I have a nose. + I have a nose.+ I have a nose. + ...=We have noses.
は数学的には自明です。だから絶対に正しい...
が、ひとによっては、
I have noses. + I have noses. + I have noses. ...=We have noses.
という状況を思い浮かべます。現実ではありえません。しかし現実ではないのに別の空想的世界を仮定するとそういう解釈ができる曖昧性を含んでいるのです。 ==> Cars have a spare wheel on the back.
We each have a nose.とすればはっきりします。
ここで、eachは規範的な配分複数の規則をくつがえしてしまうところがおもしろいと思いませんか。
Each of us has a nose.という文が意味していることと同じだからです。
We each shook our head.はどうでしょうか。ourがあるにも拘らず、配分単数の方がよいと感じられませんか。でも中にはどうしても複数のheadsが気持ちがよいという言語感覚の英語母国語話者もいることでしょう。では、We each shook our head/heads one by one.はどうでしょうか。eachを取ってみるとどうでしょうか。We shook our head/heads one by one.
one by oneに影響されませんか。normでありながら実際には単数の方が正しいように思えるという言語直感を養った母国語話者もいることでしょう。Randolph Quirkの文法書ではそういう揺れを記述しています。
We each have noses.は現実世界に基づく意味解釈をする人には完全に間違いです。
だから、eachを取ったWe have noses.も間違いである、と言えればよいのですが、eachをとってしまうと、複数の人が、みなひとつずつ鼻を持っている、という常識に基づいた解釈も可能なのです。
We each have noses.は、文の構造(syntax)としては、文法的にも語法的にも間違いはありませんが、意味的には、生物学的な現実を正確に記述できていません。そういう空想的状況が普通に存在する状況でしたら全く正しい文です。
ですから、nosesではなく、carsとすれば、そういう状況は存在しますから、現実の世界においても意味的にも間違いとは言えなくなります。
We each have cars.
なぜなら、一人の人が二つ以上の車を所有している現実はありうるからです。
でも、それでは、We have a car.という文は私たちが共有で一台だけ車を持っている意味であって、ひとりひとりが一台ずつもっているという配分単数解釈を認めない人は、We have cars.については、私達のひとりひとりがそれぞれ一台ずつの車を所有していると解釈するのでしょうか。そういう解釈も成り立ちますが、たぶんさまざまな現実的状況を思い浮かべるでしょうからこの文については断定的なことは言えなくなるでしょう。
We have noses.
We have cars.
という二つの文は文構造はまったく同じですが、意味的には「鼻」と「車」の所有形態についての現実的事実が異なります。そこに空想が関わってくれば、解釈をますます複雑にします。
現実世界にないことは除くという条件の下に解釈すれば少しは曖昧性が排除されますが、その条件下でひとつひとつ文と状況を検証しないといけません。
また、論理の迷宮に入りそうですので、ここでこの議論はやめますが、話し言葉ではそういうことはあまり考えないで、もしも誤解されそうだったら言い直しや補いが利きます。
We have cars. I mean each of us has/all of us have a car.
この配分単数をめぐっての問題は、文の構成要素の違いによっても生じます。
たとえば、動詞を変えて、不定冠詞のaの代わりに代名詞の所有格であるourを使ってみましょう。
さて、次の四つの文はどれも正しいのでしょうか。あるいはどのように解釈できるでしょうか。
We have a nose.
We have noses.
We pinch our nose.
We pinch our noses.
私には、三番目の文は、our noseというところで、ひとつの鼻を数人で共有している状況を思い浮かべてしまって、みんながわたしたちの共有しているひとつだけの鼻をつまむと解釈してしまいます。
でも人によってはeachを頭の中で補って、しかもWeという主語は総称的な意味もありますから、ひとりひとりを代表した主語と考えれば、pinch our noseとしてもよいと考えるひともいるかもしれません。それは配分単数の考えです。our noseがひとりひとりのmy nose, my nose,...に配分され、noseは単数形としてそのまま残ります。
それがいやな人は、四番目の文を選びます。our nosesがmy nose, my nose, ...と、適切に個々に配分されます。それが集まると当然複数のnosesとなります。これは配分複数です。
ということで、はっきりと文脈で分かる時には、配分単数か配分複数を選ぶことができますが、どちらとも言えない状況にでくわすことがたくさんあります。
次の例はどうでしょうか。
They have the same nose.(研究社大英和辞典:似る)
彼らは鼻が似ている。
どのように似ているのか不明ですが、おそらく形でしょう。
They have the same shape of nose.
ということになります。
これも人によって、どちらかを選ぶことになるでしょう。
They have the same shape of nose as hers.
They have the same shape of noses as hers.
