’01瀧川ゼミ 6.04

戦争犯罪論〜ジェノサイドの罪〜

担当 奥間 達

 1998年9月2日、ルワンダの元タバ市長アカイェスがジェノサイドの罪で有罪となった。これはジェノサイド条約が1948年に採択されて以来初めて適用された事例であり、その後、ICTYにおいてもジェノサイドの罪に関する判決が出されている。ジェノサイドの罪の要件を実際の判例を通して見ていきながら、そこに潜む問題点を検証してみたいと思う。

ジェノサイド肯定例:アカイェス事件一審判決

【ICTRについて】
本法廷は、1994年1月1日から12月31日の間に、ルワンダ領域で行われたジェノサイド及びその他の国際人道法の重大な違反について責任ある者、及び近隣諸国において行われたジェノサイド及びそれらの違反について責任のあるルワンダ市民について訴追するために、国連安保理事会によって設立された。本法廷の手続きは、安保理事会決議955に付された法廷規程及び手続き証拠規則に従う。本法廷の実体的裁判管轄権は、ジェノサイド、人道に対する罪、及び、戦時における被害者の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ諸条約共通3条及び1977年6月8日の第2選択議定書の違反で告発されたものの訴追である。

【事件概要】
被告人ジャン・ポール・アカイェスは起訴状記載の期間に、市長としての権限ゆえに、タバ市の法と秩序を維持する責任があり、市警察に影響を与える権限も保持していた。さらにタバ市の「指導者」として、もっとも影響力の有る人物であったので、住民はアカイェスを尊敬し、彼の命令に従った。アカイェス自身が本法廷で、住民に指令して集合させる権限を持っていたと認めている。アカイェスが市長であった1994年4月7日から6月末にタバ市で実に多数のツチが殺害されたことも証明されている。殺害があることを知っていながら、アカイェスがそれに反対し、予防しようとしたのは4月18日までである。その後、アカイェスは法と秩序を維持する努力を放棄し、ツチに対する傷害殺害をを自ら命令しさえした。これらに基づき被告人は15の罪で起訴されたが、彼はすべて無実であるとし争った。

【事実認定】
@起訴状12(A)と(B)に関して、検察官は、1994年4月7日から6月末までにタバ市庁舎に逃げようとした多くのツチがインターアームウェメンバーらによって殴打されたことを、合理的な疑いを超えて証明した。殺された者もいる。多くの女性が公然と性暴力、強姦を繰り返し受けた。ツチ女性は組織的に強姦されたし、ある被害者は「見つけ次第強姦する」と言われたと証言した。被害の多くはタバ市庁舎の中や近くで起きた。銃をもった警察官や被告人本人がいる場で強姦や性暴力が行われたことも証明されている。さらに、アカイェスはそうした行為を奨励したことも明らかになっており、アカイェスは「ツチの女がどんな味がするかなんて俺に聞かないでくれ」と述べたという証人もいる。裁判部の意見では、これは強姦の暗黙の奨励である。

A1994年4月19日に、アカイェスがギシェシエの集会に参加して、被告人が言及した唯一の敵を除去するために協力するよう住民に呼びかけた。住民は、アカイェスがツチの殺害を求めていると理解した。アカイェスも自分の発言が群集に影響を与えることも、それがツチ殺害の奨励と受け止められることも理解していた。アカイェスの集会発言はタバにおけるツチ殺害をもたらした。

B起訴状記載20項に関する検察官の立証によれば、同日、アカイェスは地元住民に対して知識人を殺害するよう命令し、サムエルという教授を市庁舎に連行させ、首をマチェーテで切って殺させた。タバ市の教師たちは後にアカイェスの指示で殺害された。被害者は、タルチセ・ツイゼイムレミェ、テオゲネ、フォエベ・ウヴィネゼとその婚約者が含まれた。彼らは市庁舎前の路上でマチェーテや農具を持った地元住民らによって殺された。タルチセ殺害についてはアカイェス自身が証言した。

上記を含め数多くの事柄が法廷において事実認定された。

【被告人に適用できる法と判決】
(@)ジェノサイドの罪
判決は起訴状12A項及びB項記載の行為、すなわち強姦と性暴力について検討した。これらは、特定の集団をそれ自体として全部または一部を破壊する意図を持って行われた限りは他の行為と同じようにジェノサイドにあたるとし、アカイェスに有罪判決を下した。
(A)ジェノサイド実行の直接かつ公然の教唆
アカイェスは、公然と行った演説によって、聴衆にツチ集団をそれ自体として破壊させようという特別の内心の状態を直接作り出す意図を持っていたことが、合理的な疑いを超えて証明された。したがって、この行為がジェノサイド実行の直接かつ公然の教唆であると判断された。

