テニス人生の分岐点となったのは中学3年生のときだ。もともとは北海道出身の土井。地元の強豪校から推薦がきていたが、その学校は道内では敵なしでも全国では勝てていなかった。「北海道で終わるのではなく全国で勝ちたい」。土井は日本一を目指したかった。そのとき、雑誌で宮城の東北高がインターハイで個人・団体ともに優勝した記事を目にする。「ここにいけば自分も日本一になれるかもしれない」。彼の気持ちは固まった。北海道を離れ、単身で東北高に進むことを決意する。
捉えた「日本一」との距離感
高校での経験が今の土井を支えている
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東北の地で、土井の「日本一」を目指す戦いが始まった。名門校として常に勝利が求められる重圧、チーム内でも「勝たないと生きていられないレベル」の激しい競争が繰り広げられる。平日、土日、夏休みも冬休みも毎日テニス。練習が億劫になり何度も辞めたいと思った。この3年間、土井はとにかく、とにかく怒られた。顧問の先生からもペアの相方からも、練習、試合に関係なく怒号が飛び続けた。だが「それがあったから今の僕がいる」。怒られて育つ、そうして土井達人というトッププレイヤーは生まれたのだ。周りに言われたことを実行するうちに、テニスへの理解が深まっていく。努力は実を結び、高校3年次には前衛の1番手に成長。そしてついに、夢の「日本一」に最も近づく瞬間が訪れる。2015年のハイスクールジャパンカップ、土井はダブルスで決勝戦まで勝ち進んだ。土井にとって初めてとなる全国大会の決勝――。内本(現早大)・丸山(現明大)ペアに敗れはしたが、「日本一との距離が明確になった」。"夢"が、たしかなリアリティを持って"目標"に変わった一戦だった。「どのくらいやれば日本一になれるのか。どのくらいやれば、もう少しで手の届きそうなところにいけるのか、みたいな。今までの経緯を考えても勉強になりました」。
間違いなく立大の将来を背負う逸材だ
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「今でも日本一になりたい気持ちはあります」。まだ土井の挑戦は終わっていない。8月のインカレでは初出場ながらダブルスでベスト16。頂への階段を着実に上っている。そして、立大の念願である関東リーグ1部昇格の任務も背負う。春は入れ替え戦で惜しくも敗北、その悔しさはリベンジへの糧とする。2年後、3年後、彼はどんな未来を描き、そこで輝いているのだろうか。
(10月27日/取材・編集=栗原一徳)
【取材こぼれ話】
文学部に通う土井。テニスは順風満帆だが、学業面では苦戦する日々が続いている。「入門演習がきついっす……」。それでも単位は取得できた模様。ボールも単位もしっかり拾う土井であった。
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