02: 「構造」と「機能」について - October 10, 2008 |
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I. 身体からの出発 自然としての身体は、緻密な構造と機能から成り立っている。しかしながら、それが判明する以前の身体は、霊的なもの、神秘的なものとして捉えられていた。そんな幻想を打ち砕いたのが解剖学と生理学だった。 |
解剖学と生理学の役割 構造を明らかにするもの →解剖学 機能を明らかにするもの →生理学 |
ダ・ヴィンチの功績 レドナルド・ダ・ヴィンチは、当時としては異例の数の人体解剖を行い、人間の身体の構造・機能を理解した上で、様々な発明への手掛かりとした。 →そこには、芸術や科学など、分野を越えた身体への眼差しがあった。 |
解剖図の意義 ダ・ヴィンチの成果で何より評価すべきは、解剖をしたこと以上に、それを解剖図として残したこと。 →現代医学からすれば、厳密な正確性に欠ける部分はあるものの、彼の発明の基盤として、極めて重要な意味を持っていた。 |
ダ・ヴィンチ以前 ダ・ヴィンチの解剖図は、後年になって発見されたため、当時の医学に直接的な貢献をしていたわけではないが、彼以前には、解剖自体が宗教的理由なども含め、個人で行われることは稀なことだった。 →実証性のある医学的見地から身体を理解できていなかった。 |
身体を描くこと ダ・ヴィンチの解剖図は、身体を非常に冷静な視点で観察し、それを非常に正確に記録したという部分で、大きな成果である。 →身体の構造と機能を正確に理解していたことの証明。 |
視神経交叉に関する素描 (1508年頃)![]() |
『ウィトゥルウィウス的人体図』 (1490年頃)![]() |
記録する機械 ダ・ヴィンチは、解剖をしながら解剖図を描いていたわけではない。自らの手で解剖はしていたが、解剖した後に、改めて自分の眼で見たものを描画し、それが何だったのかを記述していた。 →ダ・ヴィンチ自身がカメラのごとく「記録する機械」と呼べるものだった。 |
身体に対する盲目 皮膚という膜に覆われた身体の内側、すなわち構造と、それに伴う機能について、案外知らないことは多い。 →人間の作り出すものは、人間自身から派生するので、まずは自らの身体の構造と機能について理解してみる。 |
上肢の骨と筋に関する素描 (1510-11年頃)![]() |
II. 機械論的身体 デカルトやド・ラメトリらは、霊魂の存在を否定し、他の動物と同じように、人間も機械的な存在であると論じた。 →現在の心身問題へと連なる議論。 →構造としては実体のない「心」は何なのか、といった疑問を投げかけた。 |
デカルトの誤解 身体という構造と、精神(あるいは心)という機能は別物ではなく、身体と一体のもので、精神を掌る器官があると信じていた。 →松果体を精神の拠り所だと誤解していた。 |
マン・マシーン 身体を機械的なものとして眺めた時、まず理解すべきは、どのような部品から成り立っていて、それがどのように動いているか、ということ。 →現代では、脳以外の身体の部位のほとんどは、人工物で代替可能となっている。 |
特別な存在 交換不可能な脳だけは、身体の中にあって個別的な存在である。 それを十分に理解することなく、人工的に再現しようという試みがなされた。 →脳は単なる物質ではなく、恒常的に機能が変化し続けるもので、別の形で再現するのは現時点では不可能。 |
人工知能の失敗 身体の構造を模した道具は数多いが、人工知能の失敗は、脳の計算論的な処理機能にしか焦点を当てなかった点にある。 →脳の中で生じる「現象」を模しただけでは、脳の機能は再現できない。 |
道具と身体 身体から派生した道具(メディア)を作り出そうとするならば、身体の構造と機能への理解を前提とするが、道具と身体は別のものであると認識しておくことが必要。 →カメラは眼(視覚)との相似によって生まれたものではあるが、カメラは眼そのものではない、ということを忘れないように。 |
III. 住むための機械 建築家ル・コルビュジェは「住宅は住むための機械である」と述べた。 住宅という生活空間から有機的な要素を排した時、そこに適応する身体も、機械的であることを強いられ、道具としての住宅は、身体が機械的要素を持っているからこそ成り立つ、と言えるかもしれない。 |
