soup
soupは液体です。一般原理からすると、水と同じ液体ですから物質名詞です。ですから数えられない、と演繹(推論)できます。
それはひとつの正解です。例文としては、

This is soup.
I like soup.
There were two bowls of soup.

など、不可算の液体としてのスープです。


もうひとつの一般原理は、 物質名詞で普通はI like cheese.のように数えないのに、いろいろな種類を示したい場合には、cheeses and winesやThis is a good beer. のように、数えることができるという原理(規則)です。この原理からこれも演繹(推論)すると、soupは可算名詞でもあります。しかし、さまざまな種類を表す時だけの複数形ですから、bookなどの普通の可算名詞の複数形が表す意味とは異なります。Can we have two coffees?のような用法とも異なり、fruit/fruitsと同じ分類になります。(cf.juice/juices)

This is a different soup.
There are several soups on the table. (There are several kinds of soup on the table.)
Children don’t like them, but sliced raw Welsh leeks (きざんだネギ), as a condiment or a spice, go well with many soups.
(condiment=薬味)
ということは、次のふたつの文はどちらも文法的には正しいのです。二番目のsoupが可算名詞の場合は、ある種のスープという意味です。

This is soup.
This is a soup. (=a kind of soup)

Is this soup?
Yes, it’s a kind of soup. (=it’s a soup.)

演繹(deduction)=普遍的、一般的な理論、法則を個々の事象にあてはめること。定理=生あるものは必ず滅す。では、金魚は?花は?私は?あの人は。。。? 生きとし生けるものすべてに当てはまる筈です。ただし、数学の定理や自然界の物理法則は「必ず」ですが、言語は人造物ですからarbitrary(恣意的な)例外があって、必ずしもこの三段論法が当てはまる訳ではありません。当てはまるものそうでないものと、検証しながら修得することになります。

例えば、名詞の複数形には-s,-esを付け入るという文法的規則をすべての名詞に当てはめること。未知の名詞に対しても使うことができますが、だぶん、「ほとんど」の名詞に対してこの規則が有効であろうという感覚です。mouseやgooseの複数形は、この規則で演繹すると、mousesとgoosesですが、事実とは違います。


帰納法で考えると、soupを使ったたくさんの例文を集めてみます。すると、二つのグループに分かれます。
不定冠詞のaと一緒にa soupとなったり、soupsという複数形があることが分かります。こういう例文を集めて、帰納的に類推すると、これはsoupが可算名詞として使われているのだという規則を見いだすことになります。
もう一つのグループでは、冠詞がつかないで単数形として使われる例がたくさん集まります。そこから帰納的に、soupは不可算名詞で、物質名詞として使われているのであろうという推論が成り立ちます。
どちらも帰納的に導き出した原理あるいは規則です。帰納法は、例外があることがありますから、注意してください。この場合の例外とは、二つのグループの用法とは異なった第三のグループがあるかどうかです。たとえば、goodsのような複数名詞としての用法です。
soupの場合は、いつも複数形のsoupsとしてしか使えないような複数名詞としての用法はありませんから、最初のふたつの規則しかありません。つまり、ひとつひとつの例文を検証してみると可算か、不可算かの、どちらか一方の用法ということになります。
ただし、可算名詞の場合は、種類を表す場合のwines and cheesesのように、複数形のsoupsが使われます。これはgoodsのような複数名詞としての用法ではありませんので混乱しないように。

We have several canned soups.(可算)(=several kinds of canned soup(不可算))
缶詰のスープは何種類かあります。

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帰納(induction)=個々の事象を検証して、一般的、普遍的命題や法則、理論を導き出すこと。金魚が死んだ。おじいさんが死んだ。花が枯れた。。。故に、生あるものは必ず滅す。自然界では「必ず」です。しかし、言語においては「おそらく」と捉えているべきです。例外的、不規則的な例があり、また地域的、年代的な差異があって、私はそうは言わない、という場合があるからです。

