日本の戦後補償と歴史認識

田中宏

2001.6.18 担当 亀村俊樹

はじめに
1985年の対象的な2つの出来事(ヴァイツゼッカー大統領戦後40周年記念演説と中曽根首相の靖国神社公式参拝)に象徴されるようにドイツと日本の違いはどこからでてくるのかという問いに応えるのが本章である。

1.日本の戦後補償に通底する恩給法思想


−占領下での軍人恩給の廃止−
 1945年8月戦争終結とともに連合国の占領下に置かれ、さまざまな政策変更を迫られた。
その1つが45年11月、「戦時利得の排除並びに国家財政の再編成」と同じ日に出された覚書「恩給及び恵与」であった。
→「軍人又はその遺族であることにより、一般の困窮者と差別して優遇されるという制度は好ましくない」として旧来の軍人恩給の廃止を指示
 “優遇”・・・民間の教師や官公吏は俸給の2%を恩給の基礎として払い込み(軍人は1%)など
   ↓
46年2月「恩給法の特例に関する件」によって、重度の戦傷病者を除いて軍人恩給は廃止された。
また、アメリカ政府は対日早期講和方針のもと
51年9月 サンフランシスコ講和会議
52年4月 対日平和条約が発効
講和条約調印後の51年10月、「戦傷病者及び戦没者遺族者等の処置に関する打合会の設置に関する件」が閣議決定され、戦後初めて戦争犠牲者援護が公式に取り上げられる
「階級別による旧軍人恩給の復活で行うべき」(恩給局)との意見と
「階級別を廃止して社会保障の見地から遺家族の実情に即して解決を図るべき」(厚生省)
との対立があったが、結局、戦傷者・戦没者遺族に社会保障の色彩が強い年金を支給することで決着し
52年3月 戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下、援護法)が成立
 4月30日公布施行(適用は4月1日にさかのぼる)
・・4月28日、対日平和条約が発効すると、旧植民地出身者は日本政府によって「日本国籍」を喪失するとされた

→日本における“戦後補償”が開始される

援護法が制定されたが、同じ境遇にある旧植民地出身者を排除するために2つの条項が設けられた。
・ 本則(第11条、14条、31条)・・・日本の国籍を失ったもの(とき)は、障害年金や遺族年金などを受ける「権利が消滅する」
・ 附則2項・・・戸籍法の適用を受けない者(旧植民地出身者を指す)については、当分の間この法律を適用しない。
※補償をするにあたって、なぜ国籍条項や戸籍条項を設けるのかという議論は全くなされていない

援護法以降の立法の推移<表1>について
・@〜Lにはいわゆる国籍条項があり、日本国民のみを対象としている。
 ・M、Nの原爆2法は珍しく内外人平等の扱いになっている。
・冒頭にある傷病兵及び戦災被害者の救助・扶助を定める2つの法律(○印)は、いずれも戦時中に制定されたが、軍人恩給と同じく占領下で廃止されている。
 ・軍人恩給は復活(後述)し、戦傷病者特別援護法も制定されるが、戦災被害を対象とする戦時災害保護法は廃止されたまま今日に至っている。
   →戦時中は空襲被害が国家補償の対象であったが、戦後はそれに当たらないとされている。
※ 日本の戦後補償政策にひそむ“哲学”が垣間見られる、としている。

−ついに軍人恩給が復活−
軍人恩給の廃止を定めた法令は「ポツダム勅令」であり、占領をとかれると失効する。
→政府は53年8月1日、恩給法改正(軍人恩給の復活)を公布
 (援護法の対象になっていた軍人・軍属の大部分は恩給法の対象に移行)
・・・軍人恩給の復活によって、軍人の階級に基づく年金が導入されることとなる

