日本経済論2 6 高度経済成長1 (2014/10/27)
1.高度経済成長に至るまで(復習と補足)
A 戦後改革
国家体制の変更=>憲法改革 主権の所在:天皇→国民、象徴天皇制、
基本的人権の承認、国際紛争の解決手段としての戦争の放棄、三権分立と議院内閣制
経済改革 戦前からの準備あり:労働改革(労働組合法・労使関係調整法・労働基準法)、農地改革
戦前からの準備なし:財閥解体・独占禁止
その後の経済発展との関係
戦争と戦力の放棄=>軍国日本から平和日本への転換によって近隣アジアとの国交が早期に回復でき、貿易の復活と拡大が可能になった。また、軍事費膨張を抑制し、それだけ経済成長への投資を増やすことができた。
労働と農地の改革=>所得分配の平準化を通じて国内需要を拡大して経済成長の基礎を固めるとともに、農産物自給率を高めて外貨を原燃料・機械・技術の輸入にまわすことができた。
財閥解体・独占禁止=>財閥は解体されたが、独占禁止は中途半端に終わった。それでも、競争的寡占状態を強め、経済成長を促進する効果をもった。また、資本家(株主)である財閥家族が経営から排除されて経営者支配が強まったので、積極的経営がしやすくなった。
B 経済復興
占領政策転換前:GHQは、非軍事化(軍事生産能力の賠償物件指定による撤去を含む)に重点を置き、経済復興は日本政府に任せる。戦後インフレは、物資不足と通貨膨張の両方に原因があるが、物資供給の復活(生産と運輸・通信インフラの回復)を優先せざるを得ない。日本政府は、敗戦直後のインフレを金融緊急措置で抑制した後、傾斜生産方式で生産回復を急ぐが、素原燃料の輸入不足などにより生産回復は遅れ、日銀借入れ依存の復興融資額が先に増大してインフレが再燃した。生活必需品の不足等から労働運動や農民運動が急速に高まって共産主義者や社会主義者の影響が強まったので、GHQは社会運動を抑圧するとともに食料・医薬品を中心にGARIOA援助を開始した。
占領政策転換後:冷戦の激化、とくに極東情勢の緊迫と占領解除による軍事費抑制のため、アメリカ本国政府は、対日講和と米軍基地の維持を主目的とする日米安保条約の締結、および西側軍事力の一環に組込むための日本の再軍備、そして早急な日本の経済復興を柱とする政策をたて、経済復興に関してはEROA資金による復興資材の確保、賠償の削減から放棄の提案、経済安定9原則の実施などを進めた。生産回復とインフレ鎮静化が見られ始めたところに急激なデフレ政策(ドッヂ・ライン、シャウプ税制など)を実施させるが、大量の解雇や企業倒産を伴うために労働運動の抑圧が必要となり、公務員から争議権をはく奪し、怪事件を利用して共産主義者を運動や公職から排除した。その直後に、朝鮮戦争が引き起こされた。こうしたドッジラインによる不況と朝鮮戦争に伴う国内社会主義勢力への弾圧によって、資本主義的な労資関係を再建した。
C 朝鮮戦争と日本の合理化投資
・略経緯
核軍拡競争が始まる中で、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した。アメリカは直ちに軍事介入を決定して在日米軍を出動させるとともに、国連安保理に訴えてソ連欠席の下で国連軍の派遣を決定し、その総司令官にマッカーサーを任命(7月7日)した。同時に、台湾・フィリピン・インドシナへの軍事支援を強化した。アメリカの参戦によって在日米軍基地などが攻撃される可能性が高まり、マッカーサーは海上保安庁の強化と警察予備隊の組織を命令した。しかし、国連軍(韓国軍を含む)は、9月初めには朝鮮半島南端に追い詰められた。9月半ば、国連軍は半島中部の仁川への上陸作戦に成功した。マッカーサーは、中国軍の参戦を誘発する可能性があるので北進を控えるべきとの本国の指示にもかかわらず、さらに北上を指令し、国連軍は10月中旬までに中国との国境に迫った。10月25日に中華人民共和国義勇軍が大挙して参戦し、51年初めに国連軍は北緯38度線付近まで押し戻され、一進一退を繰り返した後、やがて戦線は膠着した。マッカーサーは中国本土攻撃を独断で公表し再北上を命令したので、トルーマン大統領はすでに原爆を保有したソ連の参戦による全面戦争への発展を懸念して、マッカーサーを総司令官の地位から解任した。51年6月にソ連が休戦を提案し、7月から休戦交渉が始まったが難航、ようやく53年7月27日に、北朝鮮軍・中国人民志願軍と国連軍の間で休戦協定が調印された。
戦争の規模は、定かではないが、双方が数百万規模の軍隊を動員し、米軍が投下した爆弾は第二次大戦中に日本に投下した爆弾量の数倍に達したと言われている。軍人の死傷者数は、人海戦術をとった中国義勇軍や北朝鮮軍が百万人を超えるとされ、国連軍も数十万人に達した。戦線が半島を大きく移動したことに加え、都市爆撃を繰り返したうえ、双方がスパイ・ゲリラの疑い、軍への非協力だけで裁判なしに大量の処刑をしたので、民間人の死傷も百万人をはるかにこえた。爆薬による破壊に加え、細菌兵器・化学兵器も用いられ、鉛の銃弾は重金属汚染をもたらした。戦争は、最悪の環境破壊の一つ。
・影響
アメリカ ドミノ理論を唱えて、とくにアジアでの戦争に介入し、拡大した。同時に、恒常的な軍拡を開始して、軍産複合体(Military-Industry
Complex)の成長をもたらした。さらに、独立したばかりの旧植民地国を西側に取り込むための経済・軍事援助を展開した。かくて、アメリカの国際収支は戦争を含む海外軍事支出・援助の増大等により赤字化し、ドル不足の西側各国の外貨状況を好転させたが、アメリカ保有の金をアメリカドルの海外残高が上回るというドル危機への路が定着した。
