「あきらめないでほしい」「あきらめてほしくない」
後輩に伝えたいこととして多々見(済4)が強調した言葉だ。苦難をパワーに変え戦い続けてきたアスリートの姿がそこにあった。
中学ではバスケットボール部を断念する原因となったケガを負った。
それを機に陸上部に入ると、北海道で6位まで駆け上がった。
高校ではそれまで専門としていた100m、200mで「使いものにならない」と指導者に言われた。
そこから取り組んだ400mで全国レベルにのし上がる。
初めて出場した高校2年時のインターハイでは、2本目の準決勝で力を出すことができなかった。
翌年のインターハイでは課題を克服し、決勝に残り8位入賞。
立大入学直後は、高校と比べて厳しさが足りない部の体質に不安があった。
それでもハイレベルな同期と切磋琢磨(せっさたくま)し、1年の時から主軸として結果を残す。
シーズン前半気持ちが先走り結果を出せなかった2年次。
一時は「辞めようか」とまで悩んだが、シーズン後半で持ち直す。
3年次には入学のきっかけとなった恩師の退任があった。
それでも幹部学年の自覚から後輩を引っ張り、自身は立大記録を連発。
関東インカレでは決勝に進出した。
4年次では前シーズンからケガが治らず、思うような走りができなかった。
チームのために「立教らしく」を求めて、最後まで戦い抜いた。
外から見れば困難だと思うことでも、前向きな気持ちを忘れずに走り続け
た多々見。
「就活よりも陸上を優先した」ように競技に対して真摯(しんし)に取り組み
ながら、3年終了時には卒業に必要な単位を修了。「自律した部員」を
自らが体現した。
立大陸上競技部での生活を「自分の始まりであり、人生の原点」とし「監督、OB・OG、両親、先輩、後輩、陸連の人た
ち。色々な人に感謝の気持ちを言いたい」と振り返る。
後輩には「今後確実に部は強くなる。立教は初心者も入部してくるから競技力には差が出てくる。それでも、部員はやっている
以上すべて選手。だから、仲良くしてほしい」とメッセージを送った。
(3月9日・野口一郎)
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