大学教授による典型的な盗作例

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この森の旅人の絵はhttp://coyoinunews.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1369710805715.jpeg.htmlからのものです。盗作の例ですが、本盗作記事とは直接の関係はありません。


この東京の八王子にある有名私立大学の教授の記事は盗用ではなく、完全な盗作です。単なる啓蒙記事で学問的論文ではないから、適当に他人のアイディアと論旨をそのまま使っても構わないというよこしまな心が透けて見えます。(私の論文と比較してみてください。論旨展開が全く同じです。)
次の定義をご覧ください。盗作盗用

「盗作(とうさく)は、他人の著作物にある表現、その他独自性・独創性のあるアイディア・企画等を盗用し、それを独自に考え出したものとして公衆に提示する反倫理的な行為全般を指す。「剽窃(ひょうせつ)」とも呼ばれる。オマージュ、パロディとは区別される。 盗作は学業不正及び報道倫理の侵犯と見做され、それに対しては罰金、停職、追放などの処分が行われる。盗作は必ずしも犯罪とはならないが、学業や産業の分野においては深刻な倫理、道義違反とされる。 学業の分野においては、学生、研究者、調査者によって行われた剽窃は学業不正及び学問に対する欺瞞と見做され、譴責の対象となり、その後追放を含めた処分が行われる。」https://ja.wikipedia.org/wiki/盗作


なぜ、ひとのものをねたましく思うのでしょう。心が貧しいのではないでしょうか。あるいは過去に自分のものを盗まれたことが心の傷になっているのではないでしょうか。たぶん文句を言ったら、「あなたの論文を参考にしたことはありません。あなたの書かれたことはすでにあれこれの論文で述べられていますから、新しい考えではありません。また、あなたの論文には、一般的な(あるいはよく知られた)主張で、私の中で扱ったものと重なるところはあるものの、引用元として示さないと剽窃になるような部分は見当たりません。」と逆に言われたことがあるのでしょう。そんな言葉さえも人まねです。
そういう汚らしいやり方に学ばないで正道を貫き、自分のものは自分で作ればよいのにひとのものをねたみ、盗むとは。自分の方がすぐれていると考えているのなら、人まねせずにすぐれたものを作り上げればよいのです。借り物だらけのアイディアと引用で、私の論文をなぞって入れ替え、張り替え偽造をするよりも、自分で時間をかけて映画の一本も見て実際の経験を自分の思考方法で示せばよいのです。そうすれば劣等感に苦しむことなく、人にも尊敬されます。自分の方が(学歴も業績も)すぐれている(と思いたい)と考えるだけではだめなのです。自分独自のものを作り上げなければいけません。嫉妬、ねたみ、盗用は醜いものです。こういう批判をすると、そういう人間は逆恨みして、逆に攻撃に転じ、本来の努力を忘れ他人の誹謗中傷を始めることになります。自分の時間と努力を使って自分を上げることよりも人を貶めることによって自分より下げようと考えるのです。自分は少しも上がっていない。偽造と嘘をずっと続けなくてはいけなくなります。この方が学者としてはたぶん優れた人だけに、なさけなく、あきれます。でも、書き換えは、発想と論旨展開においては自分で工夫することなくただなぞるだけで楽ちんではあるものの、ひとを騙すためですから、初めて自らの創造力を使った「知的作業」でさぞかし知的快感を得たことだろうと推測されます。贋作作りにはそれなりの専門的知識と高度な技能が必要とされます。しかも、剽窃だと見破られないように、自分独自のものであるが如く見せなければいけません。このかたの場合、長年研鑽して身につけた知識と技能が遺憾なく発揮されています。生半可な研究者ではこうはいきません。
しかし、せっかく時間と努力を費やして身につけた知識と技能なのですからよいことに使わなければいけない。教師としても模範を示さなくてはいけない。
「初雪やこれが砂糖ならあっちなめこっちなめ」(落語の雑俳?)

贋作も専門的知識があまりない第三者の場合ですと、この方のようにうまくいきませんが、啓蒙的な考えはだいたい同じになります。ある程度言語学や言語習得の知識のある人に私の論文を自分なりに整理してもらいました。特に、第三者による書き換えの最後の章を見てください。

私の論文 | 私の著書
下記の記事はこの方のもの
その下に両者の比較表


/20100823.html(この方の記事の掲載日と推定されます。)

字幕なしでハリウッド映画を見る方法

XYY大学文学部教授
専門分野 応用言語学、心理言語学、形態統語論

 「映画を字幕なしで見たい」というのは、多くの学生が口にする「夢」です。どうすれば実現できるのでしょうか。まず、映画の英語の聞き取りが難しいのはなぜかという問題からスタートし、難しさを克服するにはどうすればよいか考えていきましょう。

 リスニングが難しいのは「音が聞き取れない」「単語は聞き取れるけど、文の意味がわからない」「文の意味はわかるけど、何が言いたいのか分からない」などの場合に分けられます。リスニングという活動が、複数の心理的過程で出来上がっているためです。一般的に「音を単語に置き換える作業」「単語をつないで文を作る作業」「文の形を意味に置き換える作業」「文の意味を、会話の状況や一般常識と照らし合わせて、何が言いたいのかを理解する作業」が、連続して行われると考えられています。各作業で、単語や文法の知識が迅速かつ正確に、持続的に使用されなければなりません。

 まず、どの言語でも「書き言葉」と「話し言葉」は異なります。例えば、日本語の「ありがとうございます」や「おはようございます」は、実際には「あざぁーす」や「およーっす」と発音されたりします。「ありがとうございます」に含まれている「り」「と」「ま」や「おはようございます」の「は」「ご」「ざ」などを探しても存在しません。英語でも、例えば、Field(2009)はactuallyについて7種類の発音を挙げていますが、一番短い形は['æʃli](アシュリィ)で[k]や[t]の音は含まれていません。Are you all right?は、[jəɒ'rɑɪʔ](ユアラィッ)、Never mind!は[ne'main](ネマイン)で、綴りとは全然違います。実際の「音」は「文字」とは違うのです。「音の塊」を知らなければいけません。さらに、例えば、Would you likeとDo you likeは、通常の発音では、全く同じ音になります。実際のところ、区別は聞き手の頭の中で行われるわけです。

