ロナルド=ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』

第4章「裁判所における中絶」

・ロウ判決によって提起された憲法問題を理解する者は少ない。
P165-P167.L4

*ロウ対ウェイド判決

・・・最高裁判決
・母体の生命保護を目的とする以外の中絶手術を犯罪としていたテキサス州の中絶法は違憲。
・州は最後の第三分割期の期間内にのみ、胎児の生命保護を目的とした中絶を禁止することが出来る。

ロウ判決の批判者の意見1.
・・最高裁は殺人を許可した。
       ↑
胎児は受胎の瞬間から人であり、胎児の生命を害されない
権利は女性がもしかすると有するかもしれない、胎児を殺すだけのいかなる理由よりも重要である。

ロウ判決の批判者の意見2.
・・最高裁が述べた事について、それ自体の哲学的な見解が誤ってたのではなく、そもそも最高裁はその問題について決定する権限が全くなかった。
→最高裁のロウ対ウェイド判決における判事はいかなる法的な論拠によっても正当化されることはなく、最高裁に決定権限のない政治的な決定であった。
理由)アメリカ憲法は、中絶についての権限を民主的に選出された州議会に付与されているのであって、投票によって選ばれていない裁判官達には付与されていないので。

・・・・・ロウ対ウェイド判決について、いかなる論拠によって判決が出されたのかはほとんどの人がわかっていない。

・女性が蒙る損害(P167L4-P168L7)
中絶を禁止する法律、中絶を困難にしたり高価にする法律は妊娠中の女性達から非常に重大な自由や機会を奪う。
Ex.仕事や勉強ができなくなる。自分にとって有意義に生きることが出来ない。
子供の世話をすることが出来ない。養子縁組が利用できる場合であっても、多くの精神的苦痛を受けることになってしまう。
→・ロウ対ウェイド判決がなされる以前に非常に多くの違法で危険な中絶が行われていた。
・この判決がなされる以前において、法に従っていたなら多大な損害を蒙っていたハズ。
従っていなければその行為はおそらく命をかけることとなっていたハズ。

・憲法上の二つのテスト(その1)〜合理性〜(P168L8-P169L4)

*アメリカ合衆国は最高裁によって解釈されてきたことによると、特定の市民に実質的な損害をもたらすような州の権限を、憲法上の二つのテストを解釈上構築することによって制限している。

・第一のテスト〜合理性〜
・全ての法律に適用
→修正14条の「デュープロセス」条項が要求するモノ
・・・州は自由を制限するいかなる場合においても合理的に行動しなければならない
「利益としての自由」<レンクイスト判事>
→州は市民の自由を恣意的にまたは気まぐれに制限することはできず、一定の理由がある場合ー州が正当に遂行する事の出来る目的あるいは政策を推進させる場合にかぎり ー市民の自由を制限することが出来る。

しかしながらこれは非常に拘束力が弱い。
→州は一般に、ある法律に対してなんらかの「正当な理由」をつけることができるから。

<欠点>立法者達が、自分たちが可決しようとする法律は正当な目的を推進するモノであると合理的に信じることができたならこのテストの基準を満たしてしまう。
・制限が必要であるのか否か、賢明であるのか最高裁が問うことをゆるさない。
・現在立法目的として引用する目的を立法者の大多数が立法当時心に抱いていたのかを問うことも許されない。

・第二のテスト〜やむにやまれない理由〜(P169L5-P170)

アメリカ憲法はある種の諸自由に対してそれを憲法上の特別な諸権利としている。
特別な諸権利・・・州が制限したり、無効にしたりすることができない諸権利。ただし、州のそうするだけのきわめて説得力のある理由が有る場合は例外である。

この”説得力のある理由”を「やむにやまれない理由」としている。
→なにが十分に説得力のある理由、あるいはやむにやまれない理由と見なされてるかは問題とされている権利によって決まる。

・「憲法上の特別な権利」対「利益としての自由」(P170-P171)

・ロウ対ウェイド判決に於けるブラックマン判事の法廷意見
→・妊娠中の女性は憲法上の特別な権利ー生殖に関するプライバシーの権利ーを有している。この権利は妊娠中の女性及び主治医が中絶をすると決定する場合には、中絶の権利を含む。
・中絶の犯罪化によって中絶の権利を無効にすることの出来るだけの州の理由は妊娠期間を三分割してその第一期及び第二期の間は、やむにやまれないものではない。その期間州は中絶を禁止することができない。

