神宮の主役達 vol.2 上重聡
〜重圧と戦い続けて〜
産みの苦しみの末に勝ち取った初勝利。それまでの道のりは厳しく、「長かった」。それからわずか1シーズンで5勝を積み重ね、最終戦で完全試合の偉業を達成。抜群の知名度に実力も兼ね備えた上重(コ3)の、注目と期待を一身に集めた大学3年春のシーズンが始まった。
何一つ変わらないままで
何一つ変わっていなかった。今季初登板となった対明大2回戦。「六番、ピッチャー上重君」とアナウンスされても拍手はまばら。観衆もいつもどおり。上重自身もマウンドに立った時、襲ってきたのは初登板の緊張だけだったという。完全試合後初の公式戦登板だが、まるで上重も観衆も、「完全試合」などなかったかのようだった。
ただ、変わったことが一つだけあった。背番号「18」。“エース”上野(現巨人)から引き継いだ。「かっこいいじゃないですか」と笑うが、それに込められた意味の大きさも上重はわかっている。
明大戦では5回1/3、3安打、5四死球、失点1の86球で交代となってしまう。実質2季目となる今季、真価が問われるシーズンで早くもつまづいてしまった。全体的に制球が定まらない中で、スライダーを多投してどうにか要所を締めていたが、昨秋の上重の姿はそこにはなかった。
4月2日の中大とのオープン戦で4安打完封。調整は順調に進んでいたようだった。が、その後調子は下降線をたどる。開幕1週間前に話を聞いても、どことなく歯切れが悪い。本人が一番、わかっていたのだろう。
迎えた明大戦では毎回のように走者を出し、三回裏には二死から連続四球など精彩を欠く。四・五回には球速が落ち、130`台中盤だったのが130`台序盤をどうにか計時するまでに。
その原因はフォームの微妙な乱れにある。わずかな乱れが、全体に影響を及ぼした。
試合後、「全てが乱れていた」と語る上重。「調子が悪い」「とにかく悪い」という言葉が口をついて出てくる。コメントは自嘲気味で、顔には苦笑いが浮かんでいた。しかし、目は笑っていない。先発投手としての責任を果たせなかったという思いがそこにある。
「プレッシャーになるとずっと思っていた」完全試合後初の公式戦登板。「マウンドに上がれば関係なかった」というが、影響がまったくなかったということはなかったであろう。近付くにつれて意識することもあったのではないだろうか。「完全試合投手」に恥じない投球をしなくては―。
上重がこう思ったかどうかは定かではない。思ったとしても乗り越えなくてはならない壁だった。それとも調子が悪すぎてそこまで考えることができなかったのか。ともかく、上重の野球生活は重圧とともにある。常にそれを跳ね返してきた。入学以来ずっと―。
期待を背負って
上野(現巨人)をして「多田野(観3)より上」と言わしめる素質、松坂(横浜高、現西武)と延長十七回の死闘を繰り広げた抜群の知名度、そして名門PL学園高のエースだったという実績。本学の屋台骨を背負って立つことが期待されての入学だった。
早速1年の春から登板の機会が与えられる。開幕カードの対慶大2回戦。1回を四球の走者一人を許しただけで零封とまずまずの大学デビューを果たす。春はその後5試合、10回を投げて防御率0.90という成績だった。しかし初登板、初先発、初勝利ともすべて多田野に先を越される。今後本学を背負って立つと目されていた二人の戦いは、多田野が先行する形で始まった。
巻き返しを期した秋、その差はますます開くばかりだった。開幕から先発を任された多田野は安定感あふれる投球を披露。対慶大2回戦で初完封を記録するなど、3勝を挙げ優勝に大きく貢献する。日本一を決める明治神宮野球大会では2試合続けて先発の重責を担った。
対照的に上重は1試合の出場にとどまる。しかも野手、代打としての出場。1球も投げられないままシーズンを終え、閉幕後の新人戦でもいまひとつ。斎藤新監督を迎えてもアピールすることが出来ないまま、春のオープン戦を迎える。
開幕まで約2週間と迫った3月23日、日大戦の先発マウンドに上重は立っていた。上野が故障し、誰を先発に持ってくるのか。結果を残したいマウンドで、上重は打ち崩された。今となれば、これが良い方向に作用した。監督も「これでようやく決心がついたようだ」というように、それから投球フォームの改良に取り組んだ。大きな転機だった。
その矢先、チーム事情で外野手として出場する機会が巡って来る。今村(観4)がけがで戦線を離脱し、左翼を守っていた法村が捕手へと回る。空いた左翼に入ったのが上重だった。
5月1日の対明大3回戦、代打で1安打を放つと、翌日はいきなりスタメン五番で2安打1打点の活躍。その打撃を高く評価していた監督の思い切った抜擢に応える。さらに対早大1回戦では四番に入った。左翼守備でも好守を連発し野球センスの高さを見せつけ、存在感を誇示する。「副業」とも言うべき打撃での活躍は、秋への序曲でもあった。
外野を守ったことは、上重に多大な影響を与えた。本塁への返球が2bもシュートしたことで、自身のフォームの欠点をハッキリと自覚できた。また、理想の投手像が大きく変わった。外野で守備についたときや、ベンチで「打者」として他校の投手を見たとき、特に速くもない、鋭い変化球を持たない投手なのに、なぜ打てないのかと思った。これがきっかけとなって、上重は打ちにくい投手へと変わっていく。夏、全日本大学選手権を制した亜大や青学大とのオープン戦などで結果を出し、上重は再び「投手」として神宮球場に帰ってきた。
舞い戻った舞台
「当たって砕けろ」という気持ちで臨んだ昨秋の活躍は記憶に新しい。開幕第2戦、対早大2回戦で8回1/3を1失点に抑えて初勝利。
「期待されて入ってきたので、長かった」というが、一度勝てば後は早かった。最終戦、対東大2回戦で完全試合を達成し、復活のシーズンを派手に締めくくった。
その記念すべきウイニングボールは今、野球体育博物館で展示されている。伝統の東京六大学史上2人目の快挙を達成し、「上重」の名は再び全国に轟いた
これからは常に「完全試合投手」という言葉がついて回る。意識しないようにしても、周りが放っておかない。が、注目された初登板が終わってそれも一段落。今はチームの勝ちだけを考えている。先発投手として、チームへの責任を口にするようになった。言われたことだけをしていたトレーニングも、自分から積極的に取り組む。その成果が出て体力面で自信が持てるようになったという。
上重には、ライバルが2人いる。「ライバルは自分です」という人が増えている昨今、ハッキリとここまで口にするのも珍しい。一人はチームメイトの多田野。もう一人は言わずと知れた日本のエース松坂。この二人からは常に刺激を受けるという。エースに刺激を受け、エースの座を巡って争う。
「去年は出来すぎ」と謙虚に語っていたが、実際、今年結果を残さなくてはまた何を言われるかわからない。甲子園の熱投の印象があまりにも強過ぎて、昨秋以前は「甲子園で燃え尽きた」などと言われることもあったという。「完全試合だけだった」などと言わせるつもりはない。「優勝パレードで(一昨年乗れなかった)オープンカーに乗りたいですね」。それは優勝に貢献したという証。その証をつかむために、上重はマウンドに上がり続ける。
上重聡(かみしげ さとし) 背番号18 投手
右投右打 181a、77`
コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科3年
通算成績 18試合 5勝2敗 59回1/3 防御率2.12(坂本)