同期である吉井、寺岡に誰よりも大きな声援を送り、主務としてテニス部を支え続けた中條奈保子(法4)。
大学入学後、迷うことなくテニスサークルに入った彼女。しかし、徐々に物足りなさや不満を感じ始め、8月に体育会テニス部の門をたたいた。
「だらしない自分が嫌になり、厳しい環境に身を置こうと決めた」
しかし、現実は予想以上に厳しかった。部という組織の中で一年生に課される仕事はもちろん、それ以上に中條を苦しめたのは約半年間の遅れによる価値観の違い、そのために生じる数々の衝突。何度も辞めようと思い、先輩に「辞めます」そう言ってテニス部を離れた時期もあった。
2年生の6月、リーグ戦を終え、代交代が行われた。一つ上の学年は部員が一人しかおらず、中條に主務の大役が回ってきた。
「テニスが一番集中できる学年にどうして主務をやらなくてはいけないのだろう」
慣れない仕事ばかりに気持ちが向き、テニスに集中できなくなってしまった。
そんな彼女に3年生の夏、リーグ戦出場の機会が与えられた。しかし、シングルスで出場するものの調子が悪く、初戦のみでレギュラーを外されてしまう。
「仕事のためだけにこの部にいなきゃいけないのか」
試合に出たいという思いと葛藤しながら、気持ちを切り替えた。
「部が勝つために出来ることをしよう」
プレーヤーがいかに気持ち良く試合が出来るかということを考えた。審判への抗議やコート整備、雨天時のインドアコートの確保・・・。プレーヤーにはできない、自分にしかできない仕事を積極的にこなした。
そして4年生、最後のリーグ戦――。
「試合に出られない分、自分はとにかく応援で勝つんだ」
試合中、誰よりも大きな声で応援歌を歌う中條。選手に声を掛け、時にはガッツポーズを見せた。試合出場はなかったものの、チームにとっての大きな大きな力となった。
しかし、チームは3部との入れ替え戦に回ることになる。その試合で、彼女は、プレーヤーとしてコートに立っていた。みんなの勝利を願い、応援し続けてきた中條。その中條が臨んだ最後の試合。コートのそばには彼女を支え続けた両親の姿があった。恥ずかしくて「絶対来ないで」とずっと試合への来場を断ってきたが、最後のリーグ戦だけは「見に来て欲しい」と自分から言った。
「みんなの応援がすごく嬉しくて楽しんでできた」
そう試合後に話してくれた彼女の笑顔は、今まで胸に引っかかっていた何かがすっと消えたかのように見えた。
「応援って、される側にとってあんなに励みになるんだって思った」
4年間、チームを支え、仲間を思い、応援し続けた中條奈保子――。卒業後、就職はせずに法律の勉強に励むという。
「やってるときは辛いだけ。でもいい思い出だけが残る」
確かな軌跡を残し、新たな道を歩き始める彼女を心から応援したい。
(2003年11月22日・米倉)