famine
famineは抽象名詞(一般的に言う飢饉、飢饉という事態)としての不可算用法と個別、個々の飢饉を示す可算名詞としての用法があります。warやconflictなど、抽象性が分かりにくい名詞はたくさんあります。

There were three great/severe famines in the Edo Period. Some say there were four.
(個別的=江戸時代に三大飢饉がありました。四つという人もいます。)

The eruption of a volcano caused famine all over Japan.
(一般的=ある火山の噴火が日本中に飢饉をもたらした。)



飢饉の時に、小判をたくさん持っているのに食べ物を買えずに行き倒れになった人の絵です。自らが飢え死にに瀕している状況においては、どんなにお金を積まれても人に売ってやれる食べ物はありません。明治18年(1885年)発行の本ですので、江戸時代の飢饉の聞き語りと考えてしまいますが、天保の飢饉が1833年と1839年に起っていますから、1839年に20歳位であった作者は66歳ですので、自らが実見した、あるいは当時聞いたことを記したことも考えられます。(凶荒図録:http://www.mytown-nagoya.com/booklist/shosai/kobun/kyoko.html)

【作者】小田切春江(*同好社幹事)編。木村金秋画。勝間田稔題字。野村賀真序。 小田切 春江(おだぎり しゅんこう、文化7年(1810年) - 明治21年(1888年)10月19日)
【年代等】明治18年5月序。同年同月刊。[名古屋]愛知同好社(著者)蔵板。
https://ameblo.jp/aqgel/entry-10037063218.html

日本はお金持ちになりましたが、満足に食事ができない子供が日本中にいます。大人も飢え死にしています。これからの日本は食料を自国で供給できるようにしていかないと姨捨山状況が出現するかもしれません。贅沢になれてしまいましたが、国民がせめて飢えがないように政治家は努力してください。我々国民も世界中でたくさんの飢えている人がいる(だけど私たちにはたくさんのたべものがある)と言うだけではなく、日本の食料自給率(Japan’s self-sufficiency rate for food)を上げる意識を持ちましょう。農業を大切にして、米作り、野菜、穀物作り、酪農、家畜育てを応援してください。農家も中国産のニンニクより三倍も高いニンニクを売っていれば自滅します。たとえ無農薬で、品質がよくてもあまりの価格の差には負けます。それでも日本産を買っているのですが。

政治家(を志すひと)は全国民に対してまず食料とエネルギー確保(農林漁業支援と安全エネルギー安定供給)。それに基づく教育文化(知育、徳育、芸術と体育スポーツ、健全な文化的娯楽)、健康(医学と福祉)、産業(特に製造業。そして工業、商業、建設業、サービス業)、を振興し、世界平和に貢献し、国民の安全と平和と平等を確保してください。
知育には文学、語学、数学、物理学など科学と文明の発展のための一般教養知識と専門知識が含まれます。

それと子供の教育です。教育費が足りないために勉強したい人ができないなんてことがないように。なんとか子供を食べさせることができてもよい教育を与えることができなければ日本を支える人物が育ちません。またそういう国民を大切にし、平和を作り出すために活躍する有能で有徳な人を支援し、応援する一般の人が育ちません。一部の人が特権階級になり自分だけが特権を享受するようになればそれは強制収容所と同じです。すべての子供が社会を支え、互いを支え合う人間に成長できるように教育支援をお願いします。

国防についてはどうでしょうか。コスタリカは軍隊がないそうです。平和な日本でも国内においてもいい人も悪い人もいます。ホームレスの人もいます。盗難や殺人などの犯罪はなくなりません。さいわい警察力がしっかりしていますから、ふつうは安全です。しかし、日本国外の武力関係はどうでしょうか。軍事力の強い国は他国を侵略しようとします。守るということは必要です。日本が責められた時に本当に助けてくれる国はあるでしょうか。まず自分のことは自分で管理せよというのが甘えのない他国の考えだと思います。