ソ 連 スターリン死後、アメリカとの軍拡競争と援助競争がさらに深刻化し、その負担の増大もあって、「社会主義的」工業化政策による基礎的な工業化を達成した後の国民生活の高度化への転換が遅れていった。
米・ソの軍拡競争:核兵器とミサイル(宇宙開発と並行)、原子力潜水艦…やがて電子化(Electronics)・ICT(Information
Communication Technology)化へ
日 本 特需(Special
Procurement:占領費以外の米軍・国連軍の対日物資・サービスの調達、ドル払い)と輸出増によりドッヂ不況を解消して「朝鮮特需景気」がもたらされたが、工業生産能力をはじめとする経済的脆弱性(エネルギー・運輸・通信などのインフラ)も露呈され(井村、p.100-109)、獲得した外貨(合衆国ドル)を用いて「合理化投資」を本格化(井村、p.118-137)した。さらに、これを推進する経済政策・制度も整備していった(井村、p.109-117)。
・特需の内容:主として弾薬(銃弾・砲弾など)生産と自動車・通信機等の修理 ⇒ 企業利潤と外貨の増加に加え、アメリカとの技術格差を具体的に認識させて技術移転・導入(ドルを必要とする)を主とする「合理化投資」を急がせた。
・経済政策・制度の整備:強力な外国為替管理に加え、外資導入制度(国内産業保護の機能も)としての外資法、長期資金供給体制(日本開発銀行、日本輸出入銀行、財政投融資、講和後には日本長期信用銀行・日本興業銀行も)、企業の資本蓄積のための特別償却制度・租税特別減免、独占禁止法改定(不況カルテル・合理化カルテルの法認)など。
内閣に閣僚審議会を置いて外貨予算を作成。外為会計に集中した外貨を、産業政策(主に戦略産業大企業の育成と保護)と外貨準備管理の観点から、外貨資金割当制(Fund
Allocation)と自動承認制(Automatic Approval)の2枠で運用した。FA制では,品目・通貨に応じて使用可能な外貨額が割り当てられ,品目ごとに割当基準が公表される。輸入申請者は通産省による審査を受け,外貨割当金割当証明書が交付され,これを為銀に申請して輸入が承認される。一方,1950年7-9月期から導入されたAA制では,AA指定品目全体の金額枠と通貨指定はあるが,その範囲内では自由に輸入できる。輸入申請者は直接為銀に申請し,AA予算残枠内で「自動的に」承認されるのだが,その予算残額にしても外貨事情の許す範囲で期中に増額されることが多かった。(佐竹修吉「復興期の外貨予算制度」『立命館国際研究』)
・「合理化投資」:1950年代の生産技術改良・革新のための投資。政策的に重点産業(電力:火主水従化と大規模化による効率向上、鉄鋼:自動連続圧延、造船:自動電気熔接技術・ディーゼル機関など、海運:政府決定の計画造船)に集中。石炭から石油へのエネルギー転換や、電機・自動車・合成繊維・化学でも。 ⇒ 経済企画庁、1956年の経済白書『日本経済の成長と近代化』で「いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。…もはや戦後ではない。」と記述。
経済復興と成長のための経済法体系(例えば外資法や外為法、企業合理化促進法など)や設備投資資金融資制度、企業の蓄積促進のための特別償却制度や租税特別減免制度などが整備されていった。さらに、朝鮮戦争特需による景気回復により外貨(US$)と企業利潤が増加し、重点産業を計画的に整備する政策の下で、輸入技術による設備投資が促進された。また、諸施策を統合する「経済自立五カ年計画」等(関連資料1)等の経済計画の策定も行われる。
D 国際(西側への)復帰
1951年06月31日、国際労働機関(International Labour Organization : ILO)と国連教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization : UNESCO)に加盟
1951年09月04日、平和条約・日米安保条約調印
1952年04月28日、平和条約発効・占領解除
1952年08月13日、国際通貨基金(International Monetary Fund : IMF)と国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development : IBRD)に加入
1955年09月10日、関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade : GATT)に正式加入
⇒ 資本と商品・サービスの国際取引の自由化義務が課せられる。ただし、各国通貨の対US$固定リンク制を維持して貿易を活発化させるため、通貨投機は抑制されていた。
1956年10月19日、日ソ国交回復に関する共同宣言
1956年12月18日、国際連合(The United Nations)総会、日本の加盟を全会一致で承認。
2.高度経済成長の特徴の把握 課題Qあり
GDP(Gross Domestic
Product)は、経済活動の結果生みだされた粗付加価値額やその分配=所得を示している。年俸数億円の大企業CEOから時給数百円のアルバイトまでを含む「雇用者所得(Compensation