建築の構造と機能 コルビュジェの発言を解すれば、住宅が機械であるということ、それ自体は(居住するという)機能である。それを支えるものとして、建造物の形としての構造が形態をなしていると言える。 →ただし、それでも構造と機能の関係という意味では平等である。 |
ヘルツォーク&ド・ムーロン スイス、バーゼル出身のジャック・ヘルツォーク(Herzog, Jacques)とピエール・ド・ムーロン(de Meuron, Pierre)の二人による建築ユニット。 内部に隠れることの多い構造的部位を、表面に出す造形表現が特徴。 |
主な作品 テートモダン(ロンドン) プラダ・ブティック青山店(東京) アリアンツ・アレーナ(ミュンヘン) 北京国家体育場(北京) |
プラダ・ブティック青山店![]() |
アリアンツ・アレーナ![]() |
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IV. 建築からモードへ 建築は、身体が介在するものであるが故、身体との関係において論じられることが多く、モードは身体なくして表現されることはありえない。その意味では、建築とモードを同じ文脈で語ることには、相応の合理性が存在する。 |
理想と想像性 クロード・ニコラ・ルドゥー(Ledoux, Claude Nicolas 1736-1806)やエティエンヌ・ルイ・ブーレー( Boullee, Etienne Louis 1728-1799)らは、理想のみを追求したが故に実際には建てられなかった建築物を設計したため、「幻視の建築家」と呼ばれた。 |
想像性から創造性 いくら想像性に長けていても、それが実現される論理的手続き、「構造と機能」が備わっていないことには、妄想で終わってしまう。 →いかに想像を創造へと転化させるかについて考えること。 |
身体における創造性 建築とファッションは、総合的な表現であるという点で、共通する要素が多い。 →住めいない建物は意味がなく、着れない服は単なる見せ物。 →他の表現以上に、構造と機能のバランスが重要となる。 |
V. モードと音楽 既存のモードのあり方が解体され始めたのが1980年代。同時に音楽の世界でも、サンプリングを多用し、「演奏」を基盤とした音楽からの脱却が本格化していった。 |
再構築の革新性 渡辺淳弥は「カスタマイズ」という言葉で、マルタン・マルジェラは「アーティザナル」という言葉で、既存の服を、一度解体し、再構築するという手法を用いている。 →音楽におけるRemixと共通する手法 |
渡辺淳弥 1961年、福島県出身。 コム・デ・ギャルソンにパタンナーとして入社し、1992年より自身のラインでデザインを担当、翌年からパリ・コレクションに進出する。現在は、三つのラインを担当しながら、コム・デ・ギャルソンの副社長も務める。 |
マルタン・マルジェラ 1957年、ベルギー、アントワープ出身。 1980年に王立芸術学院を卒業、ジャン=ポール・ゴルチエのもとで学び、1988年より自身のブランドを立ち上げる。1998年から2004年までの間、エルメスのデザイナーも務めた。 |
JUNYA WATANABE 2002年春夏コレクションより![]() |
音楽の解体と再構築 現在では当たり前となったリミックスという手法の起源は、ルーツ・レゲエにまで遡る。そこから大西洋を横断し、英国を経由しながら、大陸に渡ってヒップホップへと受け継がれていった。 →既存の二枚のレコードで新しい音を作り出すという新たな表現手段。 |
クラブ・ミュージックの可能性 ヒップホップはストリートから出発したものだが、ハウスやテクノはスタジオ、クラブという室内空間で発展していった。 →エンジニアリング的志向の産物であり、この実験精神が、現在もなお、音楽の方向性を牽引し続けている。 |
創造性の新たな形 情報には、総量がある。新しく情報を作り出すのではなく、既存の情報を組み換えて、新しい表現として提示する。 →創造の新規性とは、必ずしも完全に新しいものを生み出すことではない。 →そもそも全く新しい創造性というものは存在しうるのだろうか? |
構成要素の組み替え カメラを成り立たせている構成要素を可能な限り細かな単位まで解体し、そこから再構成してみること。 →その時、カメラは既存の構造や機能とは違ったものになっているはず。 →自分で制作しながら、新しいカメラを「発見」する作業でもある。 |
参考文献
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