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2018.9.14(金)

映像身体学科身体系教員座談会

松田正隆(劇作家、演出家/教授)
砂連尾理(振付家、ダンサー/特任教授)
江口正登(パフォーマンス研究、表象文化論/助教)
司会:相馬千秋(アート・プロデューサー/特任准教授)

「映像」と「身体」の両者について考えつつ、現代を生きる人間のあり方を探る映像身体学科。そこには、どのような学びの場が開かれているのでしょう。演劇やダンス、パフォーマンスに携わる「身体系」の教員が集い、具体的な授業内容にも触れつつ、その課題や可能性を、率直に語り合いました。

相馬  今日は、この映像身体学科の中でも、身体をベースにした表現、演劇やダンス、そのプロデュースを手掛けている教員で、大学の中での自分の役割をどう意識し、どういう創作上、あるいは教育上の問題意識を持って、授業を構成しているかをおうかがいしたいと思います。また、松田さんにしても砂連尾理さんにしても実作を教える教員としてここにいらしていると思いますので、美大でも芸大でもないこの学科の枠組みとご自身の方法論には当然ズレもあると思います。後半にはそういった議論にも突っ込んでいければと考えています。みなさん、いろいろな授業を担当されていますが、3・4年生の専門演習(ゼミ)がいちばん、教員の個性が出るところだと思いますので、まずはそこからお話いただけますか。

松田  僕はここで教えるようになって7年目ですね。とにかく、1年目がいちばん戸惑いました。それこそ「映像身体学科」がどういうものかもわかっていなかったし、もちろん、今でもわかってはいないんですけど……とにかく着任当初は自分たちの集団(マレビトの会)でやってきた作品の作り方を、学生と共にやってみるというのが授業の方法になりました。ちょうど自分自身の演劇の創作も暗礁に乗り上げていた時期だったんです。だからこそ、学生と一緒につくる意義はあるなと思っていました。2012年に着任してから、15年くらいまではずっとそんな感じで。「ロフト1」という空間が学内にあるんですが、そこでゼミの学生たちとギリシャ悲劇をやってみようと。出演する俳優も、専門的に演劇をやってきたような学生じゃないわけです。でも、表現とか自分の身体についてはすごく興味を持っている。だから、以前教えていた京都造形芸術大学では、俳優術とか演出術のような専門的なことも教えないといけないかなと思っていたんですが、この立教ではかえって「舞台に立つって、いったいどういうことだろう」とか、かなり本質的なことを考える機会を持てました。そんな中でとにかく衣裳も装置も小道具もなしで、ただ台詞を自然に発してみるという試みもできて、それが今のマレビトの会の表現方法にもつながっていると思います。

相馬  学期末には、発表があるわけですよね。

松田  そうです。それは専門演習以外の、ほぼすべての授業でそうしています。1年生と2年生は、ある課題を出して学生たちが自分で考え、10〜20分の作品をつくる。それを入門演習から始めて、基礎演習で本格化させ、専門演習では戯曲を使った上演をしてみるというふうに進めていました。でも、この2年くらいは、基礎演習や専門演習でも、もっと大きなテーマ、たとえば『風景/光景』といって、風景の中に光景(シーン)を見つけたり、逆に光景が風景に溶けていくというようなことを考えながら学生に短編作品をつくってもらい、それを僕が演出してというふうにしています。もちろん、海外の戯曲でも日本の戯曲でもいいんだけども、学生に覚えてもらって、きちんとキャスティングして上演するってことも必要だと思います。でも、そうすると台詞が入るのを待つ時間も長いし、それだけで四苦八苦して終わっちゃう。だから、半期は戯曲の上演をやって、もう半期は、今いったように大きなテーマの下で創作をする。昨年は、ペーター・ハントケのテキストから発展させて『広場』という題名の、ただ、ひたすらに人物が広場に集まっては去る中で微細なドラマが生まれるような作品を上演しました。

相馬  江口さんはこの中では唯一、研究者というバックグラウンド持ちつつ、ご自身もパフォーマンスの現場に関わっておられます。そんな江口さんのゼミでは、いったいどんな問題意識が持たれていて、どんな授業が行われているんでしょうか。