 ところで、映画の理解には単語がいくつ必要でしょうか。読書では95%の単語が分かれば、辞書を引かずに読めます(Laufer, 1989)。一般的な書物と同じ数必要だとすると、「辞書を引かずに」理解するのに必要な単語数は平均約一万語です(Cobb, 2009)。

 また、英語は日本語とは異なるリズムを持っており、弱く発音される部分は聞き取りにくく感じられます。そのような部分は意味的には重要ではないので、聞かなくてもいいという考え方もありますが、実際そうでしょうか。母語話者の場合、実際には聞こえていない場合でも、頭の中で補いながら文を作り上げていくと考えられています。パターンに当てはめていくと考えてもいいでしょう。つまり、聞き取りやすく発音されないのは「聞こえなくてもわかるから」ということになります。私たちの場合も、聞こえなくても分かるように準備しておく必要があります。

 さらに、英語を長時間聞き続けていて、ある時点から、英語は分かるけれども、意味が頭に入ってこなくなったという経験のある人もいるでしょう。英語の音を聞いてそれを理解していくという作業は、普段英語をあまり使わない人には大変な作業です。英語を聞き続けるためには「持久力」が必要です。

 したがって、ハリウッド映画を見るためには、よくある言い回しの「音の塊」を知り、約一万語の単語の「音」といくつもの文のパターンを覚え、「持久力」を身につけなければなりません。音声面でも、語彙面でも、文法でも、英語とかけ離れた日本語を母語とする私たちにとって、そのようなことは、普通に考えれば、不可能です。私を含め、何年も留学し、英語を使って不自由なく日常生活を営める人であっても、初めて見た映画を、字幕なしで、まるで日本語で映画を見ているように理解できる人はほとんどいないと思います。

 しかしそれでも挑戦したい。できるようになりたい。「ハリウッド映画を字幕なしで見る」ためにはどうすればいいのでしょうか。それには、まず、1本、字幕なしで観賞できる映画を作る必要があります。

 村野井(2006、p. 102)は、映画を使った英語学習法を紹介しています。出てくるフレーズを自分自身でチェックしながら、映画を視聴していく勉強法です。ここでは「ゴースト ニューヨークの幻」(1990年ジェリー・ザッカー監督)を使っていますが、例えば、ここで紹介されている大学生は、10分の間にI’d never get over that. (私だったら、そんなことは耐えられない)のような言い回しを8つ抜き出しています。こういう表現を知らなければ、映画を日本語で見るように理解することは無理ですから、一つ一つ理解して覚える必要があります。(リーディングでは知らないフレーズや単語に平均10回出会うと、その単語を覚える(Zahar, Cobb, and Spada, 2001)ので、無理して覚えなくても、おそらく10回確認すれば勝手に覚えてしまいます。)DVDで英語字幕も日本語字幕も出ますからそれを使ってもいいし、英語教材用に編集されたものも売られています。

 「字幕あり」で理解できなければ「字幕なし」では理解できません。「字幕なし」で挑戦してからでもいいのですが、お勧めは、まず「字幕あり」で見て、台詞やナレーションを確認し、知らない表現を書き留めていくことです。これを1本の映画全体を通してやる。そのあと、その表現集を参考にして、字幕を見ながら、意味や音を確認しつつ映画を何度か見ましょう。そのあと「字幕なし」で見てみてください。時間とエネルギーがかかりますが、「字幕なしでハリウッド映画が見る」ことができるはずです。理解できなければ、もう一度「字幕あり」で理解できなかったところを確認し、またそのあと「字幕なし」で見ます。

 「何だ、大変だし、時間がかかるなぁ」とお思いになるかもしれません。しかし、まず1本理解できなければ、結局1本も理解できません。子供に同じ絵本を何度も読んで聞かせると、文字の分からない子供でも、本のセリフを全部覚えてしまって、まるで読んでいるかのように「読む」ことが可能になることがあります。それと同じように、まずは、映画一本、自分のものにしてしまわなければなりません。そうしなければ、やっぱり「夢」は「夢」で終わってしまいます。

 映画を選ぶには、内容が面白いことが何より大切ですが、英語の難しさが映画によって異なることに注意が必要です。聞きやすいのは子供でも見ることができる映画です。聞けるようになるだけではなくて、話せるようになりたいのであれば、素敵な台詞が沢山出てくる映画が良いですね。その役になりきって、鏡に向かって何度か実際に口に出して言ってみてください。とっさのときに口から出てくるかもしれません。そうなれば、もはや、あなたの英語は(たまに)ハリウッドスター並みです。

主な参考文献

Field, J. (2009), Listening in the language classroom. Cambridge University Press.
村野井 仁 (2006),『第二言語習得研究から見た効果的な英語学習法・指導法』大修館書店

XYY大学文学部教授
専門分野 応用言語学、心理言語学、形態統語論


比較対照一覧です。要旨展開の順に従って載せました。一番右は私の元の論文を章立てのまま載せました。この方の記事 |  私の論文
字幕なしでハリウッド映画を見る方法
1. 「映画を字幕なしで見たい」というのは、多くの学生が口にする「夢」です。
2.リスニングが難しいのは「音が聞き取れない」「単語は聞き取れるけど、文の意味がわからない」「文の意味はわかるけど、何が言いたいのか分からない」などの場合に分けられます。リスニングという活動が、複数の心理的過程で出来上がっているためです。一般的に「音を単語に置き換える作業」「単語をつないで文を作る作業」「文の形を意味に置き換える作業」「文の意味を、会話の状況や一般常識と照らし合わせて、何が言いたいのかを理解する作業」が、連続して行われると考えられています。各作業で、単語や文法の知識が迅速かつ正確に、持続的に使用されなければなりません。



