私個人については贅沢は言いません。お米のご飯が毎日食べられて、お風呂も毎日入れて、暖房、冷房があって住むことができれば。(これではあまりにもぬくぬくぜいたくな生活ですので、お風呂は三日に一度でよいです。半世紀前までは一週間に一度風呂に入れればよいという時代もありましたから、それでもぜいたくかもしれません。暖房、冷房もできるかぎり切り詰めます。)しかし、生産者でなくなって消費者になった人々は切り捨てるべきでしょうか。政府は年金支給を70歳にしようとしています。それまで働けということなのでしょう。働けない人は姨捨山ですか。それで死んだら焼かれてその灰から取れる入れ歯の貴金属で社会に微量ながら貢献できます。それくらいしかできません。無製産でお荷物だと考えているひともいることでしょう。だからといってじいさんばあさんを殺さないでください。生きている間は幸福な生活をする権利を互いに認めないと、あなたやあなたの家族、友達も、若くして無能と呼ばれる立場になるかもしれません。無能の基準は誰かの、あるいはその集団の意志によって変更されてしまう可能性があるからです。ある宗教法人に殺された人たちはそうした勝手気ままで自分だけよいとする恣意的な基準のよい例です。たとえば、百メートルを15秒以内で走れないとか、年収が?00万円以下だとか、親が日本人以外だからとか、アパート暮らしだからとか。強制収容所に展示されているという虐殺された人たちの大量の髪の毛や持ち物の写真を思い浮かべてしまいます。

ロシア原子力潜水艦沈没事故

戦争もいけません


同じ単語の同じ意味で、抽象名詞と個別名詞という対照ですが、英語の単語の多くがこの対照関係を保持しています。日本語で育った私にはその概念が未だにぼんやりしていて困ります。

拙著では載せませんでしたが、

warとa war/many wars

もそうです。

theft(窃盗という行為/もの)と個々の窃盗であるa theft/thefts
crime(犯罪という行為/もの)a crime/crimes(個々の犯罪)
medicine/medicinesやdisease/diseasesやdifference/differences

など、この対照関係を持つ単語はたくさんあります。

英語学習者は使い方に迷います。
たとえば、medicineを使う場合には、 不可算の例として、
Do you take medicine when you have a cold?(medicinesもa medicineも可。意味が少し違います。薬一般、いろんな薬、あるひとつの薬)

可算の例として,
You can choose any one of these medicines for a cold. They all work well.

We use medicine to fight disease.

We use medicines to fight disease.
は、どちらも使えますが、困ります。この場合、diseaseをdiseasesも同じことが言えて、入れ替え可能です。clothing/clothesやfruit/fruitsの対照のように頭の中の映像が違うのだと思います。抽象化と個別化です。それでも日本語話者には分かりにくいのではないでしょうか。

difference では、 There is a difference between these medicines.
There are two differences between these medicines.
There are many/a lot of differences between these medicines.

There is difference between these medicines.
There is not much difference between these medicines.
There is little difference between these medicines.
There is a lot of difference between these medicines.

では、これらに似通った語はすべて可算、不可算の両方の用法を併せ持っているかというとそういうことでもありません。たとえば、「飢え」ですがstarvationは不可算用法だけです。

A 40-year-old man was found dead in an apartment room in Tokyo in 2010. His electricity and gas were cut off for non-payment. Apparently he couldn’t cook, and he had died of starvation. It is reported that the last food he had bought at a nearby convenience store was 5000 yen of bread.

それに対して、類義語であるhunger(空腹→飢え)は基本的な用法は不可算ですが、比喩的意味では可算的用法となり、普通は単数として用いられるため、単数名詞として取り扱うひともいます。その場合a hungerというのが普通です。a hunger for knowledge(知に対する飢え)のように比喩的表現として使われます。この「普通は単数」というのが経験的な言語データが少ない私たち学習者にはどういうことだろうかと悩ませます。普通はということは単数名詞なのに複数でも使われるのでしょうか。辞書は普通でない例も挙げてくれるとよいのですが。

Eric Berne, the originator of Transactional Analysis, identified what he called 'six hungers' that act as fundamental drivers that push us into action.
( http://www.webcorp.org.uk/live/text.jsp?query=hungers&url=http%3A%2F%2Fchangingminds.org%2Fexplanations%2Fneeds%2Fberne_hungers.htm)


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