この場合は、どちらでもよいのではないでしょうか。視点と主観によって、傾きの度合いが違って来ます。コンテクストによっては、どちらかの傾きが大きくなります。迷うのは母国語話者でも同じです。話している時は、特に英語を母語としない学習者の人は気にする余裕はありません。でも、こうした意味の差とかあいまいさを考えることが意味論の基本です。音素のminimal pairの概念と似ています。panとban,canなどを比較すると、[p][b][k]の音素が抽出されます。
意味素(sememeとかsemantic primitiveと呼ばれているようです)という概念もあります。しかし、比較させる対象が音韻ではなくて、意味ですので物理的に比較できず、頭の中で語の意味と文の意味、そして状況での最小の意味を考えなくてはいけませんので相違、類似を指摘し、正誤を判断するのは難しいのです。意味の最小単位は単語だと思われますが、単語は意味をもつ形態素でできていますから、では意味素は形態素と一緒でしょうか。そのように単純には考えられないようです。
また、慣用というのはそういう風に言い習わされているということですから、規則に当てはまらなくても正しい用法としようという例外的措置を取ることでもありますから、すっきり白黒を付けられない場合があります。
女性解放運動前の文法書では、everybody, nobody, anybody, eachなどの代名詞と呼応する代名詞はhe, his, himでした。1960年代と1970年代に盛んだった「ウーマンリブ(the Women's Liberation Movement)」は、英語の男性優先の語法にも影響を与えました。
(cf. chairman=>chairpersonなど。詳しくは、神崎高明氏の論文『manの語法』関西学院大学 言語文化論集、4:47-59, 2006)http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/5981/1/E4%2047-59.pdf参照。) 今は、they, their, themが用いられています。一時期は、he or sheという言い方も流行りましたが、冗長です。しかし、どうしても使わなければいけない場面もあります。 We will have a new president for our company at the end of this month. He or she will have to sell one of the branches. 私たちの会社では、今月末に新しい社長になります。(新社長は)支社の一つを売りに出さなければならないでしょう。 1980年代以降に教育を受けている英語母国語話者は、they, their, them, theirsを文脈によっては単数扱いと認識する世代もありますから、ourでなくてtheirとするとその後に来る名詞が単数形だと考える人もいます。もちろん、文脈が解釈に影響を与えますので、断定はできませんが、世代と場所によってはtheyをhe or sheのように単数扱いと考えることもあるでしょう。
Most young Japanese couples fantasize about owning their home.
次の二つの分を声に出して比較してみてください。 Everybody has a nose. So, naturally they have their nose.
So, naturally he or she has his or her nose.というと言いにくくて大変です。 犬をひもでつなぐと言いたいときはどうしますか。 一匹なら問題ありません。 Put the dog on a leash. 二匹以上でしたらどうするでしょうか。 Put the dogs on a leash. Put the dogs on leashes. 一本のひもにつながれた何匹かの犬(どのようにつながれているかうまく想像できません)、あるいは何本かの紐それぞれにつながれた何匹かの犬など頭に状況が浮かべば、それに合せてleashかleashesを選びます。でも、とっさの場合はそのような照合は難しいでしょう。 Put each of the dogs on a leash.
とすればはっきりしますが、文法敵に少し複雑な操作が必要です。 次の例は主語が複数のために混乱します。
Some Japanese men think that it is the happiest time when they are lying and get their earwax scraped/scooped out by their girlfriend(s) with a small (spoon-shaped bamboo) ear-pick with their head(s) resting on their lap(s). a hairpinもありますが、U字状や一本のものなど形態がいろいろです。hairpin) All the students eat ice-cream with a spoon.なのかwith spoonsなのかというのも同じ問題です。
All the students eat ice-cream with this spoon.
こういう場合もあるかもしれませんが、常識的にみるとおかしい。この文を聞いた人はおかしいと思いながらも、配分単数的に解釈するか、そのスプーンひとつだけなのかと、おかしさを指摘するかもしれません。その場にいくつかの同じようなスプーンがあれば、with these spoonsと言えます。 視点の持ち方に依存すると思います。それとallなどの副詞の働きも影響します。
All the boys in this class have a girl friend.
同様に、 母国語であれば、ふだん話すように書いて間違いが少ないのが理想です。しかし、話し言葉はまちがいや言い直しを避けるのは難しいものです。少なくとも書かれたものは、母国語にしろ外国語にしろ、最低10回は読み直して推敲しなければいけません。 (耳かきでつかう綿棒のことはa Q-tip(商品名)あるいはa cotton bud/swabといいます。Q-tip:Cambridge Dictionary: a short stick with a small amount of cotton on each end that is used for cleaning, especially the ears) |