住民参加に基づく地域開発プログラムの社会教育における役割
− フィリピンの2つの事例 −
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I はじめに
II イニポン − 地域に根ざしたラジオ局 −
III コロナ − セクターごとの組織 −
IV おわりに
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〔要旨〕
1993年に教育文化スポーツ省と国立フィリピン大学(UP)が共同で、3R'sがいかなる文化的社会的文脈で習得・実践されているかを、14地域で調査した。その報告書のなかで優れた社会教育の場として紹介された住民参加型プログラムの2つの事例を検討した。ケソン州の事例では、カトリック教会所有のラジオ放送が、宗教的道徳教育に加え、農業や保健衛生、環境問題、時事問題を学ぶ場を提供してきた。またラジオ番組の聖書学習会を通じ住民の組織化が進められてきた。リサール州の事例では、セタクーごとの住民組織が、構成員に共通の課題に取り組んでおり、特に漁民組織の活動が盛んである。そこでは組織運営に関わる技能の習得や、参加意欲、問題意識の形成が図られてきた。また組織内コミュニケーションが重視され、機関誌のほか、歌、ポスター、演劇などが利用されてきた。なお、2つの事例のどちらにもカトリック教会が関与しており、そのことが住民の動員に貢献する一方、宗教的差別や対立、教義上の制約などの問題が生じることがあると考えられる。今後は、宗教団体にかわり、公立学校をはじめ宗教的に中立であるべき政府機関が主導して、同様な実践が実現可能か否かを検討する必要がある。
I はじめに
発展途上国の農村や都市スラムの経済的、社会的な諸条件を改善するための近年の取り組みにおいて、様々な非政府組織(NGO)が主導する、いわゆる草の根型のプログラムが一定の役割を果たしてきたことは周知のとおりである。これらのプログラムのあり方は多様であるが、一般的な傾向として、地域住民の参加を促し、可能な限り多くの役割を担わせようとする方向性が広く共通にみられたように思われる。こうした形態が志向されてきたのは、一つには、住民自身が計画・意思決定や実行に関与することで、住民の要請により適合したプログラムの実現が期待されたためであるが、これに加えて見落としてはならないのが、住民に参加の機会を提供することが、その自立心、公共意識、連帯意識の涵養につながるということである。このことは、プログラムの対象である貧困層の多くが自己実現や社会参加の機会に恵まれなかったことを考えるとき、特に重要である。
フィリピンにおいても、国外から支援を受けているものも含め、こうした住民参加型のプログラムが各地で盛んである。しかしそれらを対象とした研究の蓄積はごく少なく、住民の意識の変化という視点から研究が行われたこともほとんどなかった。そうしたなかで注目されるのが、教育文化スポーツ省ノンフォーマル教育局と国立フィリピン大学総合開発研究センターが共同で1993年10〜12月に行った調査結果の報告書(以下「NFE・UP報告書」と略す)である1)。これは地域の文化的社会的状況と関連づけた3R's 教育プログラムの作成を目指し、そのための基礎資料とするため、3R's がどのような文脈のなかで習得され実践されているかを14の地域で調査したもので、上で述べたような住民の意識の変化に第一義的な関心を置いたものではなかった。しかし調査地には、相対的に就学率や識字率が低い少数民族やムスリムの集住地域、都市のスラムなどに加え、住民参加型のプログラムが盛んな地域が2つ選ばれている。これはプログラムが識字などの習得・実践の場と考えられたためで、両地域のプログラムについて、地域住民にどのようなインパクトを与えてきたかという観点から記述されている2)。以下ではこの報告書をもとに、両地域のプログラムの社会教育における役割をみていきたい。
II イニポン −地域に根ざしたラジオ局−
イニポンを含むケソン州北部は、隣接するアウロラ州とともに、南北500kmにわたるシェラマドレ山脈と太平洋とに囲まれて、ルソン島の他地域と隔てられている。イニポンは沿岸から内陸に分布する36のバランガイによって構成される。農業、漁業、林業が主な産業である。かつては山脈を越える道路が砂利敷で、マニラまで6〜8時間を要したため、外界との交流が比較的限られていたが、90年代に入り道路が舗装され、電話回線が引かれるなど交通・通信の整備が進められたことで、外来者向けリゾート施設が多数建設されるなどの変化がみられるようになった。
