ロナルド=ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』

第8章「生命と理性の限界―アルツハイマー症」

アルツハイマー症 …… 脳の神経末端が機能を失う生理的退化症状、痴呆症。
85歳以上の高齢者の1/4 〜 1/2 が罹病しているといわれ社会問題となっている。
◎ アルツハイマー症患者が持つ道徳上の権利とは何か。
(過去には意志能力があったが今はない)
◎ 患者の現在の利益と過去の能力者としての人格とどのように関連づけられるのか。

p364 道徳上の権利の検討 <自立性の権利>
自立性の権利 … 独力で自らの人生を定める重要な決定をする権利 (自立性の権利)。
通常の能力を有する成人市民はもつと承認されている。
(ex.1)「エホバの証人」の信者の同意を得ずに輸血した病院に患者の自己決定権利に基づき損害賠償を求める訴訟。東京高裁 H10.2.9)
◎ なぜ自立性は尊重されるのか → 自立性の核心とは何か

@ 自 立 権 … 行為者の福祉の増進を擁護するもの (証拠の観点)
自立権が尊重されるのは、何が最善の利益となるか行為者が行為者が一番知っているからである。

◎ @ を採用すると「重度の痴呆患者は自立性の権利をもたない」ということになる。
<批> 喫煙する行為は自立性の尊重から承認されると一般に考えられている。喫煙者には、たばこが体に悪いと分かっていながら止められずにすう者がいる。とすれば、自立権が行為者の福祉増進を擁護するものとは認められない。
A 自 立 権 … 自らの人生を送る一般的能力を奨励し擁護するもの インテグリティの観点)
自立権が尊重されるのは、自立権が人生を貫く自分らしさから派生した権利であり、認めることがその人の人生形成に、その人自身が責任を負うことを承認することにあるから。

◎ A を採用すると、人生を送る一般的能力がある者が自立権をもつここになる。
            ↓
   自分の性格・信念・自意識に基づいて行動する能力よって、この見解をとっても、深刻な痴呆患者の自立性の権利は認められない。

p370 では、過去の自立性は尊重されるのか?
(ex.2) 能力者であった時に、痴呆状態を望まないとリビングウィルに署名していた重度痴呆患者の意思。
@ より
尊重しなくてもよい → 人とは出会ったことのない、或いは、自分の好みと希望が変わってしまうような状況下では、何が最善の利益かを適切に判断出来ないものだから。
A より
尊重すべき → 患者が送りたかった種類の人生の全体的な形態に関する判断であるから。
★ 「自立性の権利は必然的に現在適なものである」との主張から。
・・・
    例えば、「エホバの証人」の信者が輸血しないと文書に署名していたが、輸血しないと死ぬ場合に、その信者が輸血を求めたとき、過去の自立性を尊重するとして、その意思を無視しなければならないとは考えないから。しかし、「エホバの証人」の例は、相違なる方法で説明できる。

p372 過去の決定の支配力に関する2つの見解
   《1》現在の意思決定により過去の決定は撤回された。
前の自立性 = ただの幻想・・・→現在の意思と違うと分かったら全く無視してよい。過去の意思を尊重するのは、通常はそれが現在の意思を証明するものと認められるからに過ぎない

《2》現在の意思決定により過去の決定は撤回された。
前の自立性 = 事実なもの・・・→後日の意見は新しい自立性の行使だから、前の意見は撤回されたとする。新しい自立性を認めないと、行使した者自身が自らの人生に責任を負っていないとみることになる。(インテグリティの見解)

《1》 《2》 の差が顕著に現れるケース
エホバの信者が輸血不可欠な状態になってしまい、且つ明らかに発狂しているときに輸血を要求した場合

輸血は当該信者の自立性を 《1》 では 侵害しない。
《2》 では 侵害する。

p375 自立性の限界
インテグリティの見解にたつと (ex.2) は尊重されなければならない。
しかし、当人が現在人生を享受していると受け取れる場合に実際に殺すことができるか。 自立性を尊重するということに限界はあるのか。
受益性(Beneficence)