・レンクイスト判事の反対意見
→女性は自分自身の生殖を支配するいかなる憲法上の権利も有しない。
妊娠中の女性は単なる「利益としての自由」を有するに過ぎない。
「利益としての自由」・・やむにやまれない理由のテストよりいっそう拘束力が弱い合理性のテストによって擁護するような単なる利益。
→レンクイストは中絶を違憲とするためにはこのような利益でも十分説得力があると認めていた。

レンクイストとブラックマンの違い
・・・レンクイストは他の理由による中絶を禁止することによって州がかなえる目的はたとえ妊娠の極めて初期の時点であっても正当である。したがって中絶を禁止する事によってその目的を推進しようとする州の決定は不合理ではない。としている。

・ドゥオーキンが言及した批評家達の意見。
・・レンクイストは正しい。アメリカ憲法を解釈するなら、中絶について自由に選択する憲法上の権利は存在しない。ブラックマンはその権利をねつ造している。そしてそれを憲法の中に見いだしたとしている。

・ドゥオーキンの意見

これに異議あり。(→つぎのパラグラフで)

・プライバシーの権利ーグリズウォルド事件(P171-P172)

(前提)・裁判所は可能な限り、最高裁の過去の判決において確立されかつ尊重されてきた広範な憲法上の伝統とその判決を一致させる義務がある。
・ロウ判決以前のいくつかの最高裁判決は、何人も生殖に関する決定を自分自身があるいは彼自身で下すことが出来る法律上の特別な権利を有する事を確立していた。

グリズウォルド事件・・・(判決)州が既婚者に対する避妊具の販売を禁止する事はできない。
            (のちの判例)最高裁はその判決の射程距離を同様に未婚者に対しても拡大した。

グリズウォルド後のある判例に於けるブレナン判事の法廷意見(過去の判決の要点)
・・・プライバシーの権利が何かを意味するのなら、それは既婚未婚にかかわりなく、個人の権利であり、子供の母親をなるか否か、あるいは父親となるか否かという決定ほどの基本的な影響を人に与える事柄について政府の干渉を受けない権利である。

→グリズウォルド判決はアメリカ人にとって受け入れられてきた様子であり、ブラックマン知事がグリズウォルド判決尊重しなければならない先例として扱ったのは間違いだったとして非難されることはあり得ない。

・↑この判例を良き判例と認めるのなら女性は憲法上の権利を有することとなり、その権利は原則として子供を儲けるかどうかの決定だけでなく、子供を産むかどうかの決定をも含むことのなるのである。
・これらのグリズウォルド判決及びプライバシーに関する他の諸判決は、あまりにも私的な事であるので、人々は原則としてこのような決定を自分のために下すことが許されるに違いないという仮定によらなければ、正当化できないものなのである。

・中絶と避妊の相違点(P172-P173L13)

・・中絶の禁止がプライバシーにおよぼす影響は、それがどんなものであれ、避妊の禁止がプライバシーに及ぼす影響より著しいもの。

故に避妊具の販売及び禁止が人々のプライバシーに及ぼす影響の故に、州が避妊具の販売および使用を禁止するためにやむにやまれない理由があることを証明しなければならないとするならばそれと同様に、州は中絶を禁止するだけのやむにやまれない理由があることを証明しなければならないのである。

→ここにおいてドゥオーキンはブラックマンの結論ー女性は原則として、生殖における自分自身の役割を支配する特別な憲法上の権利を有するーが正しいとみなす。

しかしだからといってロウ対ウェイド判決が正しく判決されたことにならない。

  中絶・・・個々の生命を終わらせるもの。
  避妊・・・生命が始まることを完全に妨げる。

 この相違点が法的に問題とされてくるなら、たとえ州に少なくともある種の避妊を禁止するだけのやむにやまれない理由がなくても、中絶を禁止するだけのやむにやまれない理由があることはおおいにありえる。

 ・「派生的利益」対「独自の利益」(P173L14-P175L7)

「州は人間の生命を保護するために、中絶を犯罪としなければならない」

→・中絶を禁止してきた州が禁止の理由として述べてきたこと。
・ロウ対ウェイド判決において反対意見を書いた最高裁判事達、あるいはのちに法廷意見は間違っていると言う見解を発表した最高裁判事達が述べていたこと。

・さらに最高裁判決を支持する裁判官達や法律家達がしばしば述べることでもある。

・ブラックマン判事は自分が書いた法廷意見の中で、州には、彼が「胎児の生命」と呼ぶものを妊娠期間を通じて保護する利益があることを認めていた。もっとも州の利益については妊娠期間の第三期に至ってはじめて、中絶を禁止するだけのやむにやまれない理由を州に与えるとしていたが。

