00,11,13 担当 亀村   

現代日本の偏見と差別(1981)

〜沖縄〜    新崎盛暉(あらざきもりてる:沖縄大学法経学部教授)

◇「差別史観」を越えて(はじめに)

 差別史観とは、17世紀初頭の島津の琉球侵略以降の歴史を日本の沖縄に対する一貫した差別の歴史としてとらえる見方である。
筆者はこれに批判的な立場で、沖縄問題を具体的事実と経過、その内容と性格、現在におけるあり方などの検討に基づいて明らかにすべきである、としている。

◇沖縄の地域的特殊性と「差別」

沖縄という地域は、歴史的に見ても現実的に見ても、日本の他の地域に見られない特殊性または独自性をもつ。
・琉球における古代国家の形成が日本の国家の外側で独自に行われたこと。
・1609年の島津の侵略により、薩摩を媒介として幕藩体制と結びつけれたこと。
(与論島以北は薩摩の直轄植民地、それ以外の地域は琉球の国家形態を維持し中国の影響も受けるという間接支配の形式)
これにより、社会経済的構造は日本の中に位置づけられるが、政治行政的諸制度や意識形態は一定の独立性を維持するという状態が続く。
→日本資本主義社会での沖縄人労働者の位置づけと関連して、本土の民衆が沖縄人民を異人種、異民族思い込ませる大きな理由となった。
・琉球処分のあり方の問題
1871年の琉球藩の設置から1879年の沖縄県の設置にいたる琉球処分
建前 民族統一、近代化
本質 近代日本の国家領域の確定

◇明治の沖縄政策と「近代化」

琉球処分の特殊性は廃藩置県そのものではなく、その後の政策展開にある。
日清戦争以前:中国に対する軍事的外交的な配慮から、琉球処分に反対する旧琉球支配層の前近代的特権保護のために、内政面での近代的諸改革を意図的に 遅らせた。(中国に親近感を持つ者も少なくなかったので)
日清戦争以降:台湾の獲得により、沖縄の軍事的経済的価値が低下。積極的に近代的諸改革をしなければならない地域ではなくなった。
沖縄社会内部にも旧支配層に対抗する富農層が出てきたことで、制度的改革は始まるが、旧支配層の利害や抵抗の許容範囲内での近代化であった。

◇本土民衆の側での差別意識

沖縄が完全に本土他府県並みの制度の下に置かれたのは1921年であり、第一次世界大戦の戦後不況の時期である。
沖縄の農村からも多くの人が大阪周辺や京浜工業地帯にでてきたが、その際彼らは集団をなして生活していた。しかしそれは、周辺の民衆からみれば理解できない言葉をしゃべるなど、ある種「異民族」と見え、民族差別に似た差別感情を抱くことになる。また在日朝鮮人と同じく沖縄の民衆も劣悪な労働条件、差別賃金で利用されたが、それは上記のような一般の労働者の沖縄への偏見、差別とも切り離せない。
こうした状況を引きずっての太平洋戦争、沖縄地上戦の日本軍による住民虐殺も、差別感情と結びつく一面をもっていたことも否定はできない。

◇敗戦による沖縄分離と沖縄人民の意志の無視

沖縄・奄美の意思表示は聞かれることなく、対日平和条約により琉球諸島は日本から分離さた。沖縄・奄美の民衆の意思表示に無関心であった。

◇沖縄返還問題と「差別史観」の登場

沖縄返還に際して、差別を強調しその償いを復帰に求めるという発想「差別史観」が登場してきた。
筆者はその典型例として、大田昌秀『醜い日本人』(サイマル出版)を挙げている。
(醜い日本人が強調する点)
・同じ日本人でありながら沖縄県民のみが差別されている。
・「制度上の差別」と蔑視感情のような「心情的差別」を区別し前者だけを問題とし、その償いを"独立国日本"に求める。
(その問題点)
・日本内部の差別(たとえば部落差別)や沖縄内部の差別(たとえば奄美差別)は視野に入ってこない。
・沖縄内部にも「制度上の差別」は存在するということ。
(在沖縄奄美人に対する差別)
・日本それ自体を否定する視点がない。

◇沖縄問題の解決に問われているもの

・1972年に沖縄は返還されたが、米軍基地など問題は多い。
これらの現状を反差別闘争主軸で打開できるかどうかは疑問。
・多様性のある島社会が画一的な管理社会化の中で生きのびるための方策や歴史的文化的独自文化圏の自立、発展構想
こうした点も含め沖縄問題の解決をめざす研究・思想・運動が、どのようにして日本国内の被差別人民との連帯を視野のうちに組み込みうるか、ということが問われている。


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