エリック物語 第1章

突然現れた、謎の留学生


   9月30日、リーグ第2節・対専大戦の試合前。選手紹介のアナウンスで、立大選手が続々と呼ばれていく。その時だ。「キーパー、51番、エリック・スキャンラン」――。聞きなれない外国人の名前が呼ばれ、観客席がざわつく。我々取材班にとって、待ちに待った瞬間だった。



   その存在を知ったのは8月28日。その日、我々は2週間後に控えるリーグ戦の開幕へ向け、24時から25時30分まで深夜練習の取材を敢行。取材が終わり、主将・野尻(法4)と談笑をしていると、彼は不敵な笑いを浮かべ"ある話"を持ち込んできた。

   「面白い話があって、エリックっていう39歳のアメリカ人留学生が入部するんだよね。それも、競技歴35年の元プロのGKらしい……」。

   衝撃が走った。深夜のテンションも相まって、
試合中のエリック
大声を上げて驚いたことを覚えている。ことのいきさつはこうだ。8月の初め、立大アイスホッケー部のHPに突然、「練習に参加したい」と英語でメールが届いた。すぐさま監督が返事を送ると、そこからやり取りが始まった。送り主は交換留学で立教大学に来る、当時39歳のアメリカ人、エリック・スキャンランであることが分かった。そして、彼がプロのアイスホッケー選手であったということも。留学生の入部というのは、立大アイスホッケー部に前例がない。そのため部内で協議をし、結果、入部が正式に決まった。

   以来、「立教スポーツ」編集部アイスホッケー担当の中で「謎の留学生エリック」が話題の中心となった。本当に来るのか、どんな人なのか、どれほど上手いのか――。2年間勝利から遠ざかっているチームにようやく勝利が見えるかもしれない。記者は大きな期待感を抱いた。

   謎の留学生は海を越え、本当にやってきた。9月上旬に来日し、13日に初めて練習に参加。リーグ開幕前の神大との練習試合では、2−7で敗れたものの、エリック(文4)の出場時間中は1−1の互角で試合を進めたという。39歳ながらも卓越したキーピングを披露し、元プロという肩書を実力で証明したのだった。

   だが、公式戦に出場するためには特別な登録が必要となる。そのために細谷監督が東奔西走した。「彼は国際移籍が必要だった。インターナショナルアイスホッケー連盟を通して日本の連盟を通さないと出られなかった。割と他の大学はここまでやらずに簡単に登録するが、6か月限定の留学生だし、ルールでケチをつけられて出られないと皆がっかりするから日本アイスホッケー連盟に行って国際移籍をしっかりと行って、立教の学生として公式戦に出られるよう、正式ルートをやった」。

   来日直後のため9月17日のリーグ初戦はベンチ入りを見送られたが、30日の第2節・専大戦、ついに出番が。エリックはスターティングメンバーに名を連ね、立大史上初の留学生が満を持して氷上へ。

   衝撃のデビュー戦だった。止める。弾く。守る。1Pを1点、2Pは2点に抑える。ゴールに向かってきたパックのほとんどをグローブに当て、猛攻を防いだ。3P途中に中里(法4)と交代するも、熟練の技術は素人が見ても分かるぐらい、本物だった。試合後、エリックは「とても楽しかった。このチームで戦えてとても嬉しい」と喜びを表現。そして監督は「戦力はこのグループでは下の方だけどエリックが入ってきたこともあるし、いい方向に来ていると思う。昨年よりも、一昨年よりもいいゲームができるようになっている」と存在の大きさを実感した。

   膝の古傷で状態は万全でないものの、リーグ戦の半分に出場し、立大の守護神として君臨。その活躍ぶりに大宮(コ3)は「すごく上手くて、めちゃめちゃ安定して止めてくれる」と話し、同じGKの中里は「本当に上手で玄人」と目を丸くしていた。

   立大はリーグ最終戦の青学大との試合に敗北し、
3年連続のリーグ戦全敗で最下位が確定。しかし、以前よりも大きく好転している数字がある。昨年は107、一昨年は103だった失点が、今年は80。2年連続の3桁失点から、20点以上も減らした。それは明らかにエリックの加入によるものだった。

   さらに、彼の出場(6試合で298分55秒)だけに限れば、失点は33。チーム全体だと10試合、600分で80失点であったため、エリックは全体の約半分の出場時間で総失点のうち、4割ほどの失点しか許していない。セーブ力は数字上でも証明できる。

   対戦相手はどのように見ていたのか。大東大の主将・佐藤海斗(4年)に話を聞くと、こう語ってくれた。「40歳ぐらいの外国人がいるぞと、入った時から噂にはなっていました。安定しているので、上手いです。基本的な動きも違いますが、慌てたりしないイメージが強いです。振られても慌てないで落ち着いています。点もなかなか入らなかったので、みんなキーパー上手いねって言っていました」。

   子曰く、四十にして惑わず。10月22日に不惑を迎えた留学生は、きっちり日本での任務を遂行した。


(12月1日/取材・編集=浅野光青)





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