◆受益の権利とは?(P375)
ある人が他の人に仕事や介護を委託している場合、前者は、私が受益の権利と呼ぶところのものを有している(P375L15~16)

受益の権利=依頼者の利益に沿った行動を求める権利
      受託上の管理義務の責任をある人に引き受けてもらうことで生じる
      財産を受益者の管理に役立つ限りで受託者にその管理権を付与するもの
しかし、受益者と受託者は信託関係においては、異なった見解を持つことがありうる
→自立性の権利とは異なる要因

痴呆の人は受益の権利をもっているが、その人にとって何が最善の利益なのか?

◆重度の痴呆者の受益の権利とは?−経験的利益と批判的利益(P376)
経験的利益について−当然に持っていると考えられる
批判的利益について−現在の時点で意見を持つことが出来ないにも関わらず持ち続けていると考えられる
         →痴呆の人の運命が彼の人生全体にどのような影響を与えるのかを考えなくてはならない

◆永続的植物状態の患者との相違(P377)
植物状態の患者−・経験的利益を持たない
        ・諸利益の衝突に関心を持てない
        ・このような状態になったときを考えてリビング・ウィルを残すことができる
痴呆の患者−・経験的利益を持ち生き続けることを望んでいるようにみえる
      ・人生を不快なものとなることを知ることができるか疑問が残る
その痴呆患者にとって、生き続けることと可能な限り早く死ぬことのどちらが最善の利益なのだろうか?

◆重度痴呆患者の最善の利益をめぐる人々の意見の分裂(P378)
植物状態よりましかそうでないか?

◆直ちに死を選択すること−従前の自律性と現在の最善の利益との矛盾は?(P379)
「彼らの自律性を尊重することと、彼らの最善の利益に奉仕することとの間には矛盾が存在しないのだろうか?」(P379L9~10)

痴呆患者の「痴呆になった場合に死を選ぶ」という痴呆になる前のリビング・ウィルはどのように扱われるべきか?
→経験的利益の上では衝突がおこるが、批判的利益の上では衝突が存在しない
→受託者のモラル上のパターナリズムを排除すれば、自律性と受益性の間には矛盾は存在 しない
→痴呆の人々の能力者であった時の意志を無視したり意味がないとすることはできない
→経験的利益を重視して彼らの運命を無視することには合理的な理由はない

◆フィネリーの例(P381)
・フィネリーは、意識はあるが精神的には6ヶ月の赤ん坊と同じであり、移植された心臓のための免疫除去装置をつけていた
・病院側の提案を家族が拒否したため、受託者となる後見人を裁判所が選んだ
・リビング・ウィルは残されていない
・彼が精神的に幼児状態の人生を送るより死を選んだであろうという証拠はない

後見人−尊厳死を選択
家族−生かし続ける事を選択
裁判所−家族側の選択を支持・・・家族の勝利

→フィネリー自身は勝利したのだろうか??

 尊厳(Dignity)

◆「尊厳の権利」とは?(P382)
その人のいきる社会や文化のなかで失礼のない態度で扱われる権利
(その基準や伝統は時間や場所で異なる)

◆何故尊厳の権利が問題とされるのか?(P383)
受益の権利よりも基本的であり絶対的で緊急のものだからであり、社会に対してそれを守り保障する事を要求する権利だから

・痴呆の人は尊厳の権利を有しているか?
→我々は何故侮辱されることが気になるのか?

◆経験的利益による説明(P383)
一つの見解は、侮辱が悪であるのは我々の経験的利益とあまりにも矛盾するからであるというものである(P383L19)
自尊心を失うかも死れず自己侮辱や自己嫌悪に陥ることは大変な苦痛である、ということ(自尊心は自律性と同様に、ある一般的な能力と、特に時がたつほど自己同一性の意識を要求するもの)

→この見解だと、能力のない者には尊厳の権利がないことになる
→?

