敗戦後論

担当:綿島大地

T 戦後の起源

・戦後と言う言葉のもつ意味
「戦後」
 ↑この言葉は敗戦国によって濃密になる言葉
ex.日本にとっての”戦後”は第二次世界大戦であり
   アメリカにとってはベトナム戦争である。
作者は"負け戦”がそれ以前とは違う時間を負けた国にもたらすとし、それはそれをきっかけにその国がいわばぎくしゃくした、ねじれた生き方を強いられると言う。

この@ねじれた生き方
  A他国に対する謝罪行為
           ↓ 
戦後という時間をいまなお生き長らえさせている。

「戦後」とはなにか?

・・・この「ねじれ」という側面をメインに考え、「戦後」とは、それはすべてのものがあべこべになった、「さかさまの世界」。そしてその「さかさま」が誰の眼にも見えなくなった頃から現在に至るまで。

「ねじれ」・・・自分を支えていた真理の体系が自分の中で崩壊していく、その上で生きていくこと。

*「ねじれ」の証左

 ・日本国憲法
  日本における「反戦」=平和憲法の存在に理由を求める。
  (ここで作者は思う「では平和憲法がなかったら?」)

*日本国憲法成立の前提:
・「戦争の放棄」条項が、敗戦直後、それこそ原爆の威力、軍事的威圧のもとに強制的に押しつけられた事実。
・戦争放棄条項については、これは「アジア諸国に対する加害への反省」に基づくものであるという声明があるが実際のところ、私達日本人は、たんに戦争はもうごめんだ。という「一国平和主義」の心情に基づいてこの条項を自発的に保持してきたに過ぎない。
これらは戦後50年をへた私達の自己欺瞞。
本来にはない歴史主体の、そとに向けての捏造が生み出されている。

「ねじれ」の一つはこの憲法の手にされ方と、その内容の間の矛盾、自家撞着からくる。
→私達はこれらを「押しつけられ」、その後、この価値観を否定できない、と自分で感じるようになった。私達は説得された、説得されただけではなく説得される主体ごと変ってしまった。
→自分たち自身を偽るしかなくなる。

作者の主張:「ねじれ」を回避するのではなく、「ねじれ」をそのままに受け止めるというあり方。それこそが、敗戦国の国民である私達に新たに求められていた、勇気ある態度だったのではないだろうか?

補足〜憲法制定の初発の時期、このねじれに気づいてその国家ぐるみの隠蔽に激しく抵抗した日本人〜

美濃部達吉:戦争に負けるということは、いわば自分にとっての「善」の所与が、奪われるということ、どのような願いも本当の形では果たされず、ねじれた形でしか世界が自分にやってこない。(美濃部の出発点)
        ↓
美濃部の主張する改正憲法第一条
「日本帝国ハ連合国ノ指揮ヲ受ケテ 天皇之ヲ統治ス」

津田左右吉:「みなさん学生の方々にとって、先の時代は大変な試練だったが、敗戦と共に学問の自由、思想の自由が回復されたことは大いなる喜びである。『しかし学徒自身が求め得たのではなくして、情勢の変化によって、又は他から与えられて、得たということは、自由そのものの本質から見るとやはり矛盾であり、皮肉でもあります。』このことは現在の状態にも関係がある。いまは権力の抑圧はない。
          ↓
国が敗れるとはどういうことか。占領されて、なおかつ自由だとしたら、そう感じる自分が、どこかおかしい。ある抑圧が感じられる。一口に言えば、それは世間の風潮というようなもの」だ。そう言うとき、私達が受けとっているのは、自分たちに、自分たちを征服している存在の「力」が感じられないとしたら、ここには深い自己欺瞞がある。

*分裂の諸相

「戦後」を時代としてとらえてみるとどういう時代か?
・・・日本という社会がいわば人格的に二つに分裂している※
※人格的な分裂
:米国における民主党と共和党、日本における保守と革新との対立。
      ↓
これらはこのような事態を国論の二分というが、日本における対立を米国におけるようなそれとは同様にみることはできない
      ↓
比喩的に前者においては、二つの異なる人格間の対立であるものが、では一つの人格分裂(内的自己、外的自己)になっている。

内的自己・・・戦前から、もともとあった、自己。「戦前のスタイル」をもった日本人
外的自己・・・己の意思(本心)とはまた別に、外的(諸外国等)と折り合いををつけるために作り出した自己。

