第94代主将・内田晃太郎(済3)。100名を超す大所帯の陸上競技部を、男子エースとして競技力でけん引する。1500mのベストタイムは部内ナンバー1。5000mは14分台。11月には初挑戦の800mのレースで、いきなり関東インカレA標準を突破し、800mからハーフマラソンまで幅広い距離に対応する走力を見せつけた。その才能を同期部員は"規格外"と評する。エースランナーの内側に迫った。 高校球児からランナーへ 内田は異色の経歴の持ち主だ。高校までは野球部に所属。陸上競技に本格的に取り組んだことはなかった。クラスの駅伝大会で活躍し、「足には自信があった」という程度。まさか自分が陸上競技の第一線で活躍するとは思ってもみなかった。新たなステージへの挑戦を後押ししたのは、浪人時代に見た箱根駅伝。そこに映っていたのは、山登りの5区・天下の険に挑む早大・山本修平(スポーツ科学部4年=時習館)の激走だった。「1年間の浪人期間を経て箱根に来ました。根性なら誰にも負けません」。山の神・柏原(東洋大11年度卒、現富士通)に必死に食らいつく姿から、目が離せなかった。「あ、俺もできるかな」。山本のように走りたい。内田は初心者ながら、陸上競技部への入部を決めた。
同期入部の20数人のうち、高校までに陸上未経験だった部員は内田ともう一人のみ。初めの1か月は、練習についていけず苦労する日々だった。しかし彼は、徐々にその才能を現していく。6月の日体大記録会では5000mを16分台の好記録で走り、スーパールーキーの予感。10月の箱根駅伝予選会は、長距離パートから12人のメンバーに選抜され20キロを走りぬいた。 11月にはのちに自身の得意種目となる1500mに初挑戦。それから2年時にかけては記録への挑戦となった。4月の日体大記録会で1500m3分56秒04を記録。陸上競技を始めてわずか1年で、関東インカレB標準を突破する。周囲からは「すごいすごい」と称賛の声。原田監督(79年度卒)もブログで"1年余の経験で衝撃"と紹介する大金星だった。だが、現実は甘くはない。関東2部とはいえ、長距離のみ強化している大学も多く1部とレベルの差はごくわずか。箱根駅伝常連の駒大、東農大などの強豪校、そして実際に箱根路を走った選手たちとの戦いが待っていた。結果は予選の組13人中11着。「いざ走ってみたら全然勝負にならないし、関カレに出られたうれしさは一瞬で、悔しさの方が大きくて――」。競技直後にはもう、「来年こそは」とリベンジへの決意を固めていた。来年こそは」とリベンジへの決意を固めていた。 走れない日々 しかし、エリートコースは順風満帆とはいかない。冬を越え、陸上シーズンに入る2年時の1月。長い距離を走りこむ練習を重ね、右膝に違和感を覚えた。診断結果は右(みぎ)膝(ひざ)腸(ちょう)脛(けい)靭帯炎(じんたいえん)。長距離選手に多く見られる炎症だった。それから6月まで走ることができなかった。ひどいときは、普通に歩くのも痛いほど。部活の練習はただ見ているだけ。4月の東京六大学対抗戦、関東私学六大学対抗戦、そしてリベンジを誓った関東インカレを棒に振った。大会後の引き継ぎで主将に就任するも、「ちょうどけがのど真ん中」。高い競技力で実績を残してきた歴代の主将たちと比べ、新入生に走る姿さえ見せられない自分。もどかしくつらい日々が続いた。
けがを乗り越え、復帰戦となった9月の日体大記録会。そこから内田の復活劇が幕を開けた。11月に初挑戦の800mで関東インカレA標準を切り、同立定期戦対校1500m優勝、記録挑戦会10000mでは30分台を出して自己新記録――。自己ベスト更新を知らせる部のTwitterに、内田の名前が並んだ。「1年くらい登場していないから、まずはTwitterに載ることからかな(笑)」。10月末にそう語ってからまさに有言実行。今春の対抗戦や関東インカレでのリベンジを狙い、1500m、5000mでも記録に挑戦していく。 主将として 主将のかたわら、競技に向かっていくことができたのは同期の支えがあってこそだった。「『お前は結果出せばいいから』とみんなが言ってくれて、楽をさせてもらっています」。主務の佐藤庄(法3)やマネージャーをはじめとする同期が、合宿、大会のエントリー、今春の対抗戦の手配などの仕事をこなしてくれる。それを「ありがたい」と思う一方で、「自分は何もしていないから、結果くらいは」と使命感を強くする。今年度の東京六大学対抗戦110mHで優勝し特別賞を受賞、さらに月刊陸上競技マガジンに掲載された前主将の「長谷部(営4)さんくらい、活躍したい」。驚異的なポテンシャルで結果を残してきたこれまでと違い、主将としての責任がのしかかる今、そしてこれから。それでも、「走ることは楽しい」と純粋な笑顔を見せる。部員たちに高い競技力を示すべく、内田は残り4か月、ゴールを見つめ走り続ける。 (1月21日・インタビュー、編集=櫻井遥)
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