江口  僕は一年目に関してはそんなに戸惑ったという感覚はないんです。学科の中での自分の役割としてはやはり理論的なことを扱うのがいいだろうと。それで初年度は特に学術ということをすごく意識しました。卒論へと結実するような、学問的な調査・研究の手続きをきちんと学びましょう、というようなことをシラバスには書いたんですが、実際にゼミに入ってきた学生は一人だけで、しかも論文ではなく卒業制作をやるというので、結局その年は卒論ということは特に意識せずテキストを読む授業になりました。そういうこともあって去年、二年目は、最終的なアウトプットが卒論になるのか卒制になるのかは措きつつ、ともかく理論的な思考と実践をつなぐ、ということをテーマにやりました。具体的には、いくつかの芸術批評を読んで、モダニズムからポストモダニズムへの理論的展開を押さえて、それからエリック・ジマーマンとケイティ・サレンという人の『ルールズ・オブ・プレイ』というゲーム・スタディーズの本を読んでゲームをつくってみる、ということをやりました。上演芸術を作るということを、ルールの設計、システムの設計として捉えなおしてみる、という試みですね。そういうことをやりながら、理論と実践との関係について考えたかった。できあがった理論を個別に適用した具体化が実践だということではもちろんないけれど、両者のあいだには断絶や飛躍しかないということでもない。理論が実践を触発する、という言い方でも不十分かもしれない。偶発的な触発ならば断絶と変わらないので、やはり何かしら一般化可能な関係を設定できないといけないのではないか。そういったことを考えながらやってました。
でも去年は、課題の文献を消化することを優先して読んでしまったところがあって、ちょっとよくなかったなと思いました。それで今年は、量を消化することには重きを置かず、ハードなテキストを時間をかけて精読するというスタイルでやっています。大量に読む=読み飛ばすことなら学生が自分だけでもできるので、テキストの起伏を辿りながら精読する、という作法を示すことを目的にやっています。一行一行考えながら読んだりしていて、大学院の文献講読みたいですけど。でも、テキストの中にだけ沈潜するのではなくて、テキストを出発点として、時事的なことも含めて色々な線を引きながらやっていて、結果的には広がりのある話ができているという感じはあります。

相馬  私も江口さんと同じく着任して2年になります。それでようやく、手応えと手応えのなさの両方がわかってきたというのが実感で。私の場合、研究者としての教育は受けていないし、松田さんのように創作のプロセスを共有すれば授業が成り立つわけでもない。
ですから、アカデミズムの中で、演劇の実践的アプローチについて教えるということに、すごく戸惑ったんですね。でもある時、自分が普段していることと同じことをすればいいんだと気がつきました。私が普段やっている仕事は、何か表現したい人と向き合い、自分が見たいもの、考えたいことを投げかけながら、一緒に作品をつくることです。その相互作用のプロセスで起こることが、ほかの人にも共感を生んだり、共有可能な問いになればいいなと思っている。そのために、まずお互いが共有できる何かを両者の間に置くのがいいだろうと。今学期の場合はギリシャ悲劇の『縛られたプロメテウス』です。そこに私の問いをぶつけると、学生たちも何か反応をしてくるというやり方で授業を進めています。

砂連尾  問いっていうのはどういうものですか。

相馬  いま私が「情の時代」というテーマを掲げたあいちトリエンナーレのキュレーションを担当しているということもあって、そのテーマを巡る問いを投げかけています。今の時代はトランプ政権誕生に象徴されるように、人々はロゴス=論理の判断ではなくパトス=感情に揺り動かされている時代なのではないか、その感情は情報化時代のシステムによって管理され、煽動されている。しかしこうした状況を乗り越えていけるのも、「情」が含むもう一つの意味、「情け」なのではないか。というような問いを、戯曲を経由しながら考えてみましょうということをやっています。さらに、その戯曲を、今の時代や社会の中で作品化して、他者と共有するにはどうしたらいいか。そのプランを出してもらって、またやりとりを重ねる。だから、最初の授業では、声を出してみんなで戯曲を読みます。最初は学生たちもあまりに遠い古代ギリシャ戯曲に戸惑いますし、私自身も着地点は全くわかりません。でも、そもそも他者の言葉を受容したうえで現代社会の中で何かに置き換えたり、展開させるのがドラマトゥルクの仕事ですから、そこからプランをつくるまでのプロセスを一緒に経験してもらいます。そのプロセスの中で、私自身がどのように「情」について考えているか、そこからどうやって演劇的な問いを引き出しているのか、さらにはどのくらい考えてからアーティストに声をかけるかといった具体的なキュレーションの作業についても開示しています。
それからもう一つ、私の仕事にとっても大事なのは、リサーチです。これは前期の基礎演習ですが、学生たちがリアリティをもって感じられるようなテーマを与えて、それについてのリサーチをするというのを毎回の宿題にしています。そうすると彼ら彼女らは私が絶対拾わないようなものを拾ってくる。それをみんなで発表しあって、プランを作る突破口を見つけていきます。ですから、今はドゥラマトゥルギーとリサーチをメインに教えている感じです。果たしてそれがどこまで作品につながっていくかは、後期の進め方次第ですね。

