(葬儀)はどうなのか?

人は死んでしまったら終わりではないのか?

ヴァン・ジェネップの説は、死の儀礼にも適用することができるのか?


死の儀礼(葬儀)

ボルネオ島ブラワン社会における複葬(複数回死体処理を行う)


ピーター・メトカーフ
リチャード・ハンティントン
『死の儀礼:葬送習俗の人類学的研究』
未来社





(S) 人が息を引き取った時点で儀礼を行う



(T) 遺体が白骨化するまでの期間

魂は死霊となってあたりを
さまよって災いをもたらす

(I) 白骨化した時点で洗骨し、
骨を別の場所に安置

“secondary burial of the dead”
=死体の第二次埋葬







つまり、死の儀礼とは、
個人を生者であることから分離し、
その後、個人をあの世へと統合するためのものであった。


人は、死の儀礼を行い、あの世にきっちりと送り込むというプロセスをつうじて、
かけがえのない存在を失った悲しみを癒すことにもなる。



インドネシア・
バリの葬儀




人が死ぬと、
葬する。

一定期間の後、
二次葬としての葬儀が執り行われる。

遺体をそのままにしておくと、共同体に災いが
もたらされると考えられている。

二次葬では、墓を掘り起こして、骨を洗い、もとの形に並べ直す。



その後、盛大に
葬する。



最後に、
火葬した灰を、
に流す。

バリの葬儀には、

土・火・水
という三つの要素がある。

そうした複雑な儀礼をつうじて、
死者をあの世へと送り込む。



日本の葬儀を考える






島田裕巳『葬儀は、要らない』



・日本の伝統文化がいま変容しつつある。
・「葬式が要らない」という主張ではなく、
葬式がいまの日本で、無くなろうとしているということ。
・日本では伝統的に家で葬式をやっていたが、
外でやるようになり、業者が担い手となって、お金をかけるようになった。
・バブルの時代、大規模葬式が多くなり、費用が膨らんでいった。
・他方で、
直葬(火葬)とは、通夜・告別式をせず火葬を行うこと。
・いま、直葬が増えてきている。
・高齢化社会になって、
死者数が増え、葬式が増えている一方で、
高齢者は付き合いもなく、かつてのような社葬もなくなり、
参列者がどんどんと減ってきている。

日本において、いま、高齢化や社会環境の変化に影響されて、
葬儀は「無くなろう」としている。




【通過儀礼の意義】


人の一生と通過儀礼


人間の一生とは、自然状態においては、
生殖細胞が分裂し、人として生まれ、
その後、消滅する過程
にすぎない。

しかし、人間は、たんに年をとっていくだけの
私たちの一生に働きかける。

自然に任せて年をとっていくだけでなく、
理想や目標の実現を目指して生きるとか、
人生設計をして生きるためには、まずは、自分の一生に
ついて考えることができなければならない。

自分の一生について考えるとは、
かたちのない一生にカタチを与えることに他ならない。


いったんカタチが与えられると、実在するかのように感じられる。

だから、早く大人になるようにがんばったり、
年をとらないように身体を鍛えたりするのである。



本来区切りのない連続的な成長と老化の過程(自然状態)に、人工的な境界を設定して、
文化的な存在としての人となるために、
人生儀礼(通過儀礼)を行う。

それは、個人にとって必要なことであり、また、社会において必要なことでもある。

赤ん坊⇒幼稚園⇒小学校⇒中学校・・・






第3回フィードバック

Q.第18回、20回で儀礼をめぐる用語として人生儀礼と通過儀礼の2つを学びましたが、通過儀礼(人生儀礼)と示されていたのはどうしてですか。(LA3年)

A.人生儀礼(誕生儀礼、成人儀礼、結婚式・・・)のなかに、ある状態から別の状態へ移行するという通過儀礼の側面が端的に見られます。その意味で、通過儀礼は人生儀礼のことであるとして理解することができます。

Q.日本の憑き物の特徴として、流動的な社会組織に見られる、貨幣経済の流通で富を獲得した家系が憑き物筋として語られる、その結果その家は没落し、共同体は経済的に均一化されると説明されていました。私はこの説明を聞いて、憑き物の「正体」は人間のねたみの気持ちなのではないかと思いました。この解釈は間違っていないでしょうか。またもしそうだとすると、日本以外の国や民族、それに社会でも、人のねたみから生まれた(またはそう考えられる)概念は存在するのでしょうか。(LA3年)

A.憑き物、あるいは憑き物筋の正体は、人間のねたみであるというのは、その通りだと思います。ある家系が憑き物筋であると決めるのは、その家系が富や財産を獲得したために、ねたみを感じた人たちだからです。

ジョージ・フォスターという人類学者が、地球上の社会で起きる同様の現象を、「限定された富のイメージ」という概念によって整理しています。それは、共同体のなかで、ある家族が突出して富を蓄積すると、富の量は限られているかのように、その他の家族は被害者意識を抱くようになり、富を蓄積した家族が非難されたり、問題視されて、やがて衰退していくというものです。ねたみという感情から、ある家族の突出は抑えられ、やがて、社会は平準化するのです。

Q.憑き物についてやりましたが、海外でもシャーマニズム以外に日本のような動物による憑き物の事例は存在するのでしょうか?また、犬神の憑き方は有名ですが、他のはどのような理由で憑かれるのですか?
P.S. 他の授業で、第5回内国勧業博覧会で起こった人類館事件に人類学者が関わっていたと聞きました。どのように関わっていたのでしょうか?(BM2年)


A.日本の憑き物現象は、憑霊現象の一つです。動物霊を含む様々な霊的存在が、人の身体に取り憑くことが報告されています。「どのような理由で憑くのか」というよりも、一種の精神的な錯乱状態が、伝統的に知られる様々な動物霊の憑依によって説明されるということです。

また、「第5回内国勧業博覧会で起こった人類館事件に人類学者が関わっていた」ことに対する質問ですが、明治36年に行われた、大阪での内国勧業博覧会で、人類学者である坪井正五郎が、人類学を人びとに啓蒙する絶好の機会と捉えたようです。彼は、「学術人類館」における、沖縄人、アイヌ、タイヤル(台湾)などの「人間の展示」の発案者ではなかったけれども、主導的役割を担ったとされます(山路勝彦編著『日本の人類学』15頁、関西学院大学出版会)。



文化人類学で何ができるのか、どう考えることができるのか?


文化人類学の授業のページへ