州が有するであろう「人間の生命を保護する」と言う目的あるいは目標にはふたつの極めてことなるものがあろる。

派生的利益による政府の主張
・・・胎児は受胎の瞬間から諸権利及び諸利益を有し、政府は胎児の諸権利及び諸利益を政府の支配を受ける他の誰の諸権利及び諸利益にも劣らないほど擁護する義務がある。

独自的利益による政府の主張・・・市民の諸権利及び諸利益を擁護する責任ばかりではなく、神聖なものとしての人間の生命を保護する責任がある。

*政府が独自の責任と派生的責任の双方のを有するなら →双方の責任が対立するケースがでてくる。

・・・政府が人間の生命を保護する理由として派生的理由だけをもつのか独自的理由だけを持つのかはきわめて重大な差異をもたらす。

*中絶に関する重大な論争とは?(P175L8-P176L1)

多数派・・アメリカ合衆国憲法が州議会に胎児は受胎の瞬間から人であると宣言する権限及びそのような理由で中絶を違法とする権限を付与しているのかどうかであった。

・ドゥオーキン
・・中絶に関して重要かつ難解な問題とは、州の独自の諸利益に関することであり、派生的な諸利益に関するものではないからである。さらに決定的な問題は、州は神聖さに関する多数派の観念を誰に対してでも押しつけることができるのかどうか。

「胎児は憲法上の人なのか?」

 ・ブラックマン判事がまず始めに決定しなければならなかった問題とは?

*憲法上の論争において世間一般の見解
・・・州が「人間の生命を保護する」目的で中絶を禁止したいと望む場合。州は胎児は生命を害されない権利を有する人であり、州はそのような権利を保護する義務がありそのような権利を保護する権限があると主張することになる。

*ブラックマン判事の主張
・アメリカ合衆国憲法修正14条はいかなる州も何「人」に対しても法の平等な保護を否定してはならないと規定する。

→よって最高裁は最初に胎児が受胎の瞬間からその条項の意味するところのひとなのかどうかを決定しなければならなかった。

・アメリカ憲法はそれ自体が憲法上の人すべてを平等に保護すべき州の責任を保障している。
・アメリカ法が胎児を憲法上の人として扱ったことはいまだかつてなかったと指摘。

*州に中絶問題を任せることの意味

・ブラックマン判事「胎児は憲法上の人ではない」←ほとんど全ての法律家は賛同。

・上に対しての反論・・・最高裁は過去にそうしてきたように、州が中絶について州の望むように、自由に決定できるようにしておくべきだったからロウ判決は間違ってと主張

→しかしこの見解は「胎児には平等な保護を受ける憲法上の資格がないという前提によらないかぎりばかげたもの。

・もし胎児が憲法上の人であるならば、いままで中絶を許してきた州法は違憲となるし、母親に胎児の生命を犠牲にして自分の身体の自由を取り戻すことを許せなくなる。

・また胎児が受胎の時から人であるなら、州には中絶を一般的に許していて、不可避の状況に置ける幼児殺あるいは捨て子は禁止とするとするだけの正当か理由が何一つないことになろう。

*二つの次元ー整合性と正当性

・アメリカ憲法のいかなる解釈も、大きなかつ関連した二つの次元に照らして吟味されなければならない。

1.整合性のテスト・・・憲法の解釈は現実の法実践になんらかの際立つ足がかりをもつか、その論拠を有するものでなければならない。

2.整合性のテスト・・・ある憲法の条項に関する最良の解釈についての二つの異なる見解が、両方とも整合性のテストに合格する場合には、その見解の有する諸原則が、人々の道徳上の権利及び義務をもっともよく反映していると思われる方の見解を選ばなければならない。

 *胎児が憲法上の人であると言う解釈は法実践に相反する

 ・ブラックマン判事及び他のいかなるものも斥けた主張”憲法の最良の解釈によれば胎児は憲法上の人である”という主張はアメリカの歴史及び実践に劇的と言えるほど相反する。

 #過去のアメリカの歴史及び法実践

 ・中絶法の大部分は母親の健康と医者の特権を守るために採用されたことが明らか。
 ・もっとも厳格に中絶法を定めていた州ですら謀殺を通常処罰するのと同じほどに中絶を重く処罰する事はなかった。
 ・むしろ中絶はまさに原則として謀殺ほど深刻な事柄ではないと決めてかかっていた。
 ・さらに中絶を禁止する州は女性が他州で、あるいはそれが可能であれば外国で中絶をすることができないようにしようとはしなかった。