1990年現在人口は34,660人で、そのほとんどがタガログ語を母語とする。また98%以上がカトリックである。公立の小学校14校、ハイスクール1校、小学校内で開校されているバランガイ・ハイスクール3)が3校のほか、カトリック系修道会が運営する私立ハイスクールが1校ある。また公立ハイスクール内で夜間に2年制のコミュニティ・カレッジが開かれている。
イニポンでは近年、違法森林伐採の問題がクローズアップされている。これは、森林の急減によってシェラマドレ山脈から太平洋に流れるアゴス河の治水に支障をきたすようになり、最下流の沖積層平野に位置するイニポンで、雨期にたびたび深刻な被害が起きているためである。なおシェラマドレ山脈は共産党の軍事組織である新人民軍(New People's Army:略称NPA)の活動範囲であり、イニポンやその周辺でも国軍との小規模な衝突や誘拐事件が報告されている。
1.住民参加型のラジオ放送
イニポンは、カトリック教会の影響力が大きくその社会的活動が盛んなことで、指導者のラバイヤン司教(Julio X. Labayen)とともに内外に知られる。教会の活動は、信徒である多数の住民を組織してキリスト教基礎共同体(Basic Christian Community 略称BCC)を形成することで実現されてきた。これはカトリックが多数派の発展途上国で広くみられる宗教運動である4)。イニポンでは、教会が設置したラジオ局を通じてこのBCCが形成されてきた。またラジオ局は、ニュースその他の番組を通じ、イニポンや近隣地域に情報提供やコミュニケーションの手段を提供してきた。
ラジオ局が認可を得て放送を開始したのは1968年である。事務所とスタジオは小教区の教会堂・司祭館の建物内にあり、運営会社の責任者は小教区司祭が務める。常勤の事務兼番組担当スタッフと技術者が4人ずつのほか、番組担当の非常勤スタッフや無給ボランティアが20人いる。運営費用は総て広告収入でまかなわれるが、開局時と1978年の設備拡張時には、地元教会と西ドイツ(当時)のカトリック系財団から援助を受けた。またこれまで数回、台風の被害などで放送が中断されたとき、住民からの寄付が復旧費用の一部にあてられた5)。
音楽などの娯楽番組も放送されるが、ニュースその他の情報提供が重視され、特に公共サービス関連の番組に週あたり24時間(全体の23%)があてられる。そのなかで最も人気が高いのが「助け合い」(Bayanihan)と呼ばれる番組で、フィールド・リポート、地域の時事問題に関する解説および地元の関係者を招いてのインタビューなどが行われる。さらに住民からの依頼に応じ、捜索願い(人や家畜)、政府機関の公報、会合の通知、災害対策や医薬品の要請、訃報、発送・到着の通知などの内容が無料で放送される。農民のなかで人気の高い番組が「豊かな生活」(Masaganang Pamumuhay)で、最新の市場価格や農業技術、農業関連ニュース、気象情報などの内容を伝える。市場価格の情報は、仲買人に対する農民の立場を有利にすることで、その利益を守るのに役立ってきたという。青少年向け番組「子ども時代」(Kabataan)では、小学生数人が招かれ、自分たちや同世代の問題について番組スタッフを交えて話し合う。教会所有の局であるにもかかわらず、宗教的な内容の番組は週あたり5時間にすぎない。ただし後述するように、そのなかの「ラジオ学校」(Radio School)は、BCCの形成や地域住民の組織化で中心的な役割を果たした。
番組制作の過程には、地域住民が様々な形で関与している。イニポンをはじめ近隣の町村には、ボランティアとして、地元のニュースを収集し、様々な動向や出来事を観察・分析して報告するグループがある。また公的な問題に関する番組では、地元の専門家(弁護士、専門技術者、政府職員など)や関連するセクター(農民、漁民、女性、青少年など)の代表を定期的に招いている。治安の問題に関しては、公平を期すために、当局側だけでなくNPAのスポークスマンにも時間を提供してきた6)。積極的な一般聴取者も少なくなく、スタッフへの手紙や直接の来訪によって、感想や提案、改善案などが寄せられる。
スタッフの多くは地元出身者で、ボランティアを経て採用された者が少なくない。現職のニュース・ディレクターは、以前は地元で氷商を営んでいた。1970年にボランティアのアナウンサーとなった後、実地の経験を重ねるとともに数回の研修を受け、取材や原稿作成も担当するようになり、1977年にディレクターに任命された。またニュース・アナウンサーの一人も、シェラマドレ山中の樵で生計を立てながらボランティアとして参加した後、1989年から常勤となった。こうしたスタッフの経歴からも、住民はラジオ局をより身近なものと感じてきた。