砂連尾  僕はまだ着任して2カ月です。なのでこの学科の授業の可能性について語れる言葉をそれほど持ちあわせていません。ただ、ここに来る前、関西で僕も非常勤講師として長年、幾つかの大学と関わりを持ってきましたので、90分という枠の中でできることの限界と、その可能性については、ずっと考えてきました。また大学という現場で、自分の創作活動と教育の関係、またその共存はどのように可能なのかは常に試行錯誤しています。そこで90分で終わる授業では、いわゆるダンスのメソード的なレッスンは学生の自覚に基づいて個人個人で取り組んでもらうことにして、僕の授業では創作に於ける振付・演出をどう考えるかということをやっています。それは2002年に京都造形芸術大学で初めて大学の授業に関わることになって以来、そのスタンスは基本的に今も変わっていません。ただその当時からすると、コンテンポラリーダンスにおける振付ってすごく意味が変わってきていると思うんです。そんな中で、僕が学生と実践しているのは、一つのタスクやコンセプトに基づいて、いわゆる振付を個人の作業として行うことよりも、他者との対話や共同作業を行いながら、身体の有り様や関係性の可能性を模索することに重点を置いています。そうした授業の進め方は一気に自身の身体技術を深められることには繋がらないかもしれないけど、自分の身体に対するアプローチやそのアイデア、知恵を他者との協働作業を通して模索する場としての大学というのは意味があるのではないかと感じています。たとえば、去年から信州大学のアートプロジェクトでカフカをモチーフにしたダンス作品を信州大学の学生や松本市民と一緒になってつくっているのですが、これを今、立教の学生も巻き込んで一緒になってやろうとしています。違う土地でそれぞれ同じテーマに取り組みながら、一つのコミュニティの中だけじゃない協働の仕方を考えて、実践する。そういったネットワーク作りや、そこでの協働の在り方もあえて「ダンス」「振付」と捉えようと。そういったダンスや振付を広義に捉えるようになったのは、僕自身の最近の創作、それは障がい者や高齢者の方々、また東日本大地震後に被災地の方々との関わりからダンスを作ってきたこととも結びついている考え方なのかもしれません。
今、立教の学生と取り組んでいる作業としては非常にシンプルで、カフカの『変身』をテキストに、二人一組で小説から気になる言葉、センテンスを抜き出し、そのイメージから振りをつくる作業をしてもらっています。その作業から生まれた学生のダンスに、僕のアイデアや、また新たな問いを投げ掛けていくといったやり取りを繰り返しています。これもたとえばですが、二人の身体をゴム紐で結びつけ、自分の振りが拘束されるっていう身体の変化を通して「変身」について考えて貰うとか。またある時は、他者への変身、他者を具体的にイメージするために、いっぱい服を持ってきてもらって着替えごっこのようなことをして貰っています。服というのはある意味、着る人の身体によって形づけられる、つまり振付られているものですから、それを身に纏うことから他者がイメージできるかもしれないと仮定し、それもただ普通に着るんじゃなくて、重ね着してみようとか上下逆さにして着用してみようとか試しています。そういう作業を進めている過程でたまたま田中優子さんの「布の力」という書物と出会うのですが、その中にカタール人が昔、服を卵と捉えて重ね着していたというエピソードが出てくるんですが、そこからイメージを膨らませて、それじゃあ、いっぱい服を纏った状態を卵、又は死者として捉えて、服を脱いでいくことで、それを新たな誕生とするならばどんな身振り、ダンスになるかを考えてみてって問いかけたりしています。そんなふうに言葉で「君たちはどう考える?」みたいなことを投げかけながら、頭だけでなく身体を使った模索を深めてもらっています。そのうえで、江口ゼミ、松田ゼミの学生さんも僕のゼミに聴講で参加してくれたりしているので横のつながりも生かして、「それは江口さんに聞いてみたら?」とか「松田さんの時はどんなふうに台詞を発してるの?」というような対話もしていきながら、最後に信州大学とも合流し、一つの作品として一緒に公開できればいいなと考えています。だから一年の予定としては、今、信州大、立教大で同時進行している作品を先ずは7月に信州大学のある松本で、そして、来年2月には立教でもやれたら良いなと。なので、学生たちを外の世界とどうつなげるかということに大学としての可能性を探れたらなと思っていますし、又、異なるコミュニティとの接触が学生たちの思考や模索を深めることに繋がると良いなと思っています。

