瀧川ゼミ                   2001.7.2  担当・松木謙茂

戦後補償の論理  被害者の声をどう聞くか


著者 高木健一  


T 戦後補償の論理


序章 なぜ、いま、戦後補償か

第二次大戦中のカイロ宣言とポツダム宣言に示されている連合国の理念は、侵略体制の否定、多民族の奴隷化の否認を通して民主主義世界の建設を目指すというもの。
↓日本国憲法前文
「圧迫と偏狭」「専制と隷従」の克服こそが、国際社会において「名誉ある地位」を獲得する条件であると明記。
→アジアに対する日本の戦後補償は、日本が再出発するために第一に実行すべき課題だった。
しかし、敗戦四ヶ月後の国会決議において
「・・・戦争責任なるものは・・・世界平和を撹乱する無謀の師を起さしめたる開戦責任と開戦後において国際条規に背反する残虐行為を行いたる刑事責任とに止まる。・・・」
としており、民事責任=補償に目を向けていない。

ポツダム宣言の原則「公正なる実物賠償の取立て」
だが実際、アメリカはアジア人が被害にあった日本の戦争犯罪を、一部を除いて追求せず、ましてその回復のために関心を払うこともなかった。
→日本の「存立可能な経済」の維持が賠償支払いより優先させられてしまった。

●戦後補償を妨害する諸事情
□なぜ日本とドイツで戦後政策に違いが出たか
・日本により被害を受けた国がアジアだったため、欧米の関心薄
・連合国最高司令官が、軍事主義中心のマッカーサーだった影響
・日本の敗戦時は米ソ冷戦の開始と重なり、戦争犯罪が徹底的に追求されず
・日本周辺諸国はアメリカ、ソ連の言いなりになるしかない国が多く、日本を追求する力が弱かった

□なぜアジアから補償を求める声がすぐに挙がらなかったのか
独裁体制(韓国、フィリピン、台湾、東南アジア諸国)や社会主義体制(中国、北朝鮮、ソ連)や植民地(香港、ミクロネシア)が戦争後しばらくの常態
→冷戦が優先されて民主主義と人権がおろそかにされ、自国政府の意向に反して声を挙げることは困難だった。

□ 日本国内の状況
・国民の受けた苦しみのみが強調され、被害者意識が蔓延
・被害者の手に渡らないことを承知で賠償金、拠出金を支払う
 →解決したのは政府間の関係のみ

冷戦構造の崩壊に伴い、アジア諸国の被害者は個人の人権回復のために声を挙げることができるようになった。

人権回復、過去の過ちを繰り返さない社会にし、アジアとの信頼関係構築のために、今こそ戦後補償なのだとしている。


第一章 戦後補償に関する議論


―戦後補償に反対する意見―
@「確かに元慰安婦という人たちは筆舌に尽くしがたい苦労をしたであろう。だが苦労をしたのは彼女たちだけではない。・・・多かれ少なかれ、みんな(日本人も)過酷な、理不尽な目にあったのだ。それが戦争というものであり、非常時というものだろう」(佐藤勝巳)
日本の戦争はその構成員である当時の日本人が直接、間接に支持し、その過程で苦労
を体験。だがアジアの人たちにとっての苦労は自ら招いた行為ではない。 

日本人も苦労したのだからあなたたちの苦労も仕方がないという論理は通用しない。

A戦後処理条約(ex.日韓条約)ですでに補償問題は解決済み
「日韓請求権経済協力協定」第二条
「両締約国及びこの国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びにその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されることを確認する」  
   ↓
国家間でその清算が問題となる権利
@)国が持っている権利。例えば、国の在外財産、国の請求権など。
A)国が個人に関して有する外交保護権。個人の財産権に対して国が外交保護を発動する権利。
B)国とは関係ない個人の権利。例えば、個人の財産権ないし補償請求権など。

?国家が、委任も受けていないのに個人に代わって個人の権利を放棄することはできない。
  ↓
国家間で条約を締結したり、清算したりできるのは、原則として@、Aであり、B)個人の権利は放棄できず。

?外交(的)保護権・・・国際違法行為の直接の被害者が詩人の場合、国際請求は、原則として国家自身の権利侵害と構成されて、当該私人の本国によって行われる。(国際法の教科書より)

B日本政府が韓国政府に拠出した五億ドルのうち、一部韓国内において民間へ補償金を支払った事実

日本政府は五億ドルを経済協力として拠出したのであり、補償分は入っておらず、民間に補償金として渡されたのは韓国内の政策の問題である。


第2章 戦後補償とは


・戦争責任
〔定義・意味〕主に侵略戦争を開始ないし遂行した責任(国際法に基づく刑事責任)
 
