戦争責任

家永三郎            報告者・成石

はじめに(報告者より)

最近産経新聞に歴史教科書についてのコラムが掲載されていた。一般紙のなかでも自由主義史観色が強い(そして右翼的な)産経新聞では家永教科書は「左翼的内容の教科書で子供たちに左翼的思想をおしつけるもののひとつだ(まだかわいい部類にはいるが)」としていたが、さて、本当のところはどうであったのだろうか。
家永三郎という人の戦争責任論を考えてみたいと思う。

今日なぜ戦争責任を論ずるのか?

1・日本の内外に回復しがたい心身の痛手を負って生きる人が今もなおいる
・・・・可能な限りの保障をするためには責任の所在を確認する必要があるのでは?
2・日本では「戦争の惨禍」を惹起した事による責任のけじめが明確に付けられないまま  今日に至っている
・・・・「他国の人に裁判してもらってそれで終わったことにしているのは少しのんきすぎるように思いますが」(自国民の手で戦犯を裁いたユーゴスラヴィア人民の言葉)
・連合国軍による戦犯裁判のみで日本国民の手による戦争責任の追及がなかった
・連合国側の対日戦争責任がまったく不問のままである
→このことが国の内外において第三次世界大戦を誘発しかねない危険な動向の見られる原因のひとつとなっているのでは?
3・世界の平和と人類の安全を確保するために戦争責任の所在を的確な形で確認することが不可欠の課題と考えるから
・・・・特に15年戦争を開始し遂行した日本国民にとって国内的、国際的に回避できない責務ではないか?
4・学問や言論の世界では戦争責任論が散発的にはしばしば論及されているが戦争責任を全体的にとらえ体系的な形で示したしごとが殆ど見あたらない
・・・・戦争責任は多面的であり異なる面での責任のあり方の相違を正確にわきまえたうえで議論をすすめないと論旨が混乱するおそれがあり、そうならないためには戦争責任の全体型の総合的な把握が必要

戦争責任にはどのような区分があるか?

1956年度思想の科学研究協会総会において行われた「戦争責任について」の座談会での丸山真男の発言から・・・・
戦争責任の観念の区別の4つの点
1.誰に対して責任を負うか、誰に対しての責任なのかの区別
・・・国民に対してと他国民に対して、また他国民でも一概にするわけにいかない(国民に対してもまた同じ)
2.責任を負う行為の性質による区別
・・・過失による責任と犯罪に対する責任は性質が異なる
3.責任自体の性質による区別
・・・狭い意味での法律的責任(刑事上の責任)と道徳上の責任と政治上的責任、そして形而上学的責任
4.主体の地位、職能の点からの区別
・・・積極的な協力者の責任のほかに受益度の責任と言うべき物もあるのでは?

日本国家の戦争責任はどのような点にあるか?

・国際的責任
1,中国に対する責任
当時の日本国家として中国侵略戦争を突き進むほか無かったのか?
・・・石橋湛山による「一切を棄つるの覚悟」において、中国は勿論、朝鮮・台湾をも解放する事が日本の安全と繁栄をもたらす唯一の道であることが予言されていた
そのほかにも戦争が日本の為にならないことを説く人たちが存在していた
→戦争をしないでも良いという選択肢をえらばずに戦争をしたことへの責任
・南京大虐殺について
被害者の数について論議されているが、それがあったことは事実ではないか?
・中国全戦線にわたる残虐行為
捕虜の虐殺・・・ハーグ陸戦法規では禁止されている
・毒ガス戦
・731部隊の残虐行為
アウシュビッツを思わせるような人体実験の存在

2,朝鮮民族に対する責任
・従軍慰安婦・・・皇軍慰問の女子挺身隊(従軍慰安婦)にかりだす
・強制連行
・創氏改名、日本語の強制教育などの皇民化政策
・朝鮮民族をBC級戦犯にしたこと

・国内的責任
1,国民の自由・権利を破壊し、戦争反対・早期終戦要求を封殺した責任
・・・表現の自由の圧迫、真実を報道する事への制限など国民が戦争に反対しようとする可能性をつみとった

2,多数の国民を戦死・戦災死させ、あるいは回復できない精神的・肉体的被害を与えた責任
・・・無謀な作戦に参加させられ多くの兵隊を死なせたり満州や中国・ソ連に多くの民間人を残したままにした、またスパイの容疑をかけて殺したり米軍へ投降した非戦闘員を虐殺した

日本国民の戦争責任はどのような点にあるか?

