取材をしていると、ふと感じるものがある。本来、わたしたちは選手の活躍ぶりを写真やメモに収めている。だけどその他に感じる何かがそこにある。その場その場の雰囲気とかがそう。それが現地取材の面白さであると言っていい。
本学ボート部の舞台は戸田にセッティングされている。戸田公園駅から歩いて10分ほどの所にある漕艇場。オリンピックコースにも認定されている荘厳な場所である。毎年、ここで多くの選手が汗水を流し、多くの観衆が歓喜と涙に包まれていった。
わたしはそんな戸田で取材を繰り返すたび、すっかりボートの虜になってしまったようだ。ゴールにむかってひたすらこぐその姿、水を蹴る音。一度感じていただければその迫力をお分かり頂けるであろう。確かにボートは個人技を持つブラジル代表のようなファンタジスタは存在しない。単調とさえ言える動きかもしれない。それでも戸田に来た人間は必ずボートの虜になる。なぜだろう…
思うにボートは見て楽しむだけのスポーツではなさそうだ。テレビ中継を見ても何かが足りなかった。何かが寂しかった。わたしはボートの真の魅力を模索していた。そして考えるに考え、ようやくファイナルアンサーが出た。
その答えは戸田漕艇場を盛り立てる空気と存在、まさしくそれであった。
先日のテレビ中継は全日本選手権、つまり大学、企業を含めた日本一決定戦である。当然、厳重な体制のもと行われたのだが、残念なことにその厳重な体制がある空気と存在を消していた。
空気――。それは選手と伴走する自転車だ。多くの人が自転車から声援を送る。ゴール間近になるとその声援は一段と大きくなる。
「ラスト250(メートル)!」「リッキョー!」
そこにはレースに参加しない人間なんていない。すべてが一つになる瞬間。チームを愛するからこそ叫ぶのだ。その光景は一見、異様ともとれる。それでも戸田には必要だ。あれがなくてボートと言えるのだろうか。全日本選手権ではテレビ中継車が通るため、自転車の伴走が禁止されていた。何かが物足りなかったのもうなずける。
存在――。それは釣りを楽しむ人たち。レースそっちのけで釣りに没頭する人間が戸田漕艇場には存在する。小さな子供、親子、おじさんなど年齢層も広い。この前、後輩が釣りをする老夫婦に何が釣れるのか尋ねてみた。すると老夫婦は「ブラックバスとギルが釣れるんだよ。でも今日は駄目だね〜。」と気さくに答えてくれた。彼らは選手たちにとってみれば気が散る存在かもしれない。しかし釣り人の存在も戸田には必要だと思った。彼らは戦場に小さいながらもほのぼのした愛を運んでくれる。だから戸田は厳粛な中にもどこか懐かしさを感じてしまう。
ボートは目で見るだけの競技ではない。心で見る競技だ。戸田漕艇場にある空気、存在それがあるからこそボートは魅力的なのだと思う。
今年も残すところ全日本大学選手権のみとなってしまった。次は伴走もできる。選手と共に心の叫びを分かち合える。それでいい。ボートはそれでいい。
そして釣り人たちよ。願わくば8月最後の大会で大きなブラックバスを釣ってくれ。真夏の太陽の下、形はどうあれ学生と共に喜び合おうではないか。
戸田で取材をして実感したこと、戸田漕艇場には「愛」という言葉がふさわしい。
少なからずわたしはそう思う。
(田代)