of employees)」、固定資本の減価償却引当である「固定資本減耗」(Consumption of fixed capital)と法人所得・自営業者所得・資産所得などを含む「営業余剰(Operating surplus and mixed income)」という企業への分配、取引にかける税である「間接税・関税」(Indirect tax / Taxes on production and imports)という政府への分配である。ただし、その逆の政府から企業等への「補助金(Subsidies)」は、総額から控除される。
GDE(Gross Domestic
Expenditure)は、主に粗付加価値分配後の支出≒最終需要の構造を示している。最終需要とは、日本経済論1で説明した産業連関表でも同様であるが、「消費」と「投資」(設備と在庫)および「輸出」の3つに区分され、支出主体も「民間」と「政府」および「非居住者」に分類される。耐久消費財である「住宅」(Dwelling)や社会資本とも言われる交通・通信・エネルギー・防災等の施設の建設は、「総国内固定資本形成」(Gross domestic fixed capital formation)に含められている。「企業設備」(Machinery and equipment, Non-residential
investment)への支出つまり「設備投資」は「総固定資本形成」の中心的な内容であり、通常、生産能力の拡大をもたらすものである。「輸出」(Export)には、消費財・資本財の外に中間財も含まれ、外国による購買を意味する。「純輸出」(Net export)は、貿易差額(Export –
Import)である。
各項目の数値変化の相互関係に注意しながら、表1を検討しよう(高度経済成長期に焦点を当てるので、できるだけ68SNAの数値を使うこと)。なお、1955-70年の欧米との簡単な比較(日本の成長率の高さと民間企業設備投資の大きさが際立っている。)は、井村、表3-1及び表3-2(p.154)を参照のこと。
A 高度経済成長期(1955-73年)の特徴 (次の図により各項目の動向を、それ以降の時期と比較してみよう。)
下の2図は、片対数グラフであり、縦軸が等比(倍率が同じなら同じ間隔)となっている。よって、グラフの傾きが一定ならば変化率が一定となる。
@「なべ底不況」、A「証券不況」、Bニクソンショック、C第1次オイルショック、D第2次オイルショック、Eプラザ合意、
Fバブル崩壊、G消費税引上げ(3%⇒5%)・アジア通貨危機、H小泉「構造改革」開始、Iリーマンショック
CE =
Compensation of employees雇用者所得、OS = Operating surplus営業余剰、CFC
= Consumption of
fixed capital固定資本減耗、
IT = Indirect taxes間接税、S = Subsidies補助金(控除項目)
PFCE = Private final
consumption expenditure民間最終消費支出、AFCH = Actual final consumption of households家計現実最終消費、
GFCE =
Government final consumption expenditure政府最終消費支出、GAFC =
Government actual final consumption政府現実最終消費、
GDFC = Gross
domestic fixed capital formation国内総固定資本形成、
EXP= Exports of goods
and services財貨・サービスの輸出、IMP= Imports of goods and services財貨・サービスの輸入(控除項目)
参考:経済白書 付属長期統計 実質GDP成長率と寄与度(四半期別)
B 高度経済成長期(1955-73年)の間の変化
1956-57年:神武景気、1959-61年:岩戸景気、1963-64年:オリンピック景気、1964-65年:証券不況、1966-70年:いざなぎ景気
C 国内固定資本形成の内容の変化 (図3から確認しよう)
国内固定資本形成は、民間企業設備投資・民間住宅投資、政府企業設備投資(公営企業など)・一般政府投資(道路・港湾・空港・土地造成・箱モノなど)・政府住宅投資に分けられる。企業設備投資は、直接的に生産能力を引き上げ、あるいは環境保全に役立つ。一般政府投資のうち、とくに産業基盤整備投資は間接的(物流や情報の迅速化など)に生産能力を引き上げるもので、景気政策にも使用されてきた。額の大きさでは、民間企業設備投資>民間住宅投資or一般政府投資>政府企業投資>政府住宅投資の順になっている。
Q 以上を念頭において、また、片対数グラフの特徴を踏まえて、図1〜3から、経済成長の各段階あるいは景気の各局面で、どの支出項目が成長を支えてきたかを検討しなさい。
1955-1970: 、1970-1973: 、1973-1980: 、1980-1985: 、
1985-1990: 、1990-1997: 、1997-2001: 、2001-2007: 。
3.急速な経済構造変化の一要因=技術導入による技術革新
