「現代歴史学と戦争責任」より

日本の加害責任と広島・長崎

吉田 裕著

担当:堅田 真也


はじめに

被害と加害という戦争の二つの側面を対立的にのみとらえる傾向
→被害と加害の二つの側面の複雑なからみあいを問題にする。
→加害の事実を掘り起こし、それを国民にいわば突きつけるだけでは歴史認識の質的な転換を引き起こすことはできない。
この報告でのテーマ・・・日本人の戦争被害の問題と加害責任との関係をどのようにとらえるのか


1.被害と加害の重層性

被害と加害の二つの側面は、実際には重層的な関係にある。
「天皇の軍隊」の非人間的内実と残虐行為との相関関係

ハーバート・ノーマン
「この侵略行動において、一般日本人は、自身徴兵軍隊に召集された不自由な主体でありながら、みずから意識せずして、他の諸国民に奴隷の足かせを打ちつける代行人となった。他人を奴隷化するために真に自由な人間を使用することは不可能である。反対に、最も残忍で無恥な奴隷は他人の自由の最も無慈悲かつ有力な強奪者となる」
(『日本の兵士と農民』より)

丸山真男
戦前の天皇制社会は「上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に委譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系」(『超国家主義の論理と心理』より)


2.歴史教育の視点から

加害にかかわる歴史的事実は、検定制度を通じた強力な文部省の介入によって、長い間教科書の叙述から排除されつづけてきた。
→1982年教科書検定の国際問題化をきっかけにして、従来の検定行政に一定の手直しがなされる。その後、教育の現場でも多くの自覚的な教師たちによって加害学習が精力的に取り組まれるようになる。
そこで直面した大きな問題(目良誠二郎『日清戦争をめぐる歴史の選択肢と歴史学・歴史教育』より)
教師たちがたじろぎをもって直面させられてきた若い生徒たちの二つの反応
◆「罪悪感」に小さな胸を痛めたあげく日本と日本人であることがいやになってしまうという「自虐的」な反応
◆「今になって一方的に日本を責めるのはおかしい。悪い事をしたのは何も日本だけじゃない」といった「居直り的」な反応
目良は後者のタイプの生徒を論理的に説得する事の困難さを率直に認めたうえで、歴史における別の選択肢の可能性を明らかにすることが緊急な課題となっていることを指摘。

高橋秀直『日清戦争への道』
日本の近代化とアジアへの侵略的膨張は必ずしも密接不可分の関係にあったわけではないとしながら、日清戦争の開戦前の時期までは、非大陸国家型の近代化の可能性が現実に存在し、「日清戦争をへることで近代日本は、大陸膨張を国家目標ととする軍国主義国家に生まれ変わったのである」と主張。

和田春樹『世界政策における米ソ関係の悪化』
資本主義のある段階で帝国主義戦争が不可避なものとなるというレーニンの帝国主義論を批判
「帝国主義を政策ととらえることによって、戦争と平和の問題を体制や階級の問題ではなく、誤った認識に基づく誤った政策の問題として理解することが可能となる」

従来の歴史教育が、概して歴史における別の選択肢の可能性という問題を重視してこなかった。

油井大三郎『「民族史」枠組みの再検討』
侵略した側とされた側という二元論から脱却する視点の模索も必要。
「侵略戦争の責任を個人の行動選択の問題として考え、当事者の心理や思想のひだにまで分け入った民衆思想史的アプローチがもっと開拓されてゆけば、二元的発想の袋小路からもう少し自由な発想ができるのではないか」

筆者の考え
残虐行為への加担を拒否する兵士よりは、ためらいや良心の呵責を感じながらも残虐行為に加担した兵士の方がはるかに多い。なぜ拒否することができなかったのか、そのことの背景と要因の分析がきわめて重要な課題となる。

3.国民意識との関連で

「戦争受忍論」

『原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について』(原爆被爆者対策基本問題懇談会)
「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国を挙げての戦争による【一般の犠牲】として、すべての国民がひとしく受任しなければならないところであって、政治論として、国の戦争責任等を云々するのはともかく、法律論として、開戦、講和というような、いわゆる政治行為(統治行為)について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていないというほかはない」

ドイツ・・・軍人軍属以外の一般の戦争犠牲者に対しても補償
日本・・・軍人軍属に対する補償に著しく偏重し、一般民間人の戦争被害に対する補償は基本的には認められていない

1994年被爆者援護法の成立に際して井出正一厚生大臣の答弁
「また、さきの戦争におきましては、すべての国民が、その生命、身体、財産等について、多かれ少なかれ何らかの犠牲を余儀なくされた事実、これは大変重いものがあると認識しているところでございます。そしてまた、こうした犠牲につきましては、基本的には国民一人一人の立場で受けとめていただくほかないんじゃないかな、こう考えるものであります」

受忍論が政府当局者の発想を強く規定しているだけでなく、消極的な形にせよ、それを受容するだけの国民的な基盤があるのではないか。
自国の戦争犠牲者に対する補償は政府の義務であり国民の権利でもあるという認識が国民の間でも希薄なように感じられる。
重要なことは、こうした被害者としての権利意識の希薄さが、実は加害者としての自己認識の希薄さという問題とわかちがたく結びついていることである。

被爆者運動の歴史的意義・・・民間人の戦争犠牲者に対する国家補償を要求するという意味において、日本社会においていまだ支配的な「受忍論」を克服するための運動である。またそのことによって、アジア諸国の民衆からの補償要求に対して、日本社会が誠実に応えてゆくための思想的な前提をつくり出すための運動という性格を持つ。


筆者のまとめ
加害と被害の重層した体験や意識という両者の間の接点は明らかに拡大しつつある。しかしそうした段階を越えて、被害と加害の二つの運動を実際に結びつけて連動させる自覚的な努力が、この国の市民運動に切実に求められているのではないだろうか。


論点

1.被害と加害の重層性について考慮する必要はあるのか。
2.アジア諸国の人々からの補償要求に応えるためには、受忍論の克服が必要か。

1.被害と加害の重層性について考えることは責任を転嫁することにつながるのではないか。
2.戦争の被害は受忍するべきだという考えは克服すべきであると思うが、被害と加害を実際に結びつけて連動させる必要はないのではないか。

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