−自己の意思によらない国籍喪失−
対日平和条約の発効に伴って、旧植民地出身者が日本国籍を喪失し、各種援護から排除されてきたが、1962年に援護法の解釈運用について微妙な変化が見られた。
厚生省は、「帰化により日本国籍を取得し、戸籍法の適用を受けることとなった朝鮮出身者、台湾出身者などは、帰化許可の日から遺族援護法の適用がある」との見解を示す
・・・付則2項(戸籍条項)の規定により、援護法の適用からはずされているにすぎず、日本に帰化することによって、日本の戸籍法の適用を受けるに至れば援護法の適用を受けることになる
→日本の国籍法の定めにより外国籍を取得した場合と、平和条約発効による国籍喪失(国籍法の枠外)を別異に解している。
日韓請求協定との関係について・・・本人の意思とは無関係に日本の国籍を喪失した韓国人等の場合には、日韓特別のとりきめ「日韓請求権協定」の発効の日(65年12月18日)前に帰化して日本の国籍を取得すれば、平和条約発効のときに遡って恩給が受けられる。

−すでに33兆円を支出−
・日本の戦後補償の“哲学”は、戦争犠牲者援護を軍人・軍属など「国との使用関係のあった者」に限定し、空襲被災者などを除外したことである。
→旧西ドイツにも連邦援護法があるが、空襲被災者も援護の対象となっており、しかも軍人については「階級差なし」の扱いとなっており、日本と質的に大きく異なる。

・国籍条項をめぐる問題
対日平和条約が発効した1952年度から91年度までの40年間に<表1>に掲げる@〜Nの法律による総支出額は33兆円に達し、M・Nを除いてことごとく「日本国民」のみを対象としている。<表5・6・7>の3つを単純に合計しても、121万人の外国人が国籍条項によって排除されていることになる。
 →諸外国・・・アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、西ドイツはいずれも外国人元兵士等に対し、自国民とほぼ同様の一時金・年金を支給している。

明治以来の恩給法制における国籍条項は、占領を解かれた後に再開された援護立法に引継がれ、今日に至っている。恩給法思想ともいえるものが綿々とつづき、それによって日本が行った戦争による被害については、日本人のみを戦後補償の対象としてきた。
→日本人のみが被害者であるという歪んだ歴史認識が定着してしまったのではないか。

2.「対外支払い」と歴史認識


−「対外支払い」は約1兆円−
フィリピンと南ベトナム(当時)・・・平和条約にもとづき日本に賠償請求
ビルマ、インドネシア・・・個別に平和条約、賠償協定を結ぶ
中国(又は台湾)、インド・・・個別に平和条約を結び戦争状態終結
               両国いずれも対日賠償を放棄
カンボジア、ラオス・・・平和条約の当時国であったが、賠償請求権を放棄
            日本は「無償資金供与」を行いこれに応えた
その他さまざまな対外支払いが行われ、その総額は約1兆円である。

国内支出・・・被害者「個人」に支給
対外支払い・・・ダム建設や製鉄所建設などの「社会還元」方式がとられ、
        被害者個人に届くことはほとんどなかった。
−日中間における戦後処理−
満州事変から15年にわたる日本の中国侵略について「事変」であって「戦争」でない(宣戦布告を行っていないという形式)という主張
→82年9月に公開された日本の外交文書
「日本の戦争責任について」(49年作成)
・・満州事変、支那事変を戦争とし、当時の日華関係をすべて戦時の問題として取り扱い、戦争状態が平和条約で終了される考え方は了承できない。
理由
1、 各国から賠責要求が出されており、戦争責任を回避し、交渉を少しでも有利にする
2、また、捕虜に対する取り扱いの条約違反を逃れるため。

対中講和・・・台湾の蒋介石政権を相手になされた。(アメリカ意向に沿って)
「日華平和条約」(第一条)・・・日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する。(事変説×)
        同議定書・・・サンフランシスコ条約第14条(a)1に基づき、日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄するとされた

−日韓請求権協定と個人の権利−
韓国との間では1965年、日韓請求権協定が締結され「完全かつ最終的に解決された」としているが問題も残る。
・国家間での解決と個人の権利とは別である、というのが日本政府の見解である。
 (→個人の請求権は消滅していない)
・「在日」には「影響を及ぼさない」との規定がある。
 しかも、韓国の対日民間請求権申告法の申告対象者・・・「在日以外の大韓民国国民」
(→日本・韓国両国から排除された“谷間の存在”となってしまう)


論点

1、 各種援護立法における国籍条項に合理性はあるか。
2、 軍人恩給・援護立法はその補償の対象として、軍人・軍属など「国と使用関係にあった者」に限定しているが、空襲被災者などを含め無差別平等に適用すべきではないか。


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