図4から、1955-73年、とくに1955-64年では、特許登録件数における外国人比率が高水準であったことがわかる。登録された外国人の特許を使用するには、その権利を購入し、必要な機材を輸入ないし製造する必要がある。1964年のIMF8条国への移行による貿易と資本の自由化の前は、政府が外貨予算制度の下で外国為替を管理しており、その後の自由化も段階的に実施された。政府は外国為替の払い下げ許可により、技術を導入する企業をほぼ大企業に限ったが、大企業の間では均等に認めた。この結果、大企業間での「過当競争」と、大企業・中小企業間の格差が形成された。しかし、下請制を利用する大企業は、新技術・新生産方式への適合を図るため、下請企業を選別してその上位企業を「系列」企業に引き上げ、出資や融資斡旋、技術指導などを行なった。(参考:佐伯靖雄(2008)「下請制及びサプライヤー・システム研究の系譜と課題」『立命館経営学』Vol.47,No.4,p.325-350。)
4.輸出の高度化
高度成長期には、輸出の品目構成が大きく変化した。次の表(表4)から、その状況を把握しよう。
5.新たな再生産構造の形成
戦前の日本経済は、寄生地主制の下で耕作農家の所得が抑制されて機械化などの投資は制約され、またその低所得に規定されたうえに財閥や繊維工業独占などにより労働組合の法認がなさなかったため、労働者も低所得であった。さらに、小作地では土地改良投資も進みにくくかった。低賃金労働に依存した絹・綿などの繊維工業は強大な国際競争力を獲得したが、大衆の低所得は家電や自動車などの耐久消費財を購入する余裕を抑制し、子弟の教育水準も高めにくく、重化学工業への需要と労働力供給とを制約した。このため、国内市場においても資本財・中間財における先進工業国との競争が困難で、貿易収支の赤字が常態化していた。(このイメージを下図左に示す。)
高度経済成長期には、経済計画(関連資料1・3の「経済自立五か年計画」や「国民所得倍増計画」など)に基づく総合的な経済政策と強力な貿易・為替統制の下で、重化学工業の多くの部門が、「貿易・為替自由化」(関連資料2の「貿易・外国為替自由化計画大綱」を参照)までに国際競争力を獲得するため、輸入技術に依存した設備投資を進めた。既存の産業の「近代化」だけでなく、石油化学や半導体のような新たな産業も創出され、輸入技術を応用した新製品の開発も盛んに行われた。農地改革・労働改革により大衆の所得も上昇したので、耐久消費財の需要も拡大して重化学工業製品需要を押し上げるとともに、高学歴化も進展し、新技術や経営革新にも適応できる若年労働力の供給も豊富となった。また、敗戦による復員と引き揚げに加え、ドッヂラインによる大量解雇・失業によって過剰人口が発生していたので、大規模な設備投資と経済成長による労働力需要の急増にも関わらず、少なくとも前半期では賃金上昇は生産性上昇以下に抑えられた。この構造転換を含む経済成長の結果、素原料と燃料の輸入依存を深めながら資本財・中間財の輸入依存から脱却していった。(このイメージを下図右に示す。現実にはコンピュータやICなど、なお輸入に依存する部分は残った。)
6.投資が投資を呼ぶ−高度経済成長期の特徴
「投資が投資を呼ぶ」という状況の発生には、まず、「ある企業」が利潤(特別超過利潤)を増やすためとくに新鋭設備を導入(投資)すると、
(1) 競争関係によって同業他社も同様の新鋭設備の投資を強制されること(波及1)
(2) その投資資材(産業機械類など)の発注を受けた企業が、それを生産するために新たな設備投資をすること(波及2)
が必要であろう。
ただし、この設備投資が輸入設備を用いる場合は、国内で波及1は生じても、波及2は生じ難い。よって、技術開発能力が高く国際競争力のある資本財生産部門(金属=産業機械、とくに工作機械)が国内に存在することが、まず必要な条件である。
その上で、競争的設備投資による資本財需要の増加が関係する資本財製造企業の生産能力を超えることが見込まれ、その資本財製造企業も設備投資を行うことで、波及2が実現する(量的な波及2)。あるいは、設備投資が技術革新や大規模化などを伴うものであるため関係する資本財製造企業の既存設備ではこれに対応できないことから、その資本財製造企業でも技術革新を伴う設備投資が行われることで、波及2が実現する(質的な波及2)。実際には、設備投資は大幅なコストダウンや新たな有望産業の創出を伴うので、競争関係が存在する限り、同業他社に対して、同様のというよりもそれ以上の設備投資を強制するから、波及1は波及2を伴って発生することが少なくないであろう。
通常、設備投資は生産性の向上を伴うので、投資する企業が雇用を増やすとは限らない。しかし、新たな設備投資により競争優位を確保する先行企業は、この優位性を保持し得ている間に他社を圧倒しようとして、雇用も拡大し供給を増やすと考えられる。後追いの企業も、同様であろう。これに加えて、設備の建設に伴う雇用の増大も見込めるので、総人件費が増大して民間最終消費支出を押し上げることにより、消費財生産部門の生産も拡大する(波及3)。これらの波及が各産業を一巡して最初の「ある企業」が属する生産部門にも及ぶことで投資拡大のループが完結し、スパイラルな景気拡大が起動する。
* マクロ経済学の「乗数効果」は、追加的な有効需要の増大がその増大以上に国民所得を拡大することを指摘している。しかし、ここでの問題は、単なるInput-Output関係ではなく「有効需要増→国民所得増」のメカニズムであり、一定の関数関係をなりたたせる現実の仕組みである。
