配分単数と配分複数
Our rooms are a mess.かOur rooms are messes.か。

英語の名詞をきわめる補遺 | Home | 大学教授による盗作の例

次の文はおかしいという人がいますが。。。
? These rooms are messes.

私は、拙著の中でmessesは間違いで、a messが正しいという意見を紹介しましたが、本を出版した後で、これも配分単数の例だと思われますので、もしかしたら、個々の部屋が散らかっている状態でそれが複数あるのだから、配分複数のmessesが正しいという人もいると考えるに至っています。
(配分単数/複数については、状況によってどちらにもなる、というのが私の最終的な結論です。==>Nose | Cars have a wheel on the back)
ただし、in a messのようなイディオム的表現はそうとは限りません。I have a cold/sniffle.


Rakuten 2 amazon 春風社 Shunpu-sha
Rakuten Rakuten 2


もう一つ紹介した例として、
They have a cute nose.
があります。(p.115) ==>nose/noses
しかし、これは絶対におかしい、They have cute noses.でなければいけないと主張する英語母国語話者もいます。これはこの場合の配分単数は受け入れられない、という立場になります。
あるいは、They have glib tongues/a glib tongue.(口がうまいひとたちだ。)も集団と考えるかその集団の個人個人と考えると、この問題が生じます。

英文法書をもう一度読み直してみた結果、messesでもよいのではないかという根拠の一つとして、次の英文法学者の見解を見つけました。(私は英語を母国語としている人間ではありませんので、自分自身の英語の直感については多くの表現において自信がありません。しかし、特に母国語話者によって記述された文法というものはそういう直感の不足を補うものであり、直感を肯定したり、あるいは矯正するものでもあると考えています。母国語話者もどちらともいえない、どちらもよいとしか答えられないこともあることでしょう。

(1) Huddleston and Pullum
 messという単語は、The Cambridge Grammar of the English Language (Rodney Huddleston and Geoffrey Kelly Pullum, Cambridge University Press, 2002)という文法書の中で、nouns denoting neutral propertiesというカテゴリーの中に入れられています。中立の特性というのは、配分に関しては、個々にも、セットとしてものどちらにも用いられる特性を持っている名詞ということです。
 このページでは次の例が挙げられています。

Our neighbour is a nuisance.
Our neighbours are a nuisance.
Our neighbours are nuisances.
(p. 514)

nuisanceと同じ範疇の語として、次の例が挙げられています。

delight / disgrace / embarrassment / godsend / mess
/ obstacle / pest / pigsty / problem / tip

これらを使って文を作ると分かり易いでしょう。

disgrace (不名誉、不名誉な人)

This corrupt leader is a disgrace.
These corrupt leaders are a disgrace.
These corrupt leaders are disgraces.


tip(ごみため)を使うと、(ここではmessと関連付けてごみためとしましたがが、もしかしたら、ウェイトレスにチップをあげるのチップかもしれません。どちらにしても可算名詞ですから、配分関係が問題になります。

The room is a tip.
The rooms are a tip.
The rooms are tips.

レストランなどでチップをやる場合。
I gave the waier a tip.
I gave all the waiters a tip/tips.

messはこの配分的中立のカテゴリーの表に入れられていますから、単数配分的にも複数配分的にも使えるということを示唆しています。

This room is a mess.
These rooms are a mess.
These rooms are messes.

しかし、三番目のThese rooms are messes.はおかしい、These rooms are a mess.であるという英語母語話者もいます。
また、そういうひとでも、They have a cute nose.はおかしい、They have cute noses.でなければいけない、とも言います。
視点の持ち方、主語をひとりひとりと考えて、その全体(複数)あるいはその一人(単数)と考えるかがこれまでの自分の慣用によって決まっているのだと思います。つまり、どちらでもよい場合があるということですし、また、messという単語は「散らかり状態」という不可算的な名詞としても使われますし、同じ意味ではa messというのが強い結びつき傾向をしめしていますから、These rooms are all a mess.と考えることも自然です。それに対してnoseという単語の特性は完全に可算名詞ですから、複数主語には複数目的語であるnoseseを使うべきだという判断はnorm(標準的基準)として正しいのでしょう。
下記のQuirkの説明では、配分複数が標準的だとあります。でも、個々人を強調すると配分単数もありとします。ですから、どちらも使われることになります。どっちが正しいのだと突き詰められれば配分複数が用いられるべきであろう、という答えになります。しかし、慣用的には地域の話者集団や個人によって判断がことなりますので正誤は決められません。

