2000/11/20

欲望という名の地図〜アパルトヘイトから癒しへの道〜
担当 奥間 達

 南アフリカ共和国(南ア)においてアパルトヘイトが94年に撤廃されて約6年経ちました。アパルトヘイトという世界でも類をみない人種差別に立脚した統治形態がどのように成立し、また崩壊した現在どのような問題点が残されているかを見ていきたいと思います。

アパルトヘイト…「分離する」(アフリカーンス語)
端的に言えば「制度化された人種差別主義」と定義される。

1.アパルトヘイトの歴史

17世紀半ば  オランダ人の到来
1910年    南アフリカ連邦の結成←ボーア戦争後の4つの植民地を統一
1913年    原住民土地法
1936年    原住民土地信託法
1948年    オランダ系白人層を支持基盤とする国民党が政権をとる。
1950年    集団地域法の制定
1955年    「自由憲章」の要求
1958年    パス法の制定
1959年    バンツー自治政府促進法の制定
1994年    全人類が参加する国政選挙の実施

・アパルトヘイトの特質は差別を人種基準におき、法律により厳格に差別を取り決めているところにあると言える。アパルトヘイト下では差別をしないと罰せられるという現象も見られた。

・アパルトヘイト体制を支える法律により黒人層は白人社会が享受できる保健や教育水準に比してきわめて低い公共サービスを受け取ることしかできなかった。

2.アパルトヘイトの制度化

1948年の国民党政権成立後、急激にアフリカ人(非白人)に対する政策が採られていくことになる。例えば、雑婚禁止法、人口登録法、背徳法などアパルトヘイトを支えた法律は数々があるが、中でも、次の5つがその体制を支えた基幹法として挙げることができる。人種集団の帰属に応じて南アの人々の居住を指定する都市部を対象とした集団地域法、やはり1958年からすべての黒人に証明書の携帯を義務付けることにより、白人地区への流入規制をねらいとしパス法、黒人が黒人居留地以外において黒人以外の人種からの土地の購入・賃借を禁じ、南アの国土の13%の面積に黒人を押し込めることを狙った原住民土地法および原住民土地信託法の4つに次の章で触れるバンツー自治政府推進法の5つである。

3.バンツースタンの形成

 1959年バンツースタン自治政府促進法が制定された。これアパルトヘイト体制による差別の究極的表現と言えるものであり、これは黒人を8つの民族に、後に10民族に分類し、それぞれの民族に居住区を定めるというものであった。その後その地域を独立させることによって黒人を「外国人」とし、白人のみの南アフリカ国家を建設することを目的とした。また、人口において75%を占める黒人の居住区は南アの国土の13%に過ぎないものであった。実際に76年から81年までにトランスカイをはじめとする4つの居住区が南ア政府によって独立させられたが、国際社会では認められることはなかった。また、1970年ホームランド市民権法によりすべての黒人が南アの国籍を略奪された。

4.全人種選挙とその後の課題

1994年全人種選挙の実施。
→国民党20.4%(82議席)、ANC62.6%(252議席)、インカタ自由党10.5%(43議席)
→国民党とANCが連立を組む。

選挙は「平和」に行われたものの黒人層の中には字が書けない人がいたり、選挙、民主主義意味を誤解している人がいるなど問題点も残された。
また、南アはアフリカの中でも発展した国であるはずであるのに、選挙後の黒人層が求めていたものは住宅、水道、教育、医療といった日常生活に必要な基本的なインフラの整備であった。そして、6年経った現在でも農村部等では白人が広大な領地を持ち、そこを黒人労働者が小作を行うというアパルトヘイト時代と変わらぬ実態がある。

5.論点

人種差別を完全に解消するためには、政府による積極的な差別解消措置を採るべきなのかどうか?


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