戦争や戦争政策への同調・協力がたりないと目する同胞に対して「非国民」などのレッテルをはり、権力の発動をまつまでもなく、または相乗して国民の思想・行動を戦争支持に画一化させる効果を上げるに寄与した
少年少女については被害面こそ重視されるべきであるが、彼らが成人後に少年期の意識・言動を自己批判できるにいたったときそれをしなかったことは責任があると言えるのではないか?

戦争を知らない世代にも責任はあるか?

世代を異にしていても同じ連続性の上に生きている以上自分に先行する世代の同胞の
行為から生じた責任が自動的に相続されるからである
戦後世代が戦前世代の遺産を相続することなしに自己を形成することはできない
→日本人としての自己形成において戦前世代からの肉体的・社会的諸遺産の相続を放棄することは不可能であるから、戦争責任についても放棄することはできない

連合諸国の日本に対する戦争責任はどのような点にあるか?

米国の戦争責任

・空襲による多数の非戦闘員の虐殺
「米軍内ではそれまでの軍事目標主義の指揮官が更迭され、それにかわって登場したのが無差別攻撃の専門家と言われるルメイ少将だった」(大岡昇平)
→この話にあるとおり、非戦闘員への無差別虐殺の結果を予見しえなかったとは言い難い長崎・広島への原爆投下
科学者たちの原爆投下への反対の声・・・原子力政策に関する委員会とその下にあった科学者だけの諮問委員会の存在・・・諮問委員会は原爆投下に反対
投下する選択肢としない選択肢の2つを意識的にもっていながらその一方をえらんだ
・沖縄での強姦

ソ連の戦争責任

・日本軍人・軍属のシベリア抑留


戦争責任の追及はどのようにしてなされるべきであったか

日本国家も日本国民も、自らの自発的反省にもとづいて戦争責任の始末を正しくつけなかったにとどまらず、その始末をつけるのを回避しようとする傾向が顕著であり、それが戦後の日本の歴史を大きくゆがめる原因となっている
・・・戦争責任の国内からの追求を警察の実力により封殺しようとした
・・・「一億総懺悔」により国民からの戦争責任の声が発せられるのを予防

「戦争終了によって新しい平和と民主主義の精神を説く道に進路を転換させるのであったならば、まず戦争中の自分の言動に厳しく自己批判をくわえ、その誤りを率直に告白し、自己の責任を広く世に明らかにした後に、新しい道に転換する手続きが必要であった。そうした確固たる主体的決断によらない、外側の情勢の変化に同調した思想的転換であったならば、それは外側の大勢に埋没しての戦争協力と、方向は反対でも意識のあり方は同質というべく、もう一度外側の情勢が逆転すればまたまたそちらに再転しないと言う保障はない。」

戦争責任の追及は、何のために今後どのようにして続けられるべきであるか?

世界の国際的状況からも戦争責任の究明の必要は増してきている
・・・日本国家権力の機関にあった最高責任者たちに対する法律上の責任を問う事は実現不可能であろうし実質的効果から見てもむしろ問題を矮小化してしまうことになりかねない。
今日においてもっとも有効で生産的な方法は責任を負うべき事実の正確でかつ詳細な認識と厳格な論理構成による法律的・道徳的・政治的責任の認定を、一人でも多くの国民の努力を結集して達成する作業から始めることであろう。

→日本国民の手によって日本国家の、日本国民の戦争責任を審判し、裁くことが必要
・・・日本の国内法と国際法との両面にわたる法律上の責任から、政治上・道徳上の責任にも及び、かつ外国・他民族に対する責任にとどまらず同胞国民に対する責任をも合わせ含む、権力者の戦争責任の完全な究明が、もっとも主体的かつ理性的な形で結実するであろう

戦争責任は復讐の為でもなく、被害感情の発散のためでもなく、それを正当に反省し再び戦争の惨禍が起こるのを防ぐためである


論点

・再び戦争の惨禍が起こるのを防ぐためにとりうる戦争責任とはなにか?


瀧川からのコメント:戦後世代が戦争責任を負う根拠である「前世代からの肉体的・社会的諸遺産」とは何か?相続放棄を否定するような相続の論理で責任を根拠づけることは妥当か?


Copyright (C) 2000-2010 大阪市立大学法哲学ゼミ
http://www42.tok2.com/home/takizemi/

2001年度スケジュールに戻る