3. まず、どの言語でも「書き言葉」と「話し言葉」は異なります。例えば、日本語の「ありがとうございます」や「おはようございます」は、実際には「あざぁーす」や「およーっす」と発音されたりします。「ありがとうございます」に含まれている「り」「と」「ま」や「おはようございます」の「は」「ご」「ざ」などを探しても存在しません。英語でも、例えば、Field(2009)はactuallyについて7種類の発音を挙げていますが、一番短い形は['æʃli](アシュリィ)で[k]や[t]の音は含まれていません。Are you all right?は、[jəɒ'rɑɪʔ](ユアラィッ)、Never mind!は[ne'main](ネマイン)で、綴りとは全然違います。実際の「音」は「文字」とは違うのです。「音の塊」を知らなければいけません。さらに、例えば、Would you likeとDo you likeは、通常の発音では、全く同じ音になります。実際のところ、区別は聞き手の頭の中で行われるわけです































4.ところで、映画の理解には単語がいくつ必要でしょうか。読書では95%の単語が分かれば、辞書を引かずに読めます(Laufer, 1989)。一般的な書物と同じ数必要だとすると、「辞書を引かずに」理解するのに必要な単語数は平均約一万語です(Cobb, 2009)。
5.村野井(2006、p. 102)は、映画を使った英語学習法を紹介しています。出てくるフレーズを自分自身でチェックしながら、映画を視聴していく勉強法です。ここでは「ゴースト ニューヨークの幻」(1990年ジェリー・ザッカー監督)を使っていますが、例えば、ここで紹介されている大学生は、10分の間にI’d never get over that. (私だったら、そんなことは耐えられない)のような言い回しを8つ抜き出しています。こういう表現を知らなければ、映画を日本語で見るように理解することは無理ですから、一つ一つ理解して覚える必要があります。(リーディングでは知らないフレーズや単語に平均10回出会うと、その単語を覚える(Zahar, Cobb, and Spada, 2001)ので、無理して覚えなくても、おそらく10回確認すれば勝手に覚えてしまいます。)




6.また、英語は日本語とは異なるリズムを持っており、弱く発音される部分は聞き取りにくく感じられます。そのような部分は意味的には重要ではないので、聞かなくてもいいという考え方もありますが、実際そうでしょうか。母語話者の場合、実際には聞こえていない場合でも、頭の中で補いながら文を作り上げていくと考えられています。パターンに当てはめていくと考えてもいいでしょう。つまり、聞き取りやすく発音されないのは「聞こえなくてもわかるから」ということになります。私たちの場合も、聞こえなくても分かるように準備しておく必要があります。この方の記事







7.さらに、英語を長時間聞き続けていて、ある時点から、英語は分かるけれども、意味が頭に入ってこなくなったという経験のある人もいるでしょう。英語の音を聞いてそれを理解していくという作業は、普段英語をあまり使わない人には大変な作業です。英語を聞き続けるためには「持久力」が必要です。
したがって、ハリウッド映画を見るためには、よくある言い回しの「音の塊」を知り、約一万語の単語の「音」といくつもの文のパターンを覚え、「持久力」を身につけなければなりません。音声面でも、語彙面でも、文法でも、英語とかけ離れた日本語を母語とする私たちにとって、そのようなことは、普通に考えれば、不可能です。私を含め、何年も留学し、英語を使って不自由なく日常生活を営める人であっても、初めて見た映画を、字幕なしで、まるで日本語で映画を見ているように理解できる人はほとんどいないと思います。
8.「字幕あり」で理解できなければ「字幕なし」では理解できません。「字幕なし」で挑戦してからでもいいのですが、お勧めは、まず「字幕あり」で見て、台詞やナレーションを確認し、知らない表現を書き留めていくことです。これを1本の映画全体を通してやる。そのあと、その表現集を参考にして、字幕を見ながら、意味や音を確認しつつ映画を何度か見ましょう。そのあと「字幕なし」で見てみてください。時間とエネルギーがかかりますが、「字幕なしでハリウッド映画が見る」ことができるはずです。理解できなければ、もう一度「字幕あり」で理解できなかったところを確認し、またそのあと「字幕なし」で見ます。
まとめ
「何だ、大変だし、時間がかかるなぁ」とお思いになるかもしれません。しかし、まず1本理解できなければ、結局1本も理解できません。子供に同じ絵 本を何度も読んで聞かせると、文字の分からない子供でも、本のセリフを全部覚えてしまって、まるで読んでいるかのように「読む」ことが可能になることがあります。それと同じように、まずは、映画一本、自分のものにしてしまわなければなりません。そうしなければ、やっぱり「夢」は「夢」で終わってしまいま す。
 映画を選ぶには、内容が面白いことが何より大切ですが、英語の難しさが映画によって異なることに注意が必要です。聞きやすいのは子供でも見ること ができる映画です。聞けるようになるだけではなくて、話せるようになりたいのであれば、素敵な台詞が沢山出てくる映画が良いですね。その役になりきって、 鏡に向かって何度か実際に口に出して言ってみてください。とっさのときに口から出てくるかもしれません。そうなれば、もはや、あなたの英語は(たまに)ハ リウッドスター並みです。
英語教育の方法:リスニング ― 字幕無しで外国語(英語)映画を楽しみたいということ ―
1. 「字幕なしで映画を楽しみたい」というのは、ほとんどの日本人英語学習者の達成したい夢のひとつである。
2. 映画の英語の聞き取りの困難な点
聞き取りにおいて、音の連鎖として聞いた瞬間にある単語や句として分節的に認識でき、綴りを思い浮かべることができ、しかもその単語の意味あるいは指示物を知っていることは、映画を 字幕無しに分かるための大きな要素であることはまちがいない。
もちろん、その単語を全く知らなくても、また、知っていながら聞き取れなくても、場面や文 脈で意味やその指し示している指示物が分かることはある。その場合その単語が完全には聞き取 れなくても、その単語の意味が推測できるわけだから、映画場面の理解には支障がない。

