更新日:2000年01月11日  Version 1.0

社会的不公平について

立教大学社会学部  村瀬 洋一

 公正や不公平感については、さまざまな研究があります。研究について詳しくは、以下の参考文献を参照。ここでは、現代の学生が感じる不公平についての事例を載せます。


◆参考文献

ロールズ・田中成明編.1979.『公正としての正義』木鐸社.

Allan and Tyler. 1988=菅原・大渕訳.1995.『フェアネスと手続きの社会心理学

  −裁判、政治、組織への応用−』ブレーン出版

海野道郎・斎藤友里子.1990.「公平感と満足感 −社会評価の構造と社会的地位」.

  原純輔編.『現代日本の階層構造 2 階層意識の動態』東京大学出版会.

盛山和夫他著.『1995年SSM調査シリーズ』.1〜21巻.


◆現代の学生が感じる不公平

 1999年12月22日 立教大学産業関係学科「社会心理学」の教室で学生さんに書いてもらったもの。

 ほとんどの学生は立教大学社会学部産業関係学科2年生。4年生と他学部生が数名。

質問文

 「みなさんがふだん生活していて、今の世の中について不公平を感じるのは、どのような場合でしょうか。思いつくことを、自由に書いてください。」

 

社会心理学2年男子

■ 特に不公平は感じない。たとえば自分のあるバイト先に店長が人によってはひいきしたとしたも、それはひいきされるひとにはされるだけものがあり、されないひとにはされないだけのものがあると考えられるからある。ただ、他のゼミは休講になったりするのに、うちのゼミは休講があまりない。たまには…と思ったりする。また、。ゼミにおいて遅刻者は原点!と耳が痛くなるほど聞かされているがそれが本当であれば、不公平でないが、実際あまり関係がないのなら不公平さを感じると思う。

■ 普段生活していて、特に不公平を感じることは最近のことでは神奈川県警の身うちへの処分の甘さや隠蔽工作などがある。また大手銀行が一般の人には金を貸さないで商工ローンなどに多くの金を貸すことも不公平だと思う。自分に関して不公平を感じることは立教大学が同額の授業料の大学よりも図書館やコンピューター、エアコンなどの設備が充実していないことが考えられる。また、自動車保険の保険料が年齢によって決まっている点にも不公平を感じる。

■ バイトの面接で長い髪を指摘されたこと。べつに自分としてはまじめにバイトをするつもりであったのに、髪が長いだけで不真面目そうだと思われるのはやはり不公平である。

■ 男尊女卑とか女がギャーギャー言うから、今は映画やらクラブやら様々なところにレディースデイがある。男女平等なんてうそっぱちじゃん。女尊男卑もいいとこだよ。まったく。あと失敗しても女だとすぐ許されてしまったり泣いたりした日には、もう、すぐ許されて怒ってる側が非難される始末。とんでもねー!泣きたいのはこっとだ!って思う。

■ ザウスの「手ぶらでスキー」のキャンペーンは毎回ジュン3(高校生まで)と女性が対象であり、それ以外の時期に男性(大学生以上)が得をするキャンペーンは一切ない。普通、時期によって対象者が違うことならあるが、これはあまりに偏っていると思う。ただ女性にしてみれば全く不満はないかもしれない。

■ 特に不公平は感じません。現状に満足してます。

■ 男女差別

■ 努力してしあわせになりたいと思えば思うほど幸せになれない。

■ 相手に対して優しくしたり、親切にしていてもそれに対する報いは何もない。しかし性格上そういった行動を自然にしてしまう。

■ よくお店などで女性だけサービス料金ありとか映画で女性サービスの日があること。なくせとは言わないが男性サービスの日が少しはあってもよいものではないのだろうか。

■ NHK料金!!払っている人と払ってない人がいる。なのになんで僕みたいなビンボー学生が払わなきゃいけないの?新聞の勧誘等。学生の一人暮らしをなどの弱い立場の人を集中攻撃もういいかげんにしてくれ!

■ アルバイトにおける時給の話だが何ヵ月でいくら昇給というのはおかしいと思う。やはり働いた長さではなく、働く能力を評価すべきだと思う。学生生活としているとあまり不公平感を感じない。あるとすれば友人同士で自分専用のPCをもっているかとか自分の車を持っているかぐらいのものである。しかし、アルバイト等で一歩社会に足を踏み入れるとそこには様々な人々が働いている。企業の歯車になって働いている人々を見るたびに、人間の一生は何なのかと思う。優れた人が多くの富を手に入れるのは当たり前なのだが、コツコツ努力をした人にももう少し配分があっても良いと思う。

■ 不公平というか不便というべきかもしれないが自動改札での左利きの人の問題があげられる。右利きの人は多分あまり感じないが、左利きの人は右手でいれなくてはならない自動改札は苦痛である。

■ 最近、「男女間に不平等である」男女差別をなくせなどと言う声をよく耳にします。そして、男女雇用機会均等法をなるものが作られたにもかかわらず、よく飲食店で毎週〜曜日は「女性半額」とかおおっぴらに書かれているのはなぜなのでしょうか?雇用において男女間の不平等や男女を社会的に差別することは私も非難の声をあげますが、そのくせ女性サービスデーなるものはれっきとした非難の声も上げられないまま堂々と存在しているのです。小さなことかもしれませんが、日々暮らしているとそういうところにたまに不満があります。

■ 私が不公平を感じることは、男女の不平等が近年表面化してきたことである。昔は「男尊女卑」などといった言葉があてはまるしゃかいだったかもしれないが、今ではその逆を感じる場面に多く出くわす。例えばクラブの入場料。「♂¥4000、♀¥200」というかんじであったり、ひどいところは「女性FREE」なんてところまである。これは明らかにおかしい。また食べ放題の店へ行っても男女で料金に格差がある。男の方が多く食べるからといった理由からであろうが、それも納得できない。同じ人間で同じ大人なのだから平等に料金をとってほしい。ほかにも多くの不公平を感じる場面はあるが、ここは北朝鮮のような社会主義国家ではないので、しょうがないといえばしょうがないのかもしれません。

