相撲部を愛し、相撲部に愛された男
〜ありがとう野口昌利〜
18日、新座キャンパス相撲場にて、立教大学体育会相撲部主将・野口昌利(現4)の引退稽古が行われた。大勢の同部関係者やメディアに囲まれる中で、野口の7年間の相撲人生が幕を閉じた--。
相撲をはじめたのは高校から。当時の監督に、背が高く腰高という特徴から突き押しを薦められた。それは突っ張りを武器とする彼の取り口の原点であった。1年間の浪人生活を経て立大相撲部に入部。期待を胸に飛び込んだ古豪の土俵は思いもよらぬ状態であった。部員は自分を含め2人。稽古には覇気がない。入部1年目の公式戦もインカレで初戦敗退と振るわず。かつては学生横綱を輩出した部が存続の危機に陥っていた。
「活気ある相撲部をつくりたい」。下級生ながら部の運営に尽力し、インターハイに出場していた横田(現3)を自らの足で勧誘し、同部史上初のアスリート選抜入試合格へと導いた。横田と同時に女子マネージャーが3人入部すると、それぞれに役職を与え全部員がやりがいを感じられる環境を整えた。実力者である横田との稽古、選手たちを支える元気なマネージャーの存在により野口の目指す"活気ある相撲部"が徐々にできつつあった。土俵上でも東日本リーグ戦で強豪相手に3勝を挙げるなどチームを引っ張った。
「びっくりしたね。すごい印象に残ってる」。野口3年の新歓期間は最終日まで入部者がいなかった。諦めかけたそのとき、小佐野(済2)が自ら入部を申し出てきた。たくさんの新入生に声をかけてきたが最終的には自分から入ってきたのだ。活気ある部にしたい野口にとって、やる気のある小佐野の入部は「四年間で一番うれしかった出来事」と振り返った。稽古場では人一番熱心に小佐野を指導した。期待の表れであったのだ。
後輩たちに恵まれる中で、他部からの助っ人も彼を支えた。今年度の東日本リーグ戦。野口が入部以来、同大会で0−7、2−5、1−6と辛酸をなめさせられた大東大を相手に3−4と接戦まで持ち込んだ。その3勝のうち、野口が挙げた勝ち星以外の2勝はレスリング部の宮川(法4)と柔道部の長谷川(コ1)によるものだった。その他の助っ人も含め、彼らは人数合わせではなく戦力として野口を、相撲部を支えた。その活躍の裏には野口のとある決断があった。団体戦では本来先鋒(85kg未満級)を主戦場としている野口。それがこの大会では体重無差別であり、各校のエースが集まる大将戦で出場した。助っ人を階級別で戦わせ、自身は50s以上重い相手と対戦する。責任感の強い主将ならではの作戦だった。「リーグ戦は野口の英断によっていい流れが生まれた」(坂田監督)。野口は「彼らに助けられた」と感謝の意を示したが、助っ人が力を発揮できる環境を整えたのは間違いなくあなただ。
精神修行。相撲に費やした7年間を一言で表した。土俵の上には厳しい稽古が待っている。土俵を降りても筋トレ、部の活動に追われる日々。特に大学に入ってからは選手の域を越えた活動も多くあった。そんな悩みを相談できる同期もいない。相撲が嫌いになった時期もあった。だが、そんな逆境のおかげで強くなれた。昭和の大横綱・双葉山は言った。「相撲は体で覚えて心で悟れ」。ただ稽古を繰り返すだけでは強くなれない。野口の相撲人生は非常にバランスの取れたものであったと言えるだろう。
相撲部のためにあらゆることで貢献してきた。誰にでも気さくに話しかけ、まじめな顔で冗談を言う。独特な雰囲気を持ち、魅力的な野口だからこそ後輩が集まった。野口だからこそ助っ人が集まった。部の存続すら危うい状況でいくつか戦績を残せたのは野口がいたからだ。相撲部を誰よりも愛し、誰よりも愛された男。それが野口昌利だ。
(3月31日/取材・編集=森亮太)
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