この議論の流れは、悪いのは軍部、天皇制であり、一般国民は被害者だという考えに陥りがち。
→日本がアジア諸国等に侵略したことへの、加害者的視点は生まれてこなかった。

・戦後責任
〔定義・意味〕植民地支配と侵略戦争の過程において生じたさまざまな被害を回復する義
務・責任

東京裁判が戦争責任に関して刑事裁判的な機能しか果たさなかったことを踏まえ、その民事的な被害回復を問う論理。

・賠償
〔定義・意味〕第一次大戦以降、賠償は違法な戦争の結果に対する、国家が受けた損害の支払い

・補償
〔定義・意味〕侵略戦争の違法性に対する被害回復的なもの
→ベルサイユ条約第三〇二条二項以下に個人の被害の救済手続きが定められ、国家対国家の賠償という考え方とは別に、個人対国家の個別的請求権処理という側面が明文化

・請求権
〔定義・意味〕植民地の独立あるいは支配、占領地の開放に伴う、宗主国と被植民地との間の財産関係の清算

・国家補償
〔定義・意味〕対内的・国内的処理として、国内の戦争犠牲者を援護する際に「負担の公平」を求める意味で使われる言葉

「負担の公平の原則」・・・援護を公平に行うべきだとする考え方。
「受忍限度論」・・・一定の戦争被害は受忍すべきだとし、誰をどのように援護するかは立法政策によるという考え方。現在の日本はこちらをとる。

「受忍限度論」について
憲法第十四条「法の下の平等」、国際人権規約第二六条に違反するのではないかという批判。

・戦後補償
〔定義・意味〕日本が履行せねばならなかったアジアの個人への補償は戦後半世紀近く放置されてきたという意味を込めて「戦後補償」と呼ぶ。

△戦後補償の二つの視点
@)戦争犠牲者の援護の公平を要求する視点
A)アジアに対する侵略の償いとしての視点

@)について
憲法第十四条「法の下の平等」、国際人権規約B規約第二六条「内外人平等原則」の問題と
してとらえる。
→一般民間人や外国籍者は援護予算(年間2兆円)から排除されている。
 →民主主義の理念の根幹に関わる問題。近年、裁判提起されはじめる。

A)について
戦時における国家に道義を求める、国際人道法(Ex.ハーグ条約、ジュネーブ条約、国際慣
習法)の問題としてとらえる。
→「人道に対する罪」を含めた国際慣習法は、戦争犯罪として刑事制裁の規範となるだけで
なく、民事的な制裁として被害者救済のための規範とならなければ一貫しない。
→従軍慰安婦も含めた韓国人軍人・軍属による補償請求裁判などがこのことを追求。


第三章 日本の戦後処理は何だったのか


◆対内的戦後処理において
日本は国内の戦争犠牲者の援護において13の立法を持っているが、援護行政の根本にある考え方は「受忍限度論」であるため、原爆二法を除き、国籍条項を定めて外国籍者を排除、一般国民には援護しない。
   ↓
「負担の公平」を求める動き
 ?孫振斗判決
韓国人の孫振斗氏は広島で被爆し、戦後は韓国に帰国したが、1970年、佐賀県に原爆の治療を求めて密入国。1971年に被爆者健康手帳の交付申請を出したが却下されたため、却下処分取り消しを求めて提訴。
◎最高裁判決
「原爆医療法は・・・戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面を有するものであり、・・・国家補償的配慮が制度の根底にあることは否定できない・・・」
「同法は・・・人道的目的の立法であり、その3条1項にはわが国に居住地を有しない被爆者をも適用対象者として予定した規定があることを考えると、・・・その(日本に)現存する理由等の如何を問うことなく、広く同法の適用を認めて救済をはかることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合する・・・」

 →「自己の意思にかかわりなく」台湾、朝鮮戸籍者から日本国籍を一方的に喪失させるという不利益を押し付けたのであるから、「国家的道義の上から」も公平な援護を行わなければならないという見解をだし、「国家補償の精神」を確認

しかし、日本政府は戦争の犠牲を受忍義務として個人に負担せしめようという考えを変えず。

?セネガル国籍元フランス軍人判決
セネガル人の元フランス陸軍退役軍人が、その後セネガル国籍を取得。その結果、フランス政府からの年金支給額がフランス国籍の退役軍人よりも少なくなるという取り扱いに対して、国際人権規約B規約「市民的及び政治的権利に関する国際条約」第二六条違反だとして提訴。