■ ○父親とけんかした時。自分が悪い時は別として自分が絶対に悪くないと思っている時(他の家族も基本的に父親の方が悪いと考えている)。でも親だから敬えということでこっちに退くように言われることがある。そういう時に父親から学費も含めたすべての経済的援助をやめるといわれると何も言えなくなってしまう。そういうのは親の権力の濫用だと思うし不公平だと思う(同じ土俵に父親はいない)。○自分が毎回授業に出席してノートをとり、一方で知人がほとんど授業に出席しない。そして自分のノートを試験前にコピーして結果的には自分と同じ(ときにはじぶんよりも良い)評価を得る時に不公平を感じる。○自分より明らかに勉強をしていない知り合いが、難しいテストの時にカンニングペーパーにより自分よりも良い点をとったときに不公平を感じる。

■ 今日はネットワークとコミュニケーションの関係やインターネットのことなど新しい通信について学んだ。補講まであり時間的にも苦しい時もあったが、がんばった。パワーポイントを今授業でやっているので、うまいパワーポイントの作り方があったら教えて下さい。

■ 同じ人間といえど、育った環境、階層によって思想、文化は異なってくる。同じ国の人とでも異なるのだから異国の人と違う文化に驚くほどのこともない。ただ、「〜人は〜を良く食べる」などステレオタイプには気を付けないとならない。そのような偏見につながらつこよに注意するように異文化についてよく学び、現地の人とのやりとりが必要になってくる。そんなときパソコンのインターネットなど扱えると、かなり強いツールになるのは明確で、それを身につけることが大事である、と身にしみた。

■ 就職がコネによって成り立っているという現実。こればかりはどうにもならない。この状況をだがするには努力するしか方法はないのだと思う。そもそも不公平だと思う自他、間違った考えなのだと自分に言い聞かせるようにしている。何かをあきらめるということは、何かを失うことになるのだと思う。そう考えると「不公平」という考え方は捨てた方が良いだろう。この言葉をつかってしまうと敗北感がつのって仕方がないので。一つランク上の見方をすればこうした感情も統制が可能になる。自分をいい方向へとコントロールしていくことが最も重要なのではなかろうか。

■ 取りたてて、言うほどのことはないが、最近広がったとされる所得格差についてはそう言えると思う。景気が悪いからそう感じるのかとも思うが…。ルソーは「人間不平等起源論」と著したというが、それはどんな本か気になっているところ。多国籍企業であるにせよないにせよ企業や事業がグローバルかしていけば異文化理解は不可欠である。確かに子どもの時に異文化に接し、その苦楽を経験すればそれだけ成人してからの生き方に影響を持つ人間が多いとは言えないだろう。そうなると成人は今自分が置かれた状況の中で企業をからめて学習していくしかない。しかし成人にはそれまでに備わった文化があり、それがその人の生き方をある意味で固定してしまっているので、なかなか順応が難しいところであると思う。社会心理学はそういった順応していくことが困難な人々への影響にも貢献していくものであると思った。

■ けっこう引越しをおおくしてきて、都市部からかなりの田舎まで、いろいろな場所で生活した経験があるのですが、日本は何でも東京中心で文化、経済面で東京(首都圏)がかなり恵まれていると感じます。田舎に行けばビジネスチャンスが少なかったり、見たい歌手のコンサートがなかったりする。というのが代表的な例だと思います。

■ 警察に関することでたまに不平等というか不満のようなものを感じる。たまにバイク・車などでスピード違反で減点され、罰金を科せられることがあるが。友達の話などを聞くと同じような事をしても警察の対処が違うというようなことを聞く。ある人は注意だけで済まされるのに、他方では減点、罰金。特にバイクに乗っている時、法廷速度は30kmだけど、そんなスピードで走る人なんかいないに等しく、だいたい40〜50kmぐらいで走るのに、それで警察に捕まると不平をいいたくなる。

■ 私がふだん生活をしていて不公平を感じることは大学の授業の楽勝科目と単位をとることの難しい授業の差についてです。この差は学部や学校の規模などによってさまざまだが特に楽勝科目を選んでとらなかった私はかなり苦労をしていると思います。とくに自分が興味をもってとった他学部の科目では一回も授業に出なくても単位が取れるそうで、しかもAなどの評価が来てしまうような科目がありました。このような評価の、基準が大きく違うのに成績表では同等に扱われるのはほんとうに不平等だと思いました。

■ 第一に社会がいまだに結果重視のシステムであること。努力の過程を軽視することに不公平を感じる。私は形のある結果を出すのが苦手である。自分のやり方自体が能率的でないのかもしれないが、一部の人がずるい方法で出した結果が評価されている。見つからなければモラルよりも結果しか見れない社会システムが日本の将来を危うくさせていると思う。今後、小学校に「努力の過程」を評価項目にするようだが、人生の大半を仕事を費やす人に意味がないと思う。第二に、権力の濫用に不公平を感じる。しかし、これは世の中には不公平が必ず存在するという前提をゆくりあきらめてしまえばすむことだ。世の中に公平なんてものは何ひとつない。支配するか支配されるか。いわば、弱肉強食の世の中である。生きものが個性を持つ遺伝子で構成される限りは生まれ持った性質・環境それ自体が強さなのではないか。不公平を解消するためには遺伝子レベルでの無個性が必要であり、それが技術的に可能になったのならば国全体で重要な議論をすることになる。仮に国会で「人類無個性化法案」が可決したならば無個性化が実現するためには約200年かかるらしい。(よくわらかないが)(それにかかる費用の問題や無個性化後の法案の整備のために)ふざけて書いているように見えるかもしれないが、私が書きたいのはこれくらいのことをしないと根本的に不公平は解消することはできないということである。もしくはバーチャルリアリティの世界を一人一人が持って、全てを思い通りにしてしまうならば、その世界は破滅してしまうだろう。したがってはじめに挙げた不公平の例もある程度受け入れられる余裕が自分には必要ではないかと考えるようになった。