このように地域社会と深く関わる組織形態や番組制作過程から、NFE・UPの報告書は、ラジオ局を「地域に根ざしたラジオ局」と評している7)。
2.ラジオを通じた住民の組織化
ラジオ局の番組のなかで、地域住民の組織化や社会的意識の形成に最も貢献してきたのが、イニポンや周辺の町村で近隣ごとにグループ単位で祈祷と聖書の学習を行う「ラジオ学校」である。これは週に1度放送される30分の番組を、近隣の人々が集まって聴き、その後に話し合いと祈りの時間をもつもので、イニポンでは30の近隣グループに、それぞれ8〜25人が参加している。番組は司祭とスタッフの対話形式で進行し、聖書から一つの箇所を選んで解説した後、話し合いのための課題を提供する。可能な限りイニポンやフィリピンの状況と関連させた聖書解釈が行われ、各グループの話し合いにもこれが反映される。最近は違法森林伐採による洪水の問題や、地元での違法賭博の問題、政府の汚職などがしばしば話題とされる。
1976年に開始されたこのラジオ学校によって、司祭不足と交通手段の不備から司祭が訪問することができなかったイニポンの各地に教会からのメッセージが届くようになり、住民である信徒の精神的な成長の促進や、宗教的な共同体(BCC)の形成が可能となった。
各地での集まりの世話や話し合いの司会進行の役割は、地元の一般信徒がボランティアで引き受けており、「協力者」(Tagapag-Ugnay)と呼ばれる。この協力者には、参加姿勢が積極的で指導者として資質のある者が選ばれ、住民組織化の核と位置づけられてきた。協力者は、近隣各戸を訪問してラジオ学校への参加を促したり地元の祭や他の教会活動において中心的役割を担うことで、経験を積み、近隣の人々を把握して、地域の指導者として養成されてきた。
ラジオ局は、番組の開始から2年後の成果報告のなかで「近隣の人々がお互いをより身近に感じるようになった」「盗みが減った」「祭の準備や教会の活動に積極的に参加する人々が増え、実行が容易になった」「家族内や地域の問題解決に役立った」「各地で指導者としての資質のある者をみつけることができた」などと記している。ラジオ学校を通じ地域の指導者が発掘され、それを核として、人々が地域の活動に積極的に参加する基盤が築かれたのである。
NFE・UPの報告書は、ラジオ局がイニポンの人々に農業や環境問題、時事問題、保健衛生、価値観、キリスト教精神を学ぶ場を提供してきたことを高く評価し、「このラジオ局は放送の学校である」8)と記している。こうして形成された住民の参加姿勢を背景に、教会は1980年代中頃から、セクターごとの組織作りを進めてきた。すでに農業、沿岸漁業、河川漁業、母親、教員、学校外青少年、野菜販売の組織が結成され、各分野の共通課題に取り組んでおり、住民の活動はより多面的に展開するようになった9)。こうした活動の理念や方法は、次にみるコロナの住民組織と共通する部分が多く、NFE・UPの報告書は、両地域での住民の活動を「開発志向」(development-oriented)と呼び、同一類型に位置づけている。このコロナの活動を次にみることにする。
III コロナ −セクターごとの組織−
ルソン島中部のリサール州にあるコロナは、フィリピン最大の湖ラグナの湖岸部の11のバランガイと、湖上のタリム島の7つのバランガイとからなる。ラグナ湖での漁業が主要な産業である。
1991年現在人口は33,967人で、98%以上がタガログ語を母語とする。また90%がカトリックであり、残りをプロテスタントやイグレシア・ニ・クリストなどが占める。カトリックの教義が産児制限の障害となっているため人口増加率は3.0%に達し、その過半数を20歳未満が占める。このため教室をはじめとする学校施設の不足が大きな問題となっている。公立の小学校10校、ハイスクール2校のほか、私立ハイスクールが1校ある。首都圏に近くその影響が及んでいることもあり、麻薬や賭博が問題となっている。
1.住民組織の概要
コロナで住民組織化のイニシアチブをとったのは、カトリック系の教育・研究機関であるアジア社会研究所(Asian Social Institute 略称ASI)10)であり、当初住民は、ASIから組織運営のための技術などを習得した。その後、住民自身の手による組織運営が可能となった時点でASIは支援を終了しており、現在は自主独立の住民組織ということができる。
