2001.5.21

戦争の罪を問う

カール・ヤスパース
担当:中 充

ともすれば概念や立脚点の混交に悩まされがちな罪の問題において真理を捉えるために、罪の区別をまず行い、そしてドイツの罪と取るべき道を明らかにしてゆく。

A.区別の図式

1.4つの罪の概念

@ 刑法上の罪:明白な法律に違反する客観的に立証可能な行為において成立する罪。審判者は裁判所。
A 政治上の罪:為政者の行為において成立し、また私がある国家の公民であるために、私の従属する権力の主体でありかつ私の現実生活の拠って立つ秩序の主体であるこの国家の行為よって生ずる結果を私が負わなければならないという場合に、その公民たる地位において成立する罪。審判者は戦勝国。
B 道徳上の罪:私が私としてなすすべての行為について道徳的な責任を負っているがゆえに成立する罪。審判者は自己の良心。
C 形而上的な罪:人間相互間に連帯関係というものがあるがゆえに世の中のあらゆる不法・不正に対し、ことに自分の居合わせたところや自分の知っているときに行われる犯罪に対して責任の一半を負わされているために生じる罪。審判者は神。

区別の目的=・全てを一つの水準から大掴みに判断しない
・言葉にできないただ一つの根源たる罪に立ち返ること


2.罪の結果

外部に向かっては現実生活に影響し、内面に向かっては自覚の上に影響する
a.刑事犯罪:法に基づく処罰。
b.政治上の罪:責任の追及、結果としての償い。更に政治上の権力の制限、喪失。
c.道徳上の罪:自己の罪の洞察。罪滅ぼしと革新。
d.的な罪:神の御前で人間の自覚に変化。能動的な生。

3.誰が審判を下すのか、誰または何が審判の対象となるか

a.弾劾の意味
外からの非難:刑事犯罪と政治上の罪とに向けられる場合にのみ意味がある。
内からの非難:自己の道徳的な無力、形而上的な脆さに対して。

b.集団に対する判断、個人に対する判断
国家の行動から生ずる結果に対してその国家に属するすべての国民の責任を問うこと。→集団が対象

・刑事犯罪の処罰対象→常に個人(個人単独犯、共犯、組織への帰属)
しかし民族全体に問うことはできない
・道徳的弾劾→常に個人
◎そもそもドイツ人とは、ロシア人とは、イギリス人とはという性格付け
類型」概念へのあてはめではすべての個人を把握できない
→民族を一個の範疇とみて範疇的な判断を下すことはどんな場合にも不公正
(族を実体化し、個人としての人間の尊厳を奪う)

⇒集団的な罪はただ政治的に問われる
→国家に属する公民として責任を問われる(たとえ国家に反対していたとしても)

c.裁く権利を有するのは誰か
・道徳・形而上:他者が審判者たることは不可能
運命を共にする人たちにはその権利があるか?
→審判者自身がその問う罪を負い、自身を照らし出している場合
・治上:戦勝国

B.ドイツ人としての問題

戦後「これはお前らの罪だぞ」というプラカード
ドイツ人が自身の罪について考える契機

1.刑事犯罪

第一次大戦と異なり、この戦争はナチス政権の犯罪
→戦勝国の裁判所が裁く
@法廷に立つのは、ドイツ民族ではなく犯罪者として告訴された個人たるドイツ人
A特定の犯罪について告訴
この裁判の重大な意義=戦争自体が犯罪であることの宣言

2.政治上の罪

ドイツ国の名において行われた犯罪に対しては、すべてのドイツ人それぞれが責任の一部を引き受けさせられる。(政権の行った行為に対する責任)
→どういう意味でわれわれの一人一人が一部の責任を感じなければならないか
それは政治的な意味においての責任感=必ずしも道徳的な意味での責任感でない

近代国家においては誰もが政治的に行動している(選挙の投票・棄権)
・政治上の罪には善意でよかったとか、悪意でなかったとか、警告していたとかいう類の自己弁護は通用しない。
→行動が生まれ、しかも功を奏しなければならない。
・政治に「埒外に立つ」ということはない

3.道徳上の罪

自己を照らし出すという意味での個人に関する罪
→この罪を負うのは、罪滅ぼしを知る人々

4.形而上的な罪

道徳上、自らの命を危険に曝す義務が生じるのは、なんらかの目標を実現しようとする場合。
形而上的な罪−いやしくも人間との人間としての絶対的な連帯性が十分にできていないということ
われわれが死んでみたところでどうにもならないという場合に生き長らえた。
→われわれが今生きているということがわれわれの罪
⇒人間的な生まれ変わりを遂げる

5.概括

(a)罪の結果−各々の罪による処罰

(b)集団の罪
(i)政治的に問われる責任と集団の罪
集団を単位とした判断に対して→政治的責任と道徳上の罪との区別による防衛
しかし、全般的な政治事情は個人の道徳的特性を作る一つの要因
→私は個人として国民の生活態度に関与し、この生活態度に道徳上の集団の罪といったようなものが宿されている
→道徳上の罪と政治上の罪を峻別することは不可能
「政治的に問われる事実上の責任+意識=政治的自由の目覚め」
→自己の罪を感じ、自ら責めを負うべきことを意識
⇔一方では服従しながら他方自分の罪を感じない
われわれの罪・政治的な責任→戦勝国に対し、われわれの労働と給付能力とをもって責めを負い、敗戦国に課せられた通りの償い
・道徳上の罪→集団的な面としてよりよい人間となるための糸口をつかむという任務

(ii)集団の罪に特有な意識
家族の犯罪について「罪の分担」を感じる。同じドイツ人として胸が痛む
さらに同じ時代に属する人の行為だけでなく、父祖代々の罪を引き受けなければならない。→ドイツ人の生活の精神的な条件のうちに、このような政権を生ずべき可能性が具わっていたということに対して、われわれは皆、罪の分担を負う。
魂の奥底で物事を集団的に感ずることはやむを得ない
→ドイツ的なあり方―すでにある事実でなくこれから実現されねばならない任務
私はまず人間である
そして私はフリースラント人・大学教授・ドイツ人であり、
他の集団とのつながりにより、他国人であるような気もする。
しかし、ドイツ的なあり方の現実の姿が強いため、ドイツ人のすること、したことに対し、私が責任の一部を感じる。
→ドイツ的な姿になろうという任務を共通に感じ奮い立っている。
集団の罪を感ずるがゆえに、われわれは根源に立脚して人間的なあり方を革新し、建て直そうという使命を全的に感じている。
→この使命が一切の存在のあり方を決定するかに見える。

われわれの罪の清め
清め−各自がおのれのうちに見出す罪を償い、罪滅ぼしにより内面的な革新と生まれ変わりによって行う
→絶えず自分自身になろうという内面的な過程
清めは政治的自由の条件でもある政治的自由−国民の多数が個人として自己の属する共同体の政治に対して、おのれもまた責めを負うのだという意識を持つことによって始まる
⇒清めによって、われわれは自由となる

<論点>

@ 政権行為当時の国民が公民として政治上の責任を負うということと、後世の国民が「罪の分担」として形而上的な罪を負うことはわかるが、外向きの責任としての政治上の責任を現在生きるわれわれ個人も負うことになるのか?
A この議論は日本人の場合にはどのように妥当するのか?


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