■「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といった固定観念によって活動が制限されている。真面目に努力している人が報われない。

■授業に出てない人が単位をとって、出てたのにとれなかった時、不公平を感じます。

■ 就職で今年は一人も採用しないといっているにもかかわらず、コネでその会社に採用になったという話を聞いた時。今やっているアルバイトで社員並みに店舗をみたりしているのだけれど、スケジュールを提出するときに、この日も仕事に入れなどと社員のようなあつかいをされたとき。

■ キャリア組みは50歳過ぎると特殊法人や公益法人、民間法人などに天下りをして、多額の給料や退職金をもらえるが、この費用は国の第二の予算と言われる財政投融資から支払われている。国民の支払う税金や郵便貯金がこのように一部の国家公務員が得をするように使われている日本の行政の仕組みは不平等である。

■ 海外に旅行へ出かけた時特にアジアに行けば日本に比べて物価は安い。だからその人件費の安さに目を就けた日本の企業は海外進出を果たしてきているのだが、同じ労働に対して支払われる給料がその国の基準にあわせられるのは不公平だろう。本来ならば、日本の企業の基準にあわせられるのではないのか。結果的には互いの利害が一致して、海外進出が成り立っているから、互いの国の基準の差について考えなければ公平といえるのだろうか。

■ バイトであまり働かない人が同じ給料をもらっていると不公平だと思う。

■ 不公平…ってゆーか、「不公平じゃないものなんてあるのか?」と感じる。別に自分が損だけしているわけじゃないし、不公平でなくなったら自分はかなり損をすると思う。それでもあえて言うなら、交通違反の取締り、(不公平って言うより制度上の欠陥のせいだと思うけど)、高速道路の料金、映画館、遊園地、観光地なんかのボッタクリの料金設定などの改善できる可能性があることが明らかであるのに、あえてしないような機能的でもないのに不公平を感じる。「自分勝手な行動」なんかには不公平とは感じない。

■ 世の中で不公平を感じるといっても、ぱっと思い付かないので、身近なサークル内での不公平を感じることを書きます。サークルの中で、自分を副部長として仕事をしたり一年生に教えているのに、練習にも参加しないで、飲み会だのイベントの時だけ来る人には不公平を感じます。自分も練習に参加しないで一年生に教えもしないで、ただ楽しいイベントにだけ出たいと思うけど、誰かが一年生に教えたり、練習しにいかないとサークルが成り立たなくなってしまいます。苦労してサークルを運営している一方で、同じ2年生なのにイベントだけ来て、楽しんでるのには不公平を感じます。簡単に言えば、同じ集団のなかで同じ学年でやらなければならないことは平等なのに、一方で苦労してやってるのにもう一方で何もしない。そのことに不公平を感じます。自由に書きすぎてすいません。

■ 強盗や恐喝などを行う犯罪者が我が物顔でまちの中を歩いているとき。なぜ法からはみ出した犯罪者が威張って歩き、法のなかに拘束されている人々が不安にならなければならないのか。

■ 権力者が犯罪を犯しても有能な弁護士をやとったり、保険金を払ったりして犯罪から逃れられる。

■ 1年前に車に乗っていて右折違反で切符を切られたことがある。しかし友人の車で出かけた時、車に戻るとドアミラーに駐禁の輪っかがくくりつけられていた。彼は家に帰るとすぐに父親に話、彼の父はやおらどこかへ電話して「ひとつよろしく」と言っていた。次の日、その輪っかはキレイになくなっていた。彼の父は警察官である。私は二点原点の上、7000円の反則金をとられ、彼は何もなし。なぜ?

■ ○大学内においての単位の重み(世の中とは少し違うが)。文学部の友人に講義(専門科目)の話を聞くと映画や演劇を見て感想を書くだけで単位がくると言っていた。一方、他の学部ではそのような形態はなく、同じ単位とは考えられない。選挙の時の一票の重みと同じような気がする。そうは言ってもこれが不公平だと感じてよいのだろうか定かではないのだが。○外車の税金が高い(確かそうだった気が)

■ いつも授業に来て受けているのに全く来ない人と成績が同じであること。ということで社会心理学を出席を取ってほしかったです。

■ ビジネスホテルを予約する時に、ある代理店に頼んでやってもらったら「学生」といって予約したら駅から少し遠く、そして飯も食べにくいものを出された。そして親に同様のことをしてもらったら同じ金額で良いホテルを手配してくれた。同様のことは自分の周りの友達の何人かが言っていた。ホテル・代理店としてはサラリーマンと違い学生は粗末に扱ってもかまわないと考えたのだろうか。

■ 学歴差別:個々人の能力の高さ低さよりその人がどういう教育をうけてきたかによって差別される。特に企業に入る時など一流国公立、私立を卒業することが、あたかも参加資格のようにあつかわれている。

■ ○自分の頑張りが認められず、対してがんばっていない人が認められる時。Ex.成績○自分の友人(大してカッコ良くない)が女遊びをしていて楽しそうな時、○自給の低いバイト、○親のスネかじって海外旅行するやから、○早大生と比較される時

■ コネクションという言葉を耳にすると不公平さを感じる。しかしそう感じることで自分の発奮材料になると思う。これから教養、人脈、財力のことなどでどんな壁にぶちあたるかもわからない。

■ ○飲食店でもないのに、長髪を理由にバイトするのを断られた時、○利用者の少ない駅が、それの多い駅よりも多く電車が止まる。○サッカーの試合などで試合会場がホームグランドになるチームにとって有利なように審判が笛を吹くこと。ホームだからっていう理由はめちゃくちゃだと思う。審判がそんなんでいいんでしょうか。○昼休みに学食が使えない。

