国防と政治家(National defence and those who aspire to be politicians)
defence (英)=defense (米)a judiciary system=司法 a police system=警察制度 a deterent=抑止力 deterrence=抑止力(不可算)a protection fee=ショバ代、防衛料 collective security=集団(的)安全保障 collective defense=集団的防衛


平和で安全で文化的な生活=快適で幸福な衣食住と子供の教育環境があること、そしてそれが国内と国外の脅威や暴力、戦争から守られること。

政治家(を志すひと)は食料とエネルギー確保(農林漁業支援と安全エネルギー安定供給)、安価で文化的な住環境、教育文化(知育、徳育、芸術と体育スポーツ)、健康(医学と福祉)、産業(ものつくり全般、工業、商業、流通、交通輸送、先端科学産業)を振興し、国民の安全と平和と平等を確保してください。

教育関係者は、理想の政治を行える人を育ててください。そしてまたその政治を支持、維持できる人を育ててください。

(本来すべての人が教育者であり、また互いに生徒でもあるのですが、特に先生と呼ばれる人たちは人を妬まず、理想を追求してください。学校と社会における学習経験を積み、自身と他の人々のために、そして社会のために働くことを学び、自分の体力と知力と経験を用いて生きている大人は、年金生活者であろうと、主婦、主夫であろうと、ボランティアをしている人であろうと、その活動に対して金銭的な報酬を受けているいないに拘らず、なべてその人生経験から学んだ正しく生きる智慧と勤労の精神を子供に伝えることのできる教育者であるべきです。健全な倫理観と道徳観それに、なぜどのように生きるのかという哲学観を子供に教えてやるべきです。(正しさは政治と権力によって曲げられてはしまいますが、正しい倫理観を持つということです。そういう倫理的な正しさを持てない人もいます。おまえ自身はどうなんだと問われると、直さなければいけないところはたくさんあります。自らの邪悪な心を押さえ込んで正しい倫理観を発動できる心構えを持たなければいけない。)
しかし、大人になれない大人もいますし、不幸にもいびつな人生観と人格を持つに至る人もいます。大人になってしまうと注意する人もいなくなりますから、そのいびつさを自分で矯正することがむずかしいのです。)


国民によって選挙で選ばれた政治家による正しい方向付け(安全、平和、平等)と指揮先導、そして個人個人の努力によって、国民全員が、米と水(食料)、米を炊く(エネルギー)、電気釜(もの、産業)を確保して、清潔な住居と健康が維持できる文化的で快適な生活が保証された上で、

理想を達成できるのは政治の力と教育の力によります。そしてそれが保証されるために、法と法に基づいての行政と法を守る警察力が必要です。(政治はどのような行動、活動にも必要です。理想社会に向けての国民の努力目標を決定するリーダーと考えればよいでしょう。家庭にも政治がなくてはいけません。ただ家庭構成員は特に子供や大人になれない親は政治に素人ですから、全体の幸福を考えなかったり、財政管理に失敗したり、家庭の進むべき正しい方向付けができなくてその運営に失敗して家族崩壊などの事態に陥ることがあります。
政治と教育が安心して行われるためには司法と行政組織(法に基づいて公務員によって行われる公共のための政治業務)が必要です。無法状態であったり、法が合ってもそれを守らせる強制力がなければ不正がはびこります。法に従って働く公務員が公共(個人の集合だから、国民のひとりひとり)の幸福と福利と安寧を忘れていやな問題から逃げて働いていてもだめです。
残念なことですが、学校や職場でのいじわるやいじめや派閥作り、独占排他、利己主義は上手にやれば違法にはなりませんから、なくなりません。道徳的、倫理的に汚いやり方でも違法でなければ行う人はなくなりません。家庭、学校、社会でのしつけや道徳教育がきちんと行われても、人の悪や欲望をなくすことは難しいからです。
行政に携わる公務員も法律の範囲内で動けば、国民のだれかが犠牲になっても罰せられることはありませんから、法律を盾にして自分が道徳的、倫理的に正しいことをすべきことを見ないようにする人もいます。しかし、人が困っている状況を見抜いてその状況を解決するためには、有能さだけでなく、法律には規定されていない道徳観と倫理観が必要なのですが、実際の行政組織では上からの命令系統がありますから、倫理的に正しくなくても上から命令されたことをしなければならない状況があります。その上からの命令が正しいことでなければ、末端の実務を行う公務員の中には道徳的に苦しむ人が出て来ます。職場での無言の脅し、昇進の脅しなど、部長などの権力を握っている立場の物からそのような道徳的悪を働くように指示された場合、自責の念に耐えきれず、自殺する公務員も出て来ます。行政の監査が必要です。お互いが公正な心を持って生きられればよいのですが。)