生き抜くための問い

相馬  松田さんや砂連尾さんは、大学教育の枠組みを超えていくことを考えていますよね。実際に、ゼミの学生とつくったものがフェスティバル/トーキョーのプログラムになったり、信州大学のプロジェクトが立教でも行われたり。ただその一方で、大学での教員と学生の関係って特殊で、期間限定のものだったりもする。いずれは卒業していくし、そもそも学科に入ってくる動機もそれほど明確ではなかったり。そういうなかで、いったい何をどう共有していったらいいのだろうと考えるんです。

松田  難しい……でもその通りなんですよね。ゼミにしても2年しかないわけだし。

相馬  それでほとんどの学生は、卒業後にアートを仕事にするわけでもない。

松田  僕は、教育と創作活動をあんまり切り分けられていなくて。とりあえず一緒につくろうというのが僕の考え方なんです。それを繰り返していくことが僕にとっての教育ですね。でも砂連尾さんや相馬さんの授業では、学生とよく対話していますね。

砂連尾  僕のゼミは今年6人だから、それが可能という面もありますけど。

松田  僕は……そんなにしゃべらないんじゃないかな。授業のほとんどが演出の時間というか、20人くらいでつくってるから、クリエーションに費やされてしまう。夏休みに個人面談はあるのですが、ゼミ生が議論する場がなかなか持てない。たまには稽古の前にしゃべることもあるけど、それは無駄話みたいなもので。

砂連尾  松田さんにとっては無駄話でも、受け手にとってはそうじゃないかもしれませんよね。

相馬  確かに創作のプロセスを共有することが最高の教育であるというのは、真理ですよね。それ以上にアーティストから学べるものはないわけで。でも、同時に「それって松田さんの問題意識でしかないよね」と言われる可能性もある。

松田  そうなんです。卒業制作に関しては自由に創作してもらっているんですけど、3年生までは僕の演劇の創作方法で授業を行っているので、どうしても僕の問題意識を基礎とした作品が多くなってしまう。もちろん、その発展形や学生なりの実験を見ることができて、それは喜ばしいことであるのですが、そんな枠にとらわれない上演を見たいと感じることもあります。かといって、極端に自由でも……っていうところもあったり。
学内に、また違う価値観の演出家がいるとまた変わってくるかもしれません。今年度からは、演出家の羽鳥嘉郎さんや、ダンスが専門だと言ってもかなり演劇的な身体表現にも結びつくような開かれたパフォーマンスをつくる砂連尾さんが来られたので、また、別の展開が期待できますが。

相馬  教育のパラドックスですよね。圧倒的な先生がいて、その模倣から出発するというのが鉄則だとしても、そればかりだとなかなか先生を超えられない。私が以前プログラム・ディレクターをしていたフェスティバル/トーキョーの最初の回に「演劇/大学」という企画をやったんです。2000年代には、演劇や舞台芸術系の学科がたくさん出てきたんですよね。その中から桜美林、京都造形、近畿大学、東京藝大に作品を上演してもらって。そうするとやっぱり、先生が演出する作品に生徒がスタッフやキャストとして関わるものと、学生が自ら演出するものとに、はっきり二手にわかれたんですよ。作品の良し悪し以前に、教育における作品創作の考え方が異なっていた。近畿大学は唐十郎さん、桜美林は鐘下辰男さんの演出作品。京都造形は当時学生だった、木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎)さんの演出作品でした。立教はその時には参加していなかったけれど、昨年のフェスティバル/トーキョーに関田育子さんや我妻直弥さんの作品が出たことを考えれば、方向性としては、やっぱり、たとえ学部レベルでも、学生たちが自ら外に向けて発信できるものをつくるということをやっているし、そのための土壌は育っているのかなとも思います。