■ 今の世に限らず、なぜ偏見があるのか?もちろん自分も偏見があるので、あまりたいしたことは言えないのだが、自分に不利になる見方をされると非常に不公平を感じる。なぜ、自分を外見でしか判断してくれないのか、なぜ自分はこのような外見をしているのか(してしまっているのか)不公平というよりは不満である。

■ 私が日常生活の中で不公平と感じることは、なぜ年齢が上であるという理由だけでそのひとに敬語を使ったり、その人の発言を肯定するように気を使わなければならないのかということです。

■ タイは遅刻に対しておおらかとは日本人は時間に厳しいとか、アメリカ人の上司はみんなの考えを聞き、日本の上司はみんな意見より指示をすることが大切だとか、世界的な企業や団体のスタンダードをどこに置くべきかむずかしいと思った。

■ 例えば、東宝や四季などにおいてもっともも高い席が興味のあまりない人がもらったからといって、見ていて(あるいは寝ていて)、一番好きな人が安い席で見なくてはならないこと。または、高い席で見ても、その中でも見やすい場所は、そのような人々でしめられている現実に直面した時。

■ 不公平を感じることはほとんどない。普段生活していて憤りを感じたり、悲しい気持ちになることはあっても。強いてあげるならば授業に出なくてもノートを借りて単位をとっている人たち。でも、これは自分の中では合理的だと片づけている。

■ まじめにやっていない人が単位をとっているのを見た時。毎回出席している自分が落とした時、特にそう思う。

■ ○金持ちの人はどんどん金持ちになっていくが、貧乏な人は努力してもなかなか金持ちにはなれない。○学校名などでは就職などに差が着けられること、能力とかより学閥とかで差別されるのは不公平に感じる。○年金を払っても将来は払った分以下は支給されそうにないこと。

■ 考えかたにもよるとは思いますが、その人自身がどう思っているかということだと思います。世の中に生きているという意味ではみなさん同じではないかと思います。同じ状況に立っているのだから、あの人がこういうことをしたからいいなあと思っているくらいでそれは、そのひとのことをうらやましいと思う食らうであって不公平とは言えないと思うのです。僕も不公平と思うことはありますが、たぶんそういう感情が入っているからだと思います。

社会心理学4年男子

■この春に就職活動をやりましたが、企業によっては大学名を見て資料も送らないところがあると聞きました。最近では大学名を聞かない企業も増えてきたときいたが学生としては平等に扱ってもたいたい。普段生活している中では、レンタルビデオ屋やゲームソフト屋でレディースDAYなるものがあって、その日だけ女性は男性よりも割り引いたりスタンプなどを多くもらえる。こないだ行ったステーキ屋では女性だけドリンクサービスという店があったので、不公平と感じた。

 

 

 

社会心理学2年女子

■ 男女の雇用機会均等法になっているにもかかわらず、依然として女子の就職が男子に比べて困難であると思う。女性が出産、子育てをするから早期退職になるのは仕方ないとで、男性のも責任があるのに、女性は「腰掛け」のイメージがついていて就職が厳しいように思われる。○大学において努力が認められないことが多い。実力社会なのかもしれないが、要領の良い人が得をしているような気がする。

■ ○就職活動、男女の差○長男、長女の責任の重さ

■男女雇用機会均等法があるのに、女性の出世が遅かったりしている。転職を望まない女性や結婚、出産退職をする女性が多いからかもしれないが、労働意欲のある女性もいるのだから、もっと平等なあつかいをしてほしい。

■ 不公平を感じることといえば、男女不平等だと感じることが多々ありますね。私はサークル活動をしているんですが、部室のそうじとか雑用はなぜか女の子がやっています。当然のことのように。男の子で部屋をきれいにした部員は今まで誰もいません。女の子がすべきしごととされているのには不満を感じています。あと、ひとによって、同じ行為をした時の評価が異なる時にも不公平を感じます。なぜか人気のある人が失敗をしても笑ってごまかすだけですむのに、そうでない人の場合には気まずい空気がながれます。人気のある人が成果をあげるとみんなすごくほめたたえるのに、そうでない人のときにはたいして盛り上がることなく話題が変わってしまいます。なぜでしょうか?それってすごく不公平だなーと、グループでいる時はいつもそう思うものです。○貧富の差、やはり日本にもこの差はあると思う。○年齢差、高齢になるほど職がなくなっていく、しかも、就けたとしてもその職は若い人が就くよりもハードな職だったりするのである。そこにすごく憤りを感じる。○また官僚の人間と、普通の職にある人間との差。

■ ○えこひいき、○コネを使うこと、○受験においての帰国子女枠、普通より楽に入れる、○マスコミ関係の人が優先的にコンサートぴゃスポーツのチケットを手に入れることができること、○学歴などで区別されること

■ ○男女差別がある事、○背が高いか低いか、○頭が良いか悪いか、○運動ができるかできないか

■ ○生まれながらにして親がお金持ちであるかないかという点、○男女で差別される点、○運動新家にがもとから良いか悪いかということから、同じ努力をしても同じ結果が出ない点、○生まれた時に顔がよいか、悪いかといった点、○身長が高いか小さいかといった点、○日本人、白人、黒人といったように人種がわかれていることで差別される点、○勉強をいくらがんばっても要領がよい人の方がテストでよい点が取れたりする点、○生まれたところが都会であるか、田舎であるかで生活が変わってくるという点、○胃下垂はいくら食べても太らない点

■ ○白人はとてもスタイルがよいこと、○住んでいる環境(海がキレーなところで生まれたなど)、○親の仕事の関係で海外に留学した事で英語が話せるようになり、何かと有利であるということ、○いくら食べても胃下垂の人は太らないこと

