同じ"2位"から見えた天国と地獄
〜4年間のリーグ戦を振り返る〜
2012年春季リーグでの一枚 |
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「2部って弱いな」。入学してまもない5月、2部リーグを戦った高橋が最初に抱いた感想だ。ダブルスで出場し4勝1敗の大活躍。前年に3部から昇格したばかりの立大を2部2位に導いた。宮城・東北高校時代には団体戦のメンバーとして国体優勝、インターハイ優勝を経験した高橋にとって、大学の2部で勝つことはそう難しいことではなかった。苦戦するチームメイトを見て「なんでみんな勝てないんだろう」と思ったこともあるという。しかし、それからの4年間で、高橋はチーム全体で勝つことの難しさを痛感することになる。
2015年の秋季リーグでの一枚 |
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1年春のリーグ戦こそ2部2位と健闘した立大だが、その後は低迷期が続く。月日は経ち、再び2位になったのが3年生の秋、高橋が主将に就任して初めて臨んだリーグ戦だった。1年春と同じ2位ではあるが、簡単に勝てると感じたあの頃の2位とは意味合いが違う。思い知らされたのは、"チームで勝つこと"の難しさ。自分だけが勝っても団体戦を勝つことはできない。チームをまとめる主将として、頭を抱えた。「どれだけ頑張らないと1部に上がれないんだろう」。かつては目前にあると信じて疑わなかった1部昇格が、遠のいていく。最終学年として挑んだ4年春のリーグ戦も2位、4年秋は4位と、1部昇格は夢のまま卒業のときを迎えた。
2015年の秋季六大戦での一枚 |
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"チームで勝つ"ために出した答え
〜主将としての4年間を振り返る〜
どうしたらチームを勝たせられるんだろう――。これは主将になるよりも前、2年生のときから高橋が考えてきたことだ。「今までの立大は、上が強ければいいという方針だったので」。練習は実力によって上下に分かれており、練習内で試合をするときも上は上どうし、下は下どうし。「下番手の選手のやる気がなくなってしまう」。危機感を抱いた高橋は、主将として「上と下の壁をなくすこと」で戦力の底上げを図った。成果が見えたのは昨年の8月、インカレ出場枠の5ペアを決める校内戦でのこと。これまでは下番手の選手に諦めのような雰囲気があったが、今回は違った。普段はレギュラー外の荒井(法2)・池上(コ2)ペアが上位5ペアに食い込み、出場権を勝ち取ったのだ。チーム内の競争が活発になれば選手層も厚くなる。"チームで勝つ"ために高橋がまいた種は、たしかに芽を出し始めている。
2015年秋季リーグ ストロークを放つ高橋 |
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大人になった自身のテニス
〜本物の強さを手に入れた4年間〜
この4年間で、高橋自身のテニスも大きく変化した。高校時代は長いラリーが苦手で、いわゆる「すぐ前衛に持っていくタイプ」だった高橋。ペアを組んでいた工藤(日体大卒・同校の前衛1番手)に助けられることも多かったという。しかし2部校の立大に工藤ほどの前衛はいない。一見するとハンデにも見えるこの状況が、高橋を後衛として大きく成長させる。前衛 に頼るプレースタイルを改め、「自分でどうにか
する能力」つまりラリー力を磨いた。「この4年間でラリー力が一番成長したと思います」。ソフトテニスにおいて、強い選手はラリーで先にミスをしない。高校時代から名のある選手であった高橋だが、真の意味での強さを身に付けたのは立大での4年間だったのかもしれない。
最後に
2015年秋季リーグ 後ろ姿が頼もしい |
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背中で語る。そんな表現がぴったりの選手だった。団体戦の勝敗を分ける大一番を、これまで何度受けて立ってきただろうか。仲間の期待を一身に背負って、幾度となくチームの窮地を救ってきた。どっしりした構えから繰り出される、低く鋭いストローク。また、力強さの中にも器用さを併せ持ち、粘って粘って泥臭く勝利を掴みにいく。その情熱を伝えるには、後ろ姿だけで十分だった。今後は埼玉県の社会人チーム
でソフトテニスを続けるという。高橋が歩む道は、さらなる高みへとつながっている。
(3月18日 取材・編集=栗原一徳)