松田  もちろん、技術が追いついてない面はあります。演技術を用いた身体表現の創作プロセスから作品のモチーフが生まれることだってあるとは思います。ただ、この学科は、演技の技術を教えることよりも、演劇という原始的なメディアの持つポテンシャルを、社会の現実にどう展開していくかということを実践的に研究することに重きをおいていて、学生もそのような態度で研究や創作活動をしているのだと思います。学生が大学の外部に向けて作品を発表するような場でも、自作の作品の主題を、身内にのみ通用する言葉ではなく、きちんと一般化して話すことができるのは、何よりも大事なことだと思っているんです。
ほとんどの学生は芸術家になるというより、一般の企業に就職します。演劇の本質を学んで、それをまた社会の別の領域で活かしていく可能性が生まれる場をつくるのが、この学科の役割だと思います。

砂連尾  僕は非常勤として女学院大学の舞踊専攻でも教えていましたが、そこの学生はそこの専任の先生である振付家のダンスを直接学びたい、或いは踊りたいという人が受験しにくるんですね。舞踊専攻というのは、幼い時からバレエやモダンダンスのトレーニングを積んできた学生がほとんどです。そんなところへ僕が行って「はい、じゃあ創作をやりましょう」と言うと最初は皆戸惑います。なぜなら、入学当初の彼女たちは振付家の要求にきっちり対応することでアイデンティティを示す、それが踊ることだと思ってる学生が多かったので、僕の授業には最初びっくりするんですね。でも、授業を進めていく中で、なぜか10人に一人くらいは僕にはまるんです。

相馬  それって打率としては高いですよね。

砂連尾  高い高い。そんな女学院の卒業生の一人は去年、僕の前任者であるチョン・ヨンドゥさんの作品に出ていました。だから、もしかしたらそれまでの文脈と異なる大人に出会うことで他の可能性にアクセスすることに繋がるとしたら、それがたとえ一割であったとしても意味あることなんじゃないかなと思います。僕らの学生時代は大学に映像身体学科のような学部はなく、僕自身も経済学部出身なので、卒業までに6年も掛けながら、それこそものすごく不経済なことをしながら学外で時間を掛けてダンスを学んできました。思い返してみると、そんな大学の6年間だけでなくその後の人生の中で出会った様々な文脈の大人たちと過ごした時間、経験は今の僕の財産になっているかな。立教の学生にも僕と同じように留年を奨励するわけではありませんが、4年という短い時間で表現を考えるのではなく、失敗を恐れず、時に変なことをする大人とも出会って様々な価値観に触れ、それまでの自分を揺るがす学生生活を過ごして欲しいなと思っています。だから僕の授業でも、松田さんと同じように、自分でコンセプトを立ち上げて作品をつくりましょうとは言うんだけど、実際に学生に期待しているのは、ダンスの意味を拡大解釈して、「テロ」とまでいうと少々語弊がありますが、社会の制度を生きていく中で、そこに従順に従うだけではなく「抵抗」の身振りといえば良いのでしょうか、そんな身振りを作品制作などを通して自由に楽しく、そして時に密やかに発見、開発してくれたらなって思っています。たとえば、歩道橋や信号に従って横断歩道を渡るのも、社会の制度に振り付けられているとも言えるわけで、そんな生活の中で当たり前のようにデザインされている横断歩道を疑って、そうじゃない場所、自分にとっての最善の道をどうデザインし直すかってっていうのも、ひとつのダンスなんだよと言っていきたい。東日本大震災直後の被災地の道路では停電で信号機が止まっていたらしいんですが、交差点では車同士でコミュニケーションをとりながら、うまく移動しあったっていいますね。非常時に呼び起こされる身体の力、生存するための身振りもダンスとして捉えたいですね。

