2000、4、24
瀧川ゼミ 第2回
担当 西野、西森

ロナルド=ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』

第2章 中絶の道徳性

保守派とリベラル派

P49

◆間違った議論
中絶論争は派生的見解に関するものではなく、独自的見解に関するものである。
派生的見解では多くの人の道徳上、政治上の信念を説明できない。
保守的な見解の論理構成は、胎児は妊娠の瞬間から権利を有するという前提と矛盾するし、リベラルな見解の論理構成も胎児は妊娠の瞬間から権利を有するものではないという前提のみでは説明できない。
◆保守派の見解 P50
保守派の中にも信仰の自由やプライバシーと自由に基づいて、中絶に寛容な立場をとる人がいるが、この立場は、胎児は生きる権利を有する人であるという前提に反する。
◆保守派の立場と「例外」の承認 P51
極めて保守的な人々も法による中絶禁止の例外を認めるが、そのような例外の許容が拡大するほど、胎児は人であると言う前提から乖離する。
◆リベラル派の見解−4つの要素 P52
リベラル派の見解は、胎児は生きる権利を有する人であるという立場の単なる否定はなく、他の重要な価値が危機に瀕しているということを前提している。
◆第1の要素−中絶の決定は道徳上深刻なものである p53
リベラルな立場の理論的枠組みは4つの要素をから構成される。
◆第2の要素−胎児、母親等の深刻な理由に基づく中絶の許容
◆第3の要素−母親の生活上の不利益に基づく中絶の許容 p54
◆第4の要素−州は刑罰法規で胎児の利益を擁護する権限を有しない
少なくとも、胎児が独自の利益を持つに至る妊娠後期までは、州はたとえ道徳上許容できない中絶を阻止することを目的として、妊婦の判断に干渉する権限を持たない。
◆リベラルな見解−胎児に独自の権利と利益があるという見解と矛盾する P54
胎児は独自の権利を有する人であるという前提は、構成要素の第1を正当化するが、第2、第3、第4に反する。
◆人間の生命は道徳上価値あるものである
胎児は独自の権利と利益を持つものではないという前提だけでは、構成要素の第1を説明できない。
リベラルな見解も保守的な見解同様、人間の生命はそれ自体本来的に道徳上重要な価値を持ったものであるという前提に立つ。
◆道徳上の見解−個人と集団 P56
ここまでの議論は、個人の道徳上の意見・確信を強調するものであった。しかし人々は道徳上、法律上の重大問題に対して、個人としてのみ対応しているわけではない。彼らの見解は、より大きくて一般的な運動への参加や忠誠心や組織からの反映・影響なのである。
したがって、今その正当性を主張している仮説が、どの程度これらの巨大な組織や運動の要求・見解・原理・論拠の理解に役立つのか検討しなければならない。
そこで、論争中の2つの最も著名なグループ(伝統的宗教と女性運動)に言及する形でこの問題をとりあげる。

宗教

P57

◆宗教的特徴強く帯びるアメリカの中絶論争
合衆国では、中絶に関する人々の意見や信念は、劇的なまでに宗教的信念との相関関係を証明している。
中絶反対運動は宗教グループによってリードされ、カトリックがこの運動組織化のリーダーシップを握ってきた。
◆カトリック以外の諸宗派−胎児は人であるという前提に立脚しない P58
他の多くの諸宗派の指導者も中絶問題に言及している。
これらの発言の多くは、人生におけるあらゆる事柄は、本来的に神聖な価値を持っており、人はそれを犠牲にしないように努力しなければならないという考えを強調している。
◆ローマ・カトリック教会−ヴァチカン聖会議教書の立場 P62
ローマカトリック教会の中絶に対する非難は、ドゥウォーキンの主張に対する反証例であるように思われる。
胎児の生命に関する現在の教会の公式見解は派生的見解に基づいている。
しかし、アメリカの大部分のカトリック教徒はこの見解を承認していない。かつこの見解は1世紀足らずの歴史を有するにすぎない。相当長期に亙って、上述の見解と反対のものが支配的な見解であった。
◆伝統的カトリック神学の中絶に対する非難の根拠 P63
中絶に対する独自的根拠は、現在の公式見解よりも歴史的により確固としたものであり、教会の中絶に対する反対と他の性生活に対する教会の歴史的関心とを結びつけるものでもある。
◆聖アクィナスの見解−質料形相論と胎児の成長に関する見解 P65
聖アクィナスとそれ以後のほとんどのカトリック神学者はプラトンの見解を排除した。
アクィナスは代わりにアリストテレスの質料形相論を採用した。
アクィナスやその後のカトリック教義にとって、人間の肉体とは人間の外形と諸器官を備えた肉体のことを意味したのであり、したがって、胎芽の中に人間の魂が既に本来的に存在しているという考えを否定した。
◆入魂時期をめぐる論争 P66
カトリックの哲学者は、アクィナスが今日の生物学的知見を知っていたならば、入魂時期についての見解を修正したかということについて激しく議論している。
しかし、アクィナスは質料形相論によって瞬時入魂を否定し続けたであろう。
◆カトリック教会の伝統的見解 P68 
しかし、瞬時入魂説は、過去の教会の歴史において極めて初期の中絶に対する最も強い非難を正当化するためにも必要とされていなかった。
◆教会の伝統的見解の否定−1896年ピウス9世の教令 P71
1896年にピウス9世が発した教令が初めて瞬時入魂説を採用した。
◆カトリック教会の公式見解の変化
19世紀以来、西欧民主主義諸国は、政治分野における神学的論争に対する反対を開始していた。
このような中で、瞬時入魂説を採用したことは、ローマカトリック教会の立場を極めて強化するものであった。派生的根拠は中絶を処罰する理由になり得るのである

◆もう1つの政治的優位性−避妊の分離 P73
伝統的な教義では避妊も神と生命を軽視するものとして非難の対象とされていた。しかし、西欧諸国では生活の現実となっており、第3世界では経済生活を向上させる試みとして、望ましいとされている避妊を中絶から区別する効果的な手段を教会は必要としていた。瞬時入魂説はその区別を劇的に行った。

◆興味深い宗教上の発展−「生命倫理の一貫性」の主張
今日最も興味深い宗教上の発展の1つは「生命倫理の一貫性」という見解である。この見解は中絶に反対する人々は、他の社会問題に関する見解においても、一貫した人命尊重の態度を示さなければならないと主張する。


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