ロナルド=ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』
第6章 裁判所における中絶  part 2                     00,06,05    担当 廣川,亀村

はじめに (p.241-245)

◆二つの難解な問題 p.241
    1.女性は憲法上の権利として、生殖に関する自己決定権を有するか?
        (州が、これを認めないやむにやまれない理由がある場合は例外である。)
    2.州は、やむにやまれない理由を人間の生命が有する固有の価値(本来的価値)を擁
      護ような、独自の責任のゆえに有するのか?

      1に対して、ロウ判決に異議を唱える者は、1の権利は憲法典に全く言及されてい
     ないと批判する。しかしインテグリティを尊重した場合、それは言及されているこ
     とになる。(個人の自由)

      2に対して、政府は派生的な権限と同様に固有の価値を擁護する独自の権限も有す
    ることになる。しかしとりわけ中絶に関する決定は、社会全体の価値観に影響を及
    ぼすことから、法律によって禁止すべきではない。
     (道徳上、公共の空間を擁護する責任)

◆二つの目標ー責任と服従 p.244
    1.「責任という目標」
          市民が、中絶に関する決定を、道徳上重要な事柄として扱うことを目標とし
	  ている。

    2.「服従という目標」
	  生命の神聖さを最もよく表現していると、多数派が思う法規、実践に市民が
          従うことを目標としている。

責任  (p.245-249)

◆「責任という目標」対「強制という目標」 p.245
    合衆国憲法は、「責任という目標」を推進することを認めている。

    多くの憲法学者は、ロウ判決の論点を「胎児を人として扱えるか」とし、「責任と
  いう目標」と「強制という目標」を区別しなかった。また、ロウ判決が正しいなら、
  州はあらゆる規制をすることができず、また医療補助を行わなければならないと考え
  た。しかし近年の最高裁判決で、州が財政補助で中絶を差別すること、以下のように
  中絶を規制することを許してきた諸判決は、ロウ判決を害するに等しいと考えた。

  1977年 マーハー対ロウ判決
    →治療目的でない中絶に財政的な補助を与えないでよいと判示した。
  1980年 ハリス対マクレー判決
    →ハイド修正条項(医学上必要な中絶もダメ)の合憲性を認める。

 ・規制の考え方が変わる
  1986年 ソーンバーグ対アメリカ産科医婦人科医協会判決
    →一定の待機期間、指定された情報を提供するよう命じる規定は違憲

 ・しかし
  1992年 ペンシルべニア南東部家族計画連盟対ケーシー判決
    →ソーンバーグ事件で違憲とされた種類の規制を支持
               ↑
      最高裁が、審査すると発表→ケーシー判決がロウ判決を害すると予想された

◆ケーシー判決の読み方 p.247
    オコーナー、ケネディー、スーター判事は共同意見で、ロウ判決は支持するが、
  州が責任を奨励する正当な利益も支持すると述べた。また、その際の基準として中絶
  の禁止を目的としなくても、その規制の目的あるいは効果が「実質的な障害」になり
  女性に「過度の負担」を課すことになる場合、その規制は違憲であるとした。

    しかし、上記にあたる規制を違憲としなかった判示もある。

強制  (p.249-258)

◆問題の所在 p.249
    政府が、ある固有の価値を擁護するために人々に対してする強制。
  例えば国立の美術館を財政援助するために税金を徴収する場合などと、中絶を禁止
  することは別なのか?
    →全く別の問題である。

◆中絶が他の事例とは異なる二つの理由 p.250
    1.中絶の事例において、強制が特定の人々に与える影響が他よりはるかに大きい。

    2.人間の生命が固有の価値を有するのかに関する信念(中絶に関する見解を引き出す
      ような信念)は、文化あるいは絶滅寸前の種に関する信念よりもはるかに、我々の
      道徳上の人格全体の基礎を成すものである。

◆中絶に関する意見は宗教上の確信から導かれる p.251
    信心深い人々の中絶に関する意見は、なぜ人間の生命はそれ自体価値があるのか、
  に関する宗教上の確信の投影である。
    信心深くない人もまた、それらに関する一般的で直感的な信念を持っている。(神の
  信仰によって満たされる場所と同様の場所を、その人の人生に有すことができる)
    →本質的に宗教上の確信

◆宗教上の確信とは? p.252
    我々は、ある確信を宗教上の確信として区分するときその確信が内容という点で、
  明白な宗教上の確信に十分類似しているかどうかを問う。

◆プライバシーの原則 p.254
    政府が固有の価値を擁護するために行動する場合であっても、個人の諸自由を侵害
  しないよう求める憲法上の利益を有する。

  以下の場合、固有の価値を擁護するために自由を制限することができない。
  ・影響が特別かつ重大になるであろう場合
  ・コミュニティーの意見がひどく別れている場合
  ・道徳上の人格の基礎を成すような本質的に宗教的な信念を反映している場合

◆生殖に関する自律性の原則 p.255
    ブレナン判事の法廷意見 (避妊に関する訴訟において)
  「プライバシーの権利は、既婚未婚にかかわりなく個人の権利であり、子どもの親と
    なるか否かという決定ほど、基本的な影響を人に与える事柄について政府の干渉を
    受けない権利である。」

   生殖に関する決定が基本的であるというのは、広い意味でそれが宗教上のものであ
  り、人間の生命それ自身の根本的目的及び価値に関係しているからである。

◆法におけるインテグリティー p.255
    生殖に関する自律性の原則を、今日ほぼ誰ひとり州が禁止できると考えていない避
  妊に関する訴訟には適用するが、有力な選挙民達が猛烈に反対している中絶には適用
  しないというのは魅力的な政治的妥協に見えるかもしれないが、インテグリティーに
  よれば、それはあり得ないことになる。

◆インテグリティーは生殖に関する自律性の原則の承認を要求する p.257
    インテグリティーは、避妊するかどうかのみならず、子どもを産むかどうかを自分
  自身で決定するという女性の権利の承認を要求する。



<論点>
・ケーシー判決において、なぜ夫への告知を命じることを違憲とし、義務的待機期間
  を設けていることに対しては違憲と明言されなかったのだろうか?

・「責任という目標」と「強制という目標」の境界線
   (「過度の負担」、「実質的な障害」との関係)

・インテグリティーを考えた場合、中絶に対する医療補助 (ハイド修正条項など)はどう
  なのか?


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