相馬  ワイルドだけど、いいですね、生存の身振り。

砂連尾  そういったことに自覚的になっていくと、空間的な環境だけでなく時間という概念にも私たちの身体は結構振り付けられていることに気づきますよね。電車の時間などはその一例だと思います。僕は以前、電車で移動するときはできるだけ早く移動するために「特急」、「急行」を利用していました。それが1年のベルリン生活を終えて帰国して以降は「各駅停車」を一番利用するようになりました。ゆっくりした時間が流れているベルリンでの生活を経験してからというもの、周りの景色が速く移り変わる「急行」は何だかきついなって感じるような身体に変わっちゃったんですね。また、障害者とのダンスも自分の身体感覚を変えた大きなきっかけになっていると思います。たとえば義足の人や車椅子の方とのダンスを通して彼らが体感している世界をイメージしてみた時に、それは僕の感じている世界とは全く違う世界が存在するんだということを気づかせてくれました。そういうことって案外、気づきにくいことかもしれませんね。

相馬  映像身体で学んだことを具体的な技術として社会で活かすのはなかなか難しい。ただ、今の資本主義社会の中でサクセスはしないにしても、サバイブはできるような、一方向の価値基準や流れから距離をとる感覚や考え方をインストールすることはできているのかなという気がします。さっきもニュースで見たんですが、日本の20代の死因の1位って自殺なんですね。この国の中で、他に選択肢がないようなところへ、どんどん若者が追いやられていっている。でも、もしかしてその人たちが、砂連尾さんや松田さんの授業を経験していたら、もっと複数の選択肢を自分で見つけられたかもしれない。「演劇的発想」と私は言っているんですけど、それは、普通の企業に入っても絶対に実践できることだと思いますし、それこそが技術よりもっと大事な社会との向き合い方ではないのかな。

江口  みなさんの話を聞いていて思いましたが、僕の場合はもともと研究者なので、みなさんのようには大学の外にアイデンティティが強固にあるわけではない。けれど、少なくとも学部のことに関していうと、みなさんにとって創作と教育が異なるのと恐らく同程度に、研究と教育も異なるものであると思っています。そして、その教育の外にあるものとしての研究の領域に学生を直接的に巻き込むことは、もしかしたら創作の場合以上に難しいかもしれないとも思います。
ともあれ、創作であれ研究であれ、教室の外にひろがる世界への感覚を学生に与えるというのは本当に大事だと思うんですけど、それをどう示唆していけばいいのかは悩みますね。たとえば、学外に舞台ひとつ観に行くというだけでも、それを課題として与えるというのは、学生にエクストラな出費を要求することになるというようなことも含めて、けっこうためらわれる。僕は相当な奥手なので(笑)。で、そうすると結局放任主義というか、まあ、わかるやつだけわかればいい、というスタンスになっちゃうんですよね。実際、わかるやつはわかって食いついてくるわけなので。そもそも、外がある、っていうのは、教員が懇切丁寧に説明して教え導いてあげるべきことではなくて、学生が自ら嗅ぎ取って食いついてくるべきことだとも思うし。まあつまり、「察してくれ」ってことですね(笑)。
とはいえ、言葉ですべて説明するのではなくとも、ある程度分かりやすいかたちで可視化されているといいなとは思いますね。松田さんがおっしゃったように、松田さんだけじゃなくて演出家がもう一人いる、とか、そういう目に見える仕組みが何か組み込まれているといいですよね。

相馬  松田さんのゼミの学生で、私が代表理事をしているNPOの芸術公社でインターンをしてくれた子がいたんです。彼は松田ゼミでは自分の作品をつくっているんですが、結局、演劇制作者になる決心をして、今、市原佐都子さんが主宰するQの制作をやりつつ、引き続き芸術公社の仕事もしてくれていますし、高山明さんのリサーチプロジェクトに参加したりもしています。ですから「気づく人は気づいて自分で行動する」というのはその通り。そういう学生は、ここにあるリソースを活用して、自分で組み立てもできる。ただ、それはごく一部の例外でもあって、どうしてもゼミの先生に課された課題をやるだけみたいなところに陥ってしまうことも多い。

江口  でも、やはりまずは授業という枠の中でひとつの基準を示す、というのが前提だと思います。それをしっかりと提示する、というのが教員の務めですよね。ただその範囲が、ひとつの授業の中だけで終わってしまうのはもったいないので、「外」とまではいかずとも、少なくとも学科のカリキュラムを有機的に組み立てねばならないし、学生にもそう受けとめてほしい。学科とかいいつついきなり自分の話になってしまいますけど、たとえば僕は、自分のゼミをとる学生には、自分のほかの授業にもなるべく出ていてほしいとか思うわけです。演劇論の講義も受けておいてほしいし、基礎演習もとっておいてほしいと。これはもちろん「自分推し」ということではなくて、単純にプログラムとしてもっと積み上げられていくものであるべきだと思うんですよね。