この景気拡大期には、需要の全般的な拡大により物価の上昇傾向が強まり、また配当率の引き上げなどによって株価も上昇し、商品や有価証券への投機の機会も増大する。同時に、雇用が拡大して過剰人口が吸収されていくと、賃金が上昇し、民間最終消費需要がさらに拡大するとともに、利潤率上昇・維持への制約が強まるが、投機による利益でこれをカバーすることは可能である。しかし、商品投機は、当該商品の需要をその実需の限界を越えて拡大させ、恐慌を準備する。
ところで、設備投資資金の調達方法は、減価償却積立金などの内部留保(金融資産等として運用中)の取り崩し(自己金融)のほかに、新たな出資金の徴収(株式払込あるいは増資)や社債発行といった直接金融、さらに銀行借入(間接金融)などがある。減価償却積立金を使う場合は、償却期間を経過した設備を新しいものに入れ替える「更新」投資と重なる場合もある。しかし、金融資産等の売却・出資金の徴収・借入のいずれも市中資金を吸収することになるので、市中金利を引き上げる圧力となる。波及1〜3により競争的な設備投資が群生すると投資資金需要も群的となる。これに人件費や原材料費の高騰が加わって運転資金需要も拡大、さらに投機のための資金需要も重なって、市中金利が上昇(クラウディング・アウト)し、やがて投機を崩壊させて恐慌を現実化していくことになる。
以上は、通常の好景気の発生と過熱化のメカニズムの一部である。つまり、「投資が投資を呼ぶ」という経済現象は、19世紀の古典的資本主義における10年程度の景気循環の中でも、不況脱出から好景気への転換とともに現れた。全般的な好景気は「投資が投資を呼ぶ」状況と、ほぼ同義とも言える。
しかし、高度経済成長期の日本では、5年程度の短期間に好況・不況が現れ、しかも重化学工業の多くの部門で同時に集中して設備投資が行われたことが、重要な特徴である。設備投資の集中を促進した要因は、貿易と資本の自由化による外国企業との競争激化の予想である。とくに、朝鮮戦争特需でアメリカとの大きな技術ギャップを多くの経営者や技術者が認識したことは、アメリカをはじめとする外国技術の導入を軸にして技術革新を急がせることになった。
同時に、この外国技術の導入が、持続的な「投資が投資を呼ぶ」現象を可能にした要因でもある。つまり、自主技術開発では、開発管理システムの改善やR&D投資資金調達能力の拡大、政策的支援などによってその開発期間を短縮することが可能だとしても、産業構造を変えるほどの革命的な技術革新を常に生み出し続けられるものではない。しかし、外国で開発された革命的技術がいくつもあれば、つまり技術の後進国であれば、これを導入することによって集中的な設備投資を発生させることができるのである。
ただし、技術後進国がしばしば直面する外貨不足の下では、外貨を政策的に重点産業に集中させるための外為管理が必要とされ、日本でも実施された。なお、希少な外貨を用いて輸入した技術や設備による製品をできるだけ輸出して外貨を稼ぐ必要があり、技術や設備の輸入先よりも低コストで生産せざるをえないため、賃金コストなどの抑制が図られる。このため、民間最終消費支出の拡大が制限される傾向があるが、労働改革で法認された労働組合が「春闘」方式の団体交渉・争議によって実質賃金を引き上げさせ、生産性上昇の成果の一部を労働側に分配させ得た。そして、老後の保障や住宅購入、子弟の教育などのための貯蓄を進め、間接金融による民間設備投資の財源を供給した。さらに、高度経済成長期の日本では、競合する商品の輸入や外資の競合分野への直接投資については、外為管理や外資規制によって徹底的に抑制して、かつ、その自由化を可能な限り遅らせて、需要が国内に波及する環境を確保した。輸出市場についても、東南アジア諸国への戦争賠償や経済援助を重化学工業製品の輸出と結びつけ、開拓していった。しかし、表4に示すように、輸出品構成の重化学工業化と高付加価値化は生産の重化学工業化に遅れており貿易収支は赤字基調であったため、1960年代半ばまでは、景気が活発化すると、輸入が増えて貿易収支が赤字となり外貨準備が減少するので、財政支出を抑制し金利も引き上げて設備投資を抑え、これによって景気が沈静化し、輸入が抑えられるとともに輸出需要開拓が進められて、貿易収支が黒字化し外貨準備が回復するという、政策的な景気調整(「国際収支の天井」)が行われた。これが景気循環の短さの重要な要因のひとつであった。
また、エネルギーや熱源の供給・物流(道路・港湾・鉄道など)・情報通信といったインフラや住宅も、軍拡などのためにもともと不足していた上に戦争で破壊され、これに加えて急激な大都市への人口移動が発生したので、急速な整備が必要とされていた。住宅の供給をもっぱら民間不動産業者に委ね、経済成長による税収の増加に支えられた政府建設投資をエネルギー・交通・通信などの産業基盤整備に集中したことは、民間設備投資を促しつつ、経済全体の生産性の上昇を速めた。そして、経済自立五カ年計画や国民所得倍増計画)のような総合的経済計画による経済成長目標の設定と施策の立案・公表も、設備投資意欲を刺激した。
戦後民主化改革によって所得分配を公平化する仕組みが強化されたために家計の余裕が生まれ、高学歴化による労働力の質的向上とともに、人口の都市への大規模な移動が核家族化を生みだしたことやアメリカ製テレビドラマの放映がアメリカ的な電化生活のデモンストレーションとなったことも加わり、家電や小形乗用車などの耐久消費財・加工食品などの需要を喚起し、消費財産業の大企業も輸入技術を元にして多様な新製品や新技術を開発してこれに応えていった。