ノンネイティブにとってネイティブの人に聞けばよい、というのは、たまたまどちらかを容認する人に聞いた場合も起こりえます。地域差もあるでしょうし、個人差もあります。ある程度多くの人からの回答を得れば傾向は得られるでしょう。
日本語の「十戒」は「じっかい」でしょうか。「じゅっかい」でしょうか。話し言葉ではどちらでも気にしません。書く場合も漢字で書けば気になりません。文法書ではどちらかに決めるか、どちらでもよし、と記述しなければいけません。

in a messはイディオムとして使われて、in messesとはなりません。
また、messがゴミの山とか、失敗とか失敗作あるいはだらしないやつの意味ですと、複数形がふつうに使われます。

I think finding characters who are flawed and who are messes are the most fun to play .
(欠陥だらけでゴミみたいなどうしようもない人のなかから変わり者を見つけ出す遊びをするのが一番楽しいと思う。)

「混乱状態」「手の付けられない状態」の意味でも複数形が使われます。

So if we have 1 general bishop spread over most of the US, and our real bishop hasn't come to us in 5 years and counting, who benefits from this? As someone mentioned, Virginia is a mess, Northern and Central Jersey are messes (Bishop Karas announced he was directly in charge of one of the churches back in August.... guess not anymore?) and we need direct oversight or guidance.

この三つの研究室は三つとも全部「ゴミ屋敷」だ、などという時には、可算的に複数的に視覚化できるのではないでしょうか。そういう視点を持つと配分複数になります。(規則は規則だ。=演繹的考え方です。)
どれもこれもそれぞれが、という意識を持つと、a messになると思います。それが慣用となるとイディオムとして固定して行きます。(みんなが使っているからたぶんそれでいいんじゃないか。=帰納的考え型です。)

These three offices are messes/a mess.

shamblesについては単複同型名詞ではなく、複数形がないために配分的(distributively)には使えないとしています。

This room is a shambles.
These rooms are a shambles.
*These rooms are shambles.

しかしながら、shamblesについては、複数形が本当にないという解釈でよいのか私には疑問です。単複同形という解釈も私にはあると思えるからです。

This room is a shambles.
These rooms each/all are a shambles.(単数として).
All these rooms are shambles.(複数として).
というように、副詞のeachやallを分離数量詞的に使うことは可能だと思われるからです。もちろん、allは配分単数的にも、複数的にもどちらにも使えます。

しかしまた、個別性を強調するときに、配分単数が現れてくるという文法学者もいます。「分かった人、手を挙げて」のRaise your hand(s). 「アンケートをやってきてね」Fill out your questionnaire(s).など、全体か、個人かという視点の問題でもあると思います。

(2) Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech and Jan Svartvik : A Comprehensive Grammar of the English Language (Longman, 1985)
distributive singularとdistributive pluralの述語が使われているのは、この文法書です。
Distributive number(p.768)では次のように説明されています。


The distributive plural is used in a plural noun phrase to refer to a set of entities matched individually with individual entities in another set:(p.768)
(配分複数は、複数形の名詞語句によって用いられるもので、一組の物あるいは人物のひとつひとつあるいはひとりひとりが、もう一組のそれぞれの人物あるいはものにひとつずつ個別に対応する関係を言う。)
直訳すると意味が分かりにくいのですが、「配分複数とは、複数主語となるもの(entities=We/You/They/The boys/The roomsなど)に対して、その補語あるいは目的語となるもの(entities=cameras/hands/messesなど)に名詞の複数形を使うことによって、文の複数主語となるもの(entities)が、ひとつあるいは一人ずつ、その目的語あるいは補語になるもの(entities)と個別に一組ずつの対の対応関係(matched individually)を持つことを示す」というのです。これでもやはり、わかりにくい。図解すると次のような対応関係です。

主語 -----------------------目的語あるいは補語
We have cameras. | The rooms are messes.
I 1-------camera 1 | The room 1 -----a mess 1
I 2 ------camera 2 | The room 2 -----a mess 2
I 3 ------camera 3 | The room 3 -----a mess 3
: ……………………….| ………………………………:
I n ----- camera n | The room n -----a mess n

私には、最初の文はWe have cameras.とした方がよいように思えます。

二番目の文はいかがでしょうか。

 この文法書に揚げられた文例をみるとどちらでも可能であるということが分かります。もちろん「みんなが鼻をかんだ」というような場面のように、場面と文脈によってはどちらかが適切な場合もあるはずですが、どちらを選んでもまちがいではない。ただし、配分複数の方が標準的ということです。でも、イディオムはそうとは言えません。
 次の二つの文はどちらでも配分複数を使っています。そしてその方が標準的(the norm)と記されています。

Have you all brought your cameras? {Each has a camera.}
みなさんそれぞれカメラを持って来ましたか。

Hand in your papers next Monday.{Each has to hand in one paper.}
来週の月曜日にレポートを提出してください。

配分複数が標準(the norm)ではあるけれども、配分単数も可能で、個別性を強調する時には使われるとしています。
配分単数の例として以下が挙げられています。複数形も同時によしとしています。

The students raised their hand(s).
学生たちは手を挙げた。
All the children have their own bicycle.
学生たちは皆自分の自転車を持っています。
All the children have their own bicycles. [one bicycle for each] (p. 383)
We all have good appetites.
We all have a good appetite.
Their noses need to be wiped.
Their nose needs to be wiped.