相馬  積み上げと横断性の両方が必要ってことですよね。私のゼミの卒業制作では、松田さんと江口さんにお時間を割いていただいて、講評をしていただくということをしています。理論家と実作者それぞれのコメントを学生たちは欲していますから。こういったことも、もっと積極的に、ゼミの枠を超えてできるといいのかなと思いますが。

砂連尾  京都造形芸術大の授業では、その当時、造形大の教員だった松田さんや演出家・劇作家の太田省吾さん、映像作家の伊藤高志さんも、それぞれ僕が担当するクラスの発表公演に来られる時には来てくれていたし、理論系の先生も発表に顔を出したりしてくれてました。色々な人に自分の成果を披露したり、発表後の先生方との対話の場は、当時の学生たちにはすごく刺激的だったと思います。個人的には教員と学生たちによる交流を、ここ立教でもやっていけたらと思いますし、それを更に広げて大学内に限らず、いろんな文脈をもった人と自由に話す場が学生だけでなく教員にもあってもいいのかなと。

松田  教員も学生もなかなか自分の領域は越えようとしないですよね。もちろん、自分で嗅覚を働かせていろんなところに顔を出す人はいます。「映身展」という学生の研究や創作作品を外に開いていくイベントもありますし、昨年度からはスカラシップの制度も始まりました。そういう思考の領域と実践的な表現を接続するような場を企画することも重要だと思います。そこで対話の場をつくっていく。今だって教員も個別に交流はしているけど、それを授業として設定する。たとえばいま「映像身体学入門」という授業では、哲学者の江川隆男さんが様々なジャンルの研究者や創作者をゲストに呼ぶ授業が行われているようです。そういうコラボレーションをもっと増やしていくのは有効だと思います。こうやって教員同士がしゃべっているのを聴くだけでもいいのかもしれない。

学生も教員も変容し続ける

相馬  たとえば日本の演劇のパラダイムシフトって、教育機関をベースにして起きてきたわけではない。岡田利規さんも、三浦大輔さんも、みんな演劇学科じゃなくて、サークルで勝手に演劇をやっていた。正当なメソッドがあったわけではない。ところが、2000年代になると、桜美林大学から藤田貴大さんが出てきたり、京都造形から木ノ下さんや杉原邦生さんが出てきたり、大学で技術を学んだ人たちが活躍するようになった。このことについても私は考えるべきだなぁと思っているんです。
映像身体学科は、さっきも松田さんがおっしゃったように、技術はそんなに教えられる環境ではない。でも問いを立て、それを歴史軸や社会軸の中で語れる力を磨くことはできる。ならば、これだけいろいろな技能を持った教員がいるので、そのアウトプットの方法も多様になってもいいと思います。演劇的な問いを映像で出してもいいし、身体的な問いをメディアで出してもいい。そういうことを通じて、アート界で起こっているパラダイムシフトにも同期していける可能性はあると思うんです。
今の芸術表現って、もはや映像やダンス、美術っていうふうには分かれていないじゃないですか。砂連尾さんの作品だって、映像も言葉も使っていて、演劇ともいえるしダンスとも、ある種の社会活動ともいえる。この学科も「映像」と「身体」という二つのメディアを問題としているところですから、もっと自由な創作のプロセスやアウトプットを後押しできる議論や環境があっていいと思います。

江口  ちょっと保守的な話になるかもしれませんが、僕は研究者の認識として、ジャンルの瓦解という事態が本当に起こっているのか疑問があるし、また果たして瓦解する方がいいのかということにも注意深くあるべきだと思います。たとえば、砂連尾さんがさっきお話されていたみたいに、振付概念が拡大してダンスがコンセプチュアルになるというようなことがいま起きている。そうすると、従来の意味での技術的熟練が求められなくなるので、他ジャンルの作家がダンスに参入しやすくなるかもしれない。さらにいえば、コンセプチュアルでないダンスの振付家よりも、コンセプチュアルな造形作家の方が、コンセプチュアルなダンスを考えるのはうまいかもしれない。けど、果たしてそれよいのか、ということですよね。コンセプチュアルな振付のための知識や知恵は、従来の意味での技術的熟練とは別のものだとしても、やはりダンスというディシプリンの中に根を持っていないといけないのではないか。それを単なる縄張り争い的なことではなくどう考えるか。このことは僕もまだ考えている途中で、とても難しいところですけど。

