2000,4,17
瀧川ゼミ 第1回

担当 堅田 真也
廣川 怜史


ロナルド=ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』

第1章 生命の両端―中絶と尊厳死・安楽死

P.3

はじめに

 中絶:成長しつつある胎児を故意に殺すこと
 尊厳死・安楽死:思いやりから人間を故意に殺すこと

 中絶と尊厳死・安楽死は生の開始と終了の差はあれ、共に「死の選択」である。そして中絶、尊厳死・安楽死はヨーロッパ、アメリカでその是非をめぐって激しく議論されている。

P.7

ある有名な事件

ロウ判決(1973)
  母体の生命保護を目的とする以外の中絶手術を犯罪としたテキサス州の中絶法を違憲 とする判決。最高裁はさらに、妊娠期間の第1、2分割期内(7ヵ月以前)においては 胎児保護を目的として中絶を禁止してきたいかなる州法も違憲とし、第3分割期のみ、胎児の生命保護を目的とした中絶を禁止できるとした。

ケーシー判決(1992)
  上記のロウ判決を支持。

P.11
決定的な相違点
◆中絶論争に妥協的解決はあるのだろうか?
 中絶擁護派:胎児について「単なる細胞の集合体」ととらえる。
   反対派:胎児について「道徳上の主体・やがて生まれてくる子供」ととらえる。
◆決定的な相違点
 中絶反対派:人間の生命は妊娠の瞬間に始まり、胎児はその瞬間から人であり、中絶は謀殺もしくは殺人又は人間の生命の尊厳に対する攻撃であると主張する。
 →派生的異議と独自的異議に分けられる。

派生的異議とは
  胎児は妊娠が開始されたときから生存し続ける利益を必然的に伴う、それ自身の権利に関する諸利益を持った生命体であるとする。

 中絶は、人が有する殺されない権利を侵害するが故に悪とされる。

独自的異議とは
  人間の生命は本来的で固有の価値を有しており、それ自身神聖なものであるとする。神聖な性質は生命が開始された瞬間から有する。

  中絶は、人間がどの様態・形態であろうと、その本来的な価値と神聖な性質を侮辱しているが故に悪とされる。


P.15
◆尊厳死における相違点
 ナンシー・クルザンの例
 ナンシー・クルザンは交通事故により植物状態となっていたが、裁判所は尊厳死・安楽死のために彼女の両親が栄養供給管を取り外すよう病院に指示する権利はないとした。生存させ続けることが本人の利益に反しても、人間の生命の本来的価値は患者の権利や利益に関するいかなる前提にも依存せず、神聖なものである。(独自的異議)

◆中絶における相違点
 中絶反対派のなかでも、派生的理由より独自的理由で反対している人が多い。

◆世論調査の結果は、我々を当惑させるものだろうか?
 アメリカで行なわれた世論調査
 ・1991ギャラップ社による中絶に関する調査
  中絶は殺人である…48・3%
  中絶は殺人ではないが、人間の生命を奪うことを意味する…28・3%
 ・1990ワークリストン社による調査
  「これから生まれてくる者の生命は保護されるべきであり、生命に関する基本的権利を有しているか」
  極めて若しくは非常に信頼できる…60%
 ・1992タイム/CNNによる調査
  どのような理由でも中絶は許されるべきである…49%
  一定の状況において中絶は合法とされるべきである…38%
  中絶は違法とされるべきである…10%
 ・1992NBCニューズ/ウォール・ストリート・ジャーナル誌の調査
  中絶は違法とすべき…26%
  中絶を違法とすることに反対…67%

◆世論調査に対する二つの解釈
 派生的見解に立った場合
  胎児は生命を奪われない権利を有しているという考えと、政府が刑罰法規によってその権利を保護することは悪であるという考えを同時にもつことは矛盾する。
 独自的見解に立った場合
  人間の生命を故意に終了させることは本来的に悪であるという深い信念を共有しているものであるという考えと、妊娠初期の人間の生命を終了させるか否かの決断を妊婦に委ねるべきであると信じることは全く矛盾しない

◆中絶と尊厳死をめぐる争いは、良心の自由に関するものである
  政府は、自国民がどのような倫理的・精神的価値をもつかについて干渉してはならない。
  中絶と尊厳死をめぐる争いが人間の生命の真に本来的で普遍的な価値に関するものであるとするならば、ある程度宗教的性質をもつ。したがって多くの人々が中絶と尊厳死は悪であるが、刑事法規の脅しによってこれらを根絶させようとすることに政府が関与すべきでないと考えることは、ほとんど驚くべきことではない。

◆抹殺されない利益とは?
 胎児が妊娠した瞬間から抹殺されない利益を有していると考えることは非常に困難。
 ある物が何らかの意識の形態を有していないか、有したことがなかった場合に、その物が、それ自身の利益を有していると考えることは無意味なことである。

P.23
◆胎児が苦痛を感じる能力を持つ時期は?
 苦痛を感じることのできる生きものはそれを回避する利益を有している。
 妊娠26週が感覚への侵害に対する安全障壁