◆経験的説明は尊厳に関する人々の確信を説明できない(P384)
侮辱に関する経験的説明が説得力を有していないのは、それが尊厳に関する人々の確信になる重要な性質を説明していないからなのである(P385L1~2)
→自分の尊厳を傷つけている人々や尊厳を傷つけられていることに気づかないことは、大変悪いことだと考えるのはどうしてなのか説明できない

自らの尊厳を否定する者は自分の批判的利益と人生の価値を否定している(「◆尊厳の権利と受益の権利の区別」より)

◆批判的利益による説明(P385)
批判的利益−人生の本質的価値に関する確信と関連

人が尊厳をもって扱われるという権利は、私が今示唆したように、他者が彼の批判的利益を承認するという権利のことなのである(P386L7~9)
尊厳=価値の中心的側面
  =人間の生にとって本質的価値をもつもの

◆尊厳の権利と受益の権利との区別(P386)
尊厳の権利と受益の権利を区別することで、「人は自らの人生をよりよいものとするという一般的で積極的な義務を有している、ということを承認せずとも、人は人生をどのように送るか、ということが重要である、ということは可能なのである(P386L15~16)」

尊厳は伝統に関する事柄であるが、人の生命の重要性を承認することを求める権利はそうではない

◆神聖さという思想の圧倒的な支配力(P388)
痴呆になった人が批判的利益を保持しているのは彼の尊厳を維持する上で決定的に重要なこと−人間であり続けること、人生全体の価値を本質的に重要なものとして存続させ続けること
→痴呆になった場合についてのリビング・ウィルを尊重することは彼の尊厳や批判的利益をまもることとなる、ということ

・・・しかし、人間の生命は人類にとって重要であり本質的価値を持つということは不可避的であり、我々を支配し続けるものである

 最終章(Coda)−生の支配と死の支配

◆生命の神聖さと中絶・尊厳死論争(P389)
死について考えることはすなわち生について考えることであり、生命は何故どのようにして神聖なのかということ似条件づけられている

・中絶論争−にんげんの生命の全ての段階における神聖さがどの論にも深刻なものとしてうけとめられている
・尊厳死論争−生の神聖さについての解釈と尊重の最善の方法をめぐっての分裂

◆中絶論争と尊厳死論争の核心−生命の尊厳の尊重(P390)
中絶も尊厳死もその決定は全ての生命の本来的価値に関する見解の表明であり、同時に我々自身の尊厳に関連している
しかしながら尊厳を考えたとき、個人の自由で死の決定をすることはけして間違いではない→自由は自己尊重の死活的で絶対的な条件なのである(P391L8~9)
生と死に関する決定は全ての人が行う人格の形成と表現にとって最も重要で決定的なものである(P391L12)

◆尊厳の尊重−自由と民主主義そして責任(P391)
尊厳を尊重するが故に自由と民主主義を主張する
良心の権利はその中心におかれるものとして存在する
責任とは、自由を実現することであり、また自らの思想に対してのことである

自分の尊厳を守るために自分の生命や人生に責任をもたなくてはならないということでもある

生の不可侵性に対する最大の侮辱は、その複雑性に直面した場合の無関心や怠慢なのである(P392L14~15)

◆新しい問題への対処−自己意識と自己尊重(P393)
バイオエシックス・・・科学の進歩によって脅かされる人間の生命の神聖さと尊厳
・胎児の細胞を使った治療−パーキンソン病
・体外受精
・クローン
・遺伝子操作
人類が獲得した自己尊重と自己意識をもって、市民としての法と人類として行った選択に基づいて、人間の生命の神聖さの理由と生の支配のなかでの自由の適切な場所に関する最善の理解への到達は、今後の大きな課題であり、闘い続けていかれるものとなる

                                  END

論点
・経験的利益と批判的利益の差異

・バイオエシックスは必要か?必要であるならばどこからを不許可とすべきか?
 バイオエシックスに基づく法律は作成されるべきか?


Copyright (C) 2000-2010 大阪市立大学法哲学ゼミ
http://www42.tok2.com/home/takizemi/

2000年度スケジュールに戻る