5月28日「天皇の戦争責任」加藤典洋、橋爪大三郎、竹田青嗣著担当 廣川 第三部……敗戦の思想テーマ「天皇の戦争責任と言う概念が成り立ちうるか?成り立つとしたらどういう意味と根拠においてか?」◇ 侵略とルール違反(加藤) 責任やルール違反を問う場合、戦後の観点でなく同時代での観点を考慮に入れよう。天皇の戦争責任→ ・戦争を起こすことで国際社会における「ルールを侵犯した」という国際ルールのレヴェル ・近隣諸国を「侵略した」というレヴェル ※ 東京裁判における「平和に対する罪」は上記の二種類の責任をひとくくりにしたものであったろう。←日本の戦争行為の持つ「責任」を考えるうえで無効なのでは? ↓新しい考え方として提案 戦争責任とは… @国際社会のルール(国際法)から見てのルール違反<可変的ルール> A戦争相手国からいってルール違反、近代原ルール(自由、平等、博愛)への違反<不動のルール> さらに、@のルールはそれが成り立つ前に、Aのルールに立脚していると考えられる。 従って、@は満たすが、Aに違反する事例が出てくる。(例:台湾問題)その場合、「原ルール」に違反した行為は、被権利侵害者から異議申立てがなされ、そのルール違反が可視化すれば、その時点で不法を問われ、吟味される対象となる。 そしてこの二つのレヴェルにてらして、日本の戦争行為は「ルール違反だったか/そうではなかったか」「侵略だったか/そうでなかったか」というふうに問題を立てるべき。 ◇天皇有罪論/無罪論「日本は戦争をしたこと自体悪い」という言い方はなりたたない。(理由)20世紀初頭の情勢として「戦争」という行為は普遍的であったから。 ↓ 現在の時点の歴史的「善悪」の基準で考えるのではなく、「二度とあんなことがあってはならない」という感覚を持ち、戦争を起こさないようにするには何が必要か考えることが義務であろう。 責任の分担について、 ・外から(中国、アジアなど)の視点では、天皇にすべての責任が集中しているように見える。国家意思が積分されているといえる。 ・内から(国内)の視点では、それぞれの権限と責任が大日本帝国憲法の内実に従って国民一人ひとりまでずっとおりていく。微分されているといえる。 ↓ 天皇の法的責任はない。(法律によって免責されることが定められているから)。そうすると、外から見た像と内から見た像との大きなギャップが存在することになる。 天皇には戦争責任はあるのか?政治的責任、道義的責任があるとすればどういう根拠があるのか? (加藤)天皇には法的責任以外の統治者としての責任、政治的責任がある。 ↑ 人と人とのコミットメントから生じる責任、この場合においては天皇の国民に対する敗戦の責任、「申し訳ない」とでもいう政治的責任が生じる。しかし戦後、人間宣言をし、戦争責任について何も語らなかったことは、国民とのコミットメントを一方的に破棄している。 (橋爪)外側から見れば天皇に責任があるように見えるが、その責任が国内において微分されると、天皇に責任はなく、道義的責任は戦争の遂行者たる臣民に分担される。 ↑ 責任を法的責任と行為責任という二つの視点から見ると、天皇に関して法的責任はなく、行為責任もない。行為責任とは選択であり、天皇になると言うのは行為ではなく、「天皇である」ということであったから。(例:一般の軍人と職業軍人の責任の重さの違い) ◇ 戦争の死者は英霊か/犠牲者か300万人の死者をどう考えるか?(共通認識)「戦争の死者はみんな犠牲者だ。だからその犠牲者のためにも生き残った人間が戦争が二度と繰り返されないように努めなければならない。」と言うのは欺瞞的な言い方である。 ↑ 戦争の死者となった人々は、その場に生き、選択し、迷ったと言うことを捨象した一方的な言い方であるから。彼らの主体性を無視しているから。 (橋爪)天皇の命令で戦地に赴いた人々は断じて正しい。それは公民としての義務である。 ↑ 戦争の性質(侵略や自衛など)のレヴェルとは違うところで臣民としての権利・義務の関係があり、それゆえ、疑念や不満を持ちつつも、応召する以外方法がないではないか。彼らは主体的に大東亜戦争を担ったといえる。戦争中に行われた不法行為は、公民としての義務に応えて出征しなければ、生じないはずのことであったが、誰かがしなければ他の誰かがせざるをえなかったという義務・コストはこの戦争が侵略戦争か否か、国際ルールに違反しているか否かとは無関係に、戦後の我々のいる場所と直結する。 (加藤)天皇の命令で戦地に赴いた人々を、その事実を持って非難したり、誉めたりすることが間違っている。国民の義務遂行が同時に国家を越えた近代の原理にてらして不正を含んでいたといえるから。