最も活発なのが漁民組織「カビテ・ラグナ・リサール」(略称:CALARIZ)であり、コロナの1バランガイを中心に活動している11)。さらにこのCALARIZによって、漁民のほか、女性、青少年、トライシクル運転手などセクターごとや地域ごとのグループが組織され、それらが集まって「リサール住民・漁民連合」(Ugnayan ng Mamamayan at Mangingisda ng Rizal 略称:UGMMARIZ)を構成している。
CALARIZやUGMMARIZの主要な活動は、構成員に共通する経済的、政治的、社会的な問題への取り組みである。例えば主要構成員である漁民のために漁業利益集団としての活動や、漁獲場であるラグナ湖の環境保護のための活動が行われる。こうした活動は、「公正で人間的な社会の実現」12)という基本理念に基づいている。
活動の中心は、定期的に開かれる種々の会合やセミナーである。それらは状況分析、問題発見、解決策の検討の順で進められ、出席者の間での討論が重視される。構成員はこうした場を通じ、自分たちのおかれた社会状況について多面的に理解するとともに、コミュニケーションや議事進行の能力を向上させる。討論、司会、進行、交渉、スピーチ、記事作文の技能が特に重要と考えられている。技能向上のための研修も定期的に行われる。新規加入者や指導者のためのセミナーも用意されている。こうした活動の経験や研修を通じ、構成員、なかでも指導者たちは、取り組む問題について見識を深め、組織運営に関わる技能を習得し、問題意識や参加意欲を向上させてきた。
構成員のなかには小学校中退者も少なくないが、そのなかにはセミナーや研修を通じて組織運営の技能を向上させ、中心的役割を担うようになった者もいる。NFE・UPの報告書では、父親が死亡したため読み書きを十分に習得しないうちに小学校を2年間で退学していたCALARIZの構成員が、その活動を通じて読み書きを学習し、機関誌の記事を執筆するまでになったケースが紹介されている13)。
これらの住民組織の活動は、キリスト教を基盤とした価値観の形成を目指すものでもあり、聖書箇所に基づく祈祷と黙想が、総ての会合や活動に必須のものと位置づけられている。指導者たちは「福音書の教えが自分たちの思想に強い影響を与えてきた」14)と述べている。
2.コミュニケーションの重視
上述の機関誌をはじめ、様々なメディアを活用したCALARIZのコミュニケーション活動を、NFE・UPの報告書は高く評価している。コミュニケーションが重視されるようになったのは、組織の拡大にともない指導者と一般の構成員の間で、漁業その他地域社会の問題に関して知識や認識にギャップが生じるようになったためで、1984年頃からといわれる。1986年にはASIの支援を得て調査教育出版局が設置され、 1地域社会の問題や、漁業と国家経済との関係、環境問題、新技術、組織の状況についての調査、 2諸問題に関する啓発、新技術の普及、価値教育、 3リサール、ラグナ、カビテ3州を対象とした広報を行うようになった。
利用される主要なメディアの一つが機関誌で、上記の州ごとの3誌と、3州全体のための1誌が季刊発行されている。各地の執筆担当者が地域の最新の状況や活動についての記事を作成しており、一般の構成員は、機関誌を通じ、他の地域の活動について知ることができる。また歌も有効なメディアとして利用される。漁民は漁のとき網を投じてから引き上げるまでの時間、作詞・作曲をして過ごすことを好むからである。CALARIZではこれに着目し、漁民の感情表現や自己主張を促す目的で、自作の歌を募集している。これまでに15曲が選ばれ機関誌で紹介された。その歌詞では、漁民の抱える問題や希望が表現されている。またポスターも利用される。そこには漁民の問題が描写され、背景に詩が書かれ、会合の場で朗読される。このほかに、漁民の問題を題材とした劇が創られ、演劇の研修を受けた構成員によって上演される。これらのメディアの利用においては、知識の普及だけでなく、意識化や批判的思考の形成が志向される。
3.多様な教育活動
CALARIZやUGMMARIZは、構成員に限らず地域住民に対して技能訓練の機会も提供しており、青少年を対象とした手工芸その他の生業関連の技能講習や、会計・司書の講習が定期的に行われる。またCALARIZは1990年に、組織の理念を体験するためのプログラムを用意し、就学前児童約100人を招いた。これは価値教育を早期に始めるべきであるという考えに基づくものであった。1993年からは、才能と関心のある子どもを対象に芸術講習が行われている。講習は「芸術と環境」をテーマとし、地元の漁業社会の一員としての自覚と環境に対する責任意識の育成を目指している。このほかに、CALARIZとUGMMARIZは首都圏の大学や専門学校と提携しており、勉学の意欲のある構成員の子弟が奨学金を受けている。