よってジェノサイドの罪他によりアカイェスには終身刑が宣告された。

ジェノサイド否定例:イェリシッチ事件一審判決

【事件概要】
1992年イェリシッチは国民、民族または宗教集団としてのボスニア・ムスリムのかなりの、または著しい部分を破壊する意図で、レザー・バス会社、ブルコ警察署およびルカ収容所でムスリムの被拘禁者を殺害した。イェリシッチは「セルビアのアドルフ」と自称し、「ムスリムを殺すためにブルコに来たのだ」と語っていた。イェリシッチは数え切れない氏名不詳者を殺害したし、氏名の判明した被害者も複数いる。これらの行為によってイェリシッチはジェノサイドの罪で起訴された。また、13人の殺人や、収容所で被拘禁者から金銭を取った略奪につき、戦争法規慣例違反の罪と人道に対する罪で起訴された。イェリシッチは法廷にて戦争法規慣例違反の罪と人道に対する罪に関しては有罪答弁を行ったが、ジェノサイドについては無罪を主張した。

【ジェノサイドの2つの要件と分析】
イェリシッチ事件判決によると、
@…ICTY規定4条に列挙された犯罪の客観的要件、実体的要件である。
A…国民、民族、種族、または宗教集団をそれ自体として全部または一部を破壊する特別の意図という、犯罪の主観的要件である。

@についてイェリシッチの犯した行為について客観的要件は十分証明されている。
Aについて、被害者が特定の集団に所属したこと(a)と、犯行者がその集団をそれ自体として破壊する計画の一環として犯罪を行ったこと(b)に分けられる。

(a)国民、民族、集団、または宗教集団の構成員であるが故に被害者に行われた行為
⇒ICTY規定4条にある国民、民族、種族、または宗教集団というある特定の人間集団に属しているがゆえに被害者が選ばれ、差別的な意図を持った上で広範かつ系統的な暴力が行われていること。
(b)集団をそれ自体として全部または一部を破壊する意図
⇒その集団の構成員の非常に多くの数の殲滅を求める場合および、その人物が失われることが集団の生存者に影響を与えるがゆえに選ばれた人物たちを破壊する場合でなければならない。

【判決】
本判決は、イェリシッチを人道に対する罪で有罪としたが、ジェノサイドの罪に関してはイェリシッチはジェノサイドの実行の意図、つまり集団をそれ自体としてまたは一部を破壊する意図があったとは証明されていないとし、ジェノサイドについては無罪となった。

論点

1. ICC規定6条においてジェノサイドは国民、民族、種族または宗教集団に属するものを保護しているが、政治集団、思想集団はその対象となっていない。これら集団も保護の対象とすべきではないか?
2. ジェノサイドは上記集団に対し、全部または一部を破壊する広範な計画の一環であることが必要とされているが、集団のどの程度の破壊がジェノサイドと認定されるのか?

論点に対する私見

1. ジェノサイド条約の起草段階においては政治集団は保護対象の集団として含まれていたが冷戦ゆえに削除されたという事実がある。よって政治集団、思想集団も保護の対象とすべきであると考える。その一方、国民、民族、種族、政治、思想それぞれについて明確な基準を策定せねばならないといえる。

2. これについては、非常に難しい問題であり僕自身答えが出せていない。ただ、イェリシッチのようにかなりの人数(数百人)をムスリムという理由だけで殺害したにも関わらずジェノサイドが適用されなかったことに対し、「全部または、一部を破壊する意図」というジェノサイドの要件に疑問を覚えた。

最後に

今回、ジェノサイドというテーマを取り上げてみましたが、国際法や刑法が関係していて予想以上にわからないことが多くて悪戦苦闘しました。そんな頭が爆発しかけのときに、学情でボスニア内戦で夫が行方不明(虐殺された?)となった家族のドキュメンタリーを見ていたのですが、ICTYにおいて戦争犯罪は裁かれても、民族の対立感情や行方不明者問題、そして残された家族の問題など解決されていないものが多く、あらためて戦争が引き起こす問題の大きさを感じさせられました。


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