つまり、狭義の国民の義務(公民の義務)に抵抗することが、広義の国民の義務(近代の原ルール)に従うことになる場合もありうる。 ↑ 彼らの行為を「正しい」「間違った」と評価を下すことではなく、第二次世界大戦中の日本は国の不正をその国民が自主的に判断することができなかったが、今後同じ状況において「動かしがたさ」があったとしても誤らないようにする、国民の名で、国家の不正を判断するという仕方を作ることが大切である。 橋爪氏の主張は出征までのプロセスの判断、評価でしかない。出征後は、彼らは敵国だけでなく他者(中国・朝鮮など)をも巻き込み、アジアの人間が殺傷された。 我々とアジアの死者とをつなぐのは、彼らを殺傷した兵士が、今我々が主権者である国の要請でその国のために出征しているという事実である。 ◇ 民主主義と象徴天皇制(橋爪)天皇制は歴史的役割を終えた。日本は共和制に移行することが望ましい(国民の総意が条件)。天皇に依存せず、自分たちの権利・義務・主権・倫理観で国家を組み立てていくべき。明治国家=神聖国家というメカニズム→天皇に責任があるように見える。天皇は人間であり、ひとつの機関として振舞ったであろうが、国民からは天皇が国家意思を集約しているかのように見た。 ↑ 侵略される国からはまさにそのように見えただろう。 そして現在もなお、戦後処理の名残として憲法九条があり、日米安保がある。 ↓ 国際的な不信の表明と裏腹な関係、国際社会の日本に対する警戒の現れ。つまり、戦後は解消されていない。 戦後の象徴天皇制が民主制の正統制を与える基礎であるということはもうわかった。 ↓ 次の段階(共和制)にいこう。 そして橋爪氏はそれ以上に大切なのが「憲法改正」であるとする。 日本国民が自発的に、合法的な手続きによって提案し、国民的合意の上で憲法を改正して、新しい憲法のもとに移行する。このことは、国の構成を変更できる能力を示したことになる。天皇の条項が残っても、今よりも共和制に近づくことになるといえる。 (加藤)象徴天皇制は階段の半分上がりといえる。 ↓ 天皇主権から国民主権へ、君主制から民主主義へ、天皇制から象徴天皇制へと移行したが、君主制から共和制へと移行したわけではない。現在の日本はその中間に存在しているのでは。 ↓ 国民主権を前提にした象徴天皇制に立ち、戦前の天皇制を否定することが、今の日本のおかれている立場ではないか。 民主主義がどんな形で日本にもたらされたにしても、押し付けであっても、これを自分たちのイニシアティヴで受け取りなおすべき。具体的には憲法改正のこと?ここでは述べられてないが、加藤氏も憲法改正を主張していた(敗戦後論の中で)。そうすることで、押し付けられた他律的な民主主義をもとに、戦後の自立的な正統性を作り上げることができるとする。 ◇ 敗戦後論(加藤)300万の自国の死者への向き合いを先にして、そのことを通じて2000万の他国の死者への謝罪へと至る。・我々は300万人の自国の死者を通じて、2000万人の他国の死者との関係を持っている。前者の関係がなければ後者の関係は成立しない。 ・「内在」から「関係」へという道筋をたどることが真の謝罪といえる。 (橋爪)近代原理の原ルールというレヴェルでは戦前から戦後までストレートな関係がある。 大日本帝国の価値観やイデオロギーは二重になっている。 @大日本帝国という近代国家における、臣民の権利・義務関係があり、戦争も合法的な手続きを踏まえて行われていた。 A大日本帝国を成り立たせている、神聖国家的価値観・イデオロギーに基づく信念体系。 そして、@のレヴェルから関係性が取り出せるとする。 ◇ 脱・天皇論19世紀以降近代化を推し進めた国家のほとんどは、自分の国家の所業を「悪」と感じ、これをどう処理するかという「近代の原罪」というべき問題を抱え込んでしまった。日本も例外ではなく、劣等感の裏返しの変な傲慢さ、独善を持っていた。そして、日本でも欧米でも二者択一的な近代否定をし、「罪障感」を打ち消そうとしている。しかし、本当に必要なのは、ヨーロッパ=近代の歴史がなぜそういう道筋をたどる必要性を持ったか、それが現象された悲惨や悪を再演しないために何が必要かを思想的課題として考えることであろう。 ◇ 論点・疑問点 ・戦争責任は外から(侵略された側)見ると本当に天皇にあるように見えるのか?日本という国家に責任があるのではないか?また、国内から見ると政治的指導者たちに責任があったと見えるのではないだろうか? ・憲法9条が残っていることは国際社会に認められてないことと結びつくのか? ・論者たちは憲法改正を主張するが、憲法改正はするべきなのか(前に議論しましたが)? |