都市や町では製産的環境であったところにマンションばかり建ってしまって、田畑がなくなり、工場がなくなり、農作業や自動車修理など実際に体を使う労働とは何かが見えなくなりました。そうした労働が海外に移転されていけばいずれ日本はものが作れなくなり、海外に依存することになります。お金でものが変えるうちはよいですが、外国がものを売ってくれない状況になったらおしまいです。体を使わずにマンションや貸しビル収入で生きる人ばかりになったら上に掲げた労働製産をするひとは資産を持たない日本人や外国人に任せるというのでしょうか。それは勝ち組が負け組を巧妙に強制労働させる現代の奴隷制度ではないか。
仕事に恵まれない若い世代は、一代前の遺産で今のところは生きていますが、それを食いつぶしたところで行き倒れ、野垂れ死にです。勝ち組は負け組(弱いもの)を助けながら生きる志を持って欲しい。独り占めしないで、自己犠牲ができる余裕を作り、持ち、人類の幸福に貢献できる生き方をしてほしい。子供たちはそれを見て育つのだから。皆が協力して働き、搾取制度が作られないように、国民全体が幸せだと感じられるように。そうでないと子供たちがこんな世界に生きていたくない、どうとでもなれ、知ったことか、自分だけよければよい、と考えるようになります。

それと、国防です。戦争を本当に避けるためには国をきちんと守らないとだめです。侵略や攻撃のための軍備でなくて、それを抑止するための国防のための軍備です。現在の自衛隊は同盟国が戦争をしたらそれに加担しなくてはいけなくなってしまいましたが(Collective security can be understood as a security arrangement, political, regional, or global, in which each state in the system accepts that the security of one is the concern of all, and therefore commits to a collective response to threats to, and breaches to peace.)、自衛隊を国防軍にして、国民皆兵にして自分の国は自分で守らなければ現在の危険な状況に対処できません。日本人は、自国内での争いについては日本の警察に守られていますが、「警察呼ぶよ」「おまわりさーん」「American forces! Help!」「Allies! Help!」 は、世界警察はありませんから通用しません。(日本は警察力がしっかりしていて安心して暮らせます。)同盟国もかなた遠い国々です。国際会議でテロ防止に協力し合うことを約束し合っても、フランスやアメリカのテロ警備に日本の機動隊は出動しません。彼らから要請されたら日本政府はどう対応するのかは分かりませんが、また、違った支援方法もあるでしょうが、どの国も自分の国は自分で守ります。日本も日本を守らなくてはいけない。警察があっても、自分の周りに注意して犯罪に巻き込まれないようにする。鍵をかけ、家をまもり、財産を守るのは個人です。

Japan has been paying a huge protection fee=A fee paid to secure protection.(所場代、保護料)この金額も値上げされても文句は言えません。同盟関係があっても日本はいざという時に日本を自分で守るために戦う軍備が必要です。それでも、核を東京に一発落とされれば、新幹線もだめ、政治もだめ、通信もだめで、日本は戦えなくなります。とても攻撃しやすい。どこかの原発を攻撃して混乱させ、あとは軍隊で急襲して占領すれば、日本人を奴隷化して、日本の土地と自然と産業を奪うことが可能です。手に入れればこんなに収奪に適した国はないでしょう。戦後平和教育に徹して、武力攻撃に対してどのように国を守るかは自衛隊とアメリカの基地アメリカ軍人だけにまかされて一般国民は「戦争反対」と唱えているだけで、日本の平和が当たり前のことだと思ってきたのです。私たちは国防に関してはだれかが守ってくれると、都合のよいように考えて、見て見ぬ振りをしてきたのです。周辺諸国から見たら、アメリカがいなかったら日本など侵略しやすい国です。太平洋は広いから、そこを大国で分割しようなどという国もいます。グアムあたりで線引きでしょうか。

確かに自衛隊はこれまで他国を侵略しない理想的な国防組織だったのです。しかし、アメリカに守られた組織でした。他国の戦争や紛争に行っても、憲法9条のために戦闘をすることを許されませんでしたから、弾に当たって死ぬこともなかった。

第2章 戦争の放棄 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この憲法草案はアメリカからの押しつけだから改正すべきだとか、いやもとはmade in Japanだから、改正してはいけないという問題ではありません。事実はこの憲法に守られて、あるいは禁止されて日本は武力を持って戦うことはしませんでした。戦争放棄という条文が日本を戦闘に巻き込まなかったというのも事実ですし、アメリカに守られて他国から侵略を受けなかったのも確かです。 しかし、次第に他の国からは、お金だけ出して戦わないという非難を受けるようになりました。また、近隣諸国からの恫喝、領海侵犯も目立つようになりました。戦後、日本の漁師が北方領土沖で漁をするとロシアの警備艇に拿捕されたり、銃撃を受け死亡者も出ました。最近では2006年の銃撃で日本人漁師がひとり殺されています。竹島も1952年の李承晩ラインによって、韓国に取り込まれてしまいました。