ただし、廃棄物処理など、環境への配慮はほとんどなされず、大規模な公害・自然破壊や、外国から「ウサギ小屋」と揶揄された「遠・狭・高の(勤務地から遠く狭いのに高額な)」住宅と「通勤地獄」などをもたらしたことは、銘記する必要がある。
課題: (1) 課題Qの回答をリアクション・ペーパーに記入し、29日(水)までに研究室(12号館4階B412)のドア横のポケットに投函しなさい。
(1)の正解と回答傾向
まず、図1〜3は国民経済計算の生産面(粗付加価値の分配結果=所得)と支出面の長期変化を表すものであり、図1および図1(補)で所得分配の傾向を見ながら図2および図2(補)で支出面の主要項目の動向を追い、さらに図3で支出項目の中の固定資本形成の内容(民間企業設備・民間住宅・政府企業設備・政府住宅・一般政府)を読み取っていけばよい。なお、成長を主導した項目は、GDP総額に対する割合が増大していることで判別できるので、図1〜3の(補)を見るのが早い。その結果は、次のようにまとめられる。( )内は、固定資本形成内で成長を主導した項目であり、98SNAの「家計現実最終消費」と「政府現実最終消費」は、それぞれ68SNAと同様の「民間消費支出」と「政府消費支出」として表した。
1955-1970:固定資本形成(民間企業設備+民間住宅、前半は一般政府+公的企業設備も)、後半には輸出も、 |
|
1970-1973:民間消費支出+政府消費支出、(民間住宅+一般政府+公的企業設備) |
|
1973-1980:民間消費支出+輸出、(一般政府)、 |
1980-1985:民間消費支出+輸出、(民間企業設備) |
1985-1990:固定資本形成(民間企業設備+民間住宅)、 |
1990-1997:民間消費支出+政府消費支出、(一般政府+公的企業設備) |
1997-2001:民間消費支出+政府消費支出、 |
2001-2007:輸出、(民間企業設備)。 |
リアペによる回答の状況は、おおむね上記の主要項目の一部を挙げていた。しかし、講義終了時に提出されたカードには空白が多く、研究室に届けられたカードには若干だが回答要件(支出項目)の確認が甘いものがあった。つまり、雇用者所得や営業余剰などの生産面の項目を挙げたものや、産業部門名ないし製品名を挙げたものがあった。さらに、「輸入」を挙げた者もあったが、これはGDE計算上の控除項目であり、かつ、需要ではなく供給の項目である。
(2) 高度経済成長に対して輸出はどのような役割を果たしたのか? _
輸出の対GDP比は、高度成長前半に減少し、後半に増大している。また、品目構成も、表4のようにかなり変化している。このようなデータを踏まえて、考察結果を小レポートとしてCHORUSないしBlackboardで提出しなさい。期限は11月6日(木)まで。
まず、輸出とは海外市場への財・サービスの販売であり、輸出業者は対価として外国為替(国際通貨建て)を受け取る。販売=輸出できるには、まず、当該市場のニーズを獲得しなければならず、品質・価格の両面での国際競争力を持たなければならない。また、相手地域が、日本からの輸入を賄えるだけの外国為替の獲得能力を有することも必要である。
高度経済成長期の前半では、アメリカも「外国為替及び外国貿易管理法」による強力な統制が円の対ドル相場維持に不可欠だと認めたように、US$1=\360の為替レートでも、まだ日本の貿易収支は不安定であった。とくに、外為をつぎ込んで入手した外国の技術や主要機械を用いた重点産業は、その製造元と同じ条件で製品を製造すればコストは割高になって輸出競争力は確保できないので、国際比較で安い労働力が必要であった。さらに、特許権や製造権を輸入して製造した財は、契約で供給地域が限定されるので、国内向けに供給された。したがって、その技術を応用した財を輸出するには、製品および製法の両方での様々な独自の工夫(Product Innovation & Process
Innovation)が不可欠であった。よって、新技術の導入が盛んであった時期には新製品の輸出は困難であり、この間に外貨を獲得した財は、すでに国際競争力を獲得していた軽工業品であった。すなわち、輸出は、在来産業に依拠して、技術を輸入するための外貨獲得に貢献したのである。なお、農地改革後の農業生産力の向上は食料輸入を抑制し、獲得した外貨を重要産業に回す余力を拡大した。
低賃金労働力を主要な競争力源とし、さらに輸入技術を使いこなして製品の品質を向上させ、独自製品を開発し、高度経済成長の後期になって重化学工業製品の輸出競争力が獲得された。だが、主な輸出先は、戦争賠償(後に経済援助)で開拓した東・東南アジアであり、その地域が日本からの輸入を拡大するには、その地域自体の外貨獲得能力に依存する。この外貨獲得能力を補ったのが、「ベトナム特需」であった。また、資本自由化(対日直接投資の自由化=外資法などの規制の緩和・撤廃)の圧力の下で、スケールメリットの追求を進めた。他方、アメリカは軍需産業優先の技術開発と大手企業の多国籍化によって在来重化学工業の国際競争力が低下したので、日本の対アメリカ貿易収支も黒字に転換した。しかし、生産能力が大きく拡大して国内だけでは需要が不足するに至り、輸出は経済活動の維持に恒常的に不可欠の需要となっていった。