場面のヒントや学習者の知識と想像力あるいは文構成力が単語を聞き取らせ ることを可能にする場合がある。しかし何の予備知識もなければ、物理的には、聞こえない音や 単語であったかもしれない。意味が分かっているために、その意味にあった単語を選択して聞き 取ることができるということである。

He went on a picnic with this self-obsessed prodigy?( 00:38:25 ) この二つの単語が表す意味はなんとなく分かるのだが、はっきりしない。辞書的な語句をつなぎ合わせて、「自分に固執した神童」という日本語を作ってもすっきりしない。だいたい、瞬間的 にそのような訳語を思いつかないであろう
聞き取りとは、文を構成している単語を聞き取る能力プラスその文を解読する二つの能力 であ る。聴解能力であるから、「読む」というのは変だ、と考えられるかも知れないが、聞いた文を頭 の中で読むことができるかどうかは、単語を聞き取れたかということと同じであるから、後はその意味を処理する大変良い条件を得たということである。 当然、この場合、解読する時間が大きな要素となる。遅いと、映画の画面は次ぎに移り、流れに乗っていけないかも知れない。これは、 英語 で会話をしていても起こりうることで、話された文が文として認識され、さらにそれを意味 解釈するまで、二、三秒遅いタイミンクで理解されることがある。あるいは、もっと後になって、 3 時間後あるいは翌日になってその文が状況と伴にようやく理解され、 単なる音声のつながりだ ったものが分節化することがある。場面と文と意味の統合が遅れるということである。








3. さて、日本語母国語話者の英語聞き取りの上で苦手な発音に、末尾の子音があるのだが、思い 直して、画面にもどって発話者の唇の動きを見ると、「パイ」のところで、最後に唇がしっかり閉 じている。もし、「パイ」だとすると、母音で終わっているから唇は開いて終わらなければならな い。そう思って聞き直すと、確かに破裂音の p が聞こえる様な気がする。とすると、これは、bom pipe ということであろうか。そう考えるとかすかに p 音で終わっているような気もする。そして、「ボン」で思い当たったのが、日本語の「でんでん虫」と「だんご」の「ん」である。 日本語にはどちらも「ん」であり、たとえば、ban と bang の区別は日本語母国語話者は、ほと んど聞く上では、区別不能であることが多い。前者は「 n 」音で、後者は「ング」音なので、敢 えて違いを強調するには、前者を「ばンヌ」という発音になるくらい、舌先を上の歯の裏側にく っつければ良いのだが、それは、発音をするときであり、いずれにしろ、日本人には、ban と bang をあまり強調しないで発音された場合には、分かりにくいのではないかと思われる。 一般 的に言えば、語尾の子音は聞き取りにくいと思われる。そのような試行錯誤を経て、ようやく辿 り着いたのが bong pipe であった。 この bong pipe がどの程度の割合で英語の母国語話者の間 で理解されているのかは不明だが、音として正確に聞き取れたとしても、(4)の thong と同様、学 習者にはつらい単語である

次の映画( Bruce Almighty 2003 )と比較してみたい。この場面でも、ひとつひとつの文が比 較的長い間で区切られており、背景の雑音もなく、話されているのでわかりやすい。具体的にい うと、文と文の間には、およそ、2 秒くらいの間がある。また、一つの文でも、句と句の間には ポーズが置かれていて、比較的「読解」がしやすい。また、10 語くらいの分は、「お祈り」のこ とばであるので、3 語くらいに切って話されている。そういう意味では、この映画の中でも大変 わかりやすい場面である。しかし、Pollock と違う点は、その 3 語くらいがひとつひとつはっきり 発音されるのではなく、時に弱くまた、一気に早く発音され、単語の間に全く切れ目がなくくっ ついてしまっている点である。文の構成も一文に 5, 6 語の構成で文型も単純なものである。ふたりのせりふの間には、かな り長い間がある。また、ひとつひとつのせりふは ゆっくり話される。しかし、部分的に聞き取 りにくいところがある。それはかっこの空欄で示してみたが、筆者が何回か聞き直して、聞き取 れた部分と聞き取れない部分があった箇所であるが、その文全体ををかっこの空欄としておいた。 その音だけを書くと、B tothewol とか、C quibraggin D whya E wolreat, F sheservedfmme のような音の連鎖として聞こえてしまう。単語として分節化できないのである。to the world な どよく聞けば聞けないはずがない句であるが、ここでは神のせりふで強勢が置かれていないため に聞き取りにくい。「掘ったイモいじるな」が What time is it now? であるようなものかもしれな い。
いずれにしても、なぜ、よく知っている単語なのに、そのような文中の一部の単語が聞き取り にくいのかというと、一つには、全体的に、ゆっくり話されているのに、その箇所だけスピード が上がり、3 つくらいの語群が「ぐしゃ」と押しつぶされ、いわゆるリダクションとアシミレー ションによって、一語一語独立して聞こえないために、聞き取り困難が生じるからだと推測され る。さらにそういう状況でも、聞こえた音の断片から何とか全体を回復しようとしているのであ るが、場面の状況がそれを助けてくれないのである。






4.ここから、導き出される、問題の解決法、すなわち、映画を字幕なして分かるためには、何か必要か整理してみると次のようになる。
A 音の聞き取り → 単語・文として聞こえ、認識できる → 解読(意味解釈) → 理解
B 音の聞き取り → 意味と直結=理解
C 音の聞き取り → 単語あるいは文として認識できない → 解読不能 → 理解不能