■ ○子育てなどの負担が多い、○背が高いか、低いか、○住んでいる場所など

■ ○料金、映画を見に行く時など高校生・大学生・一般というふんに料金が違う。友人は同じ年でも大学にいかず働いているため一般料金で買っていた(300円も違う)。小学生ならまだわかるが高校生も大学生も一般もそんなにかわらないのになぜ料金がちがうのか。バイトの自給なども。○容姿、私の二つくらいしたの子たちは(知る限り)みんな細い。足が長い。また、くつを選ぶ時、だいたい24.0までしかなく足の大きい子はかわいい靴、ほしい靴が買えない。

■ 男女間の差別というものが、様々な法律などで改められつつあるものの、まだまだ実際の日常生活の中には残っているように思われる。例えば、職業についてのみてもまだまだ男女間でかたよりがあるように思える。確かに、男女それぞれがうけもった方が良い(本能的に適していたり)ものもあるかもしれない。けれども、実際に「この仕事は男(女)の方がするものだ」という観念にとらわれることで、自分の興味ある職業にむかっていきづらいということでもあると思う。あともう一つ、これはどうしようもない問題であると分かっているのだけれど、不景気で就職難が長引いているのがやりきれず、不公平だなー、と思います。

■ 昔からその土地に住んでいる地主は、ずるいと思う。特に私の地元は田舎なので地主の勢力がとても強い。一族が終結して広大な土地を所有し、企業も立ち上げていたりするのでコンサートなどがあっても、無料でチケットが手も入ったり、学校でも何かしら優遇されるから。田舎ならではの、閉ざされた世界(主に閉ざしているの地主達)に私たち家族のように新しく入っていくのはいろいろ大変だったし、驚くことも多かった。

■ ○他大学の学食は安いのに立教の学食は高いので不公平を感じる。○就職の時、コネがある人。公務員でさえコネがほとんどだと聞いて驚いた。

■ 大学に入るまで、公立の学校に通っていた私は、特に、大学生になって感じたことは、お金がある人は、本当に限りなくもっているんだということです。親の社会的地位の違いで今までの生活も違うのだと思い、不公平だなと思いました。

■ ○せっかく働いたのに税金でもっていかれる。働けばはたらくほど税金も高くなる。バイトしかしていないのに年金を払わなければならない。○なぜ私はNewYorkerに生まれなかったのか。○男女差

■ 学歴などにおいて、例えば経済的な理由などでいく能力も行きたいといいう意志もあるのに高校や大学へ進学できなかったとする。それでも、まだまだ残っているであろう学歴社会の部分にあてはまる場面に置かれたとき、「中卒だ、高卒だ」という事実がつきまとい、そのひびきだけ見てみると、不真面目なために中卒・高卒になったものと同じであるようにとられることを避けられない。

■ 国民年金を払わなかったら、請求はがきのようなものが来て、「規則は守りましょう」などと書いてあった。将来自分も世話になるものではなるが、私の乏しいバイト量で月々の年金を払うのはつらい。しかし年金の免除の対象になるには「親の収入」が条件になっていて、私の親には人並みに収入があるので免除されない。しかし年金は私が将来もらうためのものであるから親は払ってくれないし、私自身も払ってもらおうとは思わない。収入のない学生から年金を「規則だ」といって徴収するのは非常に不公平だと感じている。せめて就職が確認できたら、などの形にしてほしいものだ。

■ 私が世の中に不公平を感じるのはやはり金銭的なことである。アルバイトの昇給についてや都内と地元の給料格差など。第三者からみると昇給するかしないかなんて数十円の問題だろうと思われることが、とても気になってしまう。また、もうひとつ不公平を感じるのは外見についてである。髪が茶色いからといって遊んでいる、勉強していないと思われる。だったら髪を黒くしろなどといわれても、そうする必要はないと思う。そういう偏見を持つ人へというより社会に対して、「普通」と作り出しているものへ訴えたくなる。

■ ○自分の家が遠くて通学に時間がかかるのに、皆と同じ24時間しか与えられていないこと。○自分が自由に使えるお金に差があること。○仕事の要領のよさに違いがあること(自分に能力がないからだとわかってはいても、くやしい)

■ 日ごろ生活をしていて「女らしい」「男らしい」という考え方を押し付けられることがとても不公平だと思います。

■ 殺人犯などが、精神障害があるという理由で無罪になる場合があること。未成年だからという理由で、他人の人権をおかしながらも加害者の人権が守られること

■ 日本は集団主義というのは、我々誰もが知っていることであるが、このように深く掘り下げて考えていくと、また、ちがった視点から見れて非常に面白いと思いました。あと、電子ネットワークについてもやりましたが、この前の時間にとっている「情報行動論」という授業で同じような内容をしたので非常に興味深かったです。

■ 今の世の中について不公平に感じることは、商業威信スコア等があるように、人生において一度職業に就いたらその職業の地位、金銭的な面、時間的な拘束によって、その職にみあった生活を送らざるえないのではないだろうか。現代はほとんどが中流階級であるといわれているが、やはり家庭によって差があると思う。今のところこれといった不公平をかんじたことはありません。ただ東京などの都市には、新しファッションの新作が入荷したり、いろいろな美術展やコンサートがありますが、地方では文化に触れたりして生活を楽しむためのものが少ないような気がします。

■ 地方の人はのんびりできてそれがメリットになるかもしれませんが、都市まで足をのばさばくても自分のほしいものが手に入り、好きなイベントに参加できる機会が与えられてたら、都会の人と地方の人は平等になるのではないかと思います。

■ 今の世の中は、昔に比べ実力主義に次第になってきたには違いないけれど、不公平だらけの世の中だと思う。私が第一に言いたいのは、まず就職活動などにおいて何らかのコネがないと入社できないということがある。確かに何千人も受けに来た人をどうやって選ぶのかと考えるとコネが選ぶ時の基準になっているというのは簡単に考えられるだろう。同じ服、同じ髪型、同じ化粧、同じ持ち物、個性なんて何もありはしない。それでは選べないのだろう。しかし、そのコネを考えた時、今まで努力したコネのない人たちの頑張りはどうなるのだろうか。むくわれない努力なのであろうか。今、私が一番興味のあることは自分のこれからの一生の仕事となりうる天職をみつけるための就職活動である。それにむかい努力をすでにしている部分もある。もしコネで決められるのであれば耐えられない!