相馬  あるディシプリンに固有の、脈々と問われてきたものを無視しようという話ではなくて、そういう確たるものを踏み台にして、その歴史を更新することができないかということです。だから、隣接するジャンルに侵食したからいいという話ではなくて、何かを更新するために別の問いと接続していく、それが結果的に異なるジャンルに侵食していくことになる、ということはありうる。で、今はそういうことが起こっているんじゃないか。たとえばそれは「演劇作品」の概念が、ステージ上で見世物をやるということ以外にも拡張していていることとも同期していると感じます。

砂連尾  ディシプリンとコンセプチュアルなものを二項対立にして「これはダンスだ」「ダンスじゃない」っていうふうな議論をすることには、僕はあんまり興味がないんです。これまでのディシプリンを重視するダンスはもちろん重要だし、ダンスを新たに更新していくことも大事。「じゃあ、どうすればそれぞれの文脈が積み重ねてきたダンスの知恵を共有していけるか」というのが今の僕の関心。専門性が少しでも異なってくると共通言語を見つけていくのは難しいことかもしれないんだけど、それぞれがどう対話しながら共存していくか。なかなか進まない対話をどう発展させ進めていくか?そんな忍耐を楽しんだ先に新たなダンス、表現が生まれるんじゃないかなと思っています。だから、たとえば僕が松田さんや江口さんに興味があって、仮にお二人の方は特に僕の活動に興味は持ってなかったとしても、僕がしつこく、たとえ嫌がられたりしても「演劇、パフォーマンスの話聞かせてよ?」って食い下がり続けるとか、そういう粘着力(笑)。

松田  横断的とか多様性といっても、単にいろんなものに手を出すってことじゃなくて、さっき砂連尾さんが言ってみたいなことが、とても面白いと思う。自分自身が多様体になるというのかな。砂連尾さんのいう道に振付けられるというのは、この身体とともにある空間というか周りの状態に影響されて、今までの日常の自分とは違う身体が顔を出すということですよね。たとえマイノリティーの位置にある人でも、そういうふうにマイナー化しないと多様体にはならない。そこで問われてくるのが「主体」の問題です。作品をつくることで、そのプロセスで、あるいはアウトプットする際に、自身の立ち位置が変容する。そうやって違う主体が現れてくることがパフォーマンスの面白さで、僕が学生と作品をつくっているのは、既存の主体がどんどん変化して、未知の主体が産出されるような上演を目指すためです。
フェリックス・ガタリの論考の中の概念に、「隷属集団」と「主体集団」というのがあって、主体集団では、その集合体の中で、その都度それに参入する者が創作プロセスの時空間との関係によって自分の立ち位置を決めていかなくてはならない。変容のもとで主体が形成されるような集団です。僕はそれを大学教育のような現場でもつくり出せると思っています。もしこれが、硬直した教育機関になってしまうと根拠のない隷属化が行われて、集団は外的な力によって規定され、その内部に権力構造をつくりあげていくわけです。そうした社会にはびこる隷属集団を主体集団によって変革すること。それを実際に、教育現場でどう展開していくかというと、ちょっとまだ、うまく応答できませんが。
もちろん、ディシプリンも大事にしつつですが、なんとか横断的な関係をつくりながら、自分のテリトリーの中で主体を細かく分解し、創作プロセスの要請に合わせて主体を複数の集合体へと変容していくことが求められているような気がします。それは、単に多様な個性を求めて、様々なジャンル間で情報を交換すればいいというわけだけでもないようです。だから実際の授業を通じても、自分がどういう主体を持っているのか、Facebookのプロフィールだけじゃない自分の中の主体をどうつくり出せばいいのかということを問いかけたいと思っています。

相馬  他者との共存の中でいかに問いを生成するかって、ものをつくっている時には常に向き合うことで、むしろ、それしかないともいえますよね。教える側、教えらえる側というヒエラルキーがどうしても存在するなかで、それでも、実際に学生たちは変わっていくし、教員の側も変わっていくだろうというような状況を持てているのだとすれば、それはとても未来のあることだと思います。

(2018年6月25日、立教大学新座キャンパスにて収録)