このため、低賃金労働力の継続的供給は重要であったが、急成長の結果すでに労働力不足が顕在化して実質賃金の上昇傾向が生じていたので、労務管理の強化と資本の生産性の一層の向上が図られた。さらに、製品の加工度を上げて完成品(最終消費財および資本財)の輸出競争力の向上が、コンピュータも利用して推進され、Product Innovationをさらに進めることになった。
○ 関連資料
資料1 経済自立五カ年計画 (1955.12.23 閣議決定)
経済の自立を達成し、且つ増大する労働力人口に充分な雇用の機会を与えるということは、今日わが国経済に課せられている大きな課題である。経済の安定を維持しつつこの問題を解決するためには、総合的、且つ、長期にわたる計画を樹立し、個人及び企業の創意を基調とした経済体制のもとで、必要な限度において規制を行うこととし、国民全般の協力を得て計画の目標に対し一歩一歩着実に前進してゆかねばならない。
このため、昭和三五年度を目標年次として、昭和三一年度以降五カ年間にわたる経済自立五カ年計画を策定した。
しかしながら日本経済における諸問題のうちこの計画期間中には完全な解決を期待できない問題もあるので、これらについてはより長期的な観点に立って方策を講ずるものとする。また、計画の目標数字は必ずしも固定的なものとは考えず、その時時における経済情勢に即応しつつ弾力的な運用に努めるものとする。
(目標)
安定経済を基調として経済の自立と完全雇用の達成を図る。
(計画期間)
この計画の期間は、昭和三一年度を初年度とし昭和三五年度に至る五カ年間とする。
(前提)
この計画策定の前提として、次の諸条件を想定する。
一、国際政局には基本的な変化はない。
二、世界の生産および貿易は漸次上昇をみるものとする。
三、貿易制限は次第に緩和するが、通貨の自由交換性の回復は完全な形では期待されない。また、世界の輸出競争は激化するものとする。
四、ガット加入の影響でわが国に対する関税の引下げも相当進捗するものとするが、各国の自国産業保護の政策は依然として相当強いものとする。
五、賠償交渉は計画期間の前期において何れも解決し、且つ、東南アジアに対する先進諸国の援助をも想定し同地域との貿易は活溌化するものとする。
六、中共及びソ連との貿易に関しては漸次政治的制限は緩和され、経済面におけるわが国との関係も改善されるものとする。
七、特需収入は計画の最終年次においては期待しないものとする。
八、現行の為替レートの変更はしないものとする。
九、物価については極力引下げの方針がとられるものとする。
(以下項目のみ掲載)
第一部 計画の内容
T 計画の方向
U 国民総生産および総支出
V 部門別の計画
第二部 計画達成のための必要な施策
T 鉱工業
U 農林水産業
V 貿易
W 交通通信
X 公共事業
Y 住宅建設
Z 民生雇用
[ 財政金融
資料2 貿易・為替自由化計画大綱 (1960. 6.24, 貿易・為替自由化促進閣僚会議決定)
1 自由化の基本方針
貿易および為替の自由化は、IMFやガットの精神に明らかなように、各国の経済交流を活溌にし、世界経済全般の発展を図るための基本的な方向であるが、最近では、世界経済における大きな流れとして進展をみるに至り、わが国としても、国際社会の一員として、かかる自由化の大勢に積極的に順応してゆくことが肝要な情勢になっている。
資源に乏しく人口の多いわが国経済が今後長期にわたって発展するためには、世界の経済交流の進展に即応しつつ海外諸国との自由な交易を一層拡大してゆくことが不可欠の要件であると考えられるので、自由化を極力推進することは、世界経済の発展のための国際的要請たるのみならず、わが国経済自体にとって、きわめて重要な課題となっている。
これまでわが国は、戦後の復興と国際収支上の困難のために、貿易および為替の管理を行なってきたが、ここ数年、国際収支の好転、外貨準備の増加に応じて、逐次その制限を緩和し、自由化を進めてきたのである。しかして最近の日本経済は、その高い経済成長を国内物価の安定と国際収支の黒字基調の下に達成しつつあり、今後とも施策よろしきを得れば、高度成長の持続と相まって自由化をさらに推進し得るものと判断される。
このような自由化への内外の情勢にかんがみ、この際、貿易および為替の制限を積極的に緩和し、経済合理性に即した企業の自主的な創意と責任を一層重視することは、わが国経済に対して多くの好ましい効果を期待することができる。すなわち、自由化により、従来の管理統制に伴う非能率や不合理は排除され、低廉な海外原材料等の自由な入手が一層容易となり、産業のコストは引き下げられ、企業は国際水準における合理化努力を要請されるなど、自由化は経済資源の一層効率的な利用を可能ならしめ、経済の体質改善を促進するとともに、広く国民の生活内容の向上に寄与し、もってわが国経済全体の利益を増進するものである。
しかしながら、実際に自由化を促進するに当っては、まず長年にわたり封鎖的経済の下で形成された産業経済に及ぼす過渡的な影響に十分考慮を払う必要がある。またわが国経済は西欧諸国と異なり、過剰就業とこれに伴う農林漁業における零細経営および広範な分野における中小企業の存在などの諸問題を包蔵し、また育成過程にある産業や企業の経営、技術上の弱点など多くの問題を有している上に、わが国をとりまく国際環境についても、欧州共同市場のような長期的に安定した協力経済圏を有していないこと、およびわが国に対しなお差別的な輸入制限措置がとられている例が多いことなどについて注意する必要がある。