これからの若者が研究者や医者になりたがるの同様に、自衛官をめざし戦闘機のパイロットや艦船乗組員になって日本を守ってほしいと思います。立派な軍人としてではなく、侵略から国を守る「防人」としての自覚を持たないと日本はいざ攻められた時に滅びます。 自らは侵略はしないが、侵略しようと戦争をしかけてきた敵と戦うことは絶対に必要です。モラルとしては「自ら欲しないことは他人にしてはならない」という気持ちは理解できますし、守らなければいけない道徳です。しかしそういう道徳が国と国との軋轢において通用しない場合があり、それが戦争へとつながります。話し合いをしなければいけませんが、そういう話し合いも強い国と弱い国との間では力関係によって不利な折り合いをつけなければいけなくなります。

ミサイルが飛んで来たら、体育館に避難して、手で頭を覆いましょう、というのは、戦争の現状を知らないからでしょうか。あほ、と言われても仕方がありません。もし戦争を仕掛けられたらシェルターがないと核でなくともミサイル数発で日本人は震え上がっておしまいです。他の国がそういうところを強化してきたのに、アメリカに庇護されているから大丈夫と、日本はそれを怠っていたのです。
「(モハメッドアリが日本を訪問し、猪木らとともに北朝鮮に向かった1995年4月。)私は翌日から、日本のテレビ画面で見たことがあるような平壌の町のけしき、….などの見学コースを、ツアー一行とともに案内された。核攻撃に対するシェルターにもなるという地下鉄構内の堅牢な造りからは、やはり迫力を感じさせられた…」(村松友視:アリと猪木のものがたり、p.245)
地下シェルターを今から作りましょう。戦争抑止努力としての国防が必要です。政治家に期待します。教育者に期待します。事実を見ることができる大人に期待します。
北朝鮮はそういうところがよく分かっていて、国防を兼ねて世界を恫喝しています。だからと言って自分に都合の悪い人物を、拷問をしたり、暗殺したり、強制収容所送りをして飢えさせて消してしまう独裁体制はいけない。

戦争はいけません。だから軍備はいけないというのではなく、いけない戦争をさせないためにも軍備が必要なのです。本当に世界中が軍備を持たなくても平和に暮らしていけるならよいのですが、それは、日本に警察がいなくてもよい社会になるといいなと考えるのと同じことです。警察と司法は悪事の抑止力(We need s solid judiciary and police system.It works as deterrence of crime.) となります。
平和教育は、強力な軍備を持つ国があるということを見せなくしてしまい、日本人は何もしなくても、「戦争反対」と叫んでいれば戦争が回避してくれると思い込まされてしまいました。日本を恫喝している国があることを見ないふりをして。ようやく多くのひとが現実を見るようになりました。手遅れにならないうちに万が一の攻撃に対して国を守りましょう。元寇の時の台風に期待するのではなく、強固な防備です。日本の政治と教育が他国の人間まで指導教化することはできません。

(恫喝はやくざことばだから使うべきでないと言った大学の日本語教育教員がいたことを思い出します。会議の場で辞書を調べていましたから知らなかったのでしょう。本当に日本語を研究している人物なのか疑問です。余計なことを書きましたが、ことばや態度をあげつらって相手の論に反駁するやり方はよく使われる攻撃方法です。相手の論に負けている時に、よく使われます。親に向かってなんという口の聞き方だ。。。もちろん、正しいことを言う場合に言葉使いには注意が必要です。しかし、緊急の場合は、なかなか言葉を選べない。本当の緊急というのは、自分を守るときと、相手を守るとき、そして自分と相手を守るときがあります。
大学は理想と学問を追求する場ですが、競争社会でもあります。学問的成功だけを目指す競争ばかりしている人たちは、自らを有利なそして競争から身を守る立場に置くために学内政治権力を求め、手に入れて、行使する人物になりがちです。こういう人物は、自分より優れた人物に自らが支配されないために、教員組織の中で二流市民を作り、「掃除当番を多数決で決める」というような似非民主主義の元に、民主的に奴隷制度を作って身の安全を図る派閥的支配構造を作ります。競争力が高まるようですが、制度的に他のすぐれた競争者を押さえ込んでしまいますから、結果的にその組織は魅力を失っていきます。独裁政治と同じです。独裁者は自分はよいこと(実は自分にとってよいこと)をしていると考えていますから、現状に気がつきません。教育者が悪い社会の見本を示していてはだめです。でも自分たちだけの利益を追求する人物が何人かと画策するとひとのよい教員がだまされ、独裁政治が横行します。そのとき、きまって、「〜のため」という「御旗」を揚げて、「自分たちのために」という利己的動機を隠すのです。教員も学問だけやっていればよいのではなく、そういう独裁者にだまされないように、社会的にも政治的にも賢くならないといけません。)


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