◆生存の利益は苦痛を感じる能力ではなく、より複雑な能力である
  人々に何ら肉体的苦痛をもたらさないものであっても、その人の利益に反する多くの行為がある。それは本人に苦痛を感じる能力があるからではなく、それとは異なったより複雑な能力があるからである。
  胎児が妊娠期間のある程度遅い時期迄何らかの利益に必要とされる神経細胞の基質を有することがない、ということは疑う余地のないことのように思われる。

◆間違った主張
  いったん利益を持った生き物が過去をふり返って、ある出来事が起こったら現存するこの生き物の利益に反することになったであろうということに意味はあるが、仮にこれらの出来事が発生したとして、その時点でこれらの生き物の利益に反するであろうということにはならない。

◆胎児の利益は、中絶の時点でその利益が存在するか否かなのである。
  中絶が胎児の利益に反するか否かというのは、中絶が行なわれたときに胎児がそれ自体として利益を有しているか否かということによるもので、中絶が行なわなければ利益が発生したか否かによるものではない。

 『中絶は、それによって生命が絶たれる胎児の利益に反している』のではない。

◆派生的理由と独自的理由の区別の意味
 中絶に反対する人々の大部分は「独自的」理由を根拠に反対している。

◆表現と意図の違い
 人々の表向きの表現と、彼ら自身の意見とを注意深く区別する必要がある。

◆「謀殺」「殺人」という表現の意図は?
 中絶反対の意見を表明する際に「謀殺」「殺人」という表現を使う主張は、彼らが胎児 は権利と利益を有しているという考えを表明しているのではなく、中絶は人間という生 命体を故意に抹殺するが故に悪であるという、深い信念の強調にすぎない。

◆「胎児は人か否か?」という言葉の多義性、あいまいさ
 「人間の生命は妊娠の瞬間から始まり、かつ胎児はその瞬間から人である」という主張
 派生的理由に基づくのか、独自的理由に基づくのか見分けがつかない。

◆「人間の生命は妊娠の瞬間に開始されるのか?」という問題の意味
  生物学的事実から当然に、胎児は同時に、政府が派生的責任として保護すべき種類の権利と利益を有しているということにはならない。同様に胎児は既に、政府が独自的責任として保護すべき本来適価値を有しているということにもならない。これらの大部分は生物学上よりは道徳上の問題なのである。

 重要な二つの問題
 「人間はいつ利益と権利を取得するのだろうか?」
 「人間の生命はいつ本来適価値を取得しはじめ、その結論はどのようになるのか?」

P.31
◆「胎児は人か?」という問題の意味
 「胎児は人なのか否か?」という問題は、解答不可能であるとか形而上学的問題であるという理由ではなく、あまりに多義的で有用性に欠けるからという理由で除外するのが妥当である。

◆「人」という言葉をもちいる理由
 ・胎児は憲法上の「人」か否か?という問題はさけて通ることができない
 ・検討すべき他の人々の主張に明確に表現されているため

◆中絶、尊厳死をめぐる二つの論争の区別
 第一の問題
  生存し続けるという利益を含む諸利益と、これらの利益を保護する諸権利という道徳上重要な二つの属性を胎児は有しているか否か、ということに関するもの

 第二の問題
  中絶が時として道徳上悪とされるのは、それが何者かに対する不当又は不正行為なのか否かということを理由とするのではなく、人命の尊厳や神聖さを否定又は侵害する行為であるのか否かを理由とするのである、ということに関するもの

本書の概要
 ◆中絶論争の性質
 ◆本来的価値と神聖さ
 ◆困難な憲法論争
 ◆尊厳死における三つの問題
 ◆中絶と尊厳死の問題を結び付けるもの
  「人々が、胎児は利益と権利を有していると考えているか否か?」という従来の見解に従うと中絶と尊厳死・安楽死を結び付けて考えることはできない。
  中絶論争が著者のいう「人間の生命そのものが、神聖なものなのか否か?」「何故、どのような行為が、人命を尊重しかつ軽視することになるのか?」というものならば、中絶、尊厳死・安楽死という死の両極端を結び付けて考えることができる。

「内側からの」哲学
 ◆本書のテーマ
  著者は、本書を現実の政治的重要性を持った道徳上のテーマとして開始され、それによってきたえられてきた理論上の問題を扱う論争の書とする。
 ◆理論と実践を結び付ける二つの方法
  「外側から」の方法
 正義や個人的論理や憲法解釈の一般理論を、人間性や言語、思想の構造に関する一般的前提や他の何らかの性質に関する最初の原則から構成し、これらの一般理論を具体的問題に適用する方法。
  「内側から」の方法
 実践的な問題から出発し、これらの問題を解決するために直面する一般的な哲学・論理的問題を問う方法。

  本書では「内側から」の方法を試みる。

論点(疑問点)

 ・派生的見解と独自的見解

 ・中絶や尊厳死の問題が宗教的性質をもつことを理由に、政府に関与されない問題となるものであるのか?

 ・道徳上の問題であるならば、中絶や尊厳死を政府が法律によって認める事、または中絶や尊厳死を認めない事は、政府によって一定の道徳を作り出すことになるのではないのか?

 ・その他

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