したがって、自由化の推進にあたっては、わが国経済の特殊性に対する慎重な配慮を払いつつ、順序を追った計画的な実施を図るものとするが、自由化はわが国の長期にわたる経済発展の基礎を固める重要な方策であるので、貿易および為替の自由化とこれに伴う経済の自由な運営が、わが国経済に与える積極的利点に対する基本的認識の下に、内外にわたる経済政策の展開と相まって、これを強力に推進するものとする。
2 自由化に伴う経済政策の基本的方向と対策
1 経済の安定を保持しつつ高度成長を図る
2 雇用の拡大と流動性向上に努める
3 輸出の拡大と経済協力の推進を図る
4 自由化の積極的利点を生かしつつ産業構造の高度化を推進する
5 農林漁業の体質改善および中小企業の近代化に努める
6 企業の体質改善のための環境整備に努める
7 関税率および制度を改正する
資料3 国民所得倍増計画について (1960.12.27 閣議決定)
政府は、別冊「国民所得倍増計画」をもつて、昭和三十二年十二月十七日閣議決定の「新長期経済計画」に代えるものとするが、今後における経済の運営にあたっては、内外経済の実勢に応じて弾力的に措置するものとし、とくに別紙「国民所得倍増計画の構想」によるものとする。
国民所得倍増計画の構想
(1) 計画の目的
国民所得倍増計画は,速やかに国民総生産を倍増して,雇用の増大による完全雇用の達成をはかり,国民の生活水準を大幅に引き上げることを目的とするものでなければならない。この場合とくに農業と非農業間,大企業と中小企業間,地域相互間ならびに所得階層間に存在する生活上および所得上の格差の是正につとめ,もって国民経済と国民生活の均衡ある発展を期さなければならない。
(2) 計画の目標
国民所得倍増計画は,今後10年以内に国民総生産26兆円(33年度価格)に到達することを目標とするが,これを達成するため,計画の前半期において,技術革新の急速な進展,豊富な労働力の存在など成長を支えるきわめて強い要因の存在にかんがみ,適切な政策の運営と国民各位の協力により計画当初3ヵ年について35年度13兆6,000億円(33年度価格13兆円)から年平均9%の経済成長を達成し,昭和38年度に17兆6,000億円(35年度価格)の実現を期する。
(3) 計画上とくに留意すべき諸点とその対策の方向
経済審議会の答申の計画は,これを尊重すべき諸点とその対策の方向はもとより,その他諸般の情勢に応じ,弾力的に措置するとともに,経済の実態に即して,前期計画の目的に副うよう施策を行わなければならない。とくにこの場合次の諸点の施策に遺憾なきを期するものとする。
(イ) 農業近代化の推進
国民経済の均衡ある発展を確保するため、農業の生産、所得及び構造等の各般の施策にわたり新たなる抜本的農政の基底となる農業基本法を制定して農業の近代化を推進する。
これに伴い農業生産基盤整備のための投資とともに、農業の近代化推進に所要する投融資額は、これを積極的に確保するものとする。
なお、沿岸漁業の振興についても右と同様に措置するものとする。
(ロ) 中小企業の近代化
中小企業の生産性を高め、二重構造の緩和と、企業間格差の是正をはかるため、各般の施策を強力に推進するとともにとくに中小企業近代化資金の適正な供給を確保するものとする。
(ハ) 後進地域の開発促進
後進性の強い地域(南九州、西九州、山陰、四国南部等を含む。)の開発促進ならびに所得格差是正のため、速やかに国土総合開発計画を策定し、その資源の開発につとめる。さらに、税制金融、公共投資補助率等について特段の措置を講ずるとともに所要の立法を検討し、それら地域に適合した工業等の分散をはかり、以って地域住民の福祉向上とその地域の後進性克服を達成するものとする。
(ニ) 産業の適正配置の推進と公共投資の地域別配分の再検討
産業の適正配置にあたっては、わが国の高度成長を長期にわたって持続し、企業の国際競争力を強化し、社会資本の効率を高めるために経済合理性を尊重してゆくことはもとより必要であるが、これが地域相互間の格差の拡大をもたらすものであつてはならない。
したがつて、経済合理性を尊重し、同時に地域格差の拡大を防止するため、とくに地域別の公共投資については、地域の特性に従って投融資の比重を弾力的に調整する必要がある。これにより経済発展に即応した公共投資の効果を高めるとともに、地域間格差の是正に資するものとする。
(ホ) 世界経済の発展に対する積極的協力
生産性向上にもとづく輸出競争力の強化とこれによる輸出拡大、外貨収入の増大が、この計画の達成の重要な鍵であることにかんがみ、強力な輸出振興策ならびに観光、海運その他貿易外収入増加策を講ずるとともに、低開発諸国の経済発展を促進し、その所得水準を高めるため、広く各国との経済協力を積極的に促進するものとする。
(別冊 項目のみ掲載)
第一部 総説
T 計画作成の基本的態度
U 計画の課題
V 目標年次における経済規模と構造
第二部 政府公共部門の計画
T 計画における政府の役割
U 社会資本の充足
V 人的能力の向上と科学技術の振興
W 社会保障の充実と社会福祉の向上
X 財政金融の適正な運営
第三部 民間部門の予測と誘導政策
T 民間部門の地位
U 貿易および経済協力の促進
V 産業構造の高度化と二重構造の緩和
第四部 国民生活の将来
T 雇用の近代化
U 消費水準の向上と高度化
V 国民生活の将来