イディオムによっては、単数形だけが正しいとも説明しています。

They can’t put their finger on what’s wrong.(*their fingers)
かれらは何が間違っているのか指摘できない。

また、時には、曖昧性を避けるためにも使われることがあるとも書いてあります。(p.768)

Students were asked to name their favorite sport.

Children must be accompanied by a parent.

私達英語学習者も、個別性を強調するという理由と、曖昧性を避ける、というふたつの意識が働いて配分単数を使うのかもしれません。
また、日本人が学ぶ英語では、名詞の複数をあまり使わないため、複数での呼応という概念が日本語では希薄であり(りんごを子供たちにあげましょう、の場合のりんご)、英語に表出する場合に、結果的に配分単数の方を無意識に選んでいるという可能性もあります。それは日本語を母語とする私の言語感覚であり、証明はできません。
「子供達にリンゴをやってちょうだい」という状況はどうでしょうか。

Give the children an apple.
Give an apple to the children.

日本語で、「子供たちにリンゴを与えなさい」という場合、もしひとりに一個ずつであればそのように明言するでしょう。あるいは、かごにいっぱいのリンゴかもしれません。あるいは、目の前に切ったリンゴが皿にもりつけてあるのかもしれません。子供の数や文脈によってリンゴの数あるいは量とが異なり、あるいはリンゴがどのような携帯でふるまわれるかが異なるのですが、それぞれの状況に対して「子供達にリンゴをやってちょうだい」という同じ表現が使われても構いません。
Give the children apples.と英語で言う時の日本人の頭の中ではどのような配分がなされているのでしょうか。ひとり一個ずつということを明言する場合には、Give all the children an apple.やGive them apples. Give them the apples. Give them the sliced apples.などと、それなりに工夫するでしょうか。それとも、日本語につられて、Give them apple.と言う人も多いかもしれません。

イディオムの中には主語が複数でもそれに対応する語句の「呼応」はしないものがある。
Quirkでは、次のような例が挙げられています。最初の文は複数もあるかもしれない、ということで配分複数にはクエスチョンマークがついています。これはopen mindが可算名詞で個々の人物が持っている物と考えると複数形もありではないか、という考え方が成り立つからではないでしょうか。二番目のspleenは脾臓のことですが、鬱憤だと不可算名詞ですから、複数にすることはできません。しかし、三番目のfingerは可算名詞ですから複数形はあるのですが、fingersを使えないとしています。

*は非文法的な文です。あるいは、norm(標準的)ではありません。
We are keeping an open mind.(?open minds)
私達は柔軟な考えを持ち続けている。
They vented their spleen on him. (*their spleens)
かれらは彼に当たり散らした。
They can’t put their finger on what’s wrong.(*their fingers)
かれらは何が悪いかを的確に指摘することができない。

英語学習者がよく知っている例としては、have/catch a coldが分かりやすいでしょう。*About ten thousand people caught colds.とは言えません。

その他に、私が挙げられるイディオムの例としては,(物理的で外延的な文字通りの意味から抽象的で原義とは異なる意味として慣用的に使われる句をイディオムと考えると)

She put her foot in her mouth.
へまなことを言った。
(物理的外延的な文字通りの意味は「口に足を入れる」。)
*They put their feet in their mouths.

All of them kicked the bucket.
かれらはみんなくたばった。
(文字通りの意味はバケツを蹴る。)
*All of them kicked the buckets.


He pulled my leg.
かれは私をからかった。
?He pulled our leg(s).
かれは私達をからかった。

Our daughter is the apple of our eye. (?our eyes)
私たちの娘は私たちの目に入れても痛くない程かわいい。
?My daughters are the apples of our eye .(?our eyes)

He walked the plank.(舟の上で処刑される)
の場合、plankを複数にするためには、舟がいくつか必要ですが、そういうべつべつのplankを歩く時でも、「処刑される」という慣用的な意味として用いられていますから
*Five men walked the planks.
とは言わないのではないかと思われます。バケツを蹴る場合も、複数の処刑される人間が同時に複数のバケツに乗っているような場面ではどうでしょうか。文字通りの意味が全く変わっているイディオムですから、単数のthe bucketだと思われます。この辺は配分単数的に処理した方がよいのでは。