 ◎国連規約人権委員会の決定(1989年)
セネガル人もフランス人も提供した軍務は同じであるから、現在の国籍による差別は第二六条に違反する。

日本も国際人権規約に加入しており、「受忍限度論」を掲げて、国籍、あるいは民間人か軍部の人間かによって不公平な取り扱いをすることは、二六条違反であり、国際社会ではもはや時代錯誤であるとしている。

◆対外的戦後処理において

ドイツが支払った「補償」は約600億ドル、日本は「賠償」金として15億ドル支払ったに過ぎず、日本が支払った「補償」はなし。
→この事実が近年になって「戦後補償」を求める声があがる社会的根拠である。


第4章  戦後補償の歴史と諸外国の事例


1907年ハーグ条約第三条
→戦争規制条項に違背した軍隊をもつ国は、被害者個人に対して損害賠償(補償)をしなければならない(日本も1912年にハーグ条約を批准)

その後ベルサイユ条約(1919年)で補償の概念が初めて成文化

アメリカの事例
戦時中11万人の日系人(うちアメリカ国籍者三分の二)が砂漠や山岳地帯に強制収容

戦後、日系人の補償請求運動がおきる。それを受けて、1988年「市民的自由法」成立し、「公式謝罪と生存者六万人に対する各2万ドルの補償」が実現。

アメリカとドイツの補償の違い
ドイツ・・償いの責任があるか否かを明確にするため、政府の特定の機関に請求を起こして審査や裁判などを行なわなければならなかった。
アメリカ・・請求そのものは不要。「市民的自由法」は精神的な償い、それに対するアメリカ政府
の責任の表明を第一の主眼。補償金は財産上の損害よりも犠牲者の気持ちを癒すもの、
名誉回復的なものであった。


第五章 戦後補償の法的根拠


ポツダム宣言から導き出される補償
Ex.「朝鮮人民の奴隷状態から朝鮮を自由且つ独立のものたらしめる」
 →くびきをはずす(=単なる領土返還)だけでは奴隷状態の人を元の状態に回復することすることはできない。
   →あらゆる原状回復行為をしなければならない。
       ↓ 
ポツダム宣言受諾とは、まさしく日本が朝鮮はじめアジアを侵略し、人道に対する罪に該当する行為を行ったという事実を日本が認め、その被害からの回復措置を行なうよう連合国が要求したことに対して、日本はこれを全面的に受け入れたと考えるべき。

?日本国憲法から導かれる補償
前文「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」
→憲法は、日本が犯した「専制と隷従、圧迫と偏狭」による被害の回復(補償)に日本が真剣に取り組むことこそが、日本が国際社会における名誉ある地位を獲得する前提であり不可欠な条件であると宣言。

?国際法的根拠
1 加害国家は被害者に対して補償責任があるかどうか。
2 補償を請求できるのは国家だけでなく個人でも可能か。

@について
ハーグ陸戦条約第三条
「前記規則の条項に違背したる交戦当事者は損害あるときは、これが賠償の責めを負うべきものとする。交戦当事者はその軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う」
これは、もともとは確立された国際習慣で第一次世界大戦に適用された。
戦争以外の事件においても、国際法違反の加害行為が行われ、被害が生じた時、加害国によってその被害者個人への補償が実行された例は多数。

サンフランシスコ条約によって連合国側の請求権は放棄されたが、被害者個人の有する補償請求権は基本的人権というべきものであるから、国家といえども放棄できない。

→加害国家には被害者に対して補償責任がある。

Aについて
伝統的な国際法の理論では、国際法の主体は国家だけ。
→国民個人に対する権利侵害は国家に対する侵害であるとの法的擬制。

しかし、戦争犯罪概念が確立した1930年代から、個人に補償請求権が発生するとの国際慣習法が確立。

→個人でも請求可能


●論点
1.現在裁判中の事案で、原告が被害者個人で日本国を相手取って補償を求めている場合、原告が勝訴しても、その原告個人にしか補償金は支払われない。このような場合、国家は裁判で敗訴した事柄に対して、広く同様の被害者に補償すべきだろうか?それとも個々の問題としてその都度裁判で争うべきか?

2.日本が積極的に日本の戦争犯罪を認めて補償していく場合、官僚行政、特に外務省の過去の外交との整合性はどのようにつけるべきだろうか?

3.戦後50数年たって出された判決に真実性はあるのだろうか?(証拠、証人の亡失)


・自分の考え
2.潔く過去の外交等の誤りを認めるべき。パーフェクトを目指すために、現在がパーフェクトでないことを認めるという考え。

3.ほとんどの場合、真実性は薄いと思う。従って、日本国家は、事案に対して裁判で争うのではなく、あらかじめ立法政策で補償等の規定を定めておく必要があると思う。


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