A の過程で、頭で聞き取った文を読むという解読作業が必要とされないほど、すなわち音(単語) あるいは音の連鎖(文)と意味が直結している表現が多ければ多いほど、時間を節約して意味を 捉えることかでき、やがては B に至ると考えられる。
そのような直結表現の数量は、英語が母国語でない学習者間で学習量とその方法によって差異 が生じてくるはずである。
5. 及び6. そのような直結表現の数量は、英語が母国語でない学習者間で学習量とその方法によって差異 が生じてくるはずである。また、母国語話者は、そのような反芻して解読しなくても瞬時に理解 できる表現を数多く習得していると考えられる。それらは、prefabricated patterns すなわち、プレファブ建築の材料のようにいつでも文の構成に利用しやすいちいさなまとまりになっているも のもあるのではないか。(Hakuta, 1987 The Mirror of Language) では、そのような表現を段階的に増やして行けば、ある一定の段階で、英語の字幕を見なくて も映画がわかるようになるのであろうか。答えは、理論的には、そうである、と筆者は考える。しかし、そういう表現パターンは無限で はないか。もし仮に有限だとしたら、そのパターンの数はどのくらいであろうか。百通りか、一 万通りか、百万通りのパターンか。たとえば、次のせりふはそういうパターンの一体どれを習得 しておけば、瞬時に理解できるのだろうか。








6. 母国語話者は、そのような反芻して解読しなくても瞬時に理解 できる表現を数多く習得していると考えられる。それらは、prefabricated patterns すなわち、プレファブ建築の材料のようにいつでも文の構成に利用しやすいちいさなまとまりになっているも のもあるのではないか。(Hakuta, 1987 The Mirror of Language) では、そのような表現を段階的に増やして行けば、ある一定の段階で、英語の字幕を見なくて も映画がわかるようになるのであろうか。答えは、理論的には、そうである、と筆者は考える。しかし、そういう表現パターンは無限で はないか。もし仮に有限だとしたら、そのパターンの数はどのくらいであろうか。百通りか、一 万通りか、百万通りのパターンか。たとえば、次のせりふはそういうパターンの一体どれを習得 しておけば、瞬時に理解できるのだろうか。

理解度は、場面と文脈によっても増すことは多いにあり得る。英語の音声を聞き取れなくても、 場面で言っていることがわかるということは常識的なことであるが、学習者はおそらく、場面 や文脈でのヒントを文の再構成に利用しているのではないか。ただ、それだからと言って、英語 の文を聞き取ったと言えるかどうかについてはなんとも言えない。ひとつ言えることは、それで 映画が楽しめたとしたら、それはそれでよいかもしれない。応用が利かないというのが問題とし て残るのだが。さらに、正しい文を聞き取るためには、たぶん正しい文法の知識も必要なのだと 思われる。文法の知識が、聞き漏らした語や正しい文をを復元している可能性がある。





7-8. 単語はどれを取っても、中学で習うものばかりである。筆者は、何度も聞き直したが、何らか の呪いではあるが、音声からは意味を判読できず、字幕でも確認して、これがこの映画のもっとも大事な伏線であったのかと分かったのであるが、いまだにこの部分を一読しただけでは、意味 処理が瞬時にできない。一度聞いただけではなおさらである。何度も繰り返すが、これが「分か る人には分かる。分からない人には分からない。」ということである。個人的な学習体験の積み重 ねの結果、ということになる。
残念ながら、筆者は、この場面から、30 分ほど、話が進んだ時点で、ようやく、この呪いがもしかして伏線となっているのかと、その画面に急遽もどってきて、何度も聞いて字幕で確かめて分かってきた経緯がある。それまでは、hex という語と場面からなにかのろいがかけられたな、とまではわかったものの、どういうのろいかについては気にも留めなかった。それでも楽しんで はいたのだが。学習者の英語の聞き取りの力の差異というのは、「分かる人には分かる」という個人差という差 異である。英語教員は、この差異をどのように縮ませることができるのかを考えなければいけな いのであろうが、筆者には、この「分かる人には分かる。分からない人には分からない」という 当たり前の問題を解こうと考えて、本研究を始め、大量の映画を見たのであるが、未だに、どの ようにしたら最も効果的でかつ普遍的な学習、教授法があるのか思案中である。








7-8. 3.2.その他の「分からない」に関する、条件:スピードと文型解釈と慣用表現

字幕を見ると、なるほどと合点が行くのだが、聞いた瞬間の文を再現しても、聞き逃し た語が多く、間違って捉えた語もありで、もちろん意味解釈もできるわけがない。

--略--

長年学習を続け、何百本もの映画を字幕無しで見てきた英語教師でさえも聞き取れない箇所を分析することは、もしかしたら、日本人にとっての英語音声の聞き取りにくさ、聞き間違いの傾向と法則性のようなものを垣間見させてくれるかもしれな いという期待もある。

--略--

すなわち、聞き取りの困難さは、速いスピードのため、全部あるいは肝心な単語が聞き取れな い、あるいは、数語が融合した発音が聞き取れない、さらに、文が複雑あるいは内容が難解で高 速に意味解釈を処理しきれない、という常識的な理由に加えて次のような理由が考えられる。

(a) 全く知らない単語だから、他の単語が聞き取れても、その単語だけ聞き取れないし、意味が分からない。それゆえ全体の意味がおぼろである。その理解度はあるいは曖昧度は 0 から99% くらいの間のどこかに来るのだが、100% にならない。( thong や bong pipe の例)
(b) 発想的に異なった文型を瞬時に解釈できない。(To the next she is true.) それと複合的に、
(c) 母国語の音の干渉から、あるいは、母国語にない語尾の子音など発音のために、英語音の 聞き取りができず、単語を認識できない。(hand / hat)
(d) 場面や文脈のヒントの無さから、あるいは、文脈からは想像できないせりふのため、知っている単語でありながらもその音や単語や意味を聞き取れない。あるいは聞き取っているか もしれないが、再構成できない。これは知らない単語ならなおさらである。(I can see through your nightgown.)