CALARIZはまた、内外の大学に実習の機会を提供しており、多くの実習生を受け入れている。UPやデ・ラ・サール大学、ASIなどでソーシャル・ワークやコミュニケーションを専攻する学生が、フィールド・ワークや実習のため、数週間コロナに滞在し、CALARIZの活動を観察・体験している。ASIを通じ、他の発展途上国の学生が実習に訪れることもある。CALARIZの構成員は、研修担当者としてこれらの実習生を指導し、最後の成績評価も行う。CALARIZの側が、優秀な実習生から指導・組織運営の技術を学ぶことがある一方で、構成員が実習生に不合格の評定を下したこともあるという。また指導者たちは、しばしば他のNGOや教育機関に講師や講演者として招かれる。こうしたことに、CALARIAの活動や、その指導者たちの技能が一定の評価を得ていることが示されている。このことは、彼らの多くが学校教育の機会に恵まれず、大学やハイスクールでの就学経験がないことを考えるとき、特に注目すべきことといえよう。彼らは上述のような活動の経験や研修を通じて学んだのであり、CALARIZは「すみからすみまで学校だった」15)のである。
IV おわりに
NFE・UPの報告書は、イニポンとコロナで展開されてきた住民参加型のプログラムを高く評価し、それが3R's の習得をはじめとする優れた社会教育の機会となり、プログラムを通じ住民が力強い自己イメージ、自己信頼、ボランティア精神を身につけてきたと記している。
しかしここで見落としてはならないのは、2地域のプログラムのどちらにもカトリック教会が関与していたことである。イニポンのラジオ局は教会の所有であり、住民の組織化の主要手段である「ラジオ学校」は聖書について学ぶ番組であった。コロナでも当初の組織化はカトリック系機関であるASIによって開始され、その後も支援が行われた。また活動はキリスト教の価値観に基づいており、祈祷や黙想などの宗教的活動が必須のものと位置づけられている。フィリピンの他の地域でみられる類似のプログラムにも、カトリック教会が一定程度関与しているものが少なくないといわれる。
人口の大多数がカトリック信徒であり、その教えがフィリピン人の行動様式に少なからぬ影響を及ぼしていることから、教会の関与は、住民の積極的参加を促し、プログラムの成功に一定の貢献をしてきたと考えられる。しかしその一方で、宗教的色合いを帯びたプログラムは、教義上の制約や宗教的対立ないし差別の問題をともなうことが少なくない。前述のように、コロナでは、カトリックが産児制限に反対しているため人口の増加を抑制することが困難であり、教育その他のサービス低下の一因となっている。このことから、コロナの住民組織が人口問題に取り組むことは、それが緊急の課題であるにもかかわらず、困難であると考えられる。またイニポンとコロナの報告書にはみられなかったが、他の地域では、受益者に対する宗教的差別の問題や宗教的反発によってプログラムに支障をきたしたケースが報告されている16)。
NFE・UPの報告書は、イニポンとコロナのプログラムの宗教的側面によるメリットとデメリットには言及していない。また優れた社会教育実践として選んだ2つの事例がいずれも宗教団体の関与するものであった理由も説明されていない。このため宗教的側面がプログラムの成功に必須の条件であるのか否かという点も明らかでない。イニポンやコロナの事例を含め、カトリック教会が主導する各地のプログラムから有益な示唆を得るためには、宗教団体にかわり、公立学校をはじめ宗教的に中立であるべき政府機関や非宗教系NGOの主導で、同様な実践が実現可能であるのか、あるいはどの部分の実現が困難で、それはいかなる理由によるのかという点について、検討を試みることが肝要であると考えられる。
注
1) 2冊の全体報告 [Canieso-Doronila, Maria Luisa (Ed.) , Learning from Life: An Ethnographic Study of Functional Literacy in Fourteen Philippine Communities, Vols. 1-2, Center for Integrative and Development Studies, University of thePhilippines and Bureau of Non-formal Education, Department of Education, Culture and Sports, 1994] および13冊の地域別報告 [Vols. 3-15, 1995] からなる。なお14の調査地のうち、1地域に関する個別報告書が刊行されていない。