この分裂をどうすれば克服できるか?
「ねじれ」感覚の必要。もう一歩踏み込めば、対立者を含む形で自分たちを代表しようとする発想が必要。
日本においては「相手との関係で自分を定義する」とでもいった様相を呈してきている。

二様の死者

・第二次世界大戦:これは日本人にとってはじめての国家規模の回復不能なまでの敗北に終わった戦争であり、たんに負け戦に終わった戦争というだけでなく、道義的にも「正義」のない悪い戦争。
       ||
自国の死者が無意味な死者となる他ないはじめての戦争

戦後日本の外向きの正史
・・・日本の侵略戦争を公式に認めてきたが、その際敗戦者のねじれを、戦勝者の前に示すということを行わなかった。
       ↓
その正史は日本がまず謝罪すべき死者として、二千万のアジアの死者をあげているが、そこで一方三百万の自国の死者、特に兵士として逝った死者たちへの自分たちの哀悼が、この謝罪とどのような関係におかれるのかを、明示することはしていない。
       ↓
侵略された国々の人々にとって悪辣な侵略者に他ならないこの自国の死者を”ひきとり”、その死者と共に侵略者の烙印を国際社会の中で受けることが一個の人格として、国際社会で侵略戦争の担い手たる責任を引き受けることの第一歩なのではないだろうか?

ex)大岡昇平・・・戦後戦前において、「歴史的仮名遣い」と「現代的仮名遣い」の使用を戦前書かれたものには「歴史的仮名遣い」を戦後書かれたものには「現代的仮名遣い」を使う。
なぜか?
 ↓
敗戦という結果の後には、以前と元通りになる、復古が可能だとしたらそのような「復古」は死者が生き返らず、何もかもが元通りになるのでない以上嘘だ。ゆえに「わが国が敗戦の結果背負わされた十字架として、未来永劫背負っていく」つまり、戦後を通過してきて与えられた「現代的仮名遣い」を『悪から善をつくる』と考えそれを使っていくことが大事なことであると考えた。
       ↓
戦後の欺瞞の構造から自由になるため。

*「戦後の欺瞞の構造から自由になる」とは?
・憲法の問題(平和憲法がそもそも「武力による威嚇」によって生まれている)
作者の主張:いまからでも遅くは無いから、やはり現行憲法を一度国民投票的手段で「選びなおす」必要あり。そしてたとえば平和条項を手に取るのか捨てるのか選択すればよい。そもそも平和憲法にささえられる平和主義とは完全に語義矛盾だというほかないという状況にあるのだから、どういう結果になろうとも憲法がタテマエ化しており、私達の中でいきていない現状よりはマシである。

・天皇の問題:戦後、なにより天皇の名のもとに死んでいった兵士達への道義的責任を果たさずに死んでいった昭和天皇に私達はどのような言葉を向けるのがよいか?
作者の主張・・・「いたわし」からそう遠くない感情。責任をまっとうせずに逝ってしまった天皇は「やはり運が悪いおいたわしい天皇と言わざるを得ない」

〜上で述べたような問題はまだしも「悪から善をつくる」ことができる問題である。
      ↓ならば「死者の問題」はどうなるのであろうか?
悪い戦争にかりだされて死んだ死者を、無意味のまま、深く追悼するとはどういうことか(死者をめぐるねじれ)?
・私達がいまここにいることのために死んだ自国の死者への哀悼とつりあい、その謝罪がこれら死者を悼むことをつうじて私達のものである時、それは一人格としての私達の明言であり、謝罪となる。

(作者まとめ)
「ねじれ」からの回復とはきっと、「ねじれ」を最後までもちこたえる、ということである。

論点

: この作者の論は「敗戦」という限定された時から出発することで敗戦の前にあった事実、侵略戦争を隠蔽する操作を行っていないか?
→人間的尊厳の回復を求める被害者達の心にどう向かいあうのか、とかいった問題に当たってはどうするのか?

担当者としては、この論は「道義的責任のまったく無い戦争」を通過してきた日本人の持つべきスタイルについてが主であり、この論で言うような「ねじれ」を背負ったスタイルを持つのはいいと思うが、その考え方に「よりかかる」ことによって心情的にラクになる、居直りになってしまう危険性を感じた。
つまり「もう過ぎ去ってしまったことだから」「これから我々がどう生きていこうか」とかいう議論が主になってしまっていいのだろうか?と言うこと。

『「道義的責任のまったくない戦争」であった』と戦争の責任をひとくくりにして、それで納得していまおうという、態度は安易な発想なのではないのだろうか、と感じた。
 自己完結の責任論に陥ってないのだろうか?


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