■ ○楽観主義の人と悲観主義の人がいること、○要領がいい人と努力が報われない人がいること、○才能を生かせる人とそうでない人がいること、日本人は自分の健康や心を犠牲にしてまでも会社のために働こうとする人が多いが、これは日本人を含めアジア人のような農耕社会を基盤としていた民族が集団を大切にしていることから来るものだとわかった。

■ ○海外と比べて通信料が高い(特に諸経費)、○地方と比べて人が多い

■ 洋服とか身につけれるものを売っている店が、女の子のほうがぜんぜん多くて、男の子は少なくてカワイソーだと思います。○バイトとかでも女の子は楽してかせげるけど、男の子はたいへんだと思う。かせぐのにたくさんからだを動かして、すこししかもらえなくてカワイソー。

■ あまり不公平を感じ、損したという体験はない。やはり女の子のほうが、得をしてきたように思うので、特に不公平と思うほどのことを感じたことはない。

■ 就職にお定、今の年代じゃなければ就職を今ほど心配しなくてもよかったのか思うと不公平を感じる。早く景気回復してほしい。

■ バイトで、男女によって態度を変える人がいる。例えば男にはとてもやさしいのに(本人は女)、女にはとても厳しい態度になる。なぜ、男である、女であるということだけで、こんなにも態度が違ってしまうのかと思う。

■ ○男女差別、バイト先の店長(男)は男と女によって態度を変えます。男に対してはすぐ怒鳴ったりするのですが、女には普通にやさしいです。○セクハラ、その店長は店長という立場を利用してか、あまり意見をはっきり言わないような女の子に対して必要以上に触ったりするなどのセクハラをしています。

■ 就職活動

■ 芸能人は顔だけで嫁いでいると思う

■ 人物の印象によって、例えばおなじようなことをして(態度をとっても)ある人は笑って済まされ、ある人は冷たい目で見られる、といったようなこと。また、デパートの店員が客の様子で態度を変えたり、男の人(もしくは女の人)が顔などでその人を評価(ランク付け)したりすることなどに、不公平感を感じることがあります。

■ 判断されるべきではない要素によって判断が決まる時。例えば入学試験の面接の場合、やる気などではなく、容姿を判断材料にしたり、または上司の気に入り度合いによって昇進が決まったりする時。感情を持ち込むべきでないのに、結局、人の感情によって物事が決定されてしまう時。

■ 生活の中で不公平を感じるのは、特にないけれど一方的に何かを勝手に決められていた時とか他人と比べた時漠然と感じることはある。気にしていたらきりがないし、こういうこと、と特別に限定できない。自分の努力とか気持ちの持ち方に左右されるように思う。

■ 私は「いわるゆ楽勝科目」で不公平を感じる。科目をん選ぶ際に内容への興味で履修を決めるため、偶然「楽勝科目」にあたってしまうことがある。そこで、なぜ不公平を感じるのかというと妥当な評価をしないため、自分のinputとoutputが見合わないからである。自分は毎回出席をし、じっくり授業を聞き、くわしくノートに取っていて大部分の人は出席もしないし、勉強もしないという科目は多数存在する。しかし、評価は「ほとんど全員B」などということが多い。そのような場合、一見平等であるが実際は、一人一人の努力の程度が違うのに評価が同じであるのは不公平である。

■ 自分は授業を真面目に出席して単位をとっているのに、普段、学校にほとんど来ない人でも単位をとれてしまう。私は男女の不平等について一番不公平を感じる。男女平等とされているが、就職の時や会社に勤めてからなど、いろいろな不平等があるという話しを新聞やテレビを通して、またいろいろな授業を通して聞く。性別は自分で自由に決められるものではないから、これは非常にひどい差別であると思う。

■ 金があるかないかで、決まってしまうことが多いのに不公平だと感じる、やりたいこと、目指すものは一緒でも、金があるなしで、金がある人の方が有利になる。例えばピアノが好きで、ピアノの勉強をしたくても、金がなければ先生につくこともできない。しかし金があれば良い先生に教えてもらったり、留学できたり、好きなようにレッスンすることができる。才能は同じでも金があるかないかで夢までも実現することができない。これはとても不公平だと思う。

■ 聞いた話ではあるが女子の就職の場合、外見で判断されないというのが本来あるべき姿だが、実施は、見かけの影響が大きいという。面接の際、いくら各人が各自の意欲をみせたところで、外見による判断が含まれるのは不公平である。あと、ほしいものを悩むことなく買える余裕のある人を見ると不公平を感じる。

■ 自分の努力ではどうにもならないことが不公平だと感じます。カワイイ顔した子、スタイルのいい子など外見的なこと。親がお金持ちのこも、ないとバイトしなくても、良い服をたくさんかったり、遊びにお金がたくさん使えて、ずるいなと思う。また。みんなで、一つの仕事をやっている時に、だれか一人だけさぼっていても不公平というかずるいなーと思う。

■ はっきりいってあまりない。例えば、就職のときはかわいい方が得!!だとか友達が言っていたが、まだ実際、そういうのを感じたことはない。身近なことでいえば、例えば大学の授業。たまに出席をとる授業、いつも出席してるのに、たまたま休んだ日に限って出席とる!!たまたまその日だけ出席した子はそれはラッキーだけど、それってくやしい、とかおもったことはある。初めにあまりないとは書いたものの、よく考えてみるとちょっとしたことで感じることはしょっちゅうなのかもしれない。この程度のことは日常茶飯事なので、当たり前になりつつあるのかもしれない。