2) Vols.14-15 がイニポンとコロナの個別報告書である。またイニポンでは筆者も1984年から97年にかけて数回、現地調査を行った。II章の記述の一部はこれらの調査結果に基づいている。詳細は 拙稿「農村と教会 −フィリピンの地域指導者養成の事例を中心として」修士論文(東京大学教育学部)1988年1月、「フィリピンの基礎共同体 −地域教会の教育活動」『比較教育学』第15号、1989年3月、「フィリピンの基礎共同体の活動 −カトリック信徒指導者の養成に着目して」『アジア経済』第31巻第9号、1990年9月、「1987年憲法下のフィリピンの公立学校における宗教教育の実態 −事例調査を中心に」『東京大学教育学部紀要』第32巻、1993年3月 を参照されたい。なお、これらの論文では調査地は「イニポン」ではなく「カトゥハ」とされているが、どちらも同一の地名の仮名である。
3) バランガイ・ハイスクールについては 拙稿「フィリピンのバランガイ・ハイスクールの成果と課題」『中間報告書 (I) 』1996年3月 を参照。
4) BCCは、貧困をはじめとする地域の問題に、地域住民自身を担い手として取り組むという、新しい形の地域的カトリック生活の運動である。聖職者でなく一般の信徒が主体になるという、従来のものと異なる運動の形態が、貧しい人々の参加を促進し、その社会意識の形成につながった。詳細は 前掲拙稿、1989 を参照。
5) このことは、住民がラジオ局を「自分たちのもの」と認識していることを示すものであると、NFE・UPの報告書は指摘している。 Learning from Life, Vol.14, p.43.
6) 1988年に国軍兵士がNPAの捕虜となったときは、放送を通じて呼びかけた後、局スタッフが交渉を仲介して釈放を実現した。 Ibid., p.55.
7) ユネスコはこのラジオ局を「地域に根ざした放送」のモデルに指定した。 Ibid., p.44.
8) Ibid., p.56.
9) 例えば沿岸漁業の組織は、沿岸の漁業権競売に加わったり、違法な漁業活動への取り締まりを求めるロビー活動を行ってきた。また母親の組織は、児童の栄養不良の問題に対応し、栄養に関する学習会を行ってきた。
10) 1962年にサントス枢機卿 (Rufino J. Santos) が設立した。共産主義に対抗して国家の指導者となる人材の育成を目指すために、経済学や社会学の大学院教育を行ってきた。後に、社会活動を行う部門が設置された。Fabros, Wilfredo, The Church and Its Social Involvement in the Philippines, 1930-1972, Ateneo de Maila University Press, 1988, pp.94,119.
11) 「カビテ」「ラグナ」が隣接する州名であることから、組織の活動範囲はこの3州にまたがるものと推察される。
12) Learning from Life, Vol.15, p.40.
13) Ibid., p.44.
14) Ibid., p.45. 価値観の形成を目指すユニークな活動に「人生の寄付」(Ambag-Buhay)がある。これは構成員に過度の飲酒や喫煙、賭博など不健全な行為を控えることを奨励し、それらに費やしたはずの金額を寄付してもらい、構成員向けの低利融資基金の財源とするものである。
15) Ibid., p.42.
16) ピナツボ噴火避難民の移住地域(サンバレス州)での宗教団体のプログラムが、受益者を宗派によって差別していたという報告や、ラナオ州のムスリムに対してキリスト教系団体が行っている識字教育プログラムが、布教の手段と疑われたという報告がある。 Learnign from Life, Vol.7, p.71; Vol.8, pp.38,49. コロナにも、カトリック教会と敵対するイグレシア・ニ・クリストの信徒が一定人数おり、潜在的に宗教的対立の問題があると推察される。(両派の対立関係については 寺田勇文「イグレシア・ニ・クリスト − フィリピンの新宗教運動の一事例」『東南アジア研究』第19巻第4号、1982年3月 を参照)
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以上は,国立教育研究所 編 『 特別研究 「学校と地域社会との連携に関する国際比較研究」 中間報告書 (II) 』 (1998年3月) のための最終ドラフトにもとづき,ウェッブ上での掲載のために若干の加筆・修正を行ったものです。刊行された論文とは異なるところがあります。
市 川 誠 必ずお読みください