上記のような困難さを助長させる要因が複合的に関連して、日本語を母国語とする英語学習者 の弱点になっているのではないか。あえて日本語を母国語とする英語学習者の困難点と限定した のは、筆者が日本人であり、
特に、(c)においては、p と b の発音を区別しないような言語もあり、 母国語の違いによって英語音の聴解能力に差異が現れると想像するからである。











3.の「音の塊」についての補足。
私は「音のかたまり」としている。このことばは、論文の最後の章、まとめの前で使っている。
このような聞き取りの困難な理由について、新田晴彦氏は、生徒の解答を分析して、次のよう な傾向を示している。細かい分析と記述が必要だが、この洞察は非常に的を射ている。
(1) 文章のひとつでも知らない単語があると全体が分からないと自分で決めつける。
(2) 少しでも音が変化するとついてこれない。
(3) 聞こえたままを書かず自分の知っている単語や表現に置き換えようとする。
(4) 発話スピードに負ける。(映画英語教育のすすめ:p.109 )
これに、筆者自身の聞き取れない理由の分析からつけ加えることは、if you keep it のような場 合、そのつながりがあまりにも普通で慣用的でことさらはっきり発音しなくても、予想可能な表 現や、イディオム的な表現は、あたかも一語のように大変早くしかも、アクセントなしに発話さ れるために、数語がぐしゃつとひとかたまりになって聞き取れない、という理由があるように思われる。逆に考えれば、そのようなかたまりは母国語話者には、慣用的であり、「 keepichaslf 」の ような音のかたまりのまま理解しているのであろう。
英語教育の方法:リスニング ―字幕無しで外国語(英語)映画を楽しみたいということ ―
1 .はじめに
「字幕なしで映画を楽しみたい」というのは、ほとんどの日本人英語学習者の達成したい夢のひとつである。 と、言い切ってしまうとあまりにも断定的かもしれないが、2008 年にある大学生クラス 40 人 に、次のような質問への回答を書かせたことがある。
2 .映画の英語の聞き取りの困難な点
2.1.聞き取れるせりふと聞き取れないせりふ
(1) 聞き取れない単語について
聞き取りにおいて、音の連鎖として聞いた瞬間にある単語や句として分節的に認識でき、綴り を思い浮かべることができ、しかもその単語の意味あるいは指示物を知っていることは、映画を 字幕無しに分かるための大きな要素であることはまちがいない。
(2) 聞き取れない単語が聞き取れるということ
場面のヒントや学習者の知識と想像力あるいは文構成力が単語を聞き取らせ ることを可能にする場合がある。しかし何の予備知識もなければ、物理的には、聞こえない音や 単語であったかもしれない。意味が分かっているために、その意味にあった単語を選択して聞き 取ることができるということである。 例えば、化学分野に造詣が深い人は、日本語で「ルパート の涙」という言葉を知っており、実物そのものも、それがどのような性質を持っているかを知っ ているかも知れない。(font color=red>一般常識,
(3) 知っている単語が聞き取れても意味が分からない
日本語の発想と違う文構造や単語の概念は、聞き取りの阻害になると述べたが、そういう場合、 単語が全部聞き取れても何を言っているのかはっきりとは分からない場合がある。
-略-
「天才ナルシスト」、「うぬほ?れおりこうさん」とでも意味が取れ れば、この語句が英語として分かったと言えるが、時間軸に沿って流れる映画の中では、そのよ うな理解のプロセスが取れるだろうかということである。

(4) ひとつの単語が聞き取れないために、全体の意味がわからない。
たった一語が聞いたことのない単語であったため、その文の言っている肝心なところがわから ない、
(5) 意味と綴りは分からないが、音だけが記憶に残る
さて、日本語母国語話者の英語聞き取りの上で苦手な発音に、末尾の子音があるのだが、思い 直して、画面にもどって発話者の唇の動きを見ると、「パイ」のところで、最後に唇がしっかり閉 じている。もし、「パイ」だとすると、、、(以下、音の脱落の説明は左のコラム参照)
(6) 違った単語として聞き取ってしまう
知っている単語も実は聞き取れない場合があるとい うことになる。

2.2.分かりやすいせりふと分かりにくいせりふ
(1) ゆっくり、間をおいて、はっきり話される英語は解読しやすい。
聴解能力であるから、「読む」というのは変だ、と考えられるかも知れないが、聞いた文を頭 の中で読むことができるかどうかは、単語を聞き取れたかということと同じ
であるから、後はそ の意味を処理する大変良い条件を得たということである。 当然、この場合、解読する時間が大き な要素となる。遅いと、映画の画面は次に移り、流れに乗っていけないかも知れない。
その音だけを書くと、B tothewol とか、C quibraggin D whya E wolreat, F sheservedfmme のような音の連鎖として聞こえてしまう。単語として分節化できないのである。to the world な でよく聞けば聞けないはずがない句であるが、ここでは神のせりふで強勢が置かれていないため に聞き取りにくい。「掘ったイモいじるな」が What time is it now? であるようなものかもしれな い。


(2) 論理あるいは意味解釈のための発想の違い
もし、その発話と同じ文の構造的発想が聞き手にあれば、聞こえないと思っていた単語が実は 「論理的な推測で」分かることはないであろうか。つまり、意味が先にあって、あとから聞こえて いない単語や文が推測される、ことがあるのではないかと思われるのである。
(3) 場面とせりふが矛盾する

3 .分かる人には分かる。分からない人には分からない。
3.1.頭の中で聞き取った英語の文を読む。
音声を聞いて、 個々の単語の連鎖が分かり、 文が頭で読め、 それを意味的に解釈できる文法力と、 場面との結びつきで状況がわかるという、 いくつかの要素が組み合わされた上での、分かるということである。
--略--
A 音の聞き取り → 単語・文として聞こえ、認識できる → 解読(意味解釈) → 理解 B 音の聞き取り → 意味と直結=理解 C 音の聞き取り → 単語あるいは文として認識できない → 解読不能 → 理解不能
A の過程で、頭で聞き取った文を読むという解読作業が必要とされないほど、すなわち音(単語) あるいは音の連鎖(文)と意味が直結している表現が多ければ多いほど、時間を節約して意味を 捉えることができ、やがては B に至ると考えられる。
そのような直結表現の数量は、英語が母国語でない学習者間で学習量とその方法によって差異 が生じてくるはずである。また、母国語話者は、そのような反芻して解読しなくても瞬時に理解 できる表現を数多く習得していると考えられる。それらは、prefabricated patterns すなわち、プ レフアブ建築の材料のようにいつでも文の構成に利用しやすいちいさなまとまりになっているも のもあるのではないか。(Hakuta, 1987 The Mirror of Language) では、そのような表現を段階的に増やして行けば、ある一定の段階で、英語の字幕を見なくて も映画がわかるようになるのであろうか。 答えは、理論的には、そうである、と筆者は考える。しかし、そういう表現パターンは無限ではないか。もし仮に有限だとしたら、そのパターンの数はどのくらいであろうか。百通りか、一 万通りか、百万通りのパターンか。たとえば、次のせりふはそういうパターンの一体どれを習得 しておけば、瞬時に理解できるのだろうか。