■ 大学2年も終わりに近づき、就職のこととかを考えると同じ大学生なのに男女の差別を感じ、それだけで就職が不利になると思うとすごく不公平に思えます。また、父親が今まで自分に対して厳しかったことを思いだすと妹には甘く、同じ高校生だった時でもこんなに違うと思うと不公平に思えます。

■ ○スタイルや顔が美人などであつかいが違うこと。○男女間の差別がある。○生まれた時に親が選べないこと。○住んでいる場所の便利さ

■ ○コネで学校にはいったり就職する人がいること。努力しないですんなりと良い学校・会社に入ってしまう人がいること。○「女だから」ということでやらなければいけない、できないことが多いこと。今はそうでもなくなってきているが、家事は女がやるとか、育児も女がやるとか不公平であると思う。○就職も女性は就職できない。

■ 男女雇用機会均等法などで、女性の職場進出がのぞまれなければならないのに、実際、不況などの理由もあげられるけど、女性の就職が難しいことに不公平さを感じます。しかし、その不公平さは私にとって、小学校→中学校→高校→大学という過程の中で当然と考えるようになってきたと思います。卒業式で名前を先に呼ぶのは男子など、小さい頃から知らず知らずのうちに男性が優遇されるといった考えを身につけてきたと思います。私が女性だからそういった考えをもつのかもしれないです。

■ 普段は不公平だと感じるようなことはないが、結局要領のいい人が得をするようなことが多いので不公平だと思うこともある。それから不公平だと感じるのは、お金がある所にはあるし、何もしなくても持っている人もいるのに、労働条件が悪いにも関わらずそこで働くしかないような人がいると実感した時もそうである。しかしめったに感じることはないし、不公平だと自分が思えば不公平なのだろうが、思わなければ常に生じるようなものではないと思う。

■ 何をするにしても、いろいろ企業がありすぎて困る。新聞でも電話回線、建設、設計、パソコンなど、一社であれば迷うことなく選べるのに一つの商品についていろいろ会社から出ているので、何を買うにも迷ってしまう。目で見て特徴が顕著であればそんなに迷わず買えるのだがあまり違いが見られないもの、例えば新聞などは同じ情報を得て、同じように構成するのだから、スポーツ紙、地域新聞、など別にして何社もいらないと思う。毎日新聞、朝日、読売、これらは似たり寄ったりなのだからひとつにまとめれば、取材も今みたいに大人数で取り囲んで数台のカメラ、マイクを向けなくても小人数で、答える側も邪魔にならずに迷惑と感じることも少なくなって、良い回答が得られるのではないかと思う。不景気ということで、銀行などは合併して少なくなってきている。他の企業も、大会社にして良いものを一つに絞って、作ってみたらどうだろうかと思う。

■ 電子ネットワークについては私も利用しているのでくわしく知りたい。また、男性の方が多いというのは意外であった。情勢の方が電子ネットワークのようなめずらしいものにとびつくのかと思っていた。

■ 私は今、生活をしていて不公平に感じることはあまりない。まだ私は学生なので大学は大きくても、やはり社会のほんの一部しか見ていないのだと思う。つきあう友人も皆生活レベルが同程度のひとばかりなので、周りに特別に良くない待遇をされている人もいない。強いて言えば男女の扱いの違いだ。「女である」という理由だけで軽く見られる状態は非常によく見られると思う。これは人権問題にからめたりすると大きな問題になりがちだが、私個人的にはそうでもない。軽視されるのは確かにくやしいのだが、その分、どこかで女は楽をしたり得をしたりしているのだと思う。だから私は、この問題を、そんなに騒ぐほど不公平ではないと思う。

■ 何かしている時に、都合によって「もう大人だから」とか「まだ子どもだから」とか言われること。まだ、「女だから〜だ」とか、性別で物事を判断したり、されたりすることが不公平だと思う。この性的な差別が就職活動などになるとまた改めて感じることではないかと思う。

■ 一人でいる時、他の人が楽しそうに群がっていると自分は孤独なのに、どうしてその人たちは幸せそうなのかと思い、世の中は不公平だと思う。特に自分がさびしいときや悲しい時に思う。金銭的な面で不公平を感じるのはバイトをしている時などに感じる。また、住んでいるところに学校が近い人は早く帰らなくては、と思うことがないので自分と違っていいなと思い、自分が近くに住めないので不公平に思う。

■ 普段の生活で直接不公平であると感じることはないが、男女の雇用条件は不公平であると思う。女性がいくら総合職希望をしても「女であるから」という一言で採用されないことが実際にあるらしい。男女雇用機会均等法が正しく機能をしていないことは問題であると思うと、男女差での不公平を感じる世の中は改善されなければいけないと思う。

