硬式野球部

 place A 「神宮の森
    〜下手クソなキャッチボール〜」


  
 
 信濃町駅の改札を出ると歩道橋がある。ふと上を見ると吸い込まれそうな青い空、真下には文明の利器・自動車が豪快に走る。
 神宮球場に向けて歩く道。いつも通る道。いつからだろう、気が付けばこの道を歩くだけで幸せになれる自分がいた。
 東京という大都市のど真ん中で日常にはない異空間――。 
 
 神宮の森。この森に入ると不思議の国にでも迷い込んだ気がする。なぜだか分からないが、この空間にいる人間すべてが笑顔に満ちているのだ。不思議な感覚がここにはある。

 絵画にふける青年。
 観光を楽しむ外国人。
 児童遊園を目指し、よちよち歩きをする愛らしい子供。
 ベンチで気持ちよさそうに日なたぼっこをする老人。
 犬の散歩にジョギング。
 サッカーのパス回しをする少年たち。
 
 皆、笑顔である。
「暗い世の中、無常の平和。苦しい時代を現代人は必死で生きている」にもかかわらずだ。屈託のない笑顔からは苦悩のかけらも感じない。 

 さらに足を進めると、草野球をするオヤジさんたちを目にする。そのプレーはうまいとはいえないかもしれない。それでも、彼らの日ごろの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのごとく大きな笑い声と満面の笑顔に思わず足が止まる。
 純粋にスポーツを楽しむ姿。成長しすぎた野球少年たちが今日もにぎわう。  
 多目的であるがゆえに、たくさんの笑顔があるこの広場。裏を返せば、統一感のない空間と言える。だが、そんなコミュニケーションしきれないこの空間が憎めない。いうならば、下手クソなキャッチボールをしているかのようだ。
 
 草野球のグラウンドをぬけた途端、一転して大きな歓声とブラスバンドの音がこだました。胸打つその鼓動に俄然(がぜん)気持ちが高ぶる。
 今日も応援席には学生が目立つ。昨年よりもその数が増えた気がする。当然だろう、部員が増して一層勇ましくなった応援団と華麗なチアリーディング、吹奏楽の音色が試合に華を添えているのだから。野球の好き嫌いうんぬんとは別に、学生がもっとスタンドにくれば良いのにと思う。切なる願い。
 
 それにしても神宮球場はきれいだ。緑の人工芝に青いスタンド、閉鎖感のない青空。それでいて人間の創造物・高いビルが球場を眺めている。そのコントラストと独特のにおいが趣深い。この球場のファンが多いのもうなずける。
 また、この森には国立競技場をはじめ数多くのスポーツ施設が存在する。同じ森の中で互いの個性をぶつけ合う。そんな不器用で下手クソな関係を自然が取り巻いてくれるのだ。そんな空間が何よりも微笑ましいのである。

 
 この世知辛い世の中、疲れたり、悩んだり、それでも皆頑張っている。癒しを求めたがる時代だが、人任せも気に食わない。そんな笑顔や希望がほしいときは自分の足で神宮へ行くのが良い。緑が生い茂るこの空間に迷い込めば、胸がスーッとする不思議な感覚に陥るはずだ。 
 
 神宮の森、そこには笑顔がある。
 

 試合後の帰路。今日もこの広場で見つけたぞ、キャッチボールをする親子。ジャイアンツ帽をかぶるその少年は慣れない動きで父親の胸目掛けて懸命にボールを投げていた。まだまだ幼い下手クソなキャッチボール。
 そして確認。
 少年の表情は帽子のつばで見えないものの、口元は―、
 
 やはり笑みを浮かべていた。

                                (2003年5月13日・田代)