「否定論の時代」
『ナショナルヒストリーを超えて』より

高橋 哲哉
担当:堅田 真也

ホロコースト否定論と日本版否定論


  ホロコースト否定論の主張
@ ホロコーストはなかった。ガス室もなかった。
A ナチスの「ユダヤ人問題の最終解決」とは絶滅ではなく、ユダヤ人の東方移送ないし追放でしかなかった。
B ユダヤ人犠牲者の数は600万人や500万人ではなく、はるかに少数の20万人、10万人などで、しかも虐殺の犠牲者ではなく戦争中の不可避の犠牲者に過ぎない。
C 第二次世界大戦の責任者はドイツにはない。ドイツにあるというならユダヤ人にもある。
D 当時の人類の敵はナチス・ドイツではなく、スターリンのソ連であった。
E ホロコーストは連合軍のでっち上げである。

@ABE→基本的事実そのものを否認
CD→ホロコーストそのものの否認を必要としない。
 
歴史学者エルンスト・ノルテの立場はホロコーストの基本的事実を認めつつ、CDに近い要素を含んでいた。
   ↓
否定論と広義の修正主義(revisionism)に決定的な断絶があるわけではない。

日本における否定論

 「自由主義史観研究会」の動きに関して
   「健全なナショナリズム」の名において、いかに不健全な否定論が、ホロコースト否定論と同じく、時に露骨で時に隠微なレイシズム(民族・人種差別)とともに、また特徴的なセクシズムと共に登場しているかを見るべき。
   ホロコースト否定論と同レベルの最悪の修正主義に近づいている。

 「自由主義史観研究会」の主張
@ 南京大虐殺はなかった。性奴隷制としての日本軍慰安制度はなかった。
A 従軍慰安婦とは性奴隷ではなく単なる商行為、売春婦にすぎない。
B 南京事件の中国人犠牲者は中国の主張する30万人でも日本の教科書が採用する10数万人から20万人でもなく、最大限で1万人で、一般市民の死者は安全区国際委員会の報告が「全部が正しいとしても47人」にすぎない。
C 朝鮮の植民地化や日中戦争の責任は日本にはない。責任はむしろロシアや欧米の脅威に対し危機意識を持たず、近代化が遅れた朝鮮や中国の側にある。
D 当時のアジアにとっての脅威は日本ではなく、むしろロシアや欧米であった。
E 南京大虐殺、「従軍慰安婦問題」は「国内外反日勢力」のでっち上げである。

  ホロコースト否定論と日本の否定論との類似は、「でっち上げ」の背後に普遍的な「陰謀」の存在を確信している点にも見られる。
  普遍的陰謀説の特徴は、それが被害妄想であるのか、デマゴギーであるのか判然としない点にある。いずれにせよそこで支配的なのは倒錯した被害者意識と他者への不信、悪意の投射にほかならない。

否認・証言・沈黙


包括否定
   
包括否定(blanket denial)
 ホロコースト否定論者
 「ユダヤ人によってもたらされる直接の証言はすべてウソか作り話である」
    
 従軍慰安婦に対する日本の否定論者
 「元慰安婦によってもたらされる直接の証言はすべてウソか作り話である」

 慰安婦問題に関する否定論者の特徴
  元慰安婦たちの証言を包括否定し、その証言には過剰な精密さを要求する一方、自らの主張には大甘な態度をとる。

 ジャン=フランソワ・リオタール(フランスの哲学者)
  絶滅収容所の生き残りを念頭において、自分が不当な被害を被ったと申し立てながらいかなる形でもその被害を立証できないような極限のケースを「犠牲者」と呼ぶ。損害を証明する手段を持つのは「告訴人」である。

 否定論者…「告訴人」を「犠牲者」の位置に追い込もうとする者

 否定論の時代…加害者が被害者を「忘却の穴」(ハンナ・アーレント)に陥れようとする時代、犯罪の痕跡の抹消や証人の絶滅だけによってではなく、生き残った証人を沈黙させること、また名乗り出た証人に耳を貸さないことによってもそうする時代。

 元従軍慰安婦への法的救済は不可欠であるが、それが問題のすべてではない。被害が法的に認定されないからといって、被害者の心身に刻まれた記憶がウソになるわけでもなければ、被害者の証言に耳を傾ける意味がなくなるわけでもない。
  ↓
 元慰安婦が名乗り出て行う証言
  私を被害者として承認せよ、私が受けた迫害を事実として認めよ、という訴えと同時に、いったん破壊された「人間」への信頼を回復したい、自分自身の尊厳を肯定し、他者への信頼を回復したいと言う要求も含まれている。


筆者の主張


 「日本人」の一人一人が被害者の告発を受け止め、最も基本的な〈歴史認識〉の共有への呼びかけに応えることは、かつてそれを破壊した国家に属する市民の側から東アジアにおける「信」の関係の構築に参加し、ナショナルヒストリーの枠組を超えていく第一歩になる。


論点
◆ 元従軍慰安婦の証言に対し、どのように彼女たちの要求に応えることができるか。法的認知などに還元しえない根源的な要求が含まれていたとしても、それを満たすためにはまず法的認知・法的救済が必要ではないか。
◆ 法的認知なしで、歴史認識の共有への呼びかけに答えられるのか。加害者でない第三者の国の市民が歴史を共有するのと同じではないか。そのこと自体にも意味があるとは思うが、それでは被害者が日本に対して呼びかけていることを無視してはいないか。


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