2001/01/22

差別主義と抑圧 〜A.メンミ『差別の構造』より〜
担当 奥間 達

差別主義定義試案

1.定義

差別主義とは、現実上のあるいは架空の差異に普遍的、決定的な価値付けをすることであり、この価値付けは、告発者が己の特権や攻撃を正当化するために、被害者の犠牲をも顧みず己の利益を目的として行うものである。

2.差別主義者の態度分析

@差別主義者とその被害者との間に存する現実上の、あるいは架空空間の差異を強調する。
A差別主義者に有利に、そして被害者の犠牲を顧みない形で、この差異に価値付けする。
Bこの差異を普遍化し、決定的だと断言し、それを絶対化しようと努める。
C現実に存在する、あるいは可能性として存在しうる攻撃や特権を正当化する。

3.注解

一般的メカニズム…差別主義者の告発は、生物学、時には文化の問題から始められついには人格全体、生活全体、被告のグループ全体へと一般化されていく。

差異の強調…差別主義者は差異を強調することにより、犠牲者を共同体あるいは人類から追放し、分離することを強化・実践しようと願っている。
Ex)反ユダヤ人差別主義者はユダヤ人を本質的によそ者で怪しいとして描き、ユダヤ人の孤立化、隔離を説明しようと努める。
差異が差別主義を常に呼びさますわけではなく、差別主義が差異を利用しているのである。

差異は架空の場合もある…差別主義者はもし差別が存在しなければ差別をでっち上げるし、差異が存する場合、彼らはそれを自分に有利に解釈する点にある。

差異は価値づけされる…差異の価値づけはまさしく差別主義者の基本的やりくちのひとつであり、この価値づけには犠牲者の否定的側面と告発者の肯定的側面が同時にはっきり示される。Ex.)黒人の劣等性を価値づけすると自動的に白人の優秀性を示す。

差異は一般化される…現実のものであれ、架空のものであれ被告の個々の欠点は彼の同胞すべてに拡げられる。

差異は決定的である…総括化、全体化、社会的普遍化、歴史的普遍化は同じ目的に向かって収斂されていく。つまり究極的には差異の実体化、ついで犠牲者の姿の実体化に到達するであろう。要するに究極のところ差別主義は神話へと向かうのである。

告発者の自己正当化…犠牲者にある特徴を付与し、それによって告発者自身の彼に対する態度行動を説明し正当化しようと試みるのだ。

不正の公認…なぜ自己正当化のために、相手を告発せねばならなのか?
                ↑
         犠牲者に対し罪悪感を感じているから
つまり、かれらが犠牲者に対し罪悪感を感じているからである。そして差別主義者は犠牲者が処罰に値するから罰するのではなく、既に罰せられているから断罪するのである。
差別主義と抑圧…差別主義は抑圧を正当化する最高のものの1つであり、又、抑圧最高のシンボルである。


差別主義と抑圧

前項までに差別主義の若干の特徴的な面を見出したがそれは人心を一層不安にさせるものである。
@殆どの人のうちに、自分でも気づかない差別主義者が存在しているのだ。
A差別主義は社会的現象であり、差別主義は個人のうちに座を占める前に、制度、イデオロギー、教育、文化の中に座を占めるのだ。
Bなぜ、差別主義に普遍性があるのであろうか?
 →差別主義的説明は都合がよい、だから多くの集団や個人に利用されるのである。
C要するに、差別主義的説明は一番得になるのである。そしてこの説明は差別主義者の個人的また集団的自我を補強し、銘々のうちに存するナルシスを大いに援助してくれるのである。また、この悪徳は相手側の犠牲の上に成り立つものであり、差別主義者の差し伸べる誘惑の手は一番抵抗しがたい。
D偉くなるためには、差別主義者は相手の上によじ登ればよいのだ。
E差別主義者は己の勝利を味わうために歴史によって既に打ちのめされた人間に対して向かっていく。かれらは不幸な者の上に不幸を重ねるのだ。そして、よそ者の持つか弱さが差別主義を生むのだ。
F次いで、プロレタリア、植民地人、ユダヤ人、黒人等の被抑圧者自身が差別主義者となるのである。なぜなら誰しも自分よりしたの段階の者、比較すれば自分が支配者として相対的に立派に見えるような相手を探し求める。差別主義は銘々にかれらに適した解決法を提供してくれる。差別主義は誰の手にも届く快楽なのだ。
G他者を許すのは、他者を仲間に迎えいれる事ができるときだけだ。さもなければ彼の不透明性と彼のする抵抗が人々を不安にし、いらだたせる。その結果恨みを抱かずには入られなくなるのだ。そのように断罪された他者がわれわれに同じ反応を繰り返さないでおれようか?
H罪の意識が差別主義のメカニズムを動かす最も強力な要因のひとつなのである。
Iでは、どうすればようのであろうか?一つ言えることは共感を持つように努めねばならないと言うことだ。つまり、他者に参加するという困難な努力を積まねばならない。他人の苦悩、屈辱、侮辱を受ける苦しみを理解する最上の方法は相手の立場に身を置くことだ。
J上記の行動は個人に努力を要求するものであり、もっと集団的次元での諸手段によって補われるべき。例えば教育は最も効果的な技術でありつづけるであろう。だが次の点に大きな配慮を払わねばならない。それは人間が本性的に持つ闘争性をどんな別のかたちで利用して行くのか?
K差別主義は現実に存在するある状況の生み出した結果であり、現れであり、補助剤でもあるのだ。この差別主義が消滅するためには、被抑圧者が被抑圧者たること、つまり…反差別主義者の多くは寛容の精神に押し流されて物事を単純化し、人間間に現実の存するあらゆる際の否定を願うのだが、そのような必要は全く無い。逆に存在する諸差異を明瞭に意識せねばならない。つまり差異をあるがままのかたちで認め、尊重する必要がある。
L二つの政治的選択の問題
◆ある人々を他の人々のために圧殺し、辱める一つの態度・行動
◆最初からあらゆる人間に同一かつ平等な尊厳を与える態度・行動
この二種の人間観、二種の哲学が問題となっているのだ。
M差別主義に対する戦いの困難さに目をつぶることはできないのだ。
◆相手の立場に身を置くということはいつでも相手の立場から逃れることができるものであり、完全に相手の立場に身を置くことは決してできない
◆学校教育は市井、家庭内での教育を打破せねばならず、まとまりのない文化的伝統をそっくり相手にまわさねばならない。


論点

本当に罪の意識が差別主義のメカニズムを動かす大きな要因なのだろうか?


全体を通して

筆者の立場は、人種間や植民地等を差別主義の構造を明らかにした。筆者の明らかにした差別主義の構造はこうだ。各自のうちの深くに潜み、多くの人々のうちに広がり、根深く我々の制度や集団的思考法に深く係わり合い、人の心を強く誘引するものであると分析した。そしてその存在を肯定した上でいかにわれわれが差別主義と戦っていくのかと言うことを指し示している。その際に、一部の反差別主義者のように寛容の精神に押し流されて物事を単純化し、人間間に存する現実のあらゆる差異の否定を願うのではなく、差異をあるがままのかたちで認め、尊重する必要があるとしている。そしてまた、反差別主義の戦いは長く、困難で、絶えず一から始められ、恐らく永久に終わりを告げる事はないであろうと述べている。


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