■ 「男性化」「女性化」は性差別だと思う

○ ほしい商品のサイズが必ずといって良いほど男性サイズしかない

○ 設備費用を払っているのにコンピュータールームが混んでて使えない

○ 仕事の大変なバイトより楽な仕事のバイトの方が時給が良いことがある

○ 今まで単位として数えてもらえなかった課外授業が単位つきになった

■ 最近、私が不公平に感じると強く思うのは「教育の自由」についてである。教育を受けるためには、とりわけ、大学や専門職などの高等教育を受けるためには、多額のお金が必要となり、これは所得の低い階層に生まれた人々によってはとても不利なことである。現代社会では「機会の平等」という人権が浸透していると言われるが、実際には高等な学問は、どの国でも、比較的裕福な層で生まれ育った人でしか受けられない。このうようなことを最近強く感じるようになったのは、私が最近「留学」というのも視野に入れて、するかどうか考えているという個人的なことが背景にある。その「留学」を例にとっても、例えば金銭的に余裕がないので、学費免除の特待生になろうと思っても、そのためには語学を自主的に学ぶために、多額の費用が必要となり、またそのために働いていてさらにお金をかせがなければならなくなる。富裕層にとってはそのようなお金をあまりかせがなくても語学等に専念できる時間が自由にとれ、逆に金銭的溶融のない日とにとっては勉強するために貴重な時間をお金を稼ぐ時間に割かなければならない。富裕層にとっては本人の意欲さえあれば、幼少の頃からそうした出費を伴う教育を受けられ、年を積み重ねていくほど、金銭的に余裕のない沿う世の学歴差はますます大きく開いていく。このような現象は何も「教育」に限った子とではないだろう。一般的に何らかの「能力」を身につけるために自己投資することにおいては「教育」と同様な序ぷ恭賀生まれやすくなると思われる。これから日本社会が、今まで以上に個人の「能力」が求められる時代となれば、欧米のように貧富の差が拡大していくことは避けられないだろう。それが資本主義だ、と言われればそれまでだが、少なくとも「能力」を身につけるためには、「投資」つまりお金がなければ話にならないのだから。

■ ○社会保障制度のもとに保護されているのは問題無いが、義務―納税を果たす気がない人々納税者が養っていること。○生まれ持ってうけた資本の格差、経済資本とか文化資本。あと姿、形などの見た目の善し悪しなど

○ 自営業とサラリーマンの納税の仕方の違い。○年金制度

■ とくにないです。バイト先で、自分よりあまり働かないひとが自分より時給がいいこと。

■ ○私は全く初対面の日とに対して感じが良い方ではないのですが、性格によっては初対面の人とすぐ楽しく話したりすることが、何の苦労もなくできるような人もいます。というのは、本人ではないので、予想としてですが、でも、あまり積極性のない人とか私とかよりは、かなりそういう面で楽な思いをしながらも、多くの人といい関係を保っていることに不公平というか、うらやましさを感じます。努力すれば、そういったことはある程度までは回復できるけれども、やはり性格というのは今までの環境やもって生まれた血によるものも影響が大きいことを思い知らされるばかりです。○各家庭の裕福さに行いて不公平を、今更ながら感じます。私はバイトと奨学金と親からの家賃代だけで生活しているのですが、友人にバイトもしていないのに、ドイツへ行ったり、ジムへ行ったり、高いコンサートへ何度も行ったりする人がいます。それはどうにもならないことであるというのは幼い頃から百も承知ですが、やはりずるいと考えてしまう。○自分で言っていることに、発することに自信がもてない。私にはそういうところがあるが、それ以上に一般的に間違ったことを発してしまうからです。もっと良く考えて発せば、間違いないのでしょうか。皆、そんなに考えて言葉を発するんでしょうか。私は、一般的、社会的にあまりあっていない気がして、不公平と思う。

■ バイト先で、自分も同じ仕事をしているのにマネージャーに気に入られた人が時給が高くなってしまうこと。友達は親からお小遣いをもらってさらにバイトをしてお金があるのでほしいものをいっぱい返るが私は安い自給でのバイトの給料しかないので、いつもお金がないし、忙しい。

■ 姉妹間でお年玉の額が違うこと。パソコンが姉妹兼用なのに姉の部屋にあること。

■ 男女差、就職後もやっぱり女の人は結婚するとやめざるを得ないような状況になりそう。身長差、バイトとかでも153cm以下は駄目っていうのがあったりとか。

■ 異文化行動を学んだ。国によって人間の行動に違いがあるのはとてもよくわかる気がします。その違い(ギャップ)をうめるには相当な努力が要ると思う。正反対の例(集団−個人)はとても分かりやすかった。

■ ○遅く帰ってきたら、「女の子なのに」と言われること。○社員であったり、年をとったりするだけで、アルバイトより格段の差で仕事(特に力仕事)をしない。○男女で何か食事に行ったりして、男性の方が多く食べているのに、値段を半分(ワリカン)で払わなければならない。○その日とが、人なつこい性格であったり、好かれる性格であるという、生まれながら、その人の家庭環境の影響ということだけで、いつでも人間関係にめぐまれて苦労しない。努力しなくてもうまくいく。育った環境で努力しなくてはならない人と努力しなくてもいい人がいる。○かわいいというだけで許される。○福祉に関わることや、精神病院などとてもつらい仕事ほどお兼ねをもらえず、そこで働いていることに対して偏見を持つ。○立教大学に通っているというだけで、お高くとまっていると思われる。○中国語を真剣に勉強したいと思っていても世の中は英語重視のため非難される。○日本人なのに何ができるわけでなく、ただ小さい頃に外国に住んでいて、英語ができると言うことだけで評価される。

■ レポートにも書いたのですが、男女間におけるコミュニケーションはとても難しい。文化がそれぞれの国によって全く異なる上に、言葉の違いもあるので信頼関係を築くのは困難である。電子ネットワークにおける参加者についても納得することが多かった。利用者は高収入、高学歴の人が現在は多いが、これからコンピューターがどんどん浸透していくので、一般の人々や収入に関係なく、子どもや老人もつかいこなすようになるだろう。

■ 不公平だ、というよりもそういうものだと半分認めているけれども、やっぱり社会って階層があるのだと思う。どんなに勉強しても数多くの普通の人は普通の稼ぎしかできないわけだし、遊んでても金持ちは金持ち。かえって遊んでいるほうはお金が溜まるのでは?と思うけれど、それはまた社会心理とは違った心理と関係しているように思う。前にも授業でやったけれど、職業が社会階層に大きく起因している、というのはそのとおりだと思う。例外もあるけれどカエルの子はカエル、というのはあながちウソでもないような気がする。私にとって不公平だと思うときは、そういった社会階層からくるもののように思います。

 


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