硬式野球部

神宮の主役達 vol.1 多田野数人
〜マウンドに帰る日を目指して〜

  痛みは突然襲ってきた。生命線の右ヒジに激痛が走る。投げていれば、そのうち治まると思った。しかし、痛みは引かない。背番号11は、ただマウンドを去るしかなかった―。
 
フル回転の代償

 昨春のリーグ戦、上野(現巨人)が故障し、エース格としてフル回転していた多田野(観3)はそれまでの10試合中7試合に登板。対東大1回戦、対慶大1回戦で連続完封するなど絶好調ぶりは目を引いていた。同2回戦で持永(経4)を救援し、さらに対明大1回戦で完投勝利を挙げる。同2回戦での救援、同4回戦での先発では結果を出せず明大に勝ち点を許すが、対早大1回戦では延長10回を投げ抜き、勝ち星をシーズン自己最多の4まで積み重ねた。
 だが連投に継ぐ連投の陰で、知らず知らずのうちにエース右腕の右ヒジはむしばまれていった。斎藤監督が肩ヒジに負担がかかりやすいと指摘した独特の投球フォームも、災いしたのだろう。右ヒジは今にも悲鳴をあげようとしていた。

 勝ち点をかけた5月15日の対早大3回戦。多田野は当然のようにマウンドに上がる。一、二回まで31球と快調に飛ばしたその右腕に、けがの陰などまったく見られなかった。伸びのよい直球が、今村(観4)のミットに吸い込まれていく。1−0で迎えた三回も先頭の野口を1球で右飛に打ち取り、打者は九番の投手和田。が、ここで突如球速が落ちる。時折140`を計時していた直球が、128`と変化球と見まがうほどに。それは、ヒジが悲鳴をあげ、多田野に限界を伝えた瞬間だった。和田に右前打を許すと、二死二塁から井川に右前に運ばれ同点に追い付かれる。血相を変えて斎藤監督がベンチから飛び出しマウンドへ。そして球審に交代を告げた。
  
 診断は「軽度のじん帯損傷」。場所が場所だけに心配されたが、幸いにも軽症ということで、秋季リーグで雄姿が見られることを誰も疑わなかった。本人が一番、秋の復活劇を期待していただろう。しかし迎えた秋、序盤2試合に救援しただけでマウンドからその姿は消える。
 夏場の努力を無駄にしたくなかった。「飲んじゃいけないとわかっていた」という痛み止めを服用してまで登板したが、痛みは消えない。ストライプのユニフォームを濃紺のブレザーに着替え、神宮球場の内野席から野球を見る日々が始まった。

ユニフォームを脱いで

 まったく違う景色が広がっていた。ベンチとは違う、観客席からのグラウンド。そこで多田野は、客観的に野球を見ることができたという。内外野のポジショニング、グラウンドを包む大学野球独特の雰囲気など、ベンチを外れて初めて気付くことは多かった。
 
 内野席から見つめ続けた秋季リーグ戦の最終戦で、上重(コ3)が完全試合を達成する。一気にスターダムにのし上がった上重の活躍は、よい刺激となった。苦闘が続いていた友の快挙に試合後、球場外の駐車場で笑顔を見せていたが、その笑顔の裏で自身の戦いはまだ続いていた。
 「とにかく(けがをする)前(の状態)に戻すことだけ考えていた」。周りを気にせずに、ただそれだけを考えていた。だが、右ひじの痛みは一向によくならない。何軒かの病院を回るが、診断は芳しくなかった。一時はメスを入れることも覚悟したというほどまで追い詰められたという。
 そんな多田野の励みとなっていたのが、周りの友人やファンからの励ましだった。多くの人たちに支えられながら、一歩一歩復活への階段を上っていく。最終的に手術は回避され、21世紀を迎えるころには、痛みはもう消え去っていた。

もう一度、エースとして

 1・2月はまだ不安があった。焦りにつながらないよう、自分に言い聞かせる。投げていて、いつまた痛みが再発するかわからない。ヒジが張るたびにドキリとした。それでも鹿児島キャンプ、オープン戦と経て徐々に自信が戻ってくる。十分投げ込みもできた。次第に不安は払拭されていった。
 最終調整となった4月9日の東京ガスとのオープン戦。調子は良くなかったというが、9回を6安打2失点(自責点1)に抑える。開幕を1週間後に控え、「始まってみないと・・・」と多少不安ものぞかせるが、「前と同じレベルに戻った」と力強く言い切った。「早くやりたい」と気持ちがはやる。けがさえ治れば、3年目を迎える右腕の調整に狂いはない。
 「自分の勝ち星より、チームの勝ち、優勝が一番です」。1年の秋から遠ざかっている天皇杯の奪還のために、身を粉にして投げる覚悟はできている。決して数字目標は挙げようとしないが、強いて言えば「5勝0敗がベスト」。先発する5試合全てに勝つということだ。それはいまだ勝ち星がなく、意識するという法大からの勝利を誓ったものでもある。現役に法大から勝ち星を挙げた投手はいない。勝ち点でさえ長らく遠ざかっている。避けて通れない法大という壁を乗り越えたとき初めて、悲願が達成されるのだ。それはまた、多田野が上野を勝ち星で上回ることも意味している。

 今年からは、入学以来刺激しあってきた上重と先発二本柱を担う。六大学屈指の先発陣として、その前評判は非常に高い。
 98年夏の甲子園、1回戦の八千代松陰高対PL学園高の試合で、多田野と上重は互いにエースとして投げ合った。不思議な縁でその二人が本学に入学して、もう3年目になる。多田野の優勝、開幕戦先発、故障リタイア。上重のスランプ、打者転向、完全試合。語り尽くせないほど濃密な2年間だった。ようやく今、二人そろって先発の重責を果たそうとしている。
 実績でリード(8勝、上重は5勝)する多田野は「大舞台の経験もあるし、上重の方が全部上」と語り、その上で「上重と一緒のことをしていては駄目」とさらなる高みを目指す。上重も「多田野がエース」とその実力を認める。刺激しあい、認め合って二人は成長してきた。

 好敵手に刺激を受け、多くの人々に支えられて乗り越えた右ヒジの故障。万感を胸に、復活の一球を投げ込む日は、もうすぐそこまで迫っている。

多田野数人(ただの かずひと) 背番号11 投手 右投右打 181a、75`
観光学部観光学科3年 通算成績 25試合 8勝3敗 119回1/3 防御率1.66
(坂本)