理解度は、場面と文脈によっても増すことは多いにあり得る。英語の音声を聞き取れなくても、 場面で言っていることがわかる、(聞こえなくても分かる:これは比較のために書き加えました。ということは常識的なことであるが、学習者はおそらく、場面 や文脈でのヒントを文の再構成に利用しているのではないか。ただ、それだからと言って、英語 の文を聞き取ったと言えるかどうかについてはなんとも言えない。ひとつ言えることは、それで 映画が楽しめたとしたら、それはそれでよいかもしれない。応用が利かないというのが問題として残るのだが。さらに、正しい文を聞き取るためには、たぶん正しい文法の知識も必要なのだと 思われる。文法の知識が、聞き漏らした語や正しい文をを復元している可能性がある。
-略-
ここまでの意味解釈でも、表面的な意味を取ったわけであるが、さて、それを基に、瞬時に「な にを言っているか」理解できる「日本語を母語として高校までの教育を日本で受けた学習者」は いるのだろうか。もちろん、映画であるので、場面という文脈があり、せりふも次の台詞の一部 であるから、つぎのような文脈を与えられれば、「分かる人には分かる」のであろう。
I’ll hex you. You’ll never be happy.(00:04:10)
Around you love’ll fall like rain. But you won’t hold it. Your heart will pain.(00:04:18)
Once the girl has been with you, To the next she will be true.
残念ながら、筆者は、この場面から、30 分ほど、話が進んだ時点で、ようやく、この呪いがも しかして伏線となっているのかと、その画面に急遽もどってきて、何度も聞いて字幕で確かめて、 分かってきた経緯がある。それまでは、 hex という語と場面からなにかのろいがかけられたな、 とまではわかったものの、どういうのろいかについては気にも留めなかった。それでも楽しんではいたのだが。
--略--
長年学習を続け、何百本もの映画を字幕無しで見てきた英語教師でさえも聞き取れない箇所を分析することは、


3.2.その他の「分からない」に関する、条件:スピードと文型解釈と慣用表現
聞き取りには英文読解能力も関わるという論を展開してみたが、実際にはそればかりではない。 物理的にどうしても聞き取れない語がある場合がある。2.2. (1)でも述べたが、特に早いスピード で話された場合は、リダクションやアシミレーションが起こり、元の単語が復元できない。先に 挙げた「 Pollock 」のゆっくりとせりふが話されるのとは違った状況である。そういうくしゃっと した場合には、文として使われている文型解釈さえも誤る。

だから、聞き取る段階もある程度正確に単語が聞き取れる段階を経ていなければ読解過程に至 ることができないのである。 先に述べた、 音の聞き取り → 単語・文として聞こえる → 解読(意味解釈) の過程の「単語・文として聞こえる」過程でつまづくと全体の意味解釈に影響を与えるというこ とである。もちろん、何度も述べたが、文脈、場面でヒントが与えられると、単語の修復がなされたりして、 すべてを聞き取らなくても意味解釈がなされてしまうことはある。

長年学習を続け、何百本もの映画を字幕無しで見てきた 英語教師でさえも聞き取れない箇所を分析することは、


これに、筆者自身の聞き取れない理由の分析からつけ加えることは、if you keep it のような場 合、そのつながりがあまりにも普通で慣用的でことさらはっきり発音しなくても、予想可能な表 現や、イディオム的な表現は、あたかも一語のように大変早くしかも、アクセントなしに発話さ れるために、数語がぐしゃつとひとかたまりになって聞き取れない、という理由があるように思われる。逆に考えれば、そのようなかたまりは母国語話者には、慣用的であり、「 keepichaslf 」の ような音のかたまりのまま理解しているのであろう。

4.まとめ
参考文献



相手の反論
まず、はっきりさせておく必要がありますと思いますが、私は、今日、はじめて小林先生の論文を手にいたしました。したがって、これまで読んだこと はございません。 先生からご連絡いただいたhttp://coby.u.cnet-ta.ne/eiga/touyou.htmでの先生の御主張に対する私の返答 を申し上げます。
(2013年7月14日)

「小林先生の主張」
1. 私が「いくつかの語がぐしゃっとなったかたまり」を漢字の[塊] で表現していますが、この言葉は私が使った物です。

「返答」
私の使った「音の塊」という言葉にある、「塊」ですが、良く使われる言葉だと思います。 「音の塊」だけでも、Google検索したところ、1,390,000件(0.23秒)ヒットしました。 いくつかの語が他の語とつながる現象については一般的によく知られており、とくに、新しい概念ではありません。
ちなみに『改訂版 英語教育用語辞典』(大修館 2009)の p.23にあるassimilationに同様の現象に関する記述がありま す。
(この辞典は、初版は1999年で、この項目の記述は、その時の記述と同じです。よく知られた現象です。)


