「ずっとここに入りたかった」。熱い眼差しでそう語り始めた立教大学応援団八十五代団長・後藤朗夫(理4)。苦しいことも辛いことも少なくはなかった。辞めたいと思ったこともある。だが、それを上回る応援団への情熱が常に彼を奮い立たせてきた。今回は、そんな激動の四年間を走り抜けた彼の心中に迫る。 応援団との出会い 小学生の頃、東洋大学応援団であった父の影響で「六旗の下に」のビデオを頻繁に見ていた。はじめはそこまで興味がなかったが、何度も見ているうちに心惹かれるようになる。そんなある日、父に「六旗行くか?」と声をかけられ、「うん!」と即答。地元広島から遥々東京へと足を運んだ。そこで見た応援団の舞台が、後藤の人生を大きく変えるきっかけとなる。「応援団に入りたい」。舞台の上で輝きを放つ彼らに強い憧れを抱いた。 六校の中でも特に印象深かったのは紫十字の旗を翻す立大だった。「立教いいな」。元々、東京の大学に進学すると決めていた。ならば、立大を目指そう。彼の中で決意が固まった。その後は掲げた目標に向かって一直線に進んでいった。勉強中に流すのはセントポール。模試の裏にその歌詞を書いてモチベーションを上げたこともあった。そんな暑苦しいともいえる思いが通じたのか高校卒業後、彼は念願の立大の門をくぐることになる。 団長への強い憧れも、小学生の頃からあった。父に連れていってもらった神宮で忘れられない光景がある。試合が終わりざわめき漂うスタンド。しかし、中央で団長が手を上げると、先程までの賑わいがまるで嘘かのように静まり返った。そして響き渡る澄んだ声。エールを振るピンと伸びた手先。「あーかっけーなあ」。俺も団長になりたい。少年は心に熱い思いを秘めた。
ずっと憧れてきた立大。入学して間もない頃はキャンパスを歩くだけで心が弾んだ。だが、彼の夢はまだ先にある。迎えた新歓初日。真っ直ぐ応援団ブースへ足を運び、何の迷いもなく宣言した。「応援団入部希望です」。彼の学ラン生活が幕を開けた瞬間だった。しかし、夢見た応援団生活は楽しいことばかりではなかった。想像以上に辛く厳しい練習。やみくもに声を出し、ひたすら走る。ただただがむしゃらに突き進んだ。
変化と成長
叶えた二つの夢
11年間の想いを胸に そしていよいよ訪れた後藤の一世一代の大舞台。幹部学年として迎える最後の「六旗の下に」だ。立大応援団団長として、彼は舞台の中央で指揮を振った。これまでに培った全ての経験を、この瞬間に懸ける。フィナーレでは、六大学のリーダー幹部全員で指揮を執った。そこで目にしたのは、溢れんばかりに詰めかけた観客が熱狂する姿。「客席が波の様に揺れていた」。かつて見たことのない盛り上がりに、先輩も同期も皆口を揃えて絶賛した。「今年が1番すごい」。十数年前、父に連れられ見に行った憧れのあのステージ。全力で叫ぶ応援団員が輝いてみえたあのステージ。その中央から見た景色はあの日の何倍も、何十倍も煌めいて後藤の目に映った。 突き通した応援道 最後の行事である「十字の下に」も大盛況で幕を下ろし、ついに彼も引退の時を迎えた。激動の4年間を終えた後藤に、最後にある質問をぶつけてみた。 ――あなたにとって理想の応援とは 「応援団が100人として、99人がまとまっていてもそれじゃあ選手には伝わらないです。100人が心から通じ合って選手に応援を届けようという繋がりが必要だと考えていて。物理的に応援の声が選手の耳に届くかではなく、選手の心に届くかどうか。気持ちが一つになることはただの感覚ではなく実在的に絶対できると信じているので、100人全員がまとまった応援をすることが俺の理想です。」 小学生の頃から追い続けてきた応援団。憧れの団員となってからも、自らの理想の応援を追求し続けてきた。気づけばその年月は人生の半分を越えようとしている。まさに自他ともに認める「応援団馬鹿」。その言葉が彼にはふさわしい。後藤の応援団人生はここで幕を閉じるが、すべてが終わってしまうわけではない。立大応援団には彼の背中を見て育った後輩たちがいる。彼が立大を去った後もその信念は消えることなく、次の世代へと受け継がれていくことだろう。 (3月17日/取材・編集=大島佳奈子、斉藤麗央)
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