上記の例から考えてみますと、イディオムを除いては、二つの用法は話者の視点の持ち方によってどちらにもなりうるのではないかと思われます。
英語のクラスでassignmentをやってくるように言う場合、手を挙げるように言うとき、どちらを使うでしょうか。英語母語話者によってばらつきが出るのではないかと思います。Quirkらの例はそれを示しています。
The students raised their hand(s).
一人の生徒に対してはどうでしょうか。
The student raised his hand.
ふたりの生徒に対してはどうでしょか。 The two students raised their hand/hands.
20人ではどうでしょうか。 The twenty students all raised their hand/hands.

childhoodはどうでしょうか。
At least three of my classmates have unhappy childhoods.
The students told about their childhoods.
They were in Turkey in their childhoods.
yourにするとどうでしょうか。単数の場合は単数を使ってよいですが、クラスを前にして複数の人に向かって言う場合はどのようになるでしょうか。

英語母国語話者あるいはそうでない人たちが、いろいろな規則を提唱しています。たとえば、その動作が違った場所とか時間で行われることを想定している、などです。

たとえば、次の分のmouth,heart, lipsはどのように解釈されるでしょうか。

Matthew 15:8 NKJV. These people draw near to Me with their mouth, And honor Me with their lips, But their heart is far from Me.

そうするとひとりひとり、個別の動作ですから配分単数になるというのです。それは、文法的にはその場主義の合理的解釈で実用的ですが、後出しじゃんけんです。文を解釈する人の主観によって決まるからです。絶対的規則にはなりません。もちろん、I think all "mouth", "heart" in your sentences should be "mouths", "hearts" (their hearts are ...).という強い意見もあります。いわゆるnorm的意見です。

私は、どちらもありうるけれど、状況によって、また、話者の主観によって配分単数あるいは配分複数のどちらかが選ばれる、というJun-Japa non-native learner of Englishとしての意見に至りました。教える場合を考えるとそういう説明が学習者が納得するのではないかと思うからです。
100パーセントどちらかが選ばれる絶対的状況があるかどうかは検討していません。文自体はどちらの解釈にも行ける中立性があります。Allとかeachなどによってその傾きが変わります。We have a nose.とWe hae noses.の比較はどうでしょうか。We have a certain type of nose.とWe have a certain type of noses.あるいはWe have certain types of noses.はどうでしょうか。
We all have a nose.とWe all have noses.はどうでしょうか。We each have a nose.とWe each have noses.はどうでしょうか。最後の例は100%おかしいの例でしょうか。そうだとしても、それはeachの働きによるものでしょうか。もしそうだとすると、We have a nose. We have noses.という文自体は中立性を示していて、常識的事実(鼻はひとりにひとつなど)、そして状況あるいは副詞句によってどちらにでもなるということではないでしょうか。==>

We have a good wife.

ここでは、
Men usually want to have a good wife.

はgood wivesにするよりもよいのではないかという感想が書かれていますから、コンテクストによってどちらかに揺れます。目的語によってもこの揺れは変化するでしょう。例えば、life(人生、生活)は、

People always want to have good lives.

などは、配分複数側に大きく振れるのではないでしょうか。しかし、人生を共にする場合には、配分単数というよりも、単に共有単数(私の造語)とも呼ばれるべき単数が使われるでしょう。また、日本語の人生と生涯あるいは一生は同じ意味範疇に入りますが、英語の意味範疇と重なる所と重ならないところがあります。たとえばLife is short.は日本語ではどういう意味でしょうか。英語では不可算名詞の用法です。たぶん、英語母国語話者でもあまり厳密には分けていなくて、文章として無意識に使っていると思います。==>live a life/lives

Nose/Noses


There are comments in the pages above.
Logic in Grammar not always works. For example, you can say "their nose" in Russian. And that doesn't suggest that group of people share one nose. More than that: you cannot say "their noses" in Russian. It would be poor Russian. I searched the Internet and realized that people speak the same way in English (not always, but it happens very often). For example: Why do tennis players hold their hand up when they hit a net cord point and win the point? It doesn't suggest that all tennis players share one hand. Does it? Thank you. https://www.usingenglish.com/forum/threads/127367-their-nose-or-noses?s=59706efa483eebaa0afbd6f0e737eb20
Cover our ass(=arse) (身を守る)

のビデオの一番最後のことばを聞いてください。cover our assですが、これはcover our assesとしてもよいか。cover his/her/my ass/arseは単数ですから問題ありませんが、複数の人の尻の場合は?your/our/their ass/asses/
あるいは慣用的にcover your assという表現がよく使われているからイディオムとして単数を使えばよいのでしょうか。しかし、yourはひとりでも複数でも使えますが、cover our〜となると単数で受けると問題が起きそうです。どうぞ身近な人何人かに聞いてみてください。


 All rights reserved by Etsuo Kobayashi March 19th, 2016 
[total] [yesterday] [today]

八王子の私立大学教授による盗作例
春風社
Home | 補遺 1 | 補遺 2

Amazon