「小林先生の主張」
2.書き出しを見てください。 字幕なしで映画を楽しむ、という書き出し。学生の夢、という言葉。

「返答」 先生もお書きのように、こういう風に言う学生が多いわけですから、この部分は重なっても仕方がないと思います。


「小林先生の主張」
3.聴解の過程。
リスニングが難しいのは「音が聞き取れない」「単語は聞き取れるけど、文の意味がわからない」「文の意味はわかるけど、何が言いたいのか分か らない」などの場合に分けられます。リスニングという活動が、複数の心理的過程で出来上がっているためです。一般的に「音を単語に置き換える 作業」「単語をつないで文を作る作業」「文の形を意味に置き換える作業」「文の意味を、会話の状況や一般常識と照らし合わせて、何が言いたい のかを理解する作業」が、連続して行われると考えられています。各作業で、単語や文法の知識が迅速かつ正確に、持続的に使用されなければなり ません。 これは、私が論文の最後でまとめた問題点を別の見方で置き換えただけのものです。とても巧妙です。

「返答」
このような、モジュール型の言語処理を主張するときに、一般的に良く引用されるのはLevelt(1989)のモデルです。モジュール型の処 理を前提とするとき、これはいわば常識となっているので、ここでは引用元は書いていません。(Field 2003, 2009やHarley 2004には、より詳しい記述があります。)もし、小林先生が、このような段階的な処理をご自分の主張だとおっしゃられるのであれば、たとえば Levelt(1989)との違いをはっきりさせておく必要があります。

「小林先生の主張」
4. それから、私がこの論文が発表されたのが、2009年の三月ですが、このひとの参考文献には、2010年発行の本が入っていますので、私の論文よりも後で 書かれたことは明白です。

「返答」
私がこの文を書いたのは、2010年だと思います。先生の論文のご発表が2009年であれば、それよりはあとになります。しかし、例えば、1 のassimilationに関する記述は1999年の時点で行われていますし、Leveltの本は1989年に出ていますから、もし引用元 として示す必要があるのであれば、小林先生の論文に書き入れるべきでしょう。


なお、私の文には、先生の論文には出てこない考え方(例えば、「単語数」「持久力」)もいくつか登場しますし、全く違うことを主張していま す。
先生の論文の目的はは、p.15にあるように「・・・聞き取りで困難な 点とその理由について分析し論考」することであり、私の方は「こういう風に難しいのだから、それを自覚してしっかり勉強しなさい」という啓蒙 です。

ご指摘の点に対する回答は以上の通りです。
なお、繰り返しになりますが、私自身はこの拙文は、「啓蒙」のために書 いたものです。引用しているデータも、一般的に良く知られたものであり、参考文献2つ載せれば、そこからたどっていける程度のものです。
したがって、先生の「単に人の論文を読んで自分の都合の良いように まとめるという研究は本当の研究ではありません」というご批判は、少し的外れな気がします。 私自身が2009年ごろにしていた研究は、たと えば、
に代表されるような、第二言語習得の研究です。
先生の論文を知らなかったのは不徳の致すところですが、実際のところ、 全国の大学の『紀要』を読むことは不可能ですので、知らなかったという点に関しては、どうぞお許しください。
したがって、先生の呼びかけである「Y教授、恥ずかしいと思いませんか。」については、「恥ずかしい ことはしておりません」とお答えいたします。
また、先生の論文には、一般的な(あるいはよく知られた)主張で、私の中で扱ったものと重なるところはあるものの、引用元として示さない と剽窃になるような部分は見当たりません。

したがって、この文が「氏の巧妙な剽窃例です」というのは誤解です。

以上、お答え申し上げました。もし、まだ、ご不 明な点があれば、メールいただければと思います。(XY教授より)

2013年7月14日のこの自信たっぷりの反論にすなおにだまされてしまい、私の勘違いであると逆にあやまってしまいました。木だけを見て森を見なかったことが原因ですが、私も甘かった。一流の大学教授が盗用というのはおお事ですから、そう簡単に自分がまねをしたなんて認める訳はないのです。盗用なんて重くて下手をすれば裁判沙汰です。ましてや大学の業績のある立派な学者として通っている人間がそういう誹りを受けたら、どうなるでしょうか。そこに比較されるふたつの作品があり、もしそれが盗用だということになれば、いくら証拠をねつ造しても剽窃だというそしりを免れることはできません。どのように対処するでしょうか。自分の息のかかった第三者に偽証してもらうのでしょうか。証拠をでっちあげるのでしょうか。この方は何をすればよいのでしょうか。道徳心と倫理観がしっかりしていればどういう行動が適切であるか分かるはずです。
次のように、聞き取れない英語教師として自分もそうだ、というところさえまねています。しかも、論文の展開の順序が同じですから、おなじ場所で同じことを言葉を変えて言うのです。さすがは、言語学をやっているひとですから、言い換えが巧みです。(上記対照表のコラム7及び8参照)

「長年学習を続け、何百本もの映画を字幕無しで見てきた 英語教師でさえも聞き取れない箇所を分析することは、」(小林)

「私を含め、何年も留学し、英語を使って不自由なく日常生活を営める人であっても、初めて見た映画を、字幕なしで、まるで日本語で映画を見ているように理解できる人はほとんどいないと思います。」(XY教授)

言葉は悪いですが、「ここまでよくやるよ!」と叫びたい心境です。

人はねたみ、うらやむものです。盗用の動機は、このアイディアいいな、自分のものにしたいな、自分だってこのくらいできたのに、こいつの言ってることは自分はとうに知っているのに、という優越感とねたみ嫉妬。あるいは心の奥に隠されている劣等感を優越感に変えたいというところから始まるのかもしれません。「こいつのはオレの言ってることと同じだ。盗っても構わない。アイディアはただだ。取っちゃえ。盗っちゃえ!」確かに人が作ったものを利用した方が早く簡単にできてしまいます。なぞればよいのですから。アイディアはコロンブスの卵です。そこまでに至る苦労と新しさは無視されてしまいます。でも悪いということを知っているから偽証工作をするのです。
わたしは自分のこの論文を書くにあたって2009年の夏休みに何本もの映画視聴に150時間は費やしています。一本120分の映画でしたら、何度も繰り返して聞き取りをするとその三倍の時間が必要です。「持久力」が必要です。このかたは、自分でそういう経験をしたことがないから、お気楽に、人の論文を利用してちょこちょこと書いたものを「啓蒙記事」として掲載する。
あきれたかぎりです。私の論文

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