例えば、個々の単語の複数形を観察して複数形には-s,-esを付けるという文法的規則を帰納的に導き出すこと。例外が出てきますので、100%正解の規則とはなりませんが、「ほとんどの」名詞には当てはまりますので、この類推(analogy)による抽象化、法則化は言語修得において未知の語彙、用法を理解する上でとても大事です。帰納的に導き出した法則は、今度は演繹的に使えるからです。vortex-->vortices/vortexes cactus-->cacti/cactuses


個々の経験、事象の観察から抽象化、法則化へ(帰納)。そして、その抽象化、法則化されたものが法則、規則、あたりまえのことと見なされ、その抽象化された規則、法則によって個々の経験、事象が検証され(演繹)、正しく理解されます。

検証によって規則に合わない場合は、ふたたび個々の経験、事象を集めて観察します。帰納-->演繹-->帰納-->…と循環しています。

言語の学習もこの循環です。あの表現、単語がここで使える。ここでも使える。あれ、じゃ、どうしてここで使えないのか?。。。ここで使うべき単語や表現はなに?そういう事例が多すぎて、なかなか覚えられないから難しいのです。

でもやっていることは単語や表現、語法をたくさん覚えて、それを類型化して、抽象化して単純な覚えやすい規則を作って、それをもとにさらにもっと単語や表現を増やして行く。。。するとまた新たな類型化と抽象化が必要になる。。。

理屈と実践、実践から理屈へ、理屈から実践への繰り返しです。両方必要です。It’s easier said than done.的なことを繰り返してすみません。まずは、実践への努力が必要です。しかしながら、母語ではなく外国語学習の場合は、理屈(理論、文法)が実践を助けます。さらにしかしながら、場面にあった実践と練習が足りなくて瞬間的に使えないのです。

時間をかけた紙の上での知識のテストから、その知識を使った瞬発的な技能の練習と学習が必要です。武道における実践から抽象、類型化された型の練習のような学習を何百回、何千回もするような方法がないものでしょうか。

しかし、そういう単純なものでもありません。教室で与えられるデータの量が少なすぎます。しかし、生身の人間は人工知能ではありませんから、扱うべき言語の膨大なデータの総体を短時間に一気に全部与えられても、理解、学習し、記憶し使えるようにはなりません。楽しい人生を送るため、また厳しい人生を生き延びるために、日本語で、外国語で、芸術的美的感性と体力と頭と創造力を使って学習、訓練、練習すべきことは他にも山ほどあります。どのような知識や技能の修得には言語が媒介とされます。特に外国語は生まれたときから自然に習ったことがない場合には、学習初期から少しずつ総体に近づけるように学習を続けなければ、読む、書く、話す、聞くことに満足できるほどは使えるようになりません。

使いこなせない外国語の学習環境の中で他の知識や技能を学ぶことは非効率です。 日本語の読み書きの努力は意識的無意識的に、少なくとも小学校から中学、高校まで続けられているからこそ、日本語を母国語としているひとは自分の日本語にある程度安心して、言語ではなく内容について理解し、語ることができるのです。それまでの努力と莫大な学習時間との日本語との日々のふれあいがあるのです。

外国語でも母国語と同じように、知識と技能、技術を獲得するためには努力できる能力と環境が必要です。環境をどのように作っていくか、日本語も外国語もそして他の能力も犠牲にしない環境を作ることなのですが、これもEasier said than done.で、難しいことです。今は運のよい人がそういう環境を与えられます。日本全体が義務教育の中で必要最低限の外国語教育が行われようとしていますが、それ以上の環境を持てる人は幸運です。義務教育での外国語教育のレベルをあげることができることを願います。でも、他の事柄が犠牲になってしまえば、中身のない英語教育になります。

そして、知識や技能を獲得した後に自分の人生で何を実現しますか。楽しく厳しくつらい学習や訓練は自分の身を立てるための手段を手に入れることでした。一人前になったら何をしたいですか。そのさらなる目的はまだ見えない人が多いことでしょう。また、手段がそのまま目的になることもあります。それはそれで趣味のように自分の生活を豊かにします。さまざまな能力を開花させ、自分のためそしてさらには他の人のために役立てることができれば幸せな人生ではないでしょうか。これもEasier said than done.です。


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