 *「憲法上の人」対「道徳上の人」

 ・最高裁はアメリカ憲法が命じているのは何かに関する従来の解釈を、時には覆すことを、法的な歴史は、憲法上の諸原則と矛盾していると主張することによって、覆すときがある。

 →この方法によって「胎児は憲法上の人である」と理屈では最高裁は主張できた。
  しかしながら、このような主張はほとんど理解できないものであり、それを信じている人はほとんどいない。

    したがってアメリカ合衆国憲法は胎児が憲法上の人であるとは宣言していないのである。

 ロウ対ウェイド判決でブラックマンはまず胎児の「憲法上」の場所を決めた。判決を批判する多くの者達は、最高裁が冷静な法的分析の代わりに道徳上の信念を用いたという。
 ・・・ブラックマンがまず始めに下した決定が誤ってると考える人はどんな人であれ、かならず彼自身が道徳上の信念ばかりでなく格別風変わりな評判の悪い信念にすがらなければならなくなる。とドゥオーキン。

州は胎児を人とすることができるのか?

*各州が自由に決定できるとは?

<問題>
憲法は各州がもしそうしたいのなら、胎児はその州内で人としての法的地位を有する、と自由に決定できるようにしているのかどうか?

・連邦憲法の下で保障される何人の諸権利をも削減しようとするものではないことがはっきりしているかぎり問題はない。EX.法人
 ・しかしながら州が胎児が人であることを授与する許可を与えているという意見が仮定していることは、州が憲法上の主体ー憲法上の諸権利がお互いに競合する者達のリストーに、新しい人を加えることによって、憲法上の諸権利を削減することが出来ることを仮定している。
EX.会社法人に投票の権利を与えると個人の票の効力を弱めることとなる。
・樹木は生命を害されない憲法上の権利を有する人であると宣言することができるなら、州は、言論の自由の保障にかかわらず、新聞および書籍の出版を禁止することが出来ることになろう。

P183

・憲法の最高法規条項は憲法は国の最高法規であると宣言している。それは連邦憲法が個々のアメリカ市民に保障する諸権利はそれぞれの州の議会によって無効とされることはあり得ないことを意味する。

故に州は胎児を人とする権限を有しない。

*州は胎児の諸権利を擁護する権限を有するのか?
政府は人ではない生き物の有する諸利益を擁護する権限がある。だから政府には動物の虐待を禁止し処罰することによって犬の諸利益を擁護する権限がある。
→ならばこれが胎児にもあてはまるのか?

・政府には憲法上の基本的人権の行使を不可能とするような方法で、このような生き物の諸利益を擁護する権限はないのである。

*州は派生的責任を主張することができるのか?

州はいままでの結論として胎児が人であると宣言する憲法上の権限も、市民の憲法上の諸権利を犠牲にして胎児の諸利益を擁護する憲法上の権限もいずれも有しない。

「州は何か他の派生的責任を主張することが出来るのか?」

<例>

・人口を増やす利益による主張
否。人口を増やす利益とは中絶を禁止するだけの理由に劣らない程説得力のある避妊を禁止するだけの理由を州に与えるから。
→人口を増やす州の利益が避妊の禁止を正当化することができないなら、中絶の禁止もまた正当化できない。
人口過剰が人口過疎よりもいっそう深刻な脅威となっていることは世界中至る所で共通の前提となっている。

・中絶をおおめに見るような社会は人間の生命を軽んじる社会であり、この種の社会においては普通の人々が暴行されたり殺されたりする恐れがより大きいとする主張。

→否。生存可能でない胎児の中絶を許すことが、子供や大人の虐殺にいっそう冷淡な態度をとる文化を生み出すという証拠は、まさに赤裸々な憶測の域をこえるものとしては何もない。

難解な問題

 *残された二つの問題。

・第一の問題・・・女性は生殖に於ける自らの役割を支配する憲法上の権利を有する」は本当に正しいのであろうか?

ドゥオーキンはグリズウォルド判決及びプライバシーの権利を確立させたその他の最高裁が正しいとすればそうであると主張。しかしながら、「プライバシーの権利」とはリベラルな裁判官の単なるねつ造であり、アメリカ憲法の「起草者達」にはこのような権利を作り出す意図は全くなかったと主張。

・第二の問題・・・それにもかかわらずアメリカの州には中絶を禁止するだけのやむにやまれない独自の理由があるのだろうか?
=州は人間の生命の神聖さ、あるいは不可侵性を擁護するために、中絶を違法とすることが出来るのだろうか?